世界一周07-1 イラン中部篇 宇宙の遺跡と、地球最大の湖カスピ海は日本そっくり

第7章 イラン中部篇

(2000年5月17日~5月30日)

●ペルセポリスで宇宙を見た
●旅の猛者の情報ノート
●日本そっくりのカスピ海沿岸地方

イラン
通貨100レアル=1.38円  ・ガソリン 5円  ・宿 300円から
定食チェロケバブ:ライス、マトンのハンバーグ、サラダ、生たまねぎ、コーラ124

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・イラン名物、ザムザムコーラ300ml 7円
(とても安く、食事すると水代わりに必ず出てくる)
・ハンバーガー 22円から  ・屋台の焼き羊肉、1串 28円
・ケーキ 10円(日本じゃ「うまい棒」しか買えん。)・シュークリーム 7円
・マトンの挽肉とたまねぎの牛丼風炒めと、ナン、(おもにイラン西部) 56円
・タイヤパンク修理 138円  ・白黒TV 5250円 ・ズボン 690円
・散髪(言葉がわからんから丸刈りにされた) 42円

※首都テヘランのサブジー市場では西アジアでは珍しく、いろんな日本食が手に入る。

主に駐在員向けだが、市場なので値段は交渉制。もちろん少しまけてくれるが、
やはり値段は日本の1.2~2倍以上する。
このバザールでおもしろいのは、全国の地域限定の食品がいろいろおいてある。

例) 「パン」  ズバリ、パン入りの缶詰 福岡製
「ハイカラさんと呼んでください」 乾燥おからと薬味のセット 熊本製

これらは多分九州限定販売で、東京方面では見かけない。遠いテヘランで、
初めて見るものばかりだった。この「パン」にせよ「ハイカラさん」にしろ、
実は賞味期限切れで、かなりいい加減な値段がついていた。だから「賞味期限
が切れてるから安くして」と言っても「大丈夫、十分食べれるから気にするな」
とあしらわれてしまう。品質管理もでたらめ。


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ペルセポリスで宇宙を見た

インドから始めた単車の旅。パキスタン、イランとやってきて、世界遺産のペルセポリスにやってきた。ペルセポリスはペルシャ帝国の都で、2500年の歴史があった。

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昨日パックが行ったペルセポリスの遺跡の入場門の前では、わんさと修学旅行の女学生達が見終えて帰ろうとあふれていた。パキスタンやアフガンでは女性の教育が皆無だったので、何かホッとする。

遺跡の中は静かで、真っ青な空の下にそびえる広大な遺跡や巨大な柱で、日本では決して見られない壮大なスケール。

背後のはげ山と遺跡の色が同じ、砂の色なので、青と黄色のみの世界なのだ。それゆえに宇宙の惑星の都市に着陸した気分だった。

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遺跡の壁を見ると、落書きが彫られていた。と言っても便所のような品のない落書きではない。

「1823年ビックフット調査隊一行」とか、「ライチェナウ何とかかんとか旅団・1905」
といった調査隊からの刻印で、そんな落書き?が200年の時空を越えてはっきり残っていた
ペルセポリスはやはり、宇宙の一部なのかもしれない。

その夜は小さな町の、一番のグランドホテルに泊まる。ほかに客が泊まっていないので、半額の350円まで値切った。部屋はとてもきれいだが、TVがない。そしてシャワーが水しかでてこない。

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山の起伏の激しい日本と違い地形的には気づかなかったが、この町は思いのほか標高が高く、標高2000mのホテルで味わう水のシャワーの味は、小中学校の頃、プールに入る前にあびる水シャワーと同じぐらいに辛かった。

カーペットで有名なイスファハンの町に着いた。しかしこの日はイスラムの休日、金曜日とあってゴーストタウンのようだった。かわりに街を流れる川原では家族がピクニックしている姿が目に付いた。

イランの国道は、片側1車線の道だったり、大体が高速道路だったりする。石油産国でアスファルトびっしりなのでイランの道路事情はとても良い。

しかしテヘランからあと150kmというところで、料金所のようなゲートがあって、そこには二輪車通行禁止の看板が。

思わず頭を抱え込む。この高速道路を使えばテヘランまですぐ行けるのだが、二輪車が走れないとなると下道を走らねばならず、しかもそういうローカルな道はアラビア文字しか書いてなくて読めるわけがないので迷ってしまうのは必至だ。

だからといって、インドやパキスタンの不条理な道中できたえられた私はおとなしく引き返すような事はしない。

そこでどうしたかと言うと、ゲートの端にある事務所に行って、「よそ者だから言葉がわからない、特別に走りたい」ということで、警察に捕まっても説明できるように一筆書いてもらって、特別になんとか高速を走り抜けることができた。

そうして、イランの首都・テヘランにたどり着いた。



旅の猛者の情報ノート

テヘランでは「マシュハドホテル」に泊まった。このホテルは旅人のたまり場とあって、日本人旅行者もよく泊まる。ここは地理的上、大陸をダイナミックに旅をする猛者が多いので、彼らの書いた情報ノートを見ると、とても濃い内容なのだ。

中央アジア等詳しく情報が書かれていたり、世界中の情報がかかれていたりするが、なかには麻薬のこととか、情報ノートなのに他人の中傷まで書かれていてハンパじゃない。

そんな情報ノートのなかから一部を紹介してみると・・

==ある旅行者によるブータンでの旅日記より==
「ブータンのある家では、子供らが(ファミコンの)スーパーマリオをやっていたが、マリオの無限増しょく・100UPをやってみせた瞬間、子供達の目が点に」

この無限増殖と言うのは、インベーダーの名古屋撃ち同様に有名な裏技だった。
日本では雑誌やメディアですぐに広まる裏技や都市伝説も、このヒマラヤ山脈の小さな国では口コミでしか伝わらないから、誰も知らなかったのだろうか。

