世界一周11-1 南米ブラジル編 「世界の果ての日本・サンパウロ・リベルダージ」

まるでオリンピック!?世界一周の舞台はヨーロッパ・ロンドン(2012)から南米大陸ブラジル(2016)に上陸!

世界最大といえるサンパウロの日本人街と、そして時間が止まったような国のお話。

第11章 ブラジル日本人街編
(2000年9月3日~10月14日)

★特別編・欧州野宿外伝
●世界最大の日本人街
●地球の反対側の流行
●パワフルGさん
●サンパウロ青年図書館

南南米(メルコスル)地域は、おもに畜産が農業の基幹産業となっており、当然牛肉も安く、自分もレストランや居候先でオニのように牛肉をありつけた。

ブラジルではシュハスコ、それ以外はアサードと呼ばれるが、どちらも仲間が集まった週末、骨付き牛肉の塊に氷塩をふりかけて、炭火で豪快に焼くのである。
そしてアジアのチャイ同様、欠かすことのできないのが、マテ茶(テ・デ・マテ)である。

牛の角などでできたコップにマテ茶と湯を入れ、金属製の吸引具を使って飲むわけだが、とても苦い。このマテ茶は、牛ばかり食べる牧童にとって野菜のビタミン不足を補う、重要な飲料であり文化のひとつなのである。

ブラジル

通貨1へアル=60円  ・ガソリン 90円  ・宿 480円~ モーテルも多い
・昼食バイキング 230円  ・シュラスコバイキング 500円
・Fiha(小さいピザ) 21円  ・トルコ・ケバブサンド 30円
・パスティス(揚げ餃子風で、インドのサモサみたいだ)?円 ・玉葱3個 35円
・ガラナ2L 38円 ・牛乳1L 100円  ・卵12個 77円
・牛肉100g 34円   ・フランスパン 10円

・洗濯洗剤1kg 150円  ・弥勒米5kg(ブラジル産日本米) 510円
・豆腐 90円 ・即席ラーメン 33円

※ブラジルは、食の先進国。どこでも安く、満足の行く食事ができる。国道沿いのドライブインや町のレストランでは、バイキングスタイルになっており、言葉がわからなくてもうまいもので満腹になる。そして、サンパウロの日本人街、リベルダージに行けば、日本食スーパーや、日本食堂など日本と変わらぬ環境である。

スーパーに関しては、ブラジルで生産できる日本米や和菓子、味噌、醤油、即席麺といった基本的なものは安いが、その他の物は日本から取り寄せるので高い。
腹いっぱいブラジル料理食べて、それに飽きたら日本食!これぞ、くいだおれ王国。

※白人系ブラジル家庭、ラモン家に居候した時の食事例

朝 カフェ(コーヒーに牛乳を入れる)、伯式フランスパンにハム、チーズなど

昼 フェジョアーダ 伯国の代表的料理。フェジョン(豆)、骨付き豚肉、にんにくなど大鍋で煮込んだもの。見た目はおしるこにそっくり。ぱさぱさのタイ米風ライスにそのフェジョアーダをかけてカレーライスのように食べる。

この家庭では大体毎日昼食にフェジョアーダライスが出てきた。
あとはカリフラワー、トマト、人参の野菜炒め。マンジョカ(キャッサバ)。あるいはパイで覆ってオーブンで焼いたグラタン

夜 軽食と言う感じで、それほど出てこない。例えばマカロニの上に牛肉入りのカレーソースをかけたもの、 ポテトオムレツ、 パン、カフェ
休日 仲間がきた時、中庭でシェハスコ


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★★★★★★★

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世界最大の日本人街での「おもてなし」

2000年9月3日朝6時30分。ロンドンから11時間の飛行でサンパウロ・グァルーリョス国際空港に着いた。

ターミナルに着くと、意外なことに日本人が多く目に付いた。
彼らは沖縄からのツアー団体だった。沖縄から南米各地に移住した人が多いことを伺わせる。
みんなあわただしくその場でスーツケースを開けてガサゴソやっていた。

