世界一周18-2 コロンビア編 魔都メデジンの雄叫びと、吉川ひなのを見た

●警察のFMステーション
●コロンビアで吉川ひなの発見
●魔都メデジンと意外なコロンビア

コロンビア
通貨100ペソ=5.8円  ・ガソリン 51円  ・宿 348円~
定食: スープ、ステーキ、ポテト、ライス、豆の煮物、目玉焼き、豚脂揚げ、サラダ。以上で232円。
・コーラ40円  ・焼肉串 29円 ・靴下 169円
・フィルム36枚撮 272円  ・プリクラ 290円(FotoJapon)

警察のFMステーション

2001年2月28日、コロンビア入国。
この国はゲリラが道路を封鎖して強盗するなどという話を聞いた。特に南部山岳地帯は尚更激しいので、より緊張のさなか走る。

山道を走ると、緯度的には熱帯だが、まだ標高2500mの地で温帯広葉樹が山を覆っているので、まるで長野県にいる気分である。険しい山道から谷底を見下ろすと、すごい迫力だった。

その谷底へ下り、谷に架かる橋を通ると、日本アルプスを越えるような道が続く。
峠付近は寒いのに、谷は標高900mなのでむわーっと暑くなり、汗が噴出してくる。

やがて険しい山道は終わり、標高600~700mの盆地になる。気温34度。久々の暑さだ。長野からタイにワープした気分だが、また黒人が多くなりやはりエクアドル同様標高による人種のすみわけが行われていた。

コロンビアの首都サンタフェ・デ・ボゴタは人口600万人の大都会だが、標高2600mにある位だから低地では暑すぎて都市が発展できないのだろう。

村々を通ると、エクアドルと違い迷彩服と機関銃で装備した兵士が点在して見張っていた。ゲリラなのか国軍兵(ミリタール)なのかはわからない。

そういえばイラン南東部でも砂漠の中にトーチカが点在しており、兵士たちが警護していたので、走っているとその時同様の緊張感を強いられる。

18時30分になると急に暗くなり、しかも土砂降りになった。
このあたりで夜走るということは絶対危険なので、山の中の国道沿いの、日本にあるような観光ドライブイン兼旅館のような宿を見つけたので、なだれ込むように入る。ホッと一息した。

部屋でラジオを聴くと、♪ポリシアナショ~ナール♪と、何度も聞こえる。
なんと警察局が運営しているFMのようだ。

まあ、ケーサツのFMだから、渋滞情報とか治安情報を流すのかと思いきや、大間違い。
他のFM同様、音楽も流すしDJのトークもかっこいい。
何より流す音楽もUSのヒットチャートが多く、野暮ったくやかましいだけの南米の歌謡曲ばかりに食傷気味だったので、(インドにいた時もマサラミュージックばっかだったので同様に食傷したが)この警察FMがすっかり気に入った。

なぜ、警察がFMなんかやるのか、というと、情報や娯楽を与えるのはもちろんとして、住民側がゲリラ側に寝返らないようにするために、その手段の一つとしてFMを流している、なんて思うのだが。

警察や軍、そして反勢力のゲリラ。いったいゲリラってなんなんだろう。
確かに、ペルーのセンデロ・ルミノソ(輝く道)は、イスラム原理主義勢力でいうハマスやアルカイダのような過激派ゲリラだが、かつてゲリラ活動をしていたコロンビアのゲリラ、M-19の場合は、合法化され政治活動も行っている。
ゲリラって言うと日本人からすれば残虐非道なイメージがするが、逆に横暴な国家権力側に反抗するM-19のようなゲリラは市民から支持され協力されているという話である。

コロンビアでは、そこいらの明るくて人のよさそうな若者やおっさんがゲリラの一員で、家に銃が置いてあったりする。そしてコカインの原材料となるコカの葉をバックに潤沢な金力があるので、国家権力とそれに抵抗するゲリラ側の力関係も差が縮まると、抗争が泥沼化していく。報奨金をかけて、生活の為に敵対する相手を暗殺し合ったりするのだ。
ようするに国民の何パーセントかはゴルゴ13なのである。

