125cc世界一周 「はじめに・プロローグ」

世界一周のデータアジア・中東・欧州編
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これまで謎だった、たびいちの世界一周の旅が

ついに明かされる!

ついにやります!フリーミアム!無料公開、開始!

これまで一部の人しか知られておらず、

長らく秘密と謎につつまれていた、

たびいち(アフロあきら)の世界一周の詳細。

たびいちは具体的に世界中でどんな旅をしてきたのか?

その全貌を、ついに公表する事にしました!

たびいちは、2000年に125ccの小型バイクで世界一周をしました。

https://tabi1.com/around-the-world

翌年2001年に世界一周を終えた後

「この世界一周の冒険を本にしよう!」

と帰国後半年かけて手書きで原稿用紙442枚(230ページ分)にわたる旅行記「STK1」を執筆しました。

そして

「出版のあかつきにはトラベルライターになるぞ!」

と鼻息をふがふが荒くしてたわけです。

ところが、何社かの出版社に一冊の本として書籍化できないかと原稿用紙の束を送ったものの、

出版すると費用が百万円以上かかるというので、断念。

現実は甘くない・・・

もっともそれだけの大金があれば、また1年ぐらい旅が出来るしね。

 

その後、元手が0円ということで、

STK1は2005年に「まぐまぐ!」にて有料のメルマガとして販売しました。

出版不況の時代で、ネットで販売と言うのは2005年と言う時代に合った手段でした。

 

だけど結局読んでいただけたのは若干名。

当然収入も入ったか入らないかの微々たる物で、つまり友人や仲間内でしか買ってもらえないことが判りました。

「それだったら、無料で公表したほうがいい」

とメルマガ購入者の一人でもある仲間からも言われたのだが、

書籍化を目指して半年も費やして書いた労作を、やはりそう簡単には無料で公表したくはなかった。

 

書籍化が無理なら、有料メルマガやクラウドファウンディングといった、

最新の時代の流れに乗った手段でマネタイズをした。

 

しかし、このたび「たびいちドットコム」というみんなのための情報サイトができたこと、

そして、無料で公表しても、多少なりても収益化できる事がわかったので、

この機会を持って惜しみなく公表する事ができました。

すなわち、アプリのゲームと同じ、「フリーミアム」化です。

 

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windows10とたびいちドットコムに共通する事

たとえばマイクロソフトの場合、windows7のあと、8をリリースしたものの、きわめて不評だった。

すぐそこにはアップルやグーグルなどのライバルも控えている。

そして、MSの取った決断は、無料でWindows10をリリースすることだった。

 

つまり、MSはOSのライセンス販売で収益の軸にしてきたけど、時代も変わり、無料サービスが増えているので、いつまでもそんな前世紀的なやり方では通用しなくなっている。

ならばOSのアップグレードを無料化したほうが、既存ユーザーの囲い込みが出来る。

ライセンス収益にならない代わりに、MSはグーグルなどと同じく広告収入等で収益化することに舵を変えたのでしょう。

 

なので

私がかつて有料で提供した記事も、たびいちドットコムではついに無料で公表します。

なぜなら、収益やお金のこと以前に、

労作を、自分の殻の中に閉じ込めてる方がもったいない!

 

そして、我が世界一周旅行記を盛大にオープンにすることによって、自分がどんな事をしてきたのかも気軽に、具体的に知ることができるので、たびいちドットコムに、より多くの読者を呼ぶ事だって出来る!

しかも世界中、どこでも読むことができる!

これこそが、ユーザーのためを考えた、ユーザーフレンドリーだと思います。

 

ということで、

ど根性の、若さと青春全開の世界一周大冒険!

はじまりはじまり~

 

 

1999年。
世紀末。
ひとつの物語が、はじまった。

 

その名は

「STK 1」

 

 

どこまでも行きたい!

あの地平線の先には、何があるのか・・・

どこまでも走りたい!

あの夕日の先をめざして・・・

 

 

 

あの日のいかりが、原動力

人生に失望していたあの日。

日本の社会がイヤでイヤでたまらなかった。

 

人生をドロップアウトして、就職をしようにも、超氷河期の時代だった。

それでもいろんな仕事に勤めてみたが、人間同士でもめて、やがてクビにされる。

 

「もう日本はイヤだ!このままこんな国は生きて行くのはもういやだ!世界一周して、新天地を探そう!」

とまで考えていた。

 

どこまでもバイクで走りたい!

どこまでも世界を見たい!

 

そこで「ビッグな事をやってやる!」と決意したのが

「バイクで世界一周」

だった。

 

どうせ世界一周するなら

オリジナリティのある、派手なことをやりたい。

当時、日本から世界一周する人は250ccバイクが圧倒的に多かったけど、

「125cc」なら、まだ前例が無いのではないか。

 

そして、旅の費用を極限に削減するために、

自炊と野宿を基本にする。

とくに物価の高いヨーロッパとアメリカでは、完全野宿。

1ヶ月の出費は、ガソリン代など含めて50000円でおさめる。

 

ど根性で貧乏旅に耐えて、そして自分を鍛えるのだ。

 

すでに125cc(GN125)で日本一周をしたので、ある程度の旅の経験やメカの経験はできた。
物価の高い日本国内でも、完全野宿・完全自炊で55日間で11万円でおさまった。

物価の安い国なら、もっと安く済ませられるだろう。

あとは世界に向けて、突っ走るだけだ!