空港内のカフェに寄ってみる。ヨーロッパに比べればうんと安い。ホッとする。

ヨーロッパでは毎日が自炊かお粗末な食事で、毎晩野宿という苦行の旅だったが、南米だと再び宿にも泊まれるようになるしレストランとかで腹いっぱい食べることが出来る。

治安の悪さなどの不安もあったが、これからはまた人間らしい旅が出来そうで、楽しみだ。

空港から市内へはバスに乗ったが、冷たい雨がシトシト降っていて、バスの乗客も陽気な国ブラジルらしからぬ静かさだった。車窓からの風景は台湾を思わせた。

「あれから半年か・・・」

日本を脱出して始めて台湾の地を踏んだときも、空港から台北市内へ向かうバスに乗ったときも、初春の冷たい雨が降っていた。旅立ちはいつも雨。

世界一周01・台湾・タイ編
第一章 東南アジア 台湾 (2000年2月23日~2月26日):日本大好き!?台湾 タイ (2000年2月26日~3月 1日):2年...

バスから地下鉄に乗り換えた。ロンドンの地下鉄と違い、安くてしかも新しい。

何もかも熱い南米というイメージだったが、ロンドンよりも寒くて地下鉄はきれいだったので、

「おいおい、ここは本当に南米なのか?
まだヨーロッパのどこかの都市じゃないのか!?」

と、錯覚してしまう。北緯52度から南回帰線上の南緯24度の差はぜんぜん感じられなかった。

地下鉄を降りて外へ出ると、目の前に今度は「日本」があった。

リベルダージ駅周辺には日本語の看板、そして赤い鳥居と、ガイドブックで見たことのある「世界最大の日本人街・リベルダージ」だった。

(この写真は拡大できます)

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とりあえず、何軒かある日本の店の中から、「金澤製菓」という店に入った。

この店では、ブラジルで普通に売っているお菓子もあるし、自家製の大福や饅頭などの和菓子を作って売っている店だった。

宿への道をたずねただけなのに、「まあゆっくりしていって」と、思いもよらずお茶とせんべいがさしだされた。
ロンドンやヨーロッパにはなかった、とってもあったかいおもてなしにひさしぶりに感動する。

店内には石原裕次郎や小林旭の映画や、任侠映画などのクラシカルなビデオがたくさんあった。

1950~60年代のブラジルは、大量の農業生産力ゆえに世界でも非常に豊かな先進国だった。
終戦直後でまだ貧しかった日本を去り、出稼ぎや移住をして行った人が多かった時代。
ブラジルの日系人にとってもそのころが一番繁栄した華やかな時代だったに違いない。

店を営む一世のじいちゃんばあちゃん。おじいちゃんは昔の思い出を話し出すと止まらなくなってしまう位に話してしまうが、その様子を聞くとまるで昔の日本にタイムスリップした気分だった。

そして孫娘は、ブラジル人との混血とあって、日本人とブラジル人の良さが見事に合わさったすごくエキソジックな美人だった。

これまで女性といえば、ヒンズーやイスラムのお色気0の禁欲地帯と、ヨーロッパの大女ばかり見てきたので、均整が取れてる彼女はなおさら愛らしく見えた。
写真を撮り損ねたのが悔やまれるぐらいだった。

金澤製菓さん。ごちそうさまでした。

日本人宿に着き、そこで一ヶ月間滞在することにした。

数ある部屋の中から選んだ部屋は、ずっと昔から住んでいる御隠居のような老人と、つい先日、大田区蒲田から来た老人の二人と同室だった。お年寄りなら静かだし無難かもしれない。

とくに、蒲田から来たおじいさん(以下Gさん)は、70歳ぐらいだったが、おもしろい人だった。

前回南米に来たとき、日本へ帰国する際荷物を忘れたので、その荷物を取りにいくため今年もわざわざ南米にやってきたのだという。

「いやー、おととい東京から来たんだけど、東京はもういやんなるぐらいに暑くてね、んで飛行機でサンパウロに来たから今度はえらいうすら寒くてね。やんなっちゃうよ。」

「そんなに暑かったんですか。ぼくもずっとヨーロッパにいて、昨日の夜はロンドンを出発したんですが、ロンドンもサンパウロもうすらさむいし雨が降るから、なんか南米に来たという実感が無いんですよ~」

