ブラック部活 こうすれば部活は劇的に改善!

時事問題
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先日、「ブラック部活 やめられぬ理由」
というのが話題になったので
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170812-00010000-bfj-soci&p=1

やめられぬ理由は「やりがいが源」だというが、
やりがいにかんけいなく、タダ働き・サビ残は地獄の入り口だと思います。

なぜなら、やりがいだのなんだのとキレイゴト並べてると労働時間のキリがなくなり、現実問題として自分の時間や睡眠時間すら確保できない無間地獄におちいるからです。

そもそも、先生がブラッキーな環境で疲れきってる状態だと、生徒にだってブラッキー体質が沁み込み、その体質が次世代にしみこむので、ブラック企業が減っていかない。

そこに歯止めをかけないと、とても人生の本質を教えることができない。

事実、過酷な労働環境もあってか、九州では教員不足らしい。そうなるとそのぶん生徒が受ける教育の質が落ちるとなれば、日本は無駄な努力で磨耗し、衰退していくのだ。

そのためにはどうすればいいか?

24時間戦えますか

ここで、中学時代の部活の話をします

「24時間戦えますか」なんて人間の本能を無視する逝かれたCMが流行っていたバブル全盛時代の1990年、地元の公立中学校に入学したわけですが、

その学校では部活の参加は全員参加ではなく任意だった。
なので入学時に何も所属せず、帰宅部にするのはいたけど、それはほんのごく若干名で、あとは暗黙の了解でいずれかの部活に加入することになっていた。

しかし自分としては、正直、部活なんかやりたくないというのが本音だった。週一日ぐらいなら歓迎だけど、毎日だときつすぎる。かといって初っ端から帰宅部だと体裁が悪い。

野球やサッカー部などは、自分には協調性も運動神経も無いので、まず絶対無理。
そこで、水泳部を訪ねてみた。
水泳は割と好きだし、団体競技ではない個人プレーだし、なにより夏はすずしそうだから(笑)

しかし、そんな超甘い考えで水泳部を覗いてみたものの、ハイシーズンの夏休みはほかの部とちがってほぼ毎日のように休みなく部活があり、
さらに顧問が部員をどなりつけてるのを見たとたん、瞬足でやる気がぶっとんだ。
「こりゃ絶対やだな」と。

 

そこで水泳がダメなら、卓球部を選んだ。なぜなら卓球なら温泉宿の卓球のように、運動神経が無くてもゲーム感覚で遊ぶように楽しめるだろう、というまたも軽い気持ちで卓球部に入部した。

真性体育会系の野球部や剣道部などとちがって、さすがに卓球部は運動の得意じゃない生徒が集まってるせいか、草食的な部員が多く、顧問や先輩からどなられることはないので安心した。

ところが・・・

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1年生は召使い。いや、おこぼれにあずかる犬っころだ。

卓球部に入って、一番衝撃的だったのが、

 

卓球部なのに卓球をさせてもらえないこと。

 

卓球台に限りがあるので、1年生は卓球台をほとんど使わせてもらえず、来る日も来る日も、玉ひろいか、素振りの練習。

特に玉ひろいは中腰で前にかがみながら、片隅で何時間もずっと耐えているので、時間が過ぎるのがじつに遅く感じる。

あまりにつらい。つまらない。
そもそも、こんなことしていったいなんの役に立つんだ。

あまりにバカバカしい。死ぬほどバカバカしい。
思うことはそんなことばかり。

たまに先輩が飽きてくると、ほんのわずかの時間に、1年生でも台を使わせてもらえるのだが
これじゃあ、まるでおこぼれに甘んじる犬じゃないか。

付き人のように玉ひろい。玉が飛んだら、忠犬のように走って玉ひろい。

こんな不毛なことをするぐらいなら、新聞の夕刊配達をしたほうがお金になるし、よっぽど社会のためにもなる。
そう思うと本当にくやししかった。

そして夏休みに入っても、くそ暑い学校の体育館の中で、相変わらず玉ひろいしかさせてもらえない。

若い力のムダ使いとしかいいようがない。

卓球部に所属してるというのに部活じゃ卓球できないという最悪の酷さなので、そのはけ口として、同じ卓球部の友人と、町の公民館に行って卓球をしたのが唯一の思い出だった(苦笑)

