世界一周02 インド篇 カルカッタ・マドラス

☆今回はいきなり苦難のどん底篇!インドへの飛行機に乗ったとたんに始まる不吉な予感!果た
してインドでは何が待ち受けているか!

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第二章 インド篇 カルカッタ・マドラス

(2000年3月 1日~3月26日):

常識をぶっこわされるカルカッタ
少年僧と乗る寝台列車
病気と苦しみのマドラス
パンドラの箱を開けろ

インドの物価
通貨1ルピー= 2.5円(2000.03) ・ガソリン 70円
・宿(地方125円、都市部400円から。)
定食:ベジタリアンカレーとチャパティ、漬物、ヨーグルト 12.5円~60円
・中華料理の焼飯 100円
・サモサ(インド揚餃子)1ケ 2円  ・路上で売る冷や水 1カップ1.25円
・チャイ(ヤギの乳のミルクティー) 5円
・ラッシ-(ヨーグルトドリンク)17.5円~25円
・マンゴ1ケ 30円 ・マンゴジュ-ス(パック入り)25円
・マンゴアイス 5円


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インド:常識をぶっこわされるカルカッタ

タイ・バンコクからインドのカルカッタ(現・コルカタ)・ボンベイ(現・ムンバイー)へ行くエアーインディアに乗ったとたん、嫌な予感がしてきた。

離陸すると中はガタガタ、そしてろくにかたずけられていないので、ゴミだらけで汚い!天国のような台湾の中華航空とは雲泥の差だった。

そんな最悪な機内でも、となりに座ってたフランス人女性から、「チェスをしましょう」と、さそわれた。しかし私はチェスの仕方を知らなかったのだ。ガーン!残念!くやしすぎる。

2000年3月1日19時20分カルカッタ空港に無事着陸。立派なターミナルビルなんか無くその場で降ろされた

そして、延々と待たされる入国審査。日本人も多く、近くには福岡からツアーできたのだろう、華奢な体の女子大生たちが「こういう風にしたらよかと」などとモロ福岡弁で話していた。

インドの場合だとツアーの方が楽だろうな。そう思いながら頭の中はもう不安でいっぱいになった。一時間以上も並ばされ、ようやく入国。そしてこれからが本当の恐怖のはじまりなのだ・・・・

カルカッタ空港の中は、1200万人を有する巨大都市の国際空港とは思えぬほど、過疎地の地方空港のように小さくて何もない!

バンコクのようにコンビニはもちろん、売店すらない。地下鉄があるのでそれでカルカッタの中心まで行こうと思ったが、地下鉄の地の字も見当たらない。

外に出れば、地下鉄の駅や市内行きのバスが必ずあると思い外へ出た。だがそれは他の国で通用する常識であって、このインドという国ではそんなのは全く通用しなかった。

外にいたのは、目的も無く、ただ夜道にたむろしている数千人以上のインド人。これだけ。バスや地下鉄を探すが、そうすると電光石火の如くタクシ-の客引きがやってくる。

「300ルピーでどうだ、いや200でいいぞ!」

真っ暗な中、人ごみに囲まれると怖くなって逃げた。するとしつこく追っかけてくるではないか!ウワーッと思わず叫んで逃げまくった。

結局バスなど見つからず、空港に戻るとみんな公認のタクシーチケット(160ルピー約400円)を買っていた。つまり市内への唯一の交通手段はタクシーだけだった。
しかたなく、タクシーに乗った。もうこれだけでくたびれてしまった。

カルカッタ中心の安宿街・サダルストリートに着いた。バンコクのカオサンに比べれば本当にここも何もない感じだった

ターバンをかぶった、シーク教徒が運転する1950~60年代風のカークーラーの代わりに扇風機が回ってるインド製タクシーから降りて、宿探しを開始。

そうしているうちに、今度はジャッキーと名乗る少年がやってきて、宿を探してやると言われた。
「いらん。自分で探す」
と断っても、勝手にしつこくついてくるし、もううんざりしてきたので結局少年に任せる事にした。

どこも安宿は満員なので、ホテル・クリスタルという300ルピー(750円)もするところに決めた。
部屋に入ってしばらくすると、ジャッキーがやってきた。インドの物価から考えるとチップは10ルピーぐらい、30円で充分だと思ったが、小銭がないのでしかたなく1ドル札をわたした。

「もっとおくれよ」というもんだから「冗談じゃない、だめ!!」と扉を閉める。

これを読んで「チップに30円?ケチだな~」と思う人もいるかもしれないが、甘やかしてはいかんのだ。こちらから雇ったわけじゃないし、着いたばかりの何も知らない旅行者からあぶく銭をたんまりもらっているわけだから、インドに見合った物価で計算しないと、数十円の日当でまじめに働いてる他のインド人にとても失礼である。

