世界一周12 ブラジル編2 「ブラジル人の家に居候。ブラジルの生活とは?」

第12章 ブラジル南部編
●災い転じて
●ブラジル人の生活
●モトクロスレース
●南米のヨーロッパ

南南米(メルコスル)地域は、おもに畜産が農業の基幹産業となっており、当然牛肉も安く、自分もレストランや居候先でオニのように牛肉をありつけた。

ブラジルではシュハスコ、それ以外はアサードと呼ばれるが、どちらも仲間が集まった週末、骨付き牛肉の塊に氷塩をふりかけて、炭火で豪快に焼くのである。
そしてアジアのチャイ同様、欠かすことのできないのが、マテ茶(テ・デ・マテ)である。

牛の角などでできたコップにマテ茶と湯を入れ、金属製の吸引具を使って飲むわけだが、とても苦い。このマテ茶は、牛ばかり食べる牧童にとって野菜のビタミン不足を補う、重要な飲料であり文化のひとつなのである。

ブラジル

通貨1へアル=60円  ・ガソリン 90円  ・宿 480円~ モーテルも多い
・昼食バイキング 230円  ・シュラスコバイキング 500円
・Fiha(小さいピザ) 21円  ・トルコ・ケバブサンド 30円
・パスティス(揚げ餃子風で、インドのサモサみたいだ)?円 ・玉葱3個 35円
・ガラナ2L 38円 ・牛乳1L 100円  ・卵12個 77円
・牛肉100g 34円   ・フランスパン 10円

・洗濯洗剤1kg 150円  ・弥勒米5kg(ブラジル産日本米) 510円
・豆腐 90円 ・即席ラーメン 33円

※ブラジルは、食の先進国。どこでも安く、満足の行く食事ができる。国道沿いのドライブインや町のレストランでは、バイキングスタイルになっており、言葉がわからなくてもうまいもので満腹になる。そして、サンパウロの日本人街、リベルダージに行けば、日本食スーパーや、日本食堂など日本と変わらぬ環境である。

スーパーに関しては、ブラジルで生産できる日本米や和菓子、味噌、醤油、即席麺といった基本的なものは安いが、その他の物は日本から取り寄せるので高い。
腹いっぱいブラジル料理食べて、それに飽きたら日本食!これぞ、くいだおれ王国。

※白人系ブラジル家庭、ラモン家に居候した時の食事例

朝 カフェ(コーヒーに牛乳を入れる)、伯式フランスパンにハム、チーズなど

昼 フェジョアーダ 伯国の代表的料理。フェジョン(豆)、骨付き豚肉、にんにくなど大鍋で煮込んだもの。見た目はおしるこにそっくり。ぱさぱさのタイ米風ライスにそのフェジョアーダをかけてカレーライスのように食べる。

この家庭では大体毎日昼食にフェジョアーダライスが出てきた。
あとはカリフラワー、トマト、人参の野菜炒め。マンジョカ(キャッサバ)。あるいはパイで覆ってオーブンで焼いたグラタン

夜 軽食と言う感じで、それほど出てこない。例えばマカロニの上に牛肉入りのカレーソースをかけたもの、 ポテトオムレツ、 パン、カフェ
休日 仲間がきた時、中庭でシェハスコパーチー

ブラジルに入国してからも、しばらく走り続ける。ウルグアイと差のない風景が続く。
夕方になり、GSわきのドライブインにて夕食。食べきれないぐらいにいろんな種類の料理が出てきて、それでたったの240円!バカスカ食べまくる。

モンテビデオではまずいパンにレタスとチーズといった食事だったので、ひさしぶりに大満足の食事。ああ、ブラジルに戻ってよかった!