そんな夏の屈辱で、すっかり部活に対する不信でやる気が無くなり、夏休み中盤以降は完全にユーレイ部員となり、1年で正式に退部したのだった。

そもそも、なんで夏休みをつぶしてまでやる必要があるん?と今も昔も思う。

将来21世紀になれば、部活もさすがに変わってるだろう、こんな理不尽なことはなくなってるだろうと思っていた。

しかし。実際には27年経った現在でも、部活に対する状況はさして変わらないようで、時代が進んでいるのに部活によって過重労働をさせられている日本の教育は異常だと思うようになった

「屈辱の玉ひろいで人生変わった」どっちの常識がおかしいのか

果たして、

「玉ひろいなんてアホらしい」といってさっさと部活をやめるような私の常識がおかしいのか、

それとも部活によって過重労働している教育界の常識がおかしいのか。

でも、ブラック部活の方向性にかんしては、いまだに上下関係や精神論などが強固にこびりついて、それは非科学的・非論理的、そして非効率的なので、やはり自分が異常なのではなく、部活を持ち上げている今の日本の教育界が世界標準からずれているとしか断言できない。

そうおもうと、いままでせまい日本の中では「自分は非常識な人間」だという肩身の狭い立ち位置だったが、その後5年間海外で過ごし、世界を見た目で見れば「自分のほうがよっぽど常識的で人間的」だと確信してしまうようになってきた。

なぜ犬のように玉ひろいをさせられたのか。

「忍耐力を養うために玉ひろいをさせている」という昭和的な言い草があるかもしれないが、

こんなの、
よその国から飛んでくるミサイルを、
進め一億火の玉だ!
といって、PAC3ではなく竹やりで迎撃するのとおなじぐらいの次元だ。

竹やりで迎撃というのは極論だとしても、
「いままで先輩代々がそうやってきたから、おまいら後輩も黙ってそうしろ」
という、現実を見ない思考停止したよどんだ姿勢や、抜本的な改善策やイノベーションがないからこそ、
東芝が沈み、スマホの華為技術やハイアールなどの出足の速い新興中華資本が日本市場を圧巻してくる要因になるのだと思う

そもそも世界的にコンピューターで管理されて知識やノウハウや情報も一瞬で共有される世の中、日本だけでなく世界的にいいものが作れるようになったので、日本と外国の技術格差は縮まってきている。

部活はこうすると劇的に改善する!

話を元に戻すと
たとえば週6日の部活で卓球台が少なくて上級生しか卓球台が使えないのなら、
どうすればいいか?

答えは簡単。
部活なんて週2日にすればいいわけだ。

たとえば卓球部なら

〇曜日と〇曜日は1年生
〇曜日と〇曜日は2年生
〇曜日と〇曜日は3年生

そうすれば全学年で卓球台が利用できるし、その週2日で集中して卓球にとりくめばいい。

玉だって、後輩に取りに行かせずおのれで取りに行けばいい。そんなの当然だ。後輩に拾わせるなんて時代錯誤も甚だしい。そんな先輩後輩なんてゴミのようなものだ。

マスター(先輩)とスレーブ(後輩)に分けるのではなく、なぜ部員全体が楽しく意欲的にムダな負担をかけずにスキルアップできる効率的な方法を考えないのだろうか。
そうすれば、1年生の頃からすぐに卓球ができるので、着実に実力をつけることができる。

こういう事言うと
「週2日なんて短い!勝つためには毎日練習させるべきだ」
という意見が出てくると思うが

で、

そもそも勝って何になるの?

勝ったら将来年収1000万円もらえるようになるの?

