世界一周13 南米日本人移住地の生活 (前編)サンパウロとイグアス

サンパウロから西へ、パラグアイの日本人移住地へ。もうひとつの日本を発見する。

第13章 ブラジル パラグアイ編
(2000年11月9日~11月22日)

●カリスマショップ
●高原から海への眺め
●南米のアジアで物にあふれる
●いよいよ日本人移住地へ
●日本語放送
●パラグアイの宮沢賢治氏

ブラジル
通貨1へアル=60円  ・ガソリン 90円  ・宿 480円~ モーテルも多い
・昼食バイキング 230円  ・シュラスコバイキング 500円
・Fiha(小さいピザ) 21円  ・トルコ・ケバブサンド 30円
・フランスパン 10円
・パスティス(揚げ餃子風で、インドのサモサみたいだ)?円 ・玉葱3個 35円
・ガラナ2L 38円 ・牛乳1L 100円  ・卵12個 77円
・牛肉100g 34円   ・洗濯洗剤1kg 150円
・弥勒米5kg(ブラジル産日本米) 510円
・豆腐 90円 ・即席ラーメン 33円

パラグアイ
通貨100ガラニ-(ガラとも呼ぶ)=3.3円
・ガソリン72円 ・宿 500円~  ・石鹸 31円
・コカコーラ2L 133円  ・ビール1L 100円 ・牛肉100g 18円
・日本米10kg 750円  ・パンチョ(ホットドッグ) 35円

近くには世界最大のイタイプーダムがあって、パラグアイ国内では過剰供給な位発電できるのに電気代がなぜか高いし、停電がひどい。

※パラグアイ人家庭、アントニオ家に居候した時の食事例
昼 ソパ(スープ。豚骨、野菜など入る)、御飯。マンジョカ、サラダ、生メロンジ ュース など

パラグアイの家庭だが、日本人移住地、イグアスに住んでるので御飯も食べる。日本人にとってなんと有り難いことか。

夜 牛かつ、お好み焼きみたいなの、御飯。イグアスには湖があり、釣った魚も味わえた。小魚は唐揚げにして、テラピアは醤油とわさびで刺身にする。どれもうまい。

※イグアスに住む日系人の食事例
御飯、みそ汁、自家製の漬物、冷やっこ、もろきゅう、卵焼き、鳥肉の煮物、牛かつ。

こうしてみると、パラグアイに住む日本人の食生活は本国と同じ。ただ海から遠いので、海魚は少なく冷凍物しか手に入らないが、近くの湖で釣りをして、テラピアや黄金の魚、ドラードを捕まえて唐揚げや刺身にする。

ここでは日本茶や麦茶の代わりにテレレを飲む。テレレとは、レレレのおじさんの公式飲料ではなく、マテ茶に冷や水を注いだもの。

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マテにお湯いれると、効きすぎてとても苦いが、テレレならマテの風味もほどよく効いて麦茶のようにさわやか。
マテ茶は非常に安く、栄養あるので日系人もテレレは欠かせない。

それらのせいか、日本で生まれた純血な日本人も、移住してパラグアイで育つと、風貌もパラグアイ人に似てくるのだ。

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カリスマショップ

フロリアーノポリスでの3週間の居候生活を終えて、一ヶ月ぶりに戻ってきたサンパウロの日本人街。

街を歩くと、相変わらず「そご」の看板があるが、初め来たときとは違い、昼間の気温も33℃もあり、日も長くなった。心なしか街も陽気になった気がする。

「ブラジルはサマータイムを導入しているので、一年間で10億ドル分のエネルギー節約になるのだ」とジョアキンが言っていた。

宿では、世界一周ライダーのごん(鈴木けいじさん)と出会う。彼は浜松出身で、ヤマハのTT250Rで豪州、アフリカ縦断、欧州と来て、ロンドンの日本レストランでアルバイトした後、同じくブラジルにやってきた。自分と同年代でもある。