 

しかし、どんなに切り詰めても、世界一周するには、お金が必要だ。

そこで、工場の夜勤の仕事で、週6日、働くことになった。

これもとても辛い仕事だったが、私はもともと夜型人間だったのと、「世界一周」の四文字が待っている!となれば、なんとか我慢して耐え抜いた。

 

世界一周への準備

仕事のかたわら、世界一周への準備も着々と進めた。

まずは、情報収集。

あのころはネットは無く、情報はすべて図書館などに行って、海外ツーリングの本を調べたりした。
いまでこそネットで洪水のような情報が手に入るが、あの頃は余計な情報が無かったので、未知な分だけ、逆に想像力と圧倒的な期待を膨らませる事ができた。

自分の旅にもっともインスパイヤされたのは、賀曽利隆氏の著作の数々。

 

とくに国境越えやバイクでの通関など、普通の海外旅行にはありえない特殊で実用的な情報は、以下の二冊が役立った

それらの情報を、ノートに書き写していた
世界一周のときに持っていった日記ノートの一部。パキスタンとイランの情報。
DSCN9575

当時はネットが無かったので、調べた情報をノートに綿密に写してある。まさに熱意の表れだった。

これを書いているときはとても楽しかった。

 

そして語学の勉強。

まずは英語の勉強をする。英語耳になるためにも、いろいろ洋楽も聴きまくった。

そしてフランス語も少し復習(といっても結果的にはフラ語は全然話せなかったが)

スペイン語にかんしては、NHKのテレビのスペイン語講座で勉強した。

(あのグレートザサスケも、メキシコ修業前にスペ語講座で学んだと言うから、意外に地道なのだ)

毎日が楽しくて楽しくて仕方がない!

そして1999年12月、工場の仕事の契約が終わった。

12月に仕事をやめて、出発するまでの2ヶ月間は、世界一周への準備の日々になるが、もう毎日がとても楽しかった。

 

◆陸運局にてバイクの国際登録

◆JAFにてカルネ(無税で輸出入できる書類)の作成

◆ビザ申請(インド、USA)

◆ジェベルをインドに送るための船会社探し

◆航空券、装備品の購入・準備

 

 

世界一周の誇り「STK 1」

1999年12月下旬。年の瀬の中、熊谷陸運局に行って、ジェベル125の国際登録をした。

125ccの場合、原付になるので普通の登録などは市町村の役場で行うものだが、国際登録は陸運局で行うのだ。

 

ふつう、日本のナンバーを国際登録すると、そのままローマ字化したものになる

例)

1熊谷 さ 1234   >  1 STK SA 1234

熊谷34 け 6789  > STK 34 KE 6789

 

しかしこれが原付になると、どんなふうな番号になるのか。

 

その国際登録証書を見たときのことは、今でも忘れる事はできない

書かれた文字は・・・・

たったの

 

「STK 1」

 

 

ということは、 「熊谷 1」 !?

つまり、自分が「1番」?

つまり、埼玉県北の熊谷ナンバーの地域では、原付で世界を走るのは、あなたがはじめての登録者だということだった。

Save0104

「い、一番だ・・・・・!」

あのときの込み上げてくるよろこび。

1以外に、余分な数字が何も無い!

stk04

 

「1番は1番だ!」

思わぬ「贈り物」に、そのうれしさたるや、帰りは雄叫びをあげまくるぐらいだった!

 

 

1999年12月の、あの日こそが、我が人生観が変わった日でもある。

「STK 1」 は、とてつもない魂の底からの自信を与えてくれた。

天は我を味方にしてくれた。

そう思えるほどだった。

 

思えば小学校の頃、中学校の頃は、私は何の取り柄もない人間だった。

運動神経も全くダメだし、根気も全然無い。なまけもので劣等感まるだしの生徒だった。

部活などでいろんな賞を取って、朝礼の時にたてつづけに表彰を受ける同級生を、恨めしげに見ていた。

かたや自分は一度も表彰されたことは無い。自分が壇上で受け取れたものと言えば、誰もがもらえる卒業証書ぐらいだ。

「人間は、何で不公平なんだろう」

自分は敗北者のように思えた。

 

しかし、

そんな男でも、今日、「1番」が取れたのだ!人生の大逆転だ!

人生の勝利者になったかのようである。

 

そして、

1番をつかみとった以上、

1番の誇りにかけて、

世界一周を絶対に成功させてやる!

そして、いままでバカにしてきたやつらを、見返してやる!

 

世界でどんなことがあっても、全力でぶつかってみせる。

なぜなら、熊谷ナンバーのエリアでは「1番」「原付で世界を旅するはじめての挑戦者」なのだ!

 

「自分の生きる道は、これしかない!」

それぐらいの決意と激しい情熱が無ければ、世界一周という大冒険は果たせないだろう。

 

闘志を全開に燃えたぎらせ、青春のすべてを賭けた若い男。

たびいち。22才。 怖いもの知らずだった。

 

命と人生を賭けた大冒険が、ついに始まろうとしている!

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