なんて話したり。

夕方、外へ出ると、やっと南半球にいることを実感した。

まだ17時30分なのに、空はもう真っ暗なのだ。南米はこれから春になるので、日照時間もまだ短かったのである。

日本食品専門のスーパーはなかなか大きく、レジはコンピューター化されており、日本にあるスーパーと何ら変わりない。

レジの女性店員たちは日系人か、あるいは中国系といったところで、日本人の面影はあるけど日本人ではない顔立ちだった。

ブラジルで生産できる日本米や豆腐などの大豆製品、麺類、弁当などは安いが、日本から輸入されたカップめんやふりかけや乾物類、レトルトカレー、調味料、干物類、全て冷凍された魚介類は日本以上に高い。

スーパーの中にはNHKのTVが見れる。そのとき夕方の17時50分だったが、なんと大相撲の結びの一番が写っていた。

「日本と時差があるのになんで日本と同じ時間帯に相撲をやっているんだろう!?」

とすごい驚いたが、相撲が終わり18時になると、今度はおはよう日本が写った。
つまりちょうど12時間の時差があって、さっきの相撲は再放送だったのだ。

日本とブラジル、季節だけでなく、朝も夜も正反対なのであった。
(考えてみればイギリスとニュージーランドもそうなんだけど)

地球の反対側の流行

翌日は日系書店へ。ショーウィンドウには大相撲の番付表が貼ってある。
日系社会では相撲や演歌がいまだに根強い人気があることがわかる。

「〇〇書店」といった日系書店には何軒か入ったが、どれも日本の町にあるようなの小さな本屋そのもの、という感じで、雑誌などは船便のためどれも3ヶ月遅れだった。店前に張られているananなどの新刊ポスターもやはり3ヶ月前のものだった。

(この写真は拡大できます)

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同じ海外の大都市、パリやロンドン、NYなどは紀伊国屋などの大手店舗が進出してることもあって店内も大きく、しかも航空便で入荷するので2~3日遅れでしかなく、(特に新聞に至っては時差のため日本よりも一日早く読める)とてもタイムリー。

客なども日本人の留学生やビジネスマンが中心で、
「ここはいったいどこさ?パリ?それとも東京?」
と、間違えるほどだった。

それに対してサンパウロの日本書店は客も店員も一世の高齢者が中心なので、客の入りも少ない。日系三世や四世などの若者になると、すっかりブラジル化しているので、誰も日本の本は読まなくなってしまう。だから9月なのに5月号や6月号が売られている所以なのかもしれない。

同じくCDショップでは、CDもやはり本と同じで三ヶ月遅れだが、驚いたのは売り場の半分が演歌コーナーで占められていた。

その時日本は演歌は冬の時代、とまでいわれてまったく人気が無かったが、ここでは望郷の念があって演歌は根強い人気がある。

ブラジルという国は、先住民もいれば白人や黒人奴隷、そして近年になって各国から来た移民者と、さまざまな人種によって作られた新しい国家。

有名なサンバも、ルーツは奴隷としてブラジルに来た黒人が培ってきたアフリカの旋律なのである。

演歌にせよサンバにせよ共通するのは、音楽などを通じて遠い祖国に思いをはせている、望郷の念、切望、哀愁、つまりはサウダージ(Saudade)なのだ。

話は戻って、店の中のテレビを見ると、美空ひばりが歌っているビデオや、「芸能人運動会97年版」と手書きで書かれた、番組を録画したビデオテープが置かれていた。

それでも店内にはプリクラが置いてあって、客も学校帰りの日系の高校生たちがいた。

ただ、彼らは顔立ちは日本人の面影を残しているが、やはり三世以降の世代なので、友人同士の会話はポルトガル語。

(看板だけ見れば、東京とかと変わらないが、ここはブラジル。)

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そしてヘアスタイルにしても、12年ぐらい前に流行ったような一昔前のスタイル。当然今の日本(2000年)と違って、髪染めている人もいないし、厚底とか履いている女の子もいない。そして体格も良いからどうしても韓国人の若者にみえてしまう。

