世界一周07-2 イラン西部篇 イスラム服に隠された秘密と、遠き日本の面影

●チャドルに隠された秘密
●標高マイナス28mと2900mのおにぎり
●日本で働いたイラン人たち
●山の兵士と黒い濁流
●トラックの下で青空キッチン

チャドルに隠された秘密

カスピ海沿岸の都市、ラシュトについた。ここではまっさきに警察署に寄った。2度目のビザ延長にトライするためである。場合によっては延長は一回しかできないが、ここで延長が成功できれば余裕を持ってイランに出国できる。銃を持った兵士が見守る中、入る。

手続きのため、町を走り回り、やっとコピーとかを揃えて戻ると、
「これで最後だ。もうこれ以上延長はできないぞ」
と言われたが、5日間延長する事ができた。やった!これでテヘランに戻っても、充分ゆとりがある。

夕方になると、ラシュトの町は男も女も人が増えはじめてくる。たかだか30~40万人ぐらいの地方都市なのに、渋谷の109の駅前交差点のように人であふれてくる。
娯楽の少ないこの国では街に出歩くことが楽しみなのだろう。

市場は、食器専門店とか金物専門店、文房具店、ゲームコーナー(プレステのコピーだが)、そしてエルボルズの山の幸やカスピ海の海の幸など、所狭しと市場に濃縮されていて、デパートのようにいろいろ売っていておもしろい。

この市場は20時になってもまだ明るく、すごい人ごみだ。まるで大みそかの夕方6時のニュースで中継されるアメ横のような活気だった。

翌日の5/24は、マースーレという標高1000mの高原の村に行った。
途中の川沿いにはキャンプ場があって、まるで奥秩父の青少年自然の家みたいだった。
頂上のマースーレは山あいの温泉街みたいだが、温泉はない。

その次にカスピ海の軍港、アンザレに近づくと道路にはイランのアラブ文字とロシアのキリル文字の標識が見える。北海道のような雰囲気。港には灰色の軍艦やレーダーで装備した巡視艇も見える。

キリル文字の標識といい、巡視艇といい、アンザレはロシア船と自衛艦の停泊する舞鶴港を思わせた。

そのアンザレの町の中心部に、ケーキ屋さんがあった。そこでシュークリームとケーキを買い、バコバコ食べる。うまい!そして何個か買っても、45円ぐらいだった。
なんと日本の15分の一の値段で、しかも日本のケーキ屋で食べるのと変わらない味!

イランでは酒もだめなら娯楽も少ないし、女性は真っ黒なチャドルを着用しなければならない。一生ビキニなんか着る事はないのだから、考えて見ればダイエットして体型を気にする必要というのが全くないのである。

だから甘いものを食べることがイラン人にとって唯一の抑圧された欲求不満の解消法なのだろう。自分自身もイラン中にあるケーキを堪能したので、インドでガリガリだった体重もだいぶ戻ってきてしまった。

アンザレからは、本来ならこのままトルコを目指していたが、ラシュトにて2回目のビザ延長が成功したので、来た道を戻ってテヘランに戻る事にした。

ラシュトを過ぎ、行きの時に泊まった海の家にまた泊まった。翌朝、ながめのいい海を見ながら、自炊をする事に。テヘランのサブジーバザールで買った日本風の米を炊く。

おかずは同じくサブジーバザールで買ったかつおふりかけときざみのり。そして海の家でもらった大きいえんどう豆とザムザムコーラ。

米が炊けた。少しモミが混ざっているが、なかなかの日本風米で、うまく炊けた。

標高マイナス28mと2900mのおにぎり

さあ、いよいよ3ヶ月ぶりの銀シャリだ。銀シャリなんて言葉は死語だけど、3ヶ月ぶりに日本米が食べられるのだ。
まるで戦後間もない日本人の生活みたいにモミが混ざっている御飯さえ目を輝かせる。

食べてみると・・うまい!!
たかがふりかけめしなのに、こんなにうまく感じたことは今までになかった!
飽食日本にいるときには気がつかなかった、食べ物のありがたさと望郷の念を思った。
まずこのカスピのシーサイドで半分食べて、残りをおにぎりにしてエルボルズ山脈の峠で食べる事にした。