ブラジル南部の中心都市・ポルトアレグレ(Porto Alegre :歓喜の港、の意)に到着、というか戻ったことになる。

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人口200万人でモンテビデオよりも大きい。日本領事館もあるぐらいだからセントロにはモンテビデオにも無かった高層ビル群(といっても煤けて古い外装)が並び、「小ニューヨーク」だ。

意外なことに、ブラジルは州都ならびにあちこちの都市でアメリカのように摩天楼が見られるので、都市景観に関してはある意味日本以上に大国に見えてしまう。

さらにBR‐101 (国道101号) を走り、サンパウロをめざす。行きの時バスに乗ってたときとはまた違ったシーンで見えてくる。

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途中前輪がパンクしたが、運良く近くにトラック修理屋があったので、直してもらう。7ヘアル、420円。ついでにガソリンフィルター(300円)も買った。

しかし、フロリアーノポリスに着く頃には、エンジンがおかしくなった。エンジン不調のまま南米に送ったわけだが、ドイツでのトラブルと同じ症状で、またもあっけなく壊れてしまった。

「あー、またか・・・くそったれ!!」

何でまたすぐに壊れるんだ、とジェベルを呪いつつ、バイクを押して歩いた。
2キロほど歩くと、小さなバイク屋があった。

そこに着くと、何人か集まってきたが、小さい店なので直せそうもない。店員は電話をかけると、まもなく車がやってきて、バイクともども車に乗ることになった。

そして行きついた先は、バイク店ではなく、民家だった。

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災い転じて

その民家の主人は、ラモンさんと言うベテランのメカニック。もちろんレイザーラモンのことではない。趣味のモトクロスに力を入れていて、庭に離れのガレージと遠征用のキャンピングバスを持つほど。(このガレージで若者を対象に寺子屋のように整備を教えているのだ)

うれしいことに、エンジン修理中はそのバスの中で寝泊りすることが出来た。

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そのバスは、ベッドにダイニングキッチン、後部にモトクロスマシンが3~4台収納できるトランポスペースと、うまくまとめられており、しかもこのバスの改造も全て手作り。カーテンやベッドのクッションなどは奥さんのチキータさんが作っていた。

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ただ、ラモンさん一家は、ポルトガル語しか話せないので、英語の話せる晩年の太ったエルヴィスプレスリーに似たジョアキンと、日本語がちょこっと話せるファビアーノがやってきた。

話によると、エンジンはひどい状態なので日数も金もかかり、しかも100%直る保障はないといわれ、さすがにガッカリした。と同時に、

「まあ、もしダメでも、またいつかの機会に北中南米ツーリングすればいいや。それよりもせっかく居候させてもらってるのだから、ブラジルの生活をとことん楽しんでみるか!」

そうラテン人のように能天気に考えたおかげで、それからのラモン家の生活が毎日楽しく、勉強にもなり、人生の大きな財産となったのである。

ファビアーノと、妻で日系三世のレジーナの若夫婦はラモン家の近所に住んでいて御菓子問屋のような仕事もしているが、妻が日系人なので、夫婦は去年まで二年間福井県で働いていたのだという。

そういえば自分も世界一周の資金稼ぎのため工場で働いていたときはブラジル人と一緒に仕事していたっけな。私も行ったことのある福井県の東尋坊のキーホルダーが物語っていた。

だけどレジーナより生粋のブラジル人であるファビアーノの方が日本語をよく話していた。

エルヴィス似(といっても若い頃ではなく晩年の太ったエルヴィスのことだが)のジョアキン。MXチームなどのマネージメントをする彼だが、かなり破天荒で強引なところもあったが、彼にはいろいろお世話になった。

彼とは英語力も自分と同じくらいで、しかも互いに理解できるまで話したので、いい英語の勉強になった。

彼の車(ブラジル製ワーゲンの新車)でフロリアーノポリスをいろいろ案内してくれた。休日は彼の妹と3人で浜辺のシーフードレストランに連れてってもらった。海老や魚のフライ、牡蠣のマリネ、ゆで海老、揚げ魚のトマトソース煮などを存分に味わった。

フロリアーノポリスのビーチは春のこの時期になるとアルゼンチンなどから観光やバカンスで大勢やってくる。ここはサーフィンのスポットでもある。

白くてきれいな肌をした中高生ぐらいの女の子も恥ずかしがることなくビキニを着ていて、じつにいい。たまらんね。

そしてあるときはモトクロスの練習風景にも連れてってもらったが、実際始めて生で見ると、ライダーの2~3倍の高さまでジャンプするので、間近で見ると恐い位に迫力があってそしてカッコいい。当然危険なので、ジョアキンもケガをしたのを機に引退している。