世界や北中南米を走るライダーが必ずといっていいほど立ち寄るサンパウロのバイク店に行く。その名もモトサブロー。

サンパウロの日系バイク店で、経営者は沖縄出身の安次富長三郎氏。アメリカのカラテ映画、「ベストキッド」に出てくる空手老人そっくりの雰囲気だったが、

「自分は今65歳だけど、心は18歳」
と言い切る長三郎さんだった。

中に入ると、日本から輸入した大型のリッターバイクがずらりと並んでいる。ブラジルにも大型バイクがあるんだととても自慢げだった。

しかしブラジルでは走っているのは大半がホンダCG125などの現地製の小型バイクで大型はほとんど走っていない。

なぜなら、強盗に盗まれるからだ。

高級車でもある大型バイクに乗っていると、二人乗りのバイクが追跡してきて、銃でホールドアップさせられるのだ。おかげで大型バイクを半年で2台盗まれた人がいて、気をつけないと本当に恐ろしい。

この町では恐怖と隣り合わせで走らなければならない。だからこの店も、門と店内のシャッターで二重に保管されている。

私のバイクはノイズがひどかったので、長三郎さんに見てもらうと、エンジンとマフラーの付け根の間が漏れていたので、それが原因だという。このまま走るとまたダメージになるそうなので、ネジをうまく深く入れてそのまま走ると、エンジンも静かになり目の前も一気に明るくなった。

そしてゴンチャンもあとからやってきて、モトサブロー氏の立志伝を聞くことになった。若い頃沖縄から大阪にやってきて、そして60年代後半にサンパウロに移り住んだ。
バイク屋を始めた当時でも月収400ドル(144000円)だからかなりの高収入だったわけである。

大阪にいたときは東京よりも人情が厚いとか、今住むんならブラジルよりも安全で高収入のカナダやアメリカに移住したいと言っていた。今更ブラジルに住んでも危険でろくなことがない。豊かな国に移住するべき、と強調。

そして、戦前の日本では朝鮮人だけでなく沖縄人も差別を受けてきた、と言う。
大戦で真っ先に地上戦となって焦土と化したのも沖縄。

「いぢめた人は忘れるが、いぢめられた人はそのつらさを忘れることが出来ない」
と、遠い祖国の日本に対して複雑な気持ちを露呈していた。

モトサブローさんの情報ノートには、日本からのアドベンチャーライダーたちの情報の書き込みや手紙がずらり。滝野沢優子さんなど雑誌などに名を連ねている人も沢山いる。
自分も遠いアジアやヨーロッパの情報を惜しみなくしっかりと書いておいたが。

ところで、これを書いている2006年現在と、2000年以前の前世紀の違いといえば、やはりインターネットだろう。国境という概念をなくしていつでもどこでも瞬時に情報を求めたり受発信することができる。

このころもネットはあったが、ネットカフェにあるのはWin95ですぐにフリーズしたりでまだまだ不便で成長段階だった。私が旅先でメールやネットを使い始めるようになったのはこれよりまだ後である。

私がオートバイで世界一周する前の1999年以前は家にはパソコンなんてなかったし、ネットがあったとしてもまだ普及しておらず、当時のダイヤルアップの通信料の高さでおちおち見れなかったろう。

ネットも金もなかったそんな時、どうやって情報を集めたかというと、専ら図書館へ行って海外旅行記などの本を借りて読むぐらいしかできなかった。一冊の読みたい本のために自転車や単車で何件も図書館をあたったこともある。本だけが頼りだったのであとは手探りで自力で行っていた。

あの時は情報集めは手探りで苦労していたが、それと同時に1冊の本で未知なる世界の旅に期待が爆発、読んでるだけですごく楽しかったのを今でも覚えている。

世界一周にでてからも、日本語のない日々なので、海外での日本語図書館の本や、旅人宿にある貴重な情報ノートを、飢えた狼の気持ちのようにむさぼるように読んでいた。

しかし現在。ネットのブロードバンドかによって家から一歩も出ることなく、旅の情報、所持品の持ち方、旅のせんぱいの書いた日記をいくらでも読むことができる。しかも実感があるので大まかにわかってしまう。旅先のネットカフェにて、BBSやメールを使ってどこどこの日本人宿で集まって〇〇日はパーチーだ!ということすらできるようになった。