そして戦いは終った。22時30分、やっと部屋でくつろげる。長い一日だった。インドの初日からこんなに辛い目に会うなんて。

翌朝、マドラス(現チェンナイ)行きの列車の券を買うことにし、インド唯一の地下鉄に乗ろうとした。3ルピーで乗れるはずなのだが、10ルピー札で払おうとすると、お釣りがないといわれた。

なんで?たかが7ルピーぐらいあるはずなのに!信じられん!と文句が出てしまったが、本当にお釣りがないらしい。

インド、特に東部のカルカッタでは極度にルピーの硬貨が不足している。だからどの店に行ってもお釣りに出す硬貨がない。日本に例えるなら二千円札をなかなか見かけないのと同じだ。

しかし銀行の前を通ると、コイン売りが1ルピーコインを山のように積んでいる。ようするに小銭が欲しい時は路上のコイン屋に手数料つけて両替しなければならない

はっきり言ってシャクにさわるシステムだが、小銭がないと、8ルピーのジュースを買って、10ルピー札で払っても、「おつりがない」と言われれば、まるまる10ルピー払わねばならないのだ。

ある時なんか、おつりのコインの代わりに、真っ黒いゴミをわたされたことがあった。

なめとんのかワレーと思ったが、それはなんとインド人の手垢で真っ黒になったボロボロの1ルピー札であった。こんなものをよこされたら最後、誰も受け取ってくれない。あきらめてそのままゴミとして捨てるか、インド旅行の記念として持ち帰るしかない。

そんなこんなで、地下鉄をあきらめて歩いてチケットセンターに行った。早速今夜の寝台車を予約した。インドでも特に貧困なカルカッタは、初めて入国する旅行者にとって大変なカルチャーショックを受ける街として有名だ。

そのShockをモロにうけた私は、もうこのジンクスのかたまりのような町から早く脱出して、マドラスへ行きたかった。そして早く単車に乗って旅したい!

ところで、チケットを買っていた半分ぐらいが日本からの学生旅行の連中だった。彼らは仏陀の生誕地のブッダガヤ、ヒンズーの聖地バラナシ(ベナレス)、世界的に有名なタージマハールと西へ行くらしく、インド観光の定番コースだ。

だけど南のマドラスにいくのは私だけだった

少年僧と乗る寝台列車

夜19時35分、マドラス行きの列車はカルカッタ・ハウラーステーションを出発。翌々日の朝5時に到着する寝台車だ。料金はたったの1000円程度。距離は1600km。東京から鹿児島南端の枕崎と同じぐらいだ。

1ブロックにつき、通路を挟んだ両側に三段ベッドというスタイルだった。そこには比較的裕福そうなインド人の家族、フランス人女性のバックパッカー、バングラデシュから来た二人の少年僧、そして日本代表の私という、人種も服装もバラバラのインターナショナルぶり。

オレンジ色の法衣をまとった僧侶と、お人形のように着飾ったインド人家族のおじょうちゃんが一緒に座っているとたまらなくおかしい。

この若僧、ではなく少年僧とはすぐに仲良しに。なぜかというと、同じ坊主頭だったからだ。実は私は世界一周前は型まで髪を伸ばしてロンゲにしていたのだ。とはいっても武田鉄也のようにどう見てもきれいな髪ではなかったし、むずむずうんざりしたので出発前日はスキンヘッドにしたのだ。

そして日本も一応仏教国(と言っても今の日本は経済ブランド崇拝か)ということで、日本とバングラデシュ、風土とか生活もまるで違うのに、こうして理屈抜きに仲良くなれて心の底から最高だった。

少年僧は18歳と14歳の2人で、14歳のほうはさすがに思春期たけなわでとてもシャイで無口だが、18歳の兄上?のほうはよくしゃべり、英語も話せる。彼らが野球のユニフォームを着るとまるっきり甲子園球児みたいだ。

そんな彼らは法衣を着たまま寝る。この寝台車の寝心地も悪くない。しかもバカみたいに安いから列車旅の好きな人は鉄道王国インドを思う存分楽しめるだろう。

翌日も、列車は走る。昼の気温は38℃。そんな中、彼らは法衣を着てウォークマンを聞いている。やっぱり若者なんだね~とまったり思った。

見るからにお坊さんなんだけど、案外見かけによらず案外R&Bとかヒップホップ、ハードロックとか聞いてるのかもしれない。

どんな曲なのか聴いてみると、カセットからはゆっくりとまったりとしたテンポの曲で、土の臭いがするようなバングラデシュのお坊さんにふさわしいとても素朴な「いやし系」な曲だった。そして車窓ののどかなインドの風景にとてもマッチするのだ。