海で遊んでのんびりしてから海の家を13時30分出発。今度は反対側から山脈を越える。
急な迫力ある山道を登る。夢のようなカスピ海ともお別れだ。

頂上付近になるとハゲ山になるが、そこで湧き水を発見!車でイラン人が大勢やってくるのでまるで日本と変わらない。「イラン名水百選」といったところだ。

再び峠についた。乾燥イランと湿潤イランを隔てる山脈の峠で、さっき汲んできた湧き水とふりかけおにぎりを食す。少しパサついてきたが、やはりたまらなくうまい。

海抜マイナス28mのカスピ海を見ながら、そして2900mの峠から絶景の谷を眺めつつ食べるふりかけめし!これぞ我が人生最高のふりかけめし!

そのとき峠では、ホンダCB125風の実用的バイクで、峠小僧らが攻めて?いた。ウイリーを披露してくれた。国や単車のタイプは違えど、やってることは日本と同じなんだな。
実用車で攻めるシーンを見ていると、きっと1960年代前半の日本のバイクシーンもこんな感じだったに違いない。

18時をすぎたのでテヘランに下る。川原ではたくさんの家族がピクニックしている。イランやトルコでは何人かの家族でのピクニックが好きのようだ。

テヘランまであと40km。山を下りたところには丘の上までびっしりと白い住宅で覆われていて、なんか異様な風景だ。大都市テヘランのベッドタウンなのだろうか。

07-11

21時頃、テヘランに戻った。だけど大都会はダメだなと思った。広すぎるからどこへ行くにもバイクが必要だし、ホテルの周りは車のパーツ店だらけであとは何もない。シラーズやラシュトなら、歩いて全部見れるくらいの街の規模だからとてもおもしろいのだ。

翌朝の5/26、ジェベル125でサブジーバザールへ行き、日本食品ウォッチング。日本食を買い足したら、次はデパートに入った。この国は石油資源がある割に、イランイラク戦争時の名残を引きずっているのか、中は薄暗くて30年前の古いデパートみたいな店内だが、それでもイランでは大型デパートだった。

日本で働いたイラン人たち

テヘランからは、トルコへと走る。荒涼としてだだっ広いハイウェーを走り、イラン北西部の都市・タブリーズに着いた。町の中心にある小さな遊園地付きの公園を歩いていると、「ニホンジンデスカ」と、中年夫婦に声をかけられた。

話によると、夫は2年間、前橋の現場(工事現場)で働いていたと言う。そういえば、彼のように日本で働いていた事のある人にイランでは何人も出会った。

彼のほかにも、レストランで働いていた人や、解体作業をしていた人、東京近郊の綿工場で4年間働いていた人など・・・

日本がバブル経済絶好調の時代、日本とイランはビザの相互免除をしていた時期があったので、日本人はビザなしでイランに入国できたが、その代わりに大量のイラン人が金と自由を求めて日本へやってきた。

当時人手不足の日本で、モグリでオーバーステイしながらも、日本人がやりたがらない3K仕事をして社会の底辺を支えていたのである。

やがてバブルの崩壊とともに、ビザ相互免除協定も崩壊。モグリのイラン人も引き上げていった。今なお日本に住み、結婚して根を下ろしているイラン人もいるが、今ではイラン人に代わって日系ブラジル人がやってきている。

日本で働いていた彼らは、私の姿を見てひさしぶりに日本人を見たと言って、あの頃の日本に思いを馳せるのだろう。テヘランで出会った、4年間綿工場で働いていた人には、とても親切にしてもらった。くどい親切ではなく、本当にさりげなく、自然な感じで親切にしてくれたのでとても助かった。

彼は言葉も場所もわからなかった私にいろいろ日本語で案内してくれたわけだが、きっと反対に彼も、言葉のわからぬ見知らぬ地の日本で、苦労したりいろいろお世話になった事への、そのままの恩返しなのだろう。

