【電子書籍 STK 1 】 125cc世界一周 「はじめに・プロローグ」

これまで謎だった、たびいちの世界一周の旅が

ついに明かされる!無料公開、開始!

1999年。

世紀末。

ひとつの物語が、はじまった。

その名は

「STK 1」

どこまでも行きたい!

あの地平線の先には、何があるのか・・・

どこまでも走りたい!

あの夕日の先をめざして・・・

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あの日のいかりが、原動力

人生に失望していたあの日。

日本の社会がイヤでイヤでたまらなかった。

人生をドロップアウトして、就職をしようにも、超氷河期の時代だった。

それでもいろんな仕事に勤めてみたが、人間同士でもめて、やがてクビにされる。

「もう日本はイヤだ!このままこんな国は生きて行くのはもういやだ!世界一周して、新天地を探そう!」

とまで考えていた。

どこまでもバイクで走りたい!

どこまでも世界を見たい!

そこで「ビッグな事をやってやる!」と決意したのが

「バイクで世界一周」

だった。

どうせ世界一周するなら

オリジナリティのある、派手なことをやりたい。

当時、日本から世界一周する人は250ccバイクが圧倒的に多かったけど、

「125cc」なら、まだ前例が無いのではないか。

そして、旅の費用を極限に削減するために、

自炊と野宿を基本にする。

とくに物価の高いヨーロッパとアメリカでは、完全野宿。

1ヶ月の出費は、ガソリン代など含めて50000円でおさめる。

ど根性で貧乏旅に耐えて、そして自分を鍛えるのだ。

すでに125cc(GN125)で日本一周をしたので、ある程度の旅の経験やメカの経験はできた。
物価の高い日本国内でも、完全野宿・完全自炊で55日間で11万円でおさまった。

物価の安い国なら、もっと安く済ませられるだろう。

あとは世界に向けて、突っ走るだけだ!

しかし、どんなに切り詰めても、世界一周するには、お金が必要だ。

そこで、工場の夜勤の仕事で、週6日、働くことになった。

これもとても辛い仕事だったが、私はもともと夜型人間だったのと、「世界一周」の四文字が待っている!となれば、なんとか我慢して耐え抜いた。

世界一周への準備

仕事のかたわら、世界一周への準備も着々と進めた。

まずは、情報収集。

あのころはネットは無く、情報はすべて図書館などに行って、海外ツーリングの本を調べたりした。
いまでこそネットで洪水のような情報が手に入るが、あの頃は余計な情報が無かったので、未知な分だけ、逆に想像力と圧倒的な期待を膨らませる事ができた。

自分の旅にもっともインスパイヤされたのは、賀曽利隆氏の著作の数々。

とくに国境越えやバイクでの通関など、普通の海外旅行にはありえない特殊で実用的な情報は、以下の二冊が役立った

それらの情報を、ノートに書き写していた
世界一周のときに持っていった日記ノートの一部。パキスタンとイランの情報。
DSCN9575

当時はネットが無かったので、調べた情報をノートに綿密に写してある。まさに熱意の表れだった。

これを書いているときはとても楽しかった。

そして語学の勉強。

まずは英語の勉強をする。英語耳になるためにも、いろいろ洋楽も聴きまくった。

そしてフランス語も少し復習(といっても結果的にはフラ語は全然話せなかったが)

スペイン語にかんしては、NHKのテレビのスペイン語講座で勉強した。

(あのグレートザサスケも、メキシコ修業前にスペ語講座で学んだと言うから、意外に地道なのだ)

毎日が楽しくて楽しくて仕方がない!

そして1999年12月、工場の仕事の契約が終わった。

12月に仕事をやめて、出発するまでの2ヶ月間は、世界一周への準備の日々になるが、もう毎日がとても楽しかった。

◆陸運局にてバイクの国際登録

◆JAFにてカルネ(無税で輸出入できる書類)の作成

◆ビザ申請(インド、USA)

◆ジェベルをインドに送るための船会社探し

◆航空券、装備品の購入・準備

世界一周の誇り「STK 1」

1999年12月下旬。年の瀬の中、熊谷陸運局に行って、ジェベル125の国際登録をした。

125ccの場合、原付になるので普通の登録などは市町村の役場で行うものだが、国際登録は陸運局で行うのだ。

ふつう、日本のナンバーを国際登録すると、そのままローマ字化したものになる

例)

1熊谷 さ 1234   >  1 STK SA 1234

熊谷34 け 6789  > STK 34 KE 6789

しかしこれが原付になると、どんなふうな番号になるのか。

その国際登録証書を見たときのことは、今でも忘れる事はできない

書かれた文字は・・・・

たったの

「STK 1」

ということは、 「熊谷 1」 !?

つまり、自分が「1番」?

つまり、埼玉県北の熊谷ナンバーの地域では、原付で世界を走るのは、あなたがはじめての登録者だということだった。

Save0104

「い、一番だ・・・・・!」

あのときの込み上げてくるよろこび!

1以外に、余分な数字が何も無い!

stk04

「1番は1番だーー!」

思わぬ贈り物に、そのうれしさたるや、帰りは雄叫びをあげまくるぐらいだった!

1999年12月の、あの日こそが、我が人生観が変わった日でもある。

「STK 1」 は、とてつもない魂の底からの自信を私に与えてくれた。

天は我を味方にしてくれた。

そう思えるほどだった。

思えば小学校の頃、中学校の頃は、私は何の取り柄もない人間だった。

運動神経も全くダメだし、根気も全然無い。なまけもので劣等感まるだしの生徒だった。

部活などでいろんな賞を取って、朝礼の時にたてつづけに表彰を受ける同級生を、恨めしげに見ていた。かたや自分は一度も表彰されたことは無い。自分が壇上で受け取れたものと言えば、誰もがもらえる卒業証書ぐらいだ。

「人間は、何で不公平なんだろう」

自分は敗北者のように思えた。

しかし、

そんな男でも、今日、「1番」が取れたのだ!人生の大逆転だ!

人生の勝利者になったかのようである。

そして、

1番をつかみとった以上、

1番の誇りにかけて、

世界一周を絶対に成功させてやる!
そして、いままでバカにしてきたやつらを、見返してやる!

世界でどんなことがあっても、全力でぶつかってみせる。

なぜなら、熊谷ナンバーのエリアでは「1番」「原付で世界を旅するはじめての挑戦者」なのだ!

「自分の生きる道は、これしかない!」

それぐらいの決意と激しい情熱が無ければ、世界一周という大冒険は果たせないだろう。

闘志を全開に燃えたぎらせ、青春のすべてを賭けた若い男。

たびいち。22才。 怖いもの知らずだった。

命と人生を賭けた大冒険が、ついに始まろうとしている!

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