何はともわれ、ツボをついた日記だった。

今回の旅でも、台湾とインド、申し合わせたかのようにそれぞれスーマリをやっていた

台湾の快楽家庭(第一章)

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インドのサルべーションアーミー(第二章)

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そして一番面白かったのがこれだった。

==ドリフ大爆笑==
「カンボジアの首都プノンペンでテレビを見ると、ドリフ大爆笑が放送されていた」

と言う事は、高木ブーや故・いかりや長介もカンボジア語で暴れまくるのだろうか?これには別な意味で「大爆笑」してしまった。

(注、2005年にカンボジアに行ったときテレビを見たら、台湾のケーブルテレビチャンネルも流れており、日本のマンガやバラエティ番組が中国語字幕つきで流れていた。と言う事はドリフ大爆笑もカンボジアではなく台湾の放送局からの配信だったに違いない。)

こんなふうにいろんな事も書いてあった情報ノートだったが、よく読むとクエッタで出会ったあの「バンブー氏」(第6章参照)が書いたのがあった。
彼はパンダのぬいぐるみ、バンブーを抱えながら一人旅をしている個性的な旅人だった。

バンブーを抱えたシリアの少女と子供達の写真。まだバンブーはきれいだ。
「この笑顔こそが、一番です」
と、実にほのぼのとした心温まる内容だった。

テロの報復だなんだと牙を向き合うより、こういうほのぼのとしたふれあいこそが、世界平和につながるものだと思った。

バンブー氏の行く末に幸あらんことを。

日本そっくりのカスピ海沿岸地方

ひとまずはテヘランを去り、北のエルボルズ山脈を越えてカスピ海に行く。

テヘラン市街からも残雪が残るエルボルズ山脈がみえる。だがテヘランは標高1300mに関わらず昼間は36度もあって、乾いた夏の暑さだった。

何度か道を間違えながらも山脈のふもとに入る。トンネルの手前に虎や兵士の絵が描かれており、近くにコマンドーの基地があることがわかる。

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いよいよ山を越えるのだが、標高2000mあたりから急な峠越えの道になる。2500mから残雪が出現し、ついに標高2870mのエルボルズ山脈の峠に着いた。気温14℃。夏そのもののテヘランと違って峠は残雪が多くガシガシと遊ぶ。

峠からはカスピ海へと一気に下る。絶壁をつづら折に下るので、下を見下ろすと失禁しそうになるくらいに怖い。

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そして峠を下りきると、森が出現してきた。今までずっと砂漠などの乾燥地帯を走ってきたのでその緑ぶりに驚く。
南のテヘラン側からエルボルズ山脈を見ると、乾燥地帯特有のハゲハゲ山だったが、カスピ側から山脈を見ると日本のように広葉樹に覆われた山になる。

つまり山脈を隔てて、乾燥地帯から日本同様の湿潤地帯へと、気候、景色ががらりと変わるのである。

峠を下りつづけて、町にぶつかり、やがてカスピ海に到着した。カスピ海は世界最大の「湖」だが、見わたすと太平洋のように広く、なめてみると海水のようにしょっぱい。ここは大陸の中の海。

標高は海面より低いマイナス28m。エルボルズの峠からカスピ海岸まで90kmだが、標高差は3000mもあるのだった。

海岸に立つと、テヘランとは全く違って冷たく湿った空気が吹いており、標高マイナスとは思えない冷たさで、同じイランとは思えないほど、まるで別の世界に来たみたいだった。

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これより今までの道中とは全然違う別の世界に突入したわけだが、進路を西に変えて海沿いに走る。暗くなって宿を探してみたが高いのしかなかった。

寝床を探していると、村人が海の家を案内してくれた。海の家の主人にこころざしのこづかいを払い、屋外のでかいテーブルの上で寝た。

5/23。翌朝も、カスピ海岸を走る。
イランの道は石油大国なので広々としているが、このへんに限っては道が細い。これが日本にそっくりなのだ。

周りの景色も、建物も、まるでサハリンとか北海道あたりの、昔の開拓漁村を思わせて、なんか日本を走っている錯覚に陥る。

そしてもっと驚いたのが、田んぼだった。
水田を、一本一本田植えしているのだが、女はなんとクリーム色とかのいろんな柄のほっかむりをして田植えをしているではないか!

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このイランでは黒いチャドルが義務なのに、田植えの時は例外なのだろう。これは日本の農民と全く同じ格好なので、イランのカスピ海沿岸の田んぼを見ると、100%日本と同じなのだ。

そういえばあの海の家の前では、「釣りキチ三平」のような帽子をかぶって釣りをしていた。そしてそこからエルボルズ山脈を見上げると、日本のような緑豊かな山と川が見える。

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この山といい川といい、釣りキチ三平といい、まるで四国とか東北の田舎そのものだった。

それにしてもなぜ、カスピ海沿岸がこんなに「日本」的なのだろうか。カスピ海沿岸にも、台湾と同じ「哈日族」がいるのだろうか。

台湾哈日族は日本の流行や文化などそっくり受け継いでるようだが、このイランの場合は昔の日本の農村そのものと言う感じで、どっしりとした日本ぶりだ。

その答えをとく鍵は、ズバリ気候にあると思う。イラン北部のカスピ海沿岸は、他のイランの地方と違い、日本と同じ温帯湿潤気候で、さらに緯度も北緯37度と、富山県や新潟県と同緯度になる。そして海と山に挟まれているところが日本海沿岸と似ている。

このような日本の気候風土と同じところは韓国や中国の一部とここしかない。
だから日本から遠く離れたカスピ海沿岸地方で、タイムスリップしたような日本を見るようだった

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