世界一周11-2 ウルグアイ編 忘れ去られたような国で、新たな旅立ち

南米・中米・北米編
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●国際長距離バス2000km
●化石都市・モンテビデオ
●新たなる旅立ち
(2000年10月14日~)
ウルグアイ

通貨1ペソ=9円   ガソリン 108円? アルゼンチンと同じぐらい 宿 630~900円以上
屋台のハンバーガー 90円   パン54円   レタス(Lechuga Morada) 35円
Manzana 2ヶ 42円   牛乳1L 54円   冷蔵ピザ 117円
シーチキン缶 71円   バナナ、みかん 各72円
※マクドナルドは昼になると行列が出来る。ハンバーガーの屋台なんてかなりあるのに。

国際長距離バス2000km

10月3日23時30分。サンパウロ発ウルグアイの首都・モンテビデオ行きの国際長距離バスに乗った。

このバスはブラジル・マルコポーロ社製の車体にボルボのエンジンを搭載した2階建てのバスで、トイレ付きでエンジンも静かでとてもきれいな豪華バスだった。

座席もファーストクラスのように広くゆったりとして、しっかり制服を着た運転手やアテンダント(バスガイド)といい、車内サービスと言い、先進国並みで飛行機のようにすばらしい。

南米は、鉄道の代わりに長距離バスが発達しており、特に国際長距離線は思いのほか豪華だ。

このEGA社(えが、と読むのだろうか)の長距離バスは、23時30分にサンパウロを出発、翌5時30分にパラナ州都クリティバのバスターミナル着、11時ごろサンタカタリーナ州都フロリアーノポリス、昼過ぎに国道沿いのレストランに寄り、18時30分リオグランデドスル州都ポルトアレグレ、そして翌々日の朝5時にウルグアイ首都モンテビデオに到着する。

このモンテビデオ行きの他にも、リオ発サンパウロや他の州都を経由でブエノスアイレス行き、さらにはチリのサンチャゴ行きまであり、大陸を何千キロも走る国際バスは、日本では考えられぬほどのスケールの大きさである。

サンパウロを出発したバスは、最初はガラガラだったが、ポルトアレグレを出発する頃には満員になった。

夜中に国境を越える際にアテンダントから起こされたが、翌々日の早朝にやっとモンテビデオに着いた。サンパウロから30時間、2000kmのバスの旅だった。

だけど、私はバスが大の苦手なので、何度もトイレで吐いてしまい、何も食べれずバス酔いに苦しんだ旅となった。なさけない。

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化石都市・モンテビデオ

モンテビデオではボロ宿にチェックインし、酔いもさめたので残しておいた車内サービスのサンドイッチや菓子を食べた後、ロンドンから送っておいた我が相方、ジェベル125を引き取りに港へ行く。

ブラジルとアルゼンチンに挟まれた小国、ウルグアイの首都モンテビデオは人口150万人。先述したクリティバやポルトアレグレと同じぐらいの都市規模であり、国の人口の半分がモンテビデオに集中する。地図で見ると、小さいウルグアイはブラジルの一州という気もしてくる。(もともとはブラジルの一州だったのが独立した)

しかしモンテビデオの街並みは、普通の車も走っているが、それに混じってメインストリートではいまだに馬車やクラシックカーが現役で走っている、すごい首都だ。

ブラジルから来ただけでもタイムスリップした感じで、日本とかから比べればまるで70年前である。

そして人々はマテ茶と湯の入った水筒(マホービン)を常に持ち歩いていて、なんか市民全員が遠足に行っているように見えてしまう。

1930年、あのサッカーW杯の最初の開催国がウルグアイで、優勝したのもウルグアイなのだ。おそらくこの時代はウルグアイは世界の中でも一番繁栄していた時代なのだろう。