前回の自分のアジアの旅(2005)だって、辺境の田舎の町にいてもネットカフェにいれば大量の最新の情報がドドドっと読めるのでまるで日本にいるのと変わらないぐらいだった。しかしその隣に坊さんが座っていたから不思議な気分になるが。

ネットは非常に便利でありがたいものだが、贅沢な悩みとして、「適度な情報への飢え」と未知なる旅先への感動も去勢される事にもなる。

この「デジタル化」を境に海外を目指すライダーも随分と伸びたと思われる。
20世紀は世界一周というと、情報が限られてある意味ハングリー精神な人ぐらいしかできなかった。

話はそれたが、宿ではゴンチャンの他に、一人旅のおねえちゃんと知り合う。彼女は30歳だが、とても若く見えるしプロポーションもばつぐんのメガネ美人。
だからリオでは男につきまとわれたほどなのだ

世界を一人旅する女というと、なんかクセがあって男勝り、というイメージだが、彼女の場合は親しみやすく、根はまじめなので、すっかり仲良くNHKの衛星放送を見て過ごした。

そんな久々に心洗われる思いをして、パラグアイへと出発したのだった。

高原から海への眺め

サンパウロを出発し、80km南の港町、サントスへ南下する。

途中、標高800mのサンパウロ高原と、サントスの低地を分ける絶壁がある。
そこから眺める港町サントスは絶景!平地や湖、港や海が手にとるぐらいに見わたせる。

サンパウロから峠までは片側3~4車線のハイウェイだったが、峠は絶壁のつづら折だ。
峠を下ると、一気に低地が広がる。港町サントスに着くと、より生ぬるい風が吹いている。

サントスはコーヒーの港。そして移民の上陸地で有名だが、今の港はとても静かで、潮風で赤く錆びた建物や線路などが、より哀愁を漂わせている。

サントスの隣のグアルジャーは、打って変わってビーチに沿ってリゾートホテルやコンドミニアム(高層マンション)が果てしなく続く。サントスやグアルジャー自体は人口は多くないが、巨大都市のサンパウロを控えているので、コンドミニアムの需要が多い。リオをも凌ぐ摩天楼ぶりかもしれない。日本では考えられない規模だ。湘南全域の建物を一極集中したような感じだろうか。

そんな風景を見ていると、ブラジル人はホリデーを充実させている表れということがわかる。

高度成長やバブルあたりの時期ほどではないにせよ、経済大国の名の下で、いまだにガツガツ働かされてストレスまみれの日々で、そして世界でもまだまだ安全な国なのに関わらず、震災や犯罪など、いつも何かに怯えているようなわが国から見ると、人生を豊かに楽しんでいる気がして実にあさましく思う。

明日は明日の風が吹く、というアルゼンチンの諺がある。
ブラジルやアルゼンチンなどの国は、経済が破綻しようが強盗がやって来ようが、うまいステーキとワインで歌い踊って日々の人生を楽しんだものの勝ちなのである。

サントスからは、パラグアイに向けて西へ走る。クリティバからは片側一車線になったが、交通量も信号も無く走りやすい。だけどパラナ州の場合、何度も料金所で金をとられる(数十円~百円以上)のには参った。

ブラジル側の国境の町、フォズ・ド・イグアスに着いた。この町は南米では珍しく、レバノン系などのアラブ人が住んでいる。アラビア文字やリーゼントにヒゲおやじの写真、例によってスカーフをかぶってコート着て歩くイスラムの女性など、あのビキニ丸出しの南米のイメージとはえらい違う。ムスリムはイランやトルコ、そしてパリ、ロンドン以来だ。

フォズの町から南へ行くとイグアスの滝とアルゼンチン国境。
パラナ川を挟んで西へ行くとパラグアイのシウダーデルエステの町。
これぞ南米のゴールデントライアングルで、この国境地帯も面白い。

イグアスの滝は、本当にど迫力。ナイアガラよりも規模が大きいようだが、水しぶきもすごく、大雨で濡れた気分になるが、スカッと晴れていて気持ちいい。女の子の上着が濡れると透けるわけで、セミヌードより淫らになるからさらにたまらんぜ!