ほんの一握りのプロ選手を目指すわけじゃないのに、なぜ毎日何時間も練習する必要があるの?

そんな毎日何時間も練習なんてのは、世界一をめざす五輪の強化チームがやればいいだけであって、
市井の一般的な学生の本分は勉強ではないの?

へたに何時間も無理に練習すると、若いうちから体を壊すことになる。

「僕も小中から高1まで、朝から晩まで猛練習をやってきた。ところが、一番劇的に成長したのは甲子園前の練習でした。ベンチ入りメンバーは午前10時から正午まで2時間程度の練習しかやらない。その時期に劇的にうまくなったんです。そんな成功体験があるから、練習は長時間やるよりも短時間で集中してやるべきだと気がついた。2時間しか練習しないから、食欲もある。昼寝もするから体も元気だし、次の日も集中して練習できる。その時期に僕はグーンと伸びた。長時間練習で疲れたら、体力も食欲も意欲もなくなる。練習は短時間集中が一番いいと確信したんです」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170807-00010003-spht-base&p=1

あと、ひとつの部活だけでなく、いろんな部活をやってもいいはずだ。
たとえば週一日ずつ、水泳部とテニス部と美術部をかけもちするなど。
そのほうがバラエティや柔軟性に富む、いい人間に育つと思う。

かっこいい先生、できる先生を演じる必要もない

日本の中学校教員の超過勤務がなくならない理由は、
「生徒の前に立つ以上、完璧でなくてはならない」という同調圧力があると思う。
少しでも手を抜くと、変な保護者からのやり玉にあがりかねない。

しかし先生も人間なのだから、
労働環境改善・教員不足解消・サービス残業撲滅のためにも、ヨーロッパ人のように

「残業代もらえないのなら、定時で帰って何が悪い?」

と日本中の教員全員がひらきなおるしかない。

そして、日本の教員は無駄にまじめすぎる部分があるので、人間である以上、ダメダメなところも見せるべきだ。
いくら生徒の前でできる先生を演じても、中学生ぐらいになれば付け焼刃なんてすぐに見抜かれるからだ。

たとえば男の先生なら、女性とデートしたいはずだ。
ならばどんどん夏休みや有給を使って旅行に行ったり、教師のやりがいと安定性と燃える情熱をネタに女性をデートに誘い、イチャイチャしにいけばいい。

その副産物として、お互いにとって失敗のない交際の仕方を教えてやったほうが、生徒にとってよっぽど人生の役に立つと思う(実際はそんなこと教えるのはむずかしいだろうけど)。

生徒も勉強と部活だけで終わらないよう、人生の役に立つ多面的なことをいろいろ挑戦してみるべきだ。

とくに中学生からスマホを使っている現在は、いきなり大人の世界にぶちこまれるわけだから、世界で通用する実践的な英語の勉強とか、あるいはプログラミングやWeb製作の勉強とか、おいしい料理の作り方や、果ては資産運用のしかたやネゴシエーションのしかたとか。

正社員主流時代でなくなった現在、お金の使い方・稼ぎ方・守り方というのは本当に大事だ。

多様性のある21世紀の現在では

「大人ってのは、だらしなくてもいいんだよ」
「ただし、本当にだらしないだけだと、まちがいなくこの世の中は生きていけないから、食べていくためにも、自分でしっかり考えて生きよ」

と伝えるべきなのかもしれない。

 

まとめのつぶやき

集中して取りくめ
休むことは美徳だ
だらしなくてもいい にんげんだもの

あらためて、自分は子供を作らなくて良かったな、と思っている。
ま、そもそも自由気ままに生きているのだから、結婚すらできないのは当然だが・・・。

子供がブラック部活に入って、大きくなっても就職先がブラック企業じゃ、あまりに哀しすぎる。

ひとりひとりがより人間らしく自由に生きることができるように、この国をよどみ続けるブラック空気の連鎖を、断ち切らなくてはならないと思う。

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