極論からすれば、ゲリラというのは、日本で言う地域消防団とか青年会のような、一種の寄り合い的なものかもしれない。



コロンビアで吉川ひなの発見

コロンビア南部にある第三の都市、カリ。セントロには高層ビルが見えて、エクアドルよりもさらに都会的。標高1000mの細長い盆地にある都市なので、万年夏の軽井沢的気候である。このまま北に進めば最終目的地のメデジンに着くが、首都のボゴダに寄り道することにした。

しかしボゴダへの道は、きつい山道を越えなくてはならず、トラックで大渋滞を起こし、ちっとも進めない。うんざりしたのでボゴタ行きはあきらめて引き返した。

だが偶然通った山の町は、街並みもきれいでイタリアのペルージャやポテンツァを思わせる。
コロンビアはてっきり麻薬とゲリラと犯罪で荒廃した国、というイメージだったが、いざ行ってみると、案外南欧と似ており、近代的で驚いた。この町には後で述べるFOTOJAPONフォトハポンというカメラ屋があるが、そこにプリクラまであったほどだ。

この町で特異だったのが、日没になるとバイクに乗っている人(後ろに乗る人も含む)は全員反射材の入ったチョッキを着なくてはならない。ヘルメットやチョッキにはナンバープレートと同じ番号が入っているが、通りすがりの自分はそんなもの持っているわけがないので、自分だけチョッキ無しで走ってたのですごく心細かった。

安宿に泊まるとうるさいし息苦しいしで辛かった。やっぱり南米なのである。

そして南米の最後の地、メデジン(メデリン)に着いた。
コロンビア第二の都市で、人口200万人。カリ同様、セントロには高層ビルがあったが、そのうちの40階建てのビルは池袋のサンシャイン60にそっくりだった。

標高1500mの都市なので、さらにしのぎやすく、街の電光板は29℃と表示されていた。
日本みたいに電光板で気温が表示されるあたり、この国には余裕があるという現れであった。

メデジンにも、フォトハポンが3軒あった。
といっても、当然日本人向けの店ではない。コロンビア国内にチェーン店を持つカメラとフィルムの店だった。
店の外にはプリクラ、店内には鎌倉大仏や浮世絵の見本写真が貼ってあったが、3分間写真のカーテンにはなんとデカデカと吉川ひなのの着物姿が。

それにしても、なぜここまで日本かぶれしているのだろうか。スペイン語で書かれてなければ日本の店と変わらない。

その答えが日本にいたとき、写真屋で見覚えのある招き猫。不〇家のぺ〇ちゃんや、薬局の〇トちゃん同様、招き猫がこの店の前にたたずんでいた。
つまり、日本の大手写真店と提携しているようだった。FotoJaponの社長の妻は日本人だそうだ。

南米の太平洋岸の国では、太平洋を越えてダイレクトに輸入できるのか、ジャパンネームが健在。エクアドルやペルーの家電店の名前も、「Japon」だった。コロンビアでは、なんと「トヨタ」と言うブランドの時計が売られていたらしい。南米製の工業製品でも、日本的な名がつけば何でも偉い、といわんばかりである。

それはさておき、コロンビアまで来てひなのを見るとは夢にも思わなかったわい。

ひなのはひまなの

魔都メデジンと意外なコロンビア

メデジンは、コカインなどの麻薬で地下経済を牛耳っていた組織「メデジン・カルテル」の本拠地だった。当時は同じくカリの「カリ・カルテル」と争っていたが、現在はメデジンカルテルも廃業し、街は近代的なビルや市内を走るメトロ(モノレール)、そして例の気温電光板などと、思った以上に都市機能のインフラが整っていた。

だけど別な見方をすれば、ドラッグマネーがあったからここまで整備できたのかもしれない。前述のとおり、この手の組織は潤沢な金で建物や教会なども建てたりして「市民のために」還元しているので、善と悪のベクトルが交差して複雑な社会構造になっている。日本の子供向けマンガみたいに、絶対の善と絶対の悪という二元論は存在しない。

そんなDangerousなメデジンの夜の街を歩いた。夜6~7時にほとんどの店が閉まるエクアドルと違って夜も活気がある。まるでバンコクのような夜の街だが、温厚なタイと違い、明らかに不穏な匂いを感じる。BARの密集するあたりは歌舞伎町よりも数倍恐い。そぞろ歩くと言うより命がけのジャングル探検と言った方がふさわしい。