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そのあとイタイプーダムの水力発電の博物館を見て、いよいよパラグアイへ。

対岸のエステの町を見ると、ビルが林立している。ブラジル西端のフォズの街とパラグアイ東端のシウダーデルエステ(その名の通り、スペイン語でも東の町、という意味)の街はつながっているので、国境の橋はすごいバイクと車の活気で大渋滞。

やっと橋をわたり、自分だけ呼び止められてチェックを受けた。入国手続き後、パラグアイに入国すると、そこには思いもよらぬ街並みが広がっていた。

南米のアジアで物にあふれる

そのすごい街、シウダーデルエステは小国パラグアイ唯一、いや世界でも指折りの自由貿易の街なので、めちゃくちゃな熱気だった。

ブラジルから来ると、一気に街並みが変わる。街も少し色あせていて路上もゴミゴミ雑然としている。まるでヨーロッパからいきなり混沌とした東南アジアに来た気分だ。

歩道はおろか、車道にまで露店を並べるというエネルギッシュぶり。
路地裏に入ると、ダンボールを台車でせわしなく商品を搬入している中国人やパラグアイ人でいっぱい。まるで大阪の問屋街のようだ。

隣接するブラジル側のフォズドイグアスではアラブ系が多かったが、この街では一転して中国人や台湾人が多く進出しているので、中国からの製品を大量に輸入して売りさばいている。
東南アジアの国々では華僑が進出してその国の商業面を握っているが、遠く離れたこのパラグアイの東の町も然りだった。だから醸し出す活気が東南アジアの都市にいる気分なる所以なのだろう。どちらにせよ両都市とも個性に富んでいる。

車道まではみ出す露天を覗くと、中国製の安物の時計やカメラ、ラジカセやサングラス、テトリスのミニゲーム機など、威勢良く売られている。

テレビやビデオカメラなどの高価な電気製品や宝石などを売っている店に入ると、カオスな外とは違って店内は落ち着いている。

しかし、店員はみんなミニスカートを履いた厚化粧の若い中国女性だった!
そして店内の装飾は赤色なので、いやがおうにも中国色100%の店内。

お色気を使ってまで遠い異国で商魂を発揮する華僑の力には圧倒されるばかりだった。

次は、台湾人経営と思える「南美商場」(南米商場)と書かれたデパートに入る。
3階建てのデパートで、日本の昔のデパートをさらに質素に大ざっぱにしたような店内には、ボールペンの山。南京錠の山、接着剤の山。おもちゃや電卓、文房具の山、山、山。

ここは卸売りの店なのだが、個人にも販売してくれる。だからめちゃくちゃ安い。
日本で百円ショップで売られているものが、ここでは数円~20円ぐらいで手に入るほどだ。
こういう店で仕入れて、ブラジルでモグリの露店に供給するのだろう。

この南美商場でいろいろ買ったが、たとえば中国製単三乾電池が24本入りで70セント。
この街ではパラグアイでも例外的に米ドルが流通している。勘定は米ドルで払ったが、一ドル未満のお釣りはなぜかブラジルのコインで返ってきた。