駅に停車すると、タイでもそうだったがインドでもとたんに物売りがやってくる。昔の日本の駅弁売りみたいな風情だ。

「チャー」(茶。チャイのことだがこう聞える)と言って大きなポットに入った熱いチャイを売る人や、サモサ(揚げ餃子のようなもの)などの売り子がどやどや車内に入ってくる。インドせんべい(2ルピー) ラッシー(のむヨーグルト。なぜか塩入だった。3ルピー)そしてサモサ5ヶ4ルピーを食べた。食欲はあまりなかったがなかなかよかった。

そして朝5時。まだ暗い中、ついにマドラスについた。少年僧はバングラデシュからカルカッタ、そしてマドラスの寺院の宿舎に滞在してから、さらにスリランカに向かうのだと言う。スリランカはCivil War(内戦)がおきて大変なのだそうだ。

列車を降りて、三人でタクシー(150円)に乗り、寺院の寄宿舎へ向かった。寄宿舎の一室は10個ぐらいベットが並んでいた。庭ではサリーを着た女たちが(彼女らも仏教徒?)が炊事洗濯にはげんでいる。

とても質素な感じだが、この少年僧たちは頭陀袋ではなくスーツケースを持っており、しかも中を見ると多額のルピーが入っていた。思いもよらぬリッチな行脚である

私も日本代表の坊さんとしてここに一緒に泊まろうとしたが、ダメだった。ドアには「ClergyOnly」(僧侶専用)とかいてあったし、頭は坊主でも彼らと同じオレンジ色の法衣かあるいは日本の袈裟でも着るべきなのだ。

冷水機の水を飲みながら、名残惜しく別れることになった

病気と苦しみのマドラス

今度は、仏教ではなく、キリスト教のサルベーションアーミー(救世軍)の宿に泊まる事にした。

さっきの寺院宿舎ではないが、ここにも10個ぐらいベッドが並んである。そして各国からバックパッカーがやってくる。荷物を置いたら、日本から送ったバイク引き取りのためまず船会社にいった。まだ船は来ていないはずだが、一応東京の日新からもらったBL(荷受証)を持っていく。

その帰りは歩いて帰ったが、そのすさまじいことといったらなかった。牛などの動物や人が道路にもみくちゃになっており、ある者たちは道路上で炊事から排泄までしている。道が家なのだ。

作業所から出るクズやチリが道に捨てられるのでそれらが乾燥して混ざって砂埃になり、前が見えないほど舞い上がるので吸い込んでしまう。きっとどこかでアスベストや有毒物質が混じってるかもしれないが、そんなのお構いなしなインドでは身体に悪いことこの上ない。

今日は少年僧からもらった食パンと、途中で買ったアイスクリームしか食べていないので身体もだるくなり始めた。

翌日、昨日の寺院に行ったがもうかれらは居なかった。朝早く出発したのだろう。あきらめて帰る途中にAACHI-MILKという袋入りの200ccの牛乳を買った。スキムミルクのようだがまた塩が入っていた。まずい!

だけど仕方がないから一気に飲んだ。そしてこれが地獄への決定打となるのだった・・・・

飲んでしばらくして、まるで突然の夕立のように腹がゴロゴロ、そしてイナズマのように雲痴がしたくなった
「うわーもれる~!」
やばい、このままだと大スコールだ。ぴょんぴょん跳びながら走る。はたから見れば変な踊りみたいだが、もう必死だった。

結局非情な事に、自爆開始。通りかかった教会の中にトイレがあったのでもう勝手に入る。ああこれぞ神の救いだ。すっきり。だがもうすでに遅し・・・・

その夜もまた悲惨だった。熱が出始めて眠る事もできず何度も夜中にトイレに駆け込む下痢のピークで、死ぬほど苦しかった。

3月6日 この日は同宿で看護学校の卒業旅行でやってきたあやっち(19歳、かなり美人)から下痢止め薬をわけてもらう。こんな若き乙女から下痢止めなぞもらっていいのかな~、なんて言っている余裕がないぐらい下痢や病気は酷い状態だった。

彼女が途中で知り合った同じ歳のスウェーデン娘2人もきていた。このふたり、スウェーデン人らしくとても大胆。ノーブラでTシャツ着ているから乳首も透けて見えるじゃありませんか。そして、夜になると下着姿で堂々と着替えていた!日本人の女の子にはできない芸当だ。

