世界一周17-1 ペルー編2・決死のアンデス脱出 古代インカ帝国の朝

第17章 ペルー サバイバル編
(2001年1月22日~2月17日)

ペルー
通貨1ソル=33円 ・ガソリン 70円 ・宿 330円~
・I’net  66円/h

定食:牛と玉葱煮、ライス、スープ、水に近いジュース 66円 ペルーの定食もうまい

・じゃがと牛肉串 33円
・ペルー名物・インカコーラ 1.5L 116円(黄色いので、別名小用コーラ。
かなり高いが、類似品は安い。)

※秘魯之利馬(ペルーのリマ)中華街有。
・チャンポン 217円
・CHIFA(小皿に焼飯とあんかけそばをのせたペルー風リヤカー屋台中華。そんなにおい
しくはなかったが小腹がすいた時に最適。) 33円

・Cha Siu Pau 99円 (肉まん・焼豚包。高いだけあって角切りのチャーシューが入
っており日本のコンビニのよりうまい)



決死のアンデス脱出

その時、クスコの安ホテルのレセプションに立っていた。

カウンター越しにいるのは南米では珍しく英語の話せる青年だった。
お互いへたくそな英語で話したのだが、なぜか意気投合したのか気が付けば1時間も話してしまった。

自分にとって南米は言葉が通じない電波圏外的エリアだった。話したくても話せない。
理解したくても解らない。しかしここで色々話すことができたため、イランの韓国女性旅行者・パックの時と同じく、お互いのフラストレーションが開放できたのかもしれない。
あらしの前のくつろぎ背伸び運動と言うべきか・・

そして、出発の日。ただの出発ではない。
「よし!こうなったら、行けるところまで行くしかない!」
いちかばちかの覚悟を決めてクスコから再びナスカへと向かった・・

クスコから100km走ると、谷になっている。ここで前回エンストして辛酸をなめる結果となった地である。
まだまだエンストする気配はない。そして一山越えてアバンカイの町についた。

そこから先はダートの凸凹道が始まる。運悪く雨季の最中なので道には何本も川が流れていて行く手をさえぎっている。川は浅いが、流れは急なのでひとつ油断するとバイクごと谷底へ流される。ずぶ濡れになりながら命がけでクリアした。

アンデスは苦難の連続。

今度は目の前に土砂崩れの泥で、道路がふさがれていた!

雨の中、ぐちゃくちゃの泥をどうやって越えたかというと、右のつづら折の標識のあたりから登って突破することができた。

泥道が続き思うように進めず、夜が来て真っ暗になった。しかもこんなところでまたバッテリーが完放電して動かなくなったのだ!

このあたりはゲリラの出没地帯でもあり、一時はバスすら通らなかった危険地帯だった。
そんなところで真っ暗闇の中動かなくなると言うことは、野獣の棲むジャングルに放り出されたのも同然。このときばかりは、真っ暗闇の恐怖の中、本当に死を覚悟した。

そのせいか、前回のエンストとは違って「心頭滅却すれば火も自ら涼し」と、冷静に判断することができた。

「もし、最悪の結果になっても、夢を果たしている最中に死ぬのならそれも人生だ!もともと生きて日本に帰れるかわからないリスクを背負ってここまで辿り着いたんだから」

と言うロシアンルーレットのような気持ちも、一瞬よぎる。

しかし、何も見えぬ暗闇の中、次第に恐怖心のほうがこみ上げてくると、そんな考えは押しつぶされ、一刻も早くこの場を脱出しなくては!という気持ちに変わる。

このままでは遭難だ!

必死で助けを求める。

・・そして、運良く白いランクルがやってきた。それはなんとパトカーだったのだ。

日本でも高級車である新型ランドクルーザーのカッコいい大型四駆が先住民の住む田舎道で見かけたのは場違いな気もするが、そんな四駆がパトカーに採用されているということは、
「ペルー国家にもこれだけ金力があるんだ、抵抗しても無駄だぞ」
という反政府勢力に対する誇示的なものが読み取れた。

ポリシアのほかにも一般人が乗っていた。警察の方と応急処置的にプラグコードをいじってみたが、直らなかった。原因は他にあるらしい。

そうしているうちにバッテリーが少し回復したのか、もう一度エンジンがかかるようになったが、すぐにエンスト。それを繰り返しながらやっとの思いで小さな集落に着いた。

すぐに電気修理屋風の店でバッテリーを充電してもらい、寝るところが確保できた。しかしこの村には電気も水道も通っていない。電気は発電機と太陽光によるものだ。

宿といっても、ガレージ風民家の中に何個かのベッドが並んだ寄宿舎のような宿だった。

翌朝。夜来た時は村も真っ暗で何より自分は必死だったので判らなかったが、起きてみるとここは山に囲まれたインディヘナの小さな村ということがわかる。アフリカや東南アジアの少数民族が住む山村をも思わせる。

向かいの小さな食堂でライスにマカロニと牛肉の煮物。コカ茶の朝食。約85円。
店ではマカロニとクラッカーとインカコーラしか売っていなかった。

コカ茶やコカの葉は高山病の症状に効くというので、アンデスの民にとってはごく身近なものである。

コカの葉を化学的に特殊精製加工したのが麻薬のコカインになる。なのでただのコカの葉とコカインはまったくの別物である。

子供たちが村を通る車やトラックを囲んで、じゃがいもや野菜、菓子などを売りつけている。アンデス山村部は教育の機会が無いので、こうして働いている。貧しくても子供たちは力強く生きていた。

伝説の太陽のインカ帝国の名残とあってか、太陽光で充電したバッテリーを受け取る。
同じく太陽電源で動いている型の古い無線機が現役で使われていた。

出発し、チャカの町を過ぎると舗装路に戻る。スムーズに走れるようになりホッとする。

標高4300mの高原は曇り空。民家もあるが影に雪が残っている。放牧が行われている。村の子供たちはアンデスの民族衣装を着ているが、入浴も洗濯もままならないだろう。
谷底の町まで降りて、寒さに震えながら遅い昼食。

また山を越えると雨が降ってきた。太平洋岸のナスカでは、全く雨が降らない(だから地上絵が残るのだ)のに、ちょっとアンデスに入ると鬼のように雨が降る。不思議である。

冬場、関東地方は晴れているのに山を越えた日本海側は雪が降っているのと同じことだと思う。

いよいよ、ナスカまであと100km。気温3℃。雨も止むと同時に標高4000mのこの地点から一気にアンデスを下る。
3,2,1000mと長い山道を下り、ひさしぶりにパンアメリカンハイウェーに戻ったのだ。

道も平坦で、空気が濃くなったのでジェベルのスピードも上がり一気に快調に走れる。
ナスカの町に入ると、そこは夏だった。

何が驚いたかと言うと、アンデスは真冬同然で、土で色あせた分厚い民族衣装を着ていたのに、ナスカではみんなTシャツだけの格好だった。

町の雰囲気も熱帯的な東南アジアとそっくり。同じペルーといえど、シェラ(Sierra:アンデス山岳地帯)とコスタ(Costa:沿岸地方)では、まるで別の国といってもいい。

宿に入ると、周りの人はTシャツだとかキャミソール一枚といった格好なのに、自分は防寒具や雨合羽を着た真冬の重装備のままだったので、はたからみれば異様な感じで自分だけ見事に浮いている。だけど標高4300mの地からここまで降りて来たのさと、我ながら誇り高い気分だった。

気温も3度の世界から一気に25度も上昇したのだ。
命を張って精一杯走り抜けたアンデス越えは、まるで昨日のことを思い出すように強烈な印象だったのだ。

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