そして店の中で騒ぐあたりが、もはや日本人ではなくブラジル人だ。

日本のように、目まぐるしく変わる流行ならそれだけ活気があるということだが、そんな彼らを見てるとやや物足りなさを感じた気もした。

しかし、日系人もブラジル社会に同化して溶け込むということは、やはりブラジルにとって自分たちにとってもいいことなのかもしれない。自然の成り行きといったところか。

本や音楽の店を例にとって見たが、ロンドンやNY, あるいはシドニーやシンガポールなどの場合、日本以上に流行や最新のものを追い求めているだけあって刺激的。

だが、サンパウロの日本人街の場合は、今や日本からの移住者もほとんどいなくなり、日本語を解せる世代が高齢化していき、夕張炭鉱のように寂れていく感じがした。アジアや欧米の都市にある「日本人村」とは歴史的背景や雰囲気がぜんぜん違う。

案の定、最近はリベルダージ日本人街も、中国人や韓国人が参入し、日本人街から東洋人街に変わってきた。治安も悪化し、日系人は郊外へ分散しているという。

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パワフルGさん

先述した、宿で知り合った蒲田のGさん。
彼は40年前に移民船で南米に来たこともある人なのだが、Gさんは、明治大学二部(夜間)卒だと知り、少し驚いてしまった。

(実は私も明大二部の地理学科を受験したことがあったからなのだ。といってもあっさり落ちてしまったけど。)

そのGさんが、TCを両替してくれる店を案内してくださった。

まずはリベルダージの中国系の店に入ると、Gさんはたどたどしくはあったが、妙に力強いポルトガル語で店員と話し出したのだ。

見た目は普通の朴訥とした蒲田のおじいさん、というイメージだったのだが、私が話せないポルトガル語を力強く話すGさんの姿は、とても頼りがいが感じられ、ものすごくカッコよくみえた。

(ちなみに宿で同室の“御隠居”も、50年前は日本で薬品系の仕事をしていたから、両氏ともインテリなのだ)

途中、屋台のパイン(一切れ30円)を食べながら、一緒に歩くこと30分。
ヴァリグ航空のオフィスを案内され、やっと両替できた。これもGさんのおかげである。

夕方、日系スーパーで半額になった弁当をしこたま買って食べてると、Gさんが戻ってきたのですすめてみると

「いやあ、胃が消化不良なんで米のめしが食えないんだ。だからさっき“ピッツッァ”くってきたよ。」

そう言って、日本より沢山持ってきた薬をバカバカ飲んでいた。

それでも、このあとGさんは友人を訪ねにパラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイとバスで周り、ブラジルに戻る予定。
全部長距離バスというカミカゼのようなスケジュール。

そしてしばらく日にちが経ったある日、
「もうバスの移動はつらいよ」といいながらGさんは戻ってきたわけだが、それでもGさんはとても元気そうだった。
私はバスが苦手なのに、本当にGさんはすごいパワフルな人だと思った。

来月は私もモンテビデオに行くため、日本人街の裏手の「知花旅行社」でモンテビデオ行きの飛行機の値段を調べたら、片道でも280USドルするといわれた。飛行機は高いのでやむなくバスでモンテビデオに行くことに決定した。81USドル。バスチケットはバスターミナルでも買えると言う。

日本人街を歩いていると、デパートのSOGOを発見した。
SOGOは日本のみならずアジアの都市でも進出しているのだが、
「おー、サンパウロにもそごうがあるのか!」

と、よく看板を見ると、そごうではなく、

ひらがなで「そご」と書かれていた。

(写真は拡大できます)

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そご・・・これ見て思わずコケたのはいうまでもない。どう考えても日本人経営でないのは明らかであろう。

「そご」に入っても、もちろん本家とは違い綺麗な受付嬢なんかいるわけもなく、何十軒もの小さな狭い店舗がごちゃごちゃ入っている、南米式の安っぽいデパートだった。

それにしても、遠くから見えるくらいに恥も外聞も無くデカデカと「そご」なんて書かれていると、いい笑いのネタにはなるんだけど、これではせっかく築きあげた誇り高き日本人街も安っぽく見えてしまうし、なにより日本の恥になるのでやめて欲しい。

