世界一周05-2 パキスタン東部・中部編 インドから来ると全くの異文化だった

●旅のつわものが集まる都市
●世界最悪の道と怪しい日本語

パキスタン
通貨1ルピー= 2円(2000.05)  ・ガソリン 55円  ・宿代はインドと同じぐらい
定食:マトンカレーとナン、サラダの定食(おもにパキスタン西部) 80円
・手作り風ハンバーガー&ポテト(ラホールにて) 106円
・チャイ(ヤギの乳入りミルクティー) 6円   ・ホットケーキ 20円
・さくらんぼうかんずめ(イラン製) 48円

※西アジアでは、チャイ(茶)がよく出され、文化のひとつになっている。パキスタン西部のバ
ロチスタン砂漠を境に、インドやパキスタン中央のミルクティーのチャイから、 パキスタンの
西端、イランやトルコの氷砂糖を入れるストレートティー式のチャイに変わる。

パキスタン入国

そしてインドからパキスタン入国。国境付近は田んぼだらけで、大陸を越えて旅する人向けの古本屋の小屋がポツンとあった。やはりこの国境は旅行者しか通らないようだ。

国境からゲートシティのラホールまでたった30km。パキスタン第二の都市で人口400万人。そこへ向かって走ると見わたす限りの田んぼからどんどん民家が密集してくる。

インド側はシーク教だらけだったが、国境をちょっと越えただけで人々は白一色のイスラム服を着ている。あまりの急変ぶりにまるでワープしたみたいだ。

ラホール市内に到着。と同時に夕立が降ってきて足止めを食う。インドでは乾季だったので全く雨が降らなかったのだ。

だが北緯13度のマドラスから北緯32度のラホールまでやってきた。同緯度で言えばグァム島から宮崎市まで来たようなものだから気候も変わって当然だろう。

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旅のつわものが集まる都市

ラホールの宿はドロボーの巣窟だというので、まっとうなミッション系の宿探したが、救世軍もYMCAも閉まってたので唯一のYWCAに泊まった。

これまでで見た一番の記録は、6人乗り。

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YWCAに入るやいなや、なんと日本の国際ナンバーをつけたジェベル250XCを発見!
中にはその持ち主、横浜のT.Yさんがいた。

ジェベルXCのY氏は、アメリカ横断、マイアミからリスボンへバイクを空輸してここまでやってきた。約43000kmの長旅。北部パキスタンを回ってインドに行くという。

何せ後にもユーラシア大陸で日本人ライダーに出会ったのは彼だけだったので、互いに情報を教えあうと、これからのアジア横断に希望と自信が出てきた!彼はちょうど自分の予定ルートを通って来たので、なおさらの事だ。

そしてY氏は、私のことを知っていたのだ。日本にいた頃、私は日本の貧乏ツーリング日記をバイク雑誌に寄稿していたが、Y氏はそれを読んでくれて、「貧乏ツーリングを極めているすごい人だな」と思っていたそうだ。世界の果てでもつながっている。ありがたい話である。

他にも、ひとり旅の若い韓国人女性や、ロンドンから10ヶ月でここにたどり着き、中央アジア経由でオーストラリアの自宅に帰宅するという豪傑サイクリスト、中庭にはバスを改造したキャンピングバスでインドに向かう二人のトルコ人がバスで寝泊りしていた。

大陸横断する際、インドパキスタン間の国境は先日通った一本しかなく、横断するとなるとどうしてもラホールを通り抜けなくてはならない。それゆえにこの町は濃い旅人が集結するのだ

そのバスのトルコ人と沸かしたトルコチャイ(ストレート)を飲む。彼らはイスラム教徒だが、ちゃっかりYWCAに泊まるあたり宗教を越えた場所だ。

このYWCAの門番だってメッカに向かってお祈りしとるではないか。

それにしても、この国は全てがずさんだと思った。イスラム国家なのに関わらずこの町はドロボオが多いのはガラが悪い証拠。インドだと案外きちんとしているところもあるのだが、ここにはそんなものはない。興奮と環境の変化、たまったストレスや疲労でささいなことでいかりが込み上げる。ある意味精神病だった。

インドの交通マナーも最悪だったが、パキスタンのラホールは最悪なんてもんじゃない。極悪だ。
交通法規も何もなく、濁流に流されるかのように何度もぶつかりそうになりつつ、何とか事故に合わず宿に帰還できた。もう恐怖そのもので、本当に街中を走るのがイヤになったほどだった。