彼らに自己紹介をし、世界一周していることを話すと、みんなが驚いていた。
「アキラよ、みんながきみのことを勇敢だと言っているぞ」
「ありがとう。でもこんなにダイナミック丸出しで危険なMXやってるきみらの方がもっと勇敢さ」

練習が終わると、みんなで浴びるようにビールを飲み、ビリヤードをした。

自分はビリヤードはほとんど初体験だったので、ジョアキンがレクチャーしてくれたが、もう一穴入るごとに大騒ぎ。これぞブラジル。

ブラジル人の生活

普段の居候生活では、のんびり寝て、テレビを見たり、夕方には子供とサッカーの相手をする気楽な毎日。
昼食時の時は家族の人はいったん職場から戻って家族みんなでお昼を食べるのが特徴的。
南米はカトリックの社会なので家族の和を大事にする。
ラモン家は6人家族だが、60歳ぐらいのラモンさんを筆頭に三世代ということになっているが、親子関係がサザエさん一家のように複雑。

ただ家には親戚や兄弟、そして友達が毎日のようにたくさん来るのでじつに開放的で模範的な家庭だ。だから私のようなよそ者でも、仲間として泊めさせてくれたのだろう。

自慢の息子、リチャード(25歳)とピポ(13歳、ピポpipoというのはニックネームだが、普段の呼び名やMXのゼッケンまでピポで通している。)

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リチャードやピポの部屋に入ると、どちらもMXのトロフィーがずらり。リチャードは125ccのカテゴリーで、ピポは80ccのカテゴリーで数ある大会を制覇している。

MXはライディングの腕のみならず、ラモンさんのような熟練したマシンのセッティング、そしてトランポやガレージなどの環境が必要で、勝つため、いや参加するだけでも沢山の資金と協力者が必要なのだ。

ピポの通う中学校でも英語を勉強しているので、ちょっとなら話せる。彼からブラジルの英語教科書を見せてもらった。
中学2年レベルでは日本よりちょっと難しい気がしたが、何がすごいかっていうと、その内容。

くわしくはここに記事にしました

仰天!ブラジルの中学英語の教科書は、こんなに過激だった!
この夏、五輪でブラジルが話題になっている! そこで、2000年の9月から11月までブラジルにいましたので、ブラジルネタを出して...

平凡で当たり障りのない日本の英語教科書に比べればブラジルの場合は実に過激だ。ここにもラテン的な国民性が現れていて面白いのだが、テレビもまた然り。

いきなり美人妻が乳首丸出しで自分の乳を揉んでいるではないか。かといってポルノではなく、乳がん防止のCMで、そんなシーンでも家族は何食わぬ顔をして見ていた。

ニュースを見ても、動物のすむサバンナを中継している女性リポーターを見ると、何を興奮しているのか、ノーブラのブラウスからくっきり乳首が透けて見えるのである。

別に取材自体は普通なのだが、どーしてもリポーターの胸に目が行ってしまうから良くない(?)。
ヨーロッパでもそうだったが、日本だといくら暑くても、そこまでする女性はいない。

ブラジルの女性の普段着は、へそ出しにジーンズが主流で、ミニスカートを履いているのはほとんど見かけなかった。だけど妊婦でも丸い腹をつきだしてへそ出しで歩いてるのを見ると驚く。

日本と違ってファッションにはお金をかけられないし、一流のブランドはないけど、ビキニとかジーンズなど、シンプルなアイテムでセクシイにきめていて、実にいい。

そして普段は堅いメカニックのラモンおじさんも、じつは年甲斐も無く車から本当にフォー!なんて声を上げて、通りすがりの若い女の子に声をかけたりするもんだから、年をとっても日本じゃ考えられないラテン丸出しのおじさんなのだった。