サンパウロ青年図書館

同宿で知り合った「奥田のお父さん」と一緒に、日本の漫画の読める「青年図書館」に行く。

彼は岡山から来た40代の人で、普通だったら仕事や妻子の世話に明け暮れる年頃だが、彼は南米をのびのび自由に旅をしていた。

気に入ったところには何ヶ月も滞在し、たくさん写真を撮って歩く気ままな旅。奥田さんは青年図書館には何度か通っている。

図書館へ一緒に歩くこと30分。
日本人街を離れ、ブラジルの何の変哲も無い山の手の住宅街になったが、ここで私たちは迷ってしまった。ここまでくると日本語の看板とかは一切無い。

そこで、奥田さんは通りすがりの東洋人の通行人に「あのー、青年図書館のある〇〇の通りはどこですか?」と、いきなり日本語で話しかけたのだ。

すると
「ここは〇〇ですので、ここからこう行けば行けますよ・・・・」

と、なんと日本語で返事が返ってきたのだ。

ここは本当に日本の反対側なのか!?
ブラジルの住宅街とは思えない。
ただただ驚きだった。

「まさかこんなところで日本語が通じるなんて思わなかったでしょ?だけどこれがサンパウロなんだ」

と、奥田さんが言うと、サンパウロはなんて奥深いところだろう、と思うと同時に、世の中自分が知らないことが実にいっぱいあることに気づかされた気分だった。

「サンパウロ青年図書館」に着くと、漫画本がいっぱい。
新しい漫画や人気のある漫画はなかったので、食指が動くような漫画はあまり見当たらなかったが、80年代やそれ以前の無名の漫画家によるコミック本が多いのが印象的だった。95年の週刊少年ジャンプが一年分置いてあった。

日系の三世四世の女の子たちが受付をやっていて、日本語の勉強をかねて毎日まんがを読んでいるのだが、彼女らの会話を聞いていると、ポルトガル語と日本語がチャンポンに混じっていた。

そして、熱心に漫画を読む奥田さんの姿は、年齢を感じさせない不思議な魅力があった。奥田のお父さんも、古い無名のマンガ本を見つけて読んでいるうちに、あのころの若かりしころの思いが甦り、昔の自分自身とを反芻していたに違いない。

9月も終わりにちかづくと、Gさんも日本に帰っていった。

同室でいろいろお世話になったので、日本に帰ったら東京で会いましょう、と言ったら、Gさんは

「いや、むりだ」

と言った。どうしてと聞くと

「今はかなり病気で、やっとの思いで最後の南米旅行を果たした。だからあんたが日本に帰ってくる頃には生きてるかどうかわからない・・・」

なんともさびしい限りだが、忘れてきた荷物だけでなく人生の清算をするために南米に来たのかもしれない。

このリベルダージ日本人街は日本から一番遠く離れているのに、日本語だけで充分生活できる「変な所」で、そのために沈没する「ダメ旅行者」もいたが、いろんな年齢層の人と知り合うことができた。

ちょっと路地裏に出ると、いかにも昔風、昭和30年代的の日本の床屋があって、急速な経済成長で消えていった街並みや店が残っている、不思議な街でもあった。

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しかし夜になると遠くから「パンパン」という銃声も何度か聞こえた。郷愁あるノスタルジックと、ブラジルの諸行無常な現実が錯誤する街だった。

そして私がサンパウロを去ろうとした頃、選挙があった。
10月に行われるサンパウロ市長選のため、市内は選挙活動一色だった。

ブラジルだとBGMにサンバを流したり、候補者の名前の入ったテーマソングを流したりしている。こういう国では政治的手腕のみならず歌って踊れる「芸」がないとダメかも。

カーニバルの紙吹雪よろしく小さなビラをばら撒き(ゴミだらけになるっつうの!)候補者の名前の入ったキーホルダーや帽子などがもらえる(日本じゃ違反!?)

という、あまり深く考えずにノリノリにやろうぜーみたいな選挙運動だった。実にブラジルらしく面白い。

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