さて、喜び勇んでその電池を使ってみると、すぐに電池切れになってしまう。嗚呼、まさに安かろう悪かろう。欲を出したがゆえに安物買いの銭失いとなった。

シティバンクで米ドルキャッシュを下ろし、しばらく行くと突発的ミニチャイナタウン。中国人の若者がぞろぞろ歩いているが、日本人の姿が見当たらない。

香港、マイアミ、そしてこのシウダーデルエステが三大自由貿易都市とのことだが、モンテビデオとは正反対のこれからの発展がおもしろいエキサイティングな街だった。

エステから首都のアスンシオンに東西へ延びる国道Ruta7(ルータシェテ)。 エステから西に42kmのイグアス日本人移住地に向かう。

しかし、その途中で道端で検問中の警察によびとめられた。

警官は速度計と警察手帳のメモを指差して200と書き始めた。
「オマエハスピード違反ヲシタ!罰金200USドルダ!」ということなのだ。

他の車に合わせて75km/hで走っていたのに、なぜ!と言うと
「”モト”ハ50kmデハシラニャアカン」
だと。安全な直線道路で速度制限標識もないし警官はレーダーすら持っていない。理不尽で幼稚な小遣い稼ぎなのは見えみえだ。のっけから悪徳警官さまの登場である。

頭にきたので、「ふざけんな!絶対に払わんぞ!」と警官に向かって叫んでやった。
だけど最初にパスポートを渡してしまったのでどうにもならない。クソー。

腹の虫が収まらないのでジャケットを地面に叩きつける。だが警官はヘラヘラしてるから、作戦を変えて冷静に考え、粘りに粘ってみることにした。

抗議の姿勢を見せるため、持ってきたパンや菓子でその場に座り込んで食う。時間稼ぎにもなるしちょうどいいタイミングのはらごしらえだ。

笛でもあったら吹いてやりたいぐらいだ。もしゲームボーイとかあればより時間が稼げ
るだろう。こうなったら基地外のふりして気持ち悪がらせようかとも思った。すると

「それじゃー100でいい。いや50でもいい。うーんそんなら20でどうだ!」
と、値段を下げてきたが、それでも払わん!と動かないでいると、警官の手にスキが出てきたので、電光石火の如くパスポートを奪い返し、すぐさまエンジンをかけて猛発進でその場を脱出した。

「カッカッカ、ざまーみやがれ!」
えもいえぬ解放感と勝利を味わうとともに、バカヤロウ!と怒りでいっぱいだった。
金のある東洋人はいいカモなのだろう。おかげでとんだ時間の無駄になった。

いよいよ日本人移住地へ

やっと42km地点についたが、日本人移住地らしきものは見当たらない。
とりあえず国道を横に外れて未舗装の赤土の道を進んでみたが、

「本当にこんなところに1000人も日本人が住んでいるのか?」

と、不安になった目の前に、赤い鳥居が現れた。さらに走ると野球場。

ここがイグアス日本人移住地だったのだ。

どれも近代的なものではなく、遠い昔の日本の田舎に来たような感じだった。

日も暮れて、寝場所を探す。今思うと僭越的な考えになってしまうが、イグアスではどこかの家に泊まりたかった。私は南米移民に興味があり、地球の反対側の大地で暮らす日本人の生活をこの目でじっくりと見たかったのだ。

そうやって村の中をトコトコ走っていると、農協の敷地内のGSでパラグアイ人のおじさんが呼んでくれた。

私はモロでたらめなスペイン語で「どこかに泊まりたいのですが」と話すと、「それならウチに来て」と言って下さったので、もう二つ返事で喜んでついて行く。

おじさん(アントニオさん)の家は、奥さんと子供と小さい孫たちなど9人の大家族。家族はみんな純粋なパラグアイ人だが、ここは日本人移住地だけあって少し日本語が話せる。娘さんたちも何人か日本へ嫁いでいる。

人望が厚いアントニオさんたちは日本人のアミーゴが毎日のように家にやってくるので、思いっきり日本語を話すことが出来た。

居間のテレビ。ここで映るのは、ブラジルの放送だった

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空いている部屋に泊めさせて頂いた。

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家の目の前。日本人移住地なのだが、道は国道以外はすべてダートで、なんと牛車が。まるでインドのようだ