モトクロスレース

10月28日、土曜日、例のキャンピングバスで300km離れたレース会場に行く。

今日はラモンさん、ピポ、私、そしてバス運転手役の親戚の計4人。前回は10人でリオのさらに東のエスピリトサント州へ、往復3000kmの遠征をしてきた。

食料やビールを積んでひた走り、GSでオートキャンプするのだ。
ブラジルでは、陸路の流通は全て大型トラックなので、GSには24時間利用できる電気シャワーやレストラン、そしてどこからくるのかドライバー相手の売春婦!までいる、なんでもありのコンビニゾーン。だから遠征もさぞ便利で楽しいことだろう。

11時ごろ、会場に到着。ここは同じサンタカタリーナ州でも内陸で、標高900mの高原地帯。バスを出るとちょっとひんやりする。さらに標高の高いところだと冬場雪が降る。
ブラジル全体が南国のイメージがするが、ここはブラジル唯一の降雪地帯だそうだ。

広大なキャンプスペースとMXコースがあって、同じようにキャンピングカーやキャンピングバスがやってくる。F1の故・アイルトンセナの国だけあって、ブラジルは欧米に負けないくらいモータースポーツが盛んな国なのだ。

会場に来ている人たちは、金に余裕があるヨーロッパ系の白人ばかり。しばらくするとラモンさんの兄弟や友人たちが駆けつけてきた。彼らの子供もピポ同様レースに参加するのだ。そしてジョアキンもやってきた。

午後はコースの練習走行。夜は大会前夜だけあって会場はお祭り。みんなでシェハスコ(BBQ)にビールで大盛り上がり。ラモンさんたちもこれが楽しいからレース活動を続けられるんだろうな。

少し離れた会場では、屋台や縁日、ロックバンドの演奏とまさにお祭り騒ぎだった。
トイレに入ると、ビールの混じった小水のにおいがした。きっとみんな飲んだビールがそのまま出てきたんだろう。

そして翌朝、レースが開始した。125ccや250ccはもう迫力満点。

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そして60ccカテゴリーの番になった。これは子供のレースで、ピポのほかに親戚の子供ら2人がレースに参加していた。

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そしてついにスタート。レース自体はまめまめしいが、ジャンプ時はなかなかの迫力だ。ピポは60ccレースの最年長だけあって、圧勝。二人の子は中ぐらいの順位だった。

80ccのレースでもピポは参加。スタートして出だしは良かったが、後半ごろ追い越されて、リザルトは惜しくも2位。だけどようがんばった!

表彰式は無かったが、60cc、80ccの両カテゴリーの盾を手にしてピポが戻ってきた。
するとカメラマンらしき人がピポと私の写真を撮っていった。

おそらく、「レースで活躍したピポと世界一周ライダー」といった具合で載るんだろう。
だけど自分の髪型はボサボサだったので、はっきりいって恥ずかしい!

余韻に浸る間もなく片付けて、夕方17時30分には会場を去る。
夜道を飛ばす中、バスの中のキッチンでコーヒーを作ってくれた。
瀬戸内海を思わせる島と海が夜景として見えてきた。家も近い。
22時10分、ラモン家に帰宅。

南米のヨーロッパ

3週間の居候生活の間、サンパウロから取り寄せた中古のGS125(ブラジル名・カタナ)のエンジンが届いたので、ガレージにてエンジン交換。そのついでに日本から持ってきたOリングチェーン、スプロケ、さらに両方のタイヤも交換し、洗車するとすっかりジェベル125はよみがえった。

さあ、いきごんでエンジンをかけたものの、まだノイズがしていた・・・
走れることは走れるが、やはり不安を隠せない。だけどもうこれ以上迷惑をかけれないのであさってには出発することにした。とにかくエンジンの負担をかけない運転をしなくては。

これらの修理はラモンさんやリチャードさんたちの好意で修理費はタダ。それでもエンジンや部品代で7万円かかったが、普通にやったら修理費はおろか待つ間の滞在費もかかるので10万円は楽に越える。本当に心から感謝。運が良かった。

このほかにも、リチャードの彼女とのデートにのこのこついて行ったりした。3人でリチャードの30年前の車に乗ってショッピングモールに行ったが、駐車場に停まっている車はどれも日本みたいにピカピカ。