だけど今のモンテビデオの街は、うすらさみしく、観光客もいない。死んだような街だった。

クラシック好きはそれなりに楽しめるだろうが、なんかあまりにも過去の栄光をひきずりすぎて、閉鎖的で封建的な雰囲気がしてどうも自分の肌に合わない。かつての東欧もこんなかんじだったのだろうか。
(ブラジルやパラグアイ、アルゼンチンは日本の移民が多いが、ウルグアイには日系移民はほとんどいない)

たとえばタイは、アジアの経済危機をモロにかぶったが、そんな逆境をもろともせず、バンコクは2年間ですざまじい発展を遂げて、街並みもどんどん変わり活気とパワーに満ち溢れいていた。

だから同じ首都とはいえ、あまりに対照的で、バンコクを中高生だとするとモンテビデオはさしずめ、ヨボヨボの老人というイメージだ。

街並みもボロいわりに物価も高く、食料品やガソリン、宿泊費は何でもブラジルより高い。
バイク屋で売られている中国製の100ccのバイクも、輸送費と高い関税のため、3500USドルもする!同じバイクが中国やアジアでは三分の一以下の値段で売られていることを考えると、これじゃあ馬車やクラシックカーが走るのも納得した。

なお、ブラジルではホンダやヤマハなどが同サイズのバイクを生産しているので、安くて品質の良いバイクが手に入る。すぐ隣のブラジルから輸入したほうが効率的なのに、国という概念があるがゆえに、ウルグアイはわざわざ中国製のバイクを輸入するまでに至っているのである。

そんな街ではすぐに退屈になり、バイクを引き取るまでの8日間は宿で寝てばかりの毎日だった。

幸い安宿からは海岸が近いので、夕方は海を見ながら毎日散歩した。この海も遠いイギリス(サウザンプトン港)に通じているのだ。なんて考えながら佇んでみる。
それが自分にとって唯一の気分転換だった。

バイクの通関引き取りにしても、精神的につらかったこともおおく、一分足りても早くこの国から脱出して、ブラジルに戻りたかった。ブラジルは一歩も二歩も進んだ大国なので、機能的に見てもウルグアイとはぜんぜん違う。

だから晴れてジェベル125を引き取った翌朝の10月14日は、すぐにモンテビデオを出発した。

そして再び私と相方との、新たなる大陸という舞台でのツーリングが始まったのである。

 

 

※国としては好きになれなかったウルグアイだけど、この人のライフスタイルは、すばらしい。現在の社会に不安や不満のある人や、仕事まみれになってる人や質素に生きたいには、おすすめの本です。

新たなる旅立ち

大西洋をどんぶらこ、と越えてやってきた我が相方、ジェベル125と南米のモンテビデオで再会。

そして10月14日、モンテビデオを出発。インドのマドラスから走り出したような感動が再びこの新しい大陸で燃えはじめた。

郊外にでると、まもなく牧場が果てしなく広がるようになる。

南米の場合、通りや国道を中心とした住所システムなので、牧場の看板を見ると「Ruta1,km334」とかかれているが、これでもれっきとした住所で、
「国道1号、(モンテビデオより)334km地点」という意味だから実に単純明快、竹を割ったように分かりやすい。

モンテビデオなどの市街地の場合だと

ex.「Av. San Miguel 4989」(サンミゲル通り4989m)

となり、下の数字がキロメートルではなくメートルになる。

その夜はひさしぶりの野宿で南米初野宿。北海道の開拓村をさらにのどかにしたような小さな村にあるGS(ガスステーション)の敷地内で寝させてもらう。が、野犬がうるさいので眠れず、GSをやめて静かそうな場所に移動して就寝。

翌日、ブラジルに再入国。ロンドンではあれほどビザ入手に苦労したのに、ここではノーチェック。だから自由に両国交流できる。だけど出国時に必要なのでイミグレでスタンプをもらう。
–第11章–

おわり

 

★次号の予告★

次号12話の配信は、10月15日の予定です。

次号12話以降は、ちょうど16年前にリンクした日にちで公開していきます。

 

南米をツーリング開始してまもなくエンジン死す!

途方にくれる自分。

そこから思いも寄らぬ出来事が・・・

お楽しみに!

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