心からうれしいので私も、日本に帰って困っている外国人がいたら、是非彼と同じような親切返しができれば、と思う。

山の兵士と黒い濁流

タブリーズからトルコ国境へむかったが、途中で大いに迷ってしまった。トルコではなくアゼルバイジャンやアルメニアのほうに行きそうになったり(今思うと言っても良かったけど)見ず知らずの山の中に迷い込んで兵士に捕まったりしたが、やっとの思いでアジアハイウェーに戻る事ができてホッとした。

近くの川を見るとココアのような色の濁流が激しく流れており、青空と黒い濁流のコントラストは地球というより、魔界の国みたいで実に不気味だった。

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国境近くの町、マクーに泊まる。街の両側は絶壁で囲まれている。圧倒的な絶壁に挟まれた町は、いかにも天然の要塞、国境と言う雰囲気がする。

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街の映画のポスターを見ると、1950年代の白黒の日本の時代劇、つまりサムライ映画が上映されているようだ。

こんな小さな映画館でも日本映画があるのは驚きだが、当然ポルノはおろか、お色気のある映画すら上映されない。それでもイランでもテレビを見るとCGを使ったアニメも放送されてるし、近代化が進められていたイスラム革命以前はなんとキューティーハニーも放送されていたそうだから、いまだイスラム主義の国家とはいえ、イランも案外と近代化を体よく取り入れていると思う。

トラックの下の青空キッチン

5/30 出国の日。 ビザはこの日で切れるのでいやでも出国する。イランは17日間いたが、5090kmも走ったのだ。よく走り、たくさんのものを感じたイランの道中。だからとても濃くて印象深い17日間だった。しかもイランで使ったガソリン代はたったの777円。

少しハイウェイを走ると、町に入り、そして国境の門で行き止まりとなる。ここがイランの終着となるわけだが、この国境の町から、ノアの箱舟伝説で有名な名峰アララト山(5165m)がでっかく目の前に見えた。

07-12

門からさらに1km走った丘の上が国境。タンクローリードライバーがイミグレが開くのを待っていた。実は彼はさっき述べたように、日本で解体の仕事をしていたのだった。
現在は彼はトルコへガソリンを運ぶ仕事をしている。

そんなわけで、日本の話をしながら彼らと食事をした。といっても彼らは自炊をしているのだ。イランやトルコのTIRドライバーは、日本の長距離トラックと違って食事は自炊しているのだ。フライパンや鍋、コンロ、水、食料をトラックに常備しており、待ち時間等を利用してクッキングするのである。これぞ完全な「動く家」である。

料理している姿は実に楽しそう。自分もこれからヨーロッパなので、食費を切り詰める為にも自炊をしなくちゃならない

そして食事が出来上がった。トマトのオムレツに、薄っぺらのナーン。シンプルだが青空の下、アララト山の下でみんなで食うと、箱舟パワーが効いて実にうまい!

そういえばイラン各地の街の屋台では、ボイル鍋1つだけでゆで玉子とゆでじゃがいもを売っていた。

熱々のゆで玉子やじゃがに塩をかけて食べたのだが、それもすごくうまく感じた。これらは日本でも食べられるものだし、慣れないイラン独特のコテコテの味付けされた料理に食傷気味だったので、ひさびさの超基本的な味なうえに、なにより地元の滋味あふれる玉子やじゃがいもなので、さらにさらにうまく感じるのだろう。

ゆでじゃがとゆで玉子は、まさに国境のない「世界共通の食べもの」だ。

と、そう思いつつナーンにオムレツを摘まんで食す。最後にナーンで、拭き取るようにフライパンに残った汁も一緒に食べる。実に合理的でムダがない。
食後は熱いチャイ。チャイを飲みつつ会話するのはまさにアラブの文化である。

国境が開いた。一足先に彼らと別れ、出国した。いよいよトルコだ・・・・

–第7章–
おわり

おまけ写真

イランで見かけた映画のポスター

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見てください!

右端の人、目がいっちゃってるんですけど

この某・青いネコのように

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しかも、真ん中の二人を見てると、

8時だヨ!全員集合のヒゲダンスを思い出すんですわ。

みなさんもそう思いませんか?

そして、戒律の厳しいイランで意外だったのは

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バスには、鉄拳3!

ということは、イランにもプレステがあるということだった。

しかしインドとパキスタンにはプレステはなかった。

やはりイランのほうが近代的なってきている。

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