ブラジルは二輪も四輪も生産国なので、日本並みの質の良い車が走っている。モータリゼーションの進んだ大国なのだ。そんな中我々の車は大いに目立ったわけだが、車や生活が質素な分、リチャードは7000ドルもするクラス最強の250ccの新品モトクロッサーを取り寄せているのだ。

そして、リチャードの彼女の誕生日パーティーなどもあって、3週間の居候生活はめちゃくちゃ楽しかった。ラモン家のみんなや周りの人たちがいかに人生を楽しんでいるかという表れなのだろう。

他にも自転車を借りて町や海辺などを走った。そしてラモン家は、なんと海に面しているのでその場で釣りが出来るのだ。釣った大きいナマズをフライにして食べた。これがまたすごくうまかった。

フロリアーノポリスも、海と島、整然と並ぶマンションやビルの街並みと、まるで香港のような景観だった。その景色も、家から見る事が出来る。ブラジルの豊かな生活を味わうことが出来たのだ。

「何年後か、必ず戻ってくるぞー!」
と、スペイン語やポルトガル語をもっと勉強してから再び訪れることを誓った。

最後の日も名残惜しくズルズルと、結局14時に出発。
「みんな、チャオ!」

別れと同時に、新たなる旅立ち。サンパウロに戻る。北を目指す。好意で直してくれた以上、全開走行と言う愚の骨頂は絶対にやめて、大事に走らなければならない。エンジンを慣らし、また壊さないように60km/hでゆっくりゆっくり一定走行。おかげでリッター46キロと言う最高燃費を記録。

16時30分、130km走ってドイツ移民の町・ブルメナウに着いた。10月には本国と同じ、ビール祭りのオクトバーフェストが行われるので有名。さぞ南米産のドイツビールで溢れるんだろうか。そしてメルセデスベンツの工場もある町だ。

しかし、ドイツらしさを売りにしているブルメナウの街並みは、ドイツ風の家の隣にビルがあったり、はたまた電柱&電線が横切ったりで、本国ローテンブルグなどと比べれば思った以上にお粗末な街並みだった。
そんな中途半端な街並みながらも、街は幾分きれいだし、ドイツ人も目に付いた。

20時、港町のジョアンビルに着いた。ここも知名の通り、おフランス貴族の海外領地だった。
これらの町を有するサンタカタリーナ州は、フロリアーノポリスが州都のヨーロッパ系移民の多い州なので、ブラジル一豊かな州だ。

ジョアンビルから一気に山道を登ると、パラナ州に入る。だだっ広い高原を走ると州都クリティバが見えてきた。軽井沢と同じ標高900mの地にあり、ここも欧州系、日系移民が多く住み、高層ビルの並ぶ整備された都市である。高原都市なのでインドのバンガロールを思い出す。

さらに走り、夜中になってGSで野宿する。ホットシャワーもあるので気持ちいい。ツェルトのようにフライシートを適当に引っ掛けて寝た。ブラジルの野宿はGSで決まり。

翌朝、サンパウロ州に入り、途中ドライブインのバイキングで昼食。ラモン家を出てからちょうど24時間、800km走ってサンパウロの日本人街に戻った。

サンパウロの街は巨大都市で汚く、不気味な落書きだらけで、心理的に怖い。人々もガラが悪い。目つきも険しい。褐色系の人が多い。

初め一ヶ月サンパウロにいたときは気が付かなかったが、豊かで穏やかで治安の良かったフロリアーノポリスから来ると、同じブラジルとは思えないほどだった。サンパウロに戻ると身の危険を感じる。サンパウロやリオの治安が世界でも悪い理由がよくわかった気がした・・・

広大なブラジルでは、南部では白人が住むが北東部では黒人が多く住むようになるし、アマゾンの方に行けばまた違うことだろう。今回はブラジルにあまり踏み入れなかったが、次回こそは是非ブラジルをくまなくまわってみたいものだ。

–第12章–

おわり

★次号の予告★
来月号13、14章は、南米ブラジル、パラグアイの大地に根を張る日本人移住者の生活に焦点を当てます。13章はイグアスの滝、アジアな街、日本移住地を訪れます

お楽しみに!

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