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早速、通訳をかねた一人の女性がやってきた。パラグアイ人とのハーフ、池田ユミさん。まだ17才で、彼女の通うイグアスの日本高校ではスペイン語科と日本語科があるが、ユミちゃんはスペイン語科。

だからバイリンガルで、彼女と話してる分にはまるで日本にいる女子高生と話している気分だ。だけど日本の新聞を見せると、漢字とかわかんないから読めないと言われた。

そして彼女はお笑い芸人に興味があるのか、関西弁が好きだという。考えてみればイグアスは日本各地から移住して来るので全国の方言が交じり合う。当然関西弁のイントネーションも楽に聞けるわけだ。

彼女の運転する車で(といっても彼女は17才でまだ無免許だった。国道でなければ、無免許でもどうにでもなりそうだが、さっきの国道でやはり同じように仲間が警官に捕まったときは100ドルも払ったと言っていた。)小さな食堂風のレストランへ。

そこにはユミちゃんのお父さんがいた。そのお父さんともう一人の友人は同期。お父さんの出身は福岡で、その友人は北海道と別だが、同じ移民船で南米にやってきたので結びつきが深い。

そして次はカラオケバーに行く。建物はパラグアイな感じだが、中に入ると普通のカラオケバーで、日本にいるのと変わらない。ユミちゃんは自慢のアムロの曲を熱唱、おじさん連中は石原裕次郎を唄う。こうしてイグアスの夜が過ぎていった。

翌日、昼食はいつも庭にテーブルと料理を出して食べる。
そしてこの家庭では白いご飯が出てきた。ひさしぶりに食う白飯はもう感激。

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アントニオ家では過去に自転車やバイクで旅する日本人を世話しており、去年(1999年)はバイクで世界一周中の「ひげ大王」ことK・Kさんが10日ほど泊まった。

午後になって、イグアス日本移住地を散策する。路地や通りは全てダートだ。昔の日本の農村もこんな感じだったのだろうか。

日本公民館の図書室に入ったが、小さな図書室の本はとても古く、農業関係の本が多い。今や日本の農業大学ぐらいにしか置いてないような年代的農業書物もある。セピア色に色褪せた本は、開拓者たちの汗と苦労と英知が読み取れる。

自分的には興味を引く本は無かったが、イグアスやこのあたりには日本の本屋はない。
今の日本の本や雑誌が読みたいのなら、何人かで金を出し合って高い金を払ってイグアス農協で注文し、みんなで回し読みするという、涙ぐましい努力をしている。

移住地には「石橋商店」や、「東京スポーツ」(あの東スポのことではなく、スポーツ用品と雑貨屋の名前)があるが、開店時間は朝6時半から夕方6時までという、早寝早起きがたの営業時間。日本的な店なのだが、ここで売っている音楽CDやゲームソフトは日本版ではない。たしかCDはUSAや南米のもので、ゲームはUSA版だった気がする。

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店を出ると、昨日カラオケバーにいた店員の若い女性がいた。テレレを片手にすっかりくつろいでいる。ここでは日本茶ではなくマテ茶なのだ。夜の7時から深夜1時ぐらいまでカラオケバーを手伝っているが、昔はこのイグアスでラーメン屋を営んでいたのだった。

両親は日本から移住してきて、彼女はイグアスで生まれ育った純血な日本人。イグアス移住地でも日本語で生活している24歳だが、実は彼女は一度も祖国日本に行ったことがないのだ。だから彼女の話し方や言葉も、日本の同世代と比べると若干古風だ。

同年代の人は日本に働きに行ったり学校に行ったりしているので現代の日本の味を覚えてイグアスに戻ってくるのだが、そんな彼らが
「あのコンビニの148円のOXOはうめえよなー」
「OX駅近くのあの店はおすすめだぞ」