まあ、まだ19歳だからすごいうれしいのだが、うれしかったのは以上のみ。

あとは下痢地獄で苦しむだけ。

3/7 あやっちの薬で、げりもおさまるのだが、喜びもつかの間、今度は咳と鼻水で眠れなくなる。そうなると周りに迷惑だし今日あやっちらも去ったので別の安宿で休養した。

マドラスに来てからはフルーツだけしか食べていない。というか食べれない。だから何か食わねばダメだとおもい、クーラーの効いたレストランでシチューを注文(45ルピー)したが、思い描いていたシチューとは別物で、まずかった。その後シチューがすぐに下痢となってそのままでてきた・・・

食事もうまくて何でもできるタイにもうちょっといれば良かったと本当に後悔した。

日本を出発する前、タイもインドも同じように考えていた。インドでもうまいお店とか、ショッピングモールやコンビニなどの店も、インドの四大都市の1つ、マドラスに行けばあると思っていた。だがそれは人生最大の誤解だった。

このマドラスにはそんなものはあるはずもなく、スーパーはおろか小さな食料品店すらないのである!時たまあるような露店で買えるのは傷みかけたフルーツと食パンぐらいだ。一応ケーキ屋もあるのだが、すごく安いだけあって、味のない、わけのわからない油脂でできたクリームを使っていて消化不良を起こしそう。

飽食の国、日本からやってきた私にとって、今までの常識をメッタメタにぶっ壊された。

3/10 安ホテルでの孤独な戦いから全然体調がひどいまま、また救世軍に戻る。船が遅れるためマドラスで待たねばならない。

ろくに歩けない最悪の体調の中で、道路の上にあちこちに人糞が落ちている世界一汚い道を毎日歩いて駅まで行き、東京と大差ない満員電車に揺られて港まで行き、バイクを引き取る為にあちこちのオフィスにたらいまわしにされるが、引き取れるメドは全然ない。さらに引き取り手数料が500ドルかかると言われ、もう発狂しそうになった。

のっけから物価の激安なインドで事務手続きだけで500ドル(インド人の1~2年分の年収だ)も取られると、この先お金が持たないのではないか?第一バイクは本当に届くのか?今の病気がもっと進行して下痢死になるのではないか・・・・・?

目の前には絶望のみ。光なし。泣きたい。

3/17ごろからやっと体調も回復してきた。インドを拒絶しまくっていた自分の身体もやっとインドの風土に慣れてきたのだろう。

そしてバイクを引き取れる目途が立ってきた。有能なエージェントが見つかったからだ。なんともユーラシアを車で横断したオーストラリア人の車も担当した事があるエージェントだからだ。

二輪でも四輪でも、陸揚げするとなると面倒な手続きや書類が必要になる。だから個人だけで手続きするのは不可能。だからエージェントに頼らざるをえないのだが、今まで無能なエージェントに当っていたので時間と労力を見事に無駄にしてしまった

その日からエージェントの人と同じようにYシャツを着て、朝から晩まで一緒に税関とエージェントの往復をさせられた。サラリーマン同然。もう、こっちが給料欲しいぐらいだよ。

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ここのエージェントスタッフはみんな男。オフィスの中はコンピューターすらない。マネージャーがノキアのバカデカイ携帯電話を使っているだけだ。手続きが進まないのはIT化が進んでないからだ

さて、そんな外国から日本を見ると、あらためて日本は発展が目まぐるしい事がよくわかる。
特に携帯の進歩は異常なくらいで、インターネットやテレビ、電子決済のできる携帯。その上小学生までごく当たりまえに持っている時代となってしまった。

私が中学生の頃(90年代初め)なんか、携帯電話なんて一部のバブリーな金持ちしか持てなかった時代。だから自分が将来大人になっても携帯電話なんて持てないだろう。と思っていたぐらいだった。

たかが10年そこらなのにこの変わりようだから、マネージャーのデカケータイを見てるとまるで25年位前の機械に見えてくる。

例えば車やテレビなどは5年や10年前の物でも全然古い感じはしないが、携帯に関しては3~4年ぐらい前の物だともう時代遅れとみなされる。

話はそれてしまったが、しかし引き取りは辛いだけではなく、いい事もあった。

耳たぶに、毛がいっぱい生えている中年の社員がいて、その耳はまるでピアスより迫力があった。昼休みに食事に接待してくれたりした。

帰りに社員の1人に送ってくれたのだが、それはなんと自転車。彼が自転車に乗り、私が後ろに乗って二人のりするのだが、彼はなんとモーレツにペダルをこぎまくって、牛、人、車その他諸々を巧みによけながら突っ走ったのだ。ぶつかるスレスレのところを勢いよく走る!安全が保障されていないから絶叫マシンよりスリルがあった