交差点で、変な漢字のステッカーの貼ってあったバスを見つけて、面白いので思わず写真を撮ったそのときだった。
フラッシュを焚いてしまったのでごろつきに見つかったのだ。
「きさま写真を撮りやがったな!カメラをよこせ!カモン!」

と言われたが、自分もでたらめスペイン語と日本語で
「なんでだよ、ふざけんな!バスの写真撮って何が悪い。そんならポリシアを呼べ」

そう言い争っているうちに、ごろつきが腕をつかんできた。

一気に全身に緊張感が走る。一瞬の判断で、殺されないように穏便に収めなくてはならない。そこで私はとっさに、

「キャーーーーー!!」」
と、女の悲鳴同然の金切り声で思いっきり叫んだ。

言い争っていた時はドスの利いた声だったので、ごろつきもその奇声の意外さに仰天したらしく、手を離した。金切り声は遠くまで響くし、周囲には女が助けを求めていると思わせることができたからだ。
作戦は成功!その隙に叫びながら逃げ延びることができた。本当に恐ろしかった!

おかげで、危険な状況でも「芝居」をしてとっさの判断でトラブルを逃れる術というものが大分身についた気がした。

翌朝、メデジン国際空港(ホセ・マリア・コルドバJMC空港)に行くのだが、標高2000mの山の上にある空港だった。
空港ではジェベルをエアカーゴでパナマに送る為の手続きをしたので広い空港内を歩き回った。この空港は千歳空港にそっくりなことに気付く。

エアカーゴのスタッフは、英語が通じなかったが、それでも手続きは4日で終わりスムーズだったし、感じが良かった。
オフィスのキッチンでは、昼食としてアサード(ステーキ)を焼いて分けてもらった。
友好的で教養があるので紳士的だった。だからスタッフに出会ったおかげでコロンビアの印象もがらりと変わった。

確かにコロンビアでもいろんなことがあったが、意外に人々の感じも悪くなかったし、順調に旅ができた。

日本にいたときは、コロンビアに行ったら実ぐるみはがされ、はては殺されると言われていたので自分も、そして誰もが避けて通りたい国、だと思っていたが、百聞は一見にしかずとはこのことだった。
だからといって、パックツアーや海外旅行初心者が気軽に行くような国ではないけど
(あたりまえか)

そういえば南米と一言で言っても、コロンビアとウルグアイでは気質が違う。
コロンビアはいやがうえにも中米やカリブ海諸国、そしてUSAとの関係を持つ必要があるのでオフィスも社交的でアメリカナイズされている。

しかし地理的にも最果てのウルグアイなどは主な隣国がブラジルやアルゼンチンぐらいなのであとは周りは海なので外交的にも閉鎖的になり、人々や社会のシステムも井の中の蛙といったところで、東欧みたいだった。

バイクともしばしの別れを告げて、メデリン国際空港に近い町・リオネグロに泊まった。リオネグロは黒川と言う意味だが、コロンビアにはリオスシオという町もあり、汚川、汚い川という意味のトンデモな地名だ。
そしてHONDAという町もあるが、スペイン語でHONDA(オンダと読む)は、深いと言う意味になり、あの世界のホンダとは関係ないようだった。

そして南米最後の日。翌朝目が覚めると、7時!やばい!8時20分には飛行機が出るのだ!
昨日は大変な一日だったからすっかり興奮して疲れて寝過ごしたのだ。

超大急ぎで部屋を片付けて7時15分にリオネグロのホテルを出た。
本当なら6時に起きてワゴン車のバスで空港に行く予定だったが、すぐにタクシーつかまえて飛び乗る。

7時30分ごろ空港に到着。薄氷を踏むような気分で、何とか搭乗に間に合った。
南米は良くも悪くもエキサイトな日も多かったが最後の日までエキサイトだった。
8時20分、JMC空港を離陸した。

この半年間、ロードムービー級のさまざまなドラマがあった南米。
そんな南米大陸もあっさり視界のかなたに消えていった。

私の世界一周の旅も、出発から一年が過ぎた。
そして、中米と北米を残すのみとなった。

-第18章-
おわり

★次号の予告★
アディオス南米、ようこそCentro America!!

お楽しみに!

391 total views, 1 views today

スポンサーリンク
336×280
336×280
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*