なんて会話になっても、彼女は日本に行ったことがないから話の内容についていけない。笑ってごまかすしかないのだという。

※イグアス移住地には、国道沿いに素朴なスーパーもあって日本食品も売っているのだが、家の近くの商店といえば、こんなふうにとても質素。

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そして彼女が言うには、
「幼稚園の頃、友達の男の子なんか毎日ドロまみれになって遊んでいたんだけど、そんな野性的な彼がパラグアイを離れていざ日本に住んでしまうと、『もうあんなキタないイグアスには戻れない』なんていうのよ。信じられる?彼なんかもっと汚かったくせに」と笑った。

「だけど私はここの生活に満足している。こうやっていつまでもゆっくりくつろげるからね」

そんな飾り気のない明るい彼女はバーの人気者なのだ。

日本語放送

夜、イグアスのFM局に行った。
最初来た日、ユミちゃんの車の中から、突然日本語が流れてきたのだ。
「こんなとこで日本のラジオが聞けるとは思わなかったでしょ?」

と彼女は言ったが、日本から遠く離れた南米のど真ん中でまさか日本語のラジオが聞こえるなんて、ある意味動揺にも似た強烈なショックを受けた。だからどんなものなのか興味がわいたのだ。

パラグアイ式の一軒家のようなのがFMイグアスだ。中のスタジオは小さく、周辺は畑なので外から大量に虫が侵入してくる。

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FMイグアスはパラグアイの放送局だが、平日夜の二時間、「JAPAN MUSIC」という日本語放送をする。

番組の内容は日本の曲のリクエストや、トーク、お知らせ(地区対抗バレーボール大会やアサード(BBQ)などの内容と、さっきの東京スポーツなど日系の店が提供するCMまでも流れ、番組としても充実している。

根本的には日本のコミュニティFM局と変わらないが、なによりボランティアがパーソナリティとして放送しているので、中学や高校の学級放送のようなノリである。イグアスの若者の溜まり場でもある。

CMも素人丸出しのつたないCMが、それゆえにいい意味ではじけていてめちゃくちゃ面白い。謎解き問答でダジャレで押し通すCM、水戸黄門のBGMとともに黄門様のまねをするCMなど。日本以外の国だからこそなせる技だ。

だけど中には大手FM局と引けをとらない内容の渋いCMも作ってあるので感心してしまう。

リクエストの曲に関しても、日本に住む仲間が最新の局をMDに録音して送ってくるので、遠く離れたイグアスでも最新のJ-POPが流せると自慢していた。
2000年11月当時でKinkiKids、ポルノグラフィ(サウダージ)、モーニング娘。が流れていた。ジッタリンジンやX-JAPANなどのちょいなつかしいのも流れていた。

それにしてもこんなパラグアイの名もない町で、日本語の生放送が聞けるとは夢にも思わなかった。本当に驚いたものだ。

パラグアイの宮沢賢治氏

居候中のアントニオさんの家には、移住地に住むさまざまな日本人がやってくる。
その日は、日本人男性とハーフの若い女性のカップルがやってきた。

男性の方は30代で、岩手出身。イグアスで育ち、20代の頃岩手に戻って農協に勤めた後、イグアスに戻ってきた。出身地も人生もさることながら、素朴な雰囲気の彼はさしずめ宮沢賢治のようだった。

彼はアントニオさんの家族とはスペイン語で会話していたが、イグアスで覚えたスペイン語も、日本ではぜんぜん使わなかったのでイグアスに戻った頃は全然しゃべれなかった、と言っていた。

そして女性の方は、晴美さんといって、名前だけだと日本人に聞こえるが、パラグアイ風の顔立ちで、背が高くスリムでモデルそのもの。そして彼女はまだ18歳!女子高生!

そんな彼女と中年男性が婚約するとはビックリしたが、やはり「賢治」さんの温厚でまじめな性格が晴美さんの心を射止めることが出来たのだろう。いかにもイグアスらしい話ではないか。

–第13章–
おわり

★次号の予告★
今月号13、14章は、南米ブラジル、パラグアイの大地に根を張る日本人移住者の生活に
焦点を当てます。14章は日本人移住者の現実などに迫ります。

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