まるで中学生の頃のような無鉄砲な情熱を思い出したのだった。

パンドラの箱を開けろ

3/24 B/LやForm-Xといった通関書類が揃い、税関へ。ついにパンドラの箱が開けられ我が単車、スズキジェベル125に再会できた!ウヲー!税関員立会いのもと、荷物検査。
ガソリンタンクの内側まで調べられた。

19時30分。いよいよトラックがオフィスの前にやってきた。
トラックの中から私のバイクが出てくると、あたりが騒然としてきて、近くの住人達がトラックの周りに集まり野次馬と化した。

思えば埼玉の自宅をジェベルとともに出て、東京・新木場の輸出倉庫でジェベルと別れて、そのまま帝都高速度交通営団地下鉄有楽町線・新木場駅から帰ったのちに・・・

こうして野次馬の注目を浴びながら異国インドで愛車の再会を果たしたのだから、感無量だ!

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何十人というインド人が注目する中、エンジンをかけた。ある意味初めてヒーローになった気分だ。

こんなにたくさんの人が集まって、スタッフも今日は夜まで付き合っていただいたので本当に感謝。
心境をたとえるなら難産の末出産した気分だ。

速度計を見ると14935.7kmと刻まれている。これからどんどんぬりかえられていく。

ついに走った!インドの大地を走る!ユーラシア大陸を走っている!!
夜のマドラス市内を走る。あっという間に流れる景色。そしてこのジェベルの燃える四サイクル単気筒エンジンだー!!と感動したが、現実には他の車のホーンや排気ガスのため隅に追いやられるのだった。

救世軍に戻り、軍の人からよく持ってきたねといわれ、安全な場所に置いた。
この日の夜は眠れなかった。下痢や病気の為ではなく、喜びと興奮の為に。

翌日、早速マドラス市内や浜辺のマリーナを走る。うれしくてどうしようもないぐらいだ。

そしてオフィスに寄り、マネージャーの家で食事をした。
茶色いあんかけの中に野菜や肉が入ったレトルト中華料理。うまくてどうしようもないくらいだ。インドに来て25日も経って、やっと初めてまともなものを食べた。

サリーを着た奥さんが給水車から水をもらいに行った。その間テレビを見る。マネージャーが言うには
「普通の地上波だと5チャンネルだが、月100ルピーで50チャンネルのケーブルテレビが見れるんだ」

その後マネージャーがよく遊んだという近くの波止場に行って、写真を撮った。この面倒見のよかったマネージャーともお別れか・・・・

救世軍に戻り、同室のユダヤ人のユーバルに出会う。痩せていてヒゲのある風貌はキリストそっくりだ。

夜になると彼は短パンだけで寝るのだが、目が覚めてふと彼を見てみると、寝ているのにあわや彼の男性自身は誇張してテントを張っている状態になっていた。

「かのイエスキリストも、あんなふうに股間にテント張ったことあるんだろうな」
そう思うと、不謹慎ながらもおかしくて思わず笑いをかみ殺してしまったのだった。

3/27、いよいよ旅立ちの日。インドについてから27日間もすぎた。すっかり親しくなったマドラスの救世軍ともお別れだ。

出発前の一枚。

さぞ世界を走るバイクは珍しいだろうが、軍人の1人が言うには、

「こんなでっかい、BMWの1100ccのバイクで来たドイツ人が泊まったことがあるぞ。もうでかいのなんのって。それに比べれば、きみのはモスキート(蚊)だよ」

と、笑われたが、バイクはモスキート級でも、旅はヘビー級じゃい!!

そして11時45分、ついに世界一周の大冒険へと出発したのだ!

第2章 おわり

15年ぶりに訪れたマドラス:

いまはマドラスからチェンナイと名前が変わり、経済発展により街自体も、なにもかもが大きく変わっていった。

救世軍の宿は、15年ぶりに訪れると、5階建てのビルに改築されたが、ただの事務所になったのか閉鎖中で、中に入ることはできないかった。

日本人や外国人バックパッカーでにぎわっていた昔の面影はない。

しかし、スペンサー百貨店は、15年ぶりに訪れても、ほぼ昔のままで、うれしかった。

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2000年3月のマドラス(チェンナイ)

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そしてこれがちょうど15年後の、2015年3月のチェンナイ。

学生たち(下の女子高生など)の着ている服がとても小奇麗になり、

インドはだいぶ豊かになった。

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★次号の予告★

冒険はついに本格的エンジンスタート!!
遂にオートバイ共々世界一周の旅立ち!

行く先々で何が待ち受けているのか!? こうご期待!

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