世界最悪の道と怪しい日本語

ユーラシアの魔都、ラホールから高原都市のクエッタまで走る。これからの道は世界最悪の道のひとつと言われる。なぜなら、交通マナーはインド並だが、車は日本の中古車。それゆえにスピードが出るうえに無理な追い越しが多いから〇〇〇〇に刃物だ。

インド国産車は50~60km/hぐらいしか出ないので、そういう意味ではインドのほうが危険度はまだマシだった。

南はムルターン、北は首都イスラマバード。どこか標識が日本と似ている。

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パキスタンのハイウェーはだいぶ舗装されているので80~95km/hで高速走行する。検問が途中であったが、何かと思ったら「ギフトくれ」だと。

ワイロなんて結局やらなかったが、時間が無駄になり怒りが収まらなかった。

ムルターンの町に入る。こんな国でもブロックバスターのレンタルビデオ店があった。だがここのスーパーマーケットはすごかった。

薄暗いスーパーの中と外にそれぞれサブマシンガンを装備した警備兵がいたのだ。略奪に備える為とは言え、これが日本だったら恐ろしくて誰もこんなスーパーに入らないだろう。

夜、インドと全く同じスタイルの茶屋の野外の縄ベッドで眠る事にした。さっきの恐怖のスーパーで買い物したんだがロクな物が売っていなかった。

せめてラーメンが食いたかったが、先ほどのスーパーではそれすら売っていないので、苦肉の策でクノールの中華スープの中に、パキスタンのパスタ工場製のチャイニーズヌードルの麺を入れるというシロモノを作る事にした。

単車のガソリンタンクからガソリンを抜き、それをコールマンのガスストーブに入れる。同じガソリンが使えるから経済的だし無駄がない。コンロのポンプでシコシコ空気を入れて着火。そして先述の材料でラーメンもどきを作った。

その間に茶屋にいた男達がぞろぞろよってくる。見世物じゃないゾと思いつつも、まるでデパートの調理実演販売のようになってきた

その男達に囲まれ、見られつつも食事した。はっきりいって落ち着いて食事ができぬ。そしてラーメンもどきを食べると「ま、まずい!」

世界一周で始めての自炊だったが、ふんだりけったりの大失敗で終った。周りの男に食わないかと勧めたが、誰も食べようとはしなかった。

その後冷たい井戸の水で身体を洗い、寝た。

1日 754km走行

翌朝(5/8)朝5:45に起きる。日本の夏の早朝のようなすがすがしさだ。山羊のミルク入りチャイを飲むと元気いっぱいじゃー!
「今日はメッタメタに走るゾー!」

7時20分に出発。インドと違って田舎でもハイペースで走れる。途中の町では中古の日本車が走っているが「野沢幼稚園」とか、「暮らしのデパート・孫六」なんてそのまま車にペイントが残っていて、笑える。

しかし、中には手書きの字で「仙台市福沢町5-42」(こんな地名は存在するのか?)など、意味不明な怪しい日本語で書かれている。しかもおかしい事に「(株)大豊」と書かれたワゴン車を何台も見たのだ。

ようするに、こうしたいかにも業務風な日本語ステッカーをコピーして、それを適当に貼っておけば、でたらめだろうがなんだろうが漢字を知らないから「これは正真正銘の日本で使われていた日本車ですよ」と、日本ブランドを自慢できるのだろう。可笑しく、そして物哀しい。

12時40分。327km走行。猛烈に暑い。早くすずしいクエッタに行きたい。

14時。シカールプルで西へ進路を変える。そこからは景色も変わり半砂漠の地平線が広がる。日本で見ることのできない荒涼とした風景に酔いしれる。

18時20分。623km走行。クエッタへの高原に入る峠への入口。日中気温は45度もあったが、今まだ42度もある!峠を登るうちに日もくれて標高が高くなりうんとすずしくなる。

21時30分。754km走行。ついにクエッタ到着。クエッタは標高1600mのバロチスタン州都である。気温27度まで下がった。

ラマダンの断食ではないけど今日1日、朝から夜まで何も食べず走りに夢中で走りずめだったので、ホテルではナーンと油っこいフライドチキンをむさぼり食う。それゆえ翌日は疲労と到着した安堵のため1日寝るだけだった。

–第5章–
おわり

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