2015年のブログ記事まとめ

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2015年に書いた過去の日記や、PVの低い不人気な記事を、この1か所にまとめました。

おもに日本帰国後の日常生活やつぶやきの雑記です。

食べて応援、について

東京五輪で本県食材 遠藤五輪相が導入意向

遠藤利明五輪相は24日、都内の日本記者クラブで記者会見し、2020年東京五輪・パラリンピックの選手村で使う食材に福島県産品を導入したいとの考えを明らかにした。東京電力福島第一原発事故からの復興を後押しする狙いがあるとみられる。東日本大震災の被災地での競技開催にもあらためて意欲を示した。

https://www.minpo.jp/news/detail/2015072524293

いわゆる「食べて応援・国際版」なのだろうけど、この件で関西の人とやりとりした時、やはり、311の地震と原発の被害をモロに被って、「これからどーするべ?」と現実の問題と向き合ってきた関東・東北と、被害のなかった関西以西の温度差があるように感じた。

私は埼玉県に住んでるし、福島県にも友人がいますが、市場に回っている食品は、かならず放射能検査されてるので問題ないはずですが。スーパーでは福島産は普通に売ってますし。

逆の立場だとどうするか。

>もしもソチ五輪でチェルノブイリ産の食材ですって出されてたとしたら、選手たちが食べたと思いますか?

自分の考えとしては、放射能以前に、アレルギー体質や食の戒律(ベジタリアンとかビーガンとかハラールとか)があるので、世界からの参加者全員に食わすのは無理がある。

だけど、風評をなくすには、一つの案だと思う。現に、放射能検出をクリアしたものを出すわけですし。これからの世界の中の日本の試練として、原発事故という「日本史上最悪の失敗」から逃げずに向き合っていかなければならない課題だと思います

勿論この件にかんしては賛否両論が噴出してるし、政府を信じていない人も多いので、本当に実行するとなったら、あとは国民や政府のその後の努力でしょうね。

かといって「被災地」「かわいそう」「原発の汚染地域に住む被害者」という時点で、偏見・差別などのバイアスがかかってしまうのは、311以後、いやというほど目にしてきた。

というのも、国によっては、自分が住んでいる埼玉県も汚染地扱いにされる。これは風評以外の何物でもないよ。

なので、福島などの被災地を特別視しないし、したくもないね。

私はこれからも福島産だろうがなんだろうが、差別無く食べていきますよ。

311以後、過酷な苦難と戦いながらも育てあげた味を噛みしめてはいかがですか。

どのレビューを見ても、

「おいしい!」

とのことです

日本一クールな原宿竹下通り

だそうです

http://www.travelvision.jp/news/detail.php?id=59203

先日はWTNJ主催のツーリングフェスタという企画に行くため、ギャラリーのある原宿に行きました。

原宿は2年ぶりに来たが、竹下通りは2年前にくらべてさらに明らかに外国人が増えているのを実感。もはやコスモポリタン。昔は圧倒的に日本人が多かったのだが。

真夏の暑さといい、外国人の多さといい、暑さといい、街の見た目はもはや日本というよりシンガポールを思い出した。

原宿は女の子向けの街というイメージもあってか「原宿を歩いても、やっぱ場違いで全くのアウェーだ」と言ってた男性もいたが、

自分にとっては非日常な店が多く、外国のような場所なので、もっと面白くなりそうだ。

私がはじめて原宿に来たのは、おそらく1988年ごろだと思う。小学生のころだった。80年代は原宿はブームだったと思う。

ブチック・竹の子も健在。さすがに竹の子族の衣装では無く、時代の流れなのかゴスロリなどの店になっている。値段はけっこう良心的だった。

90年代になり、原宿から渋谷あたりが有名になっていたとおもう

00年台の始めぐらいまでは、日曜日になると神宮橋で謎のコスプレ少女たちがたくさんいて、外国人にとっても撮影人気スポットだったのだが

(2002年 13年前の原宿)

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/2599/stage2.htm

2015年のいまではどうなってるのだろうか。

ねぶたで沖縄を思った

青森県で行われてるねぶた。結局、今年も行けずじまいでした。

初のねぶた参加だった2007年のころは、とにかく新鮮で、ねぶたではで大あばれしちゃる!と自然と張り切っていたのに、今年はなんでだろ。

熱しやすく冷めやすいラテン気質なんかな。

まあ、青森に行くのも滞在するのもかなり大変だし、8年もたつとそのぶん疲れが取れにくくなったし、2011年以来ごぶさたしとるし、いろいろあったし。

てことで青森ではなく大猛暑の地元にいるわけでありやす。

 

ところで、この記事を見ると

http://nikkan-spa.jp/903785

青森では、「ねぶたがきっかけ」というのが多いらしい。実際、リオのカーニバルもそうらしいけど。

そして「毎年、初体験年齢のトップは沖縄と青森が争っています」

というのを見ると、改めて、「青森と沖縄はやっぱり似てる」と思った

東京から遠く離れた青森は、意外に沖縄と共通しているな思った。豪快なねぶたとエイサー、標準語とかなり異なる津軽弁とウチナーグチ、素朴な生活、喜納昌吉と吉幾三のローカル的カリスマ性など。

 

だけどねぶたでは長い冬を耐え忍んだ末の短い夏に、一年の圧縮されたパワー全て爆発させるので(とくに五所川原ではそれがもっと顕著だった。)そのぶんの破壊力は沖縄、いやラテン以上。

2007年に初めてねぶたを見たとき

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/2599/nebuta07.htm

とくに五所川原の立佞武多は、ほかの日本の祭とは全然ちがう。まるで霊に取り付かれたかのようなトランスぶりで、祭でこんなにハッスルするのはおそらく日本で一番かも、ってくらい。

てことで、

いつかはまた復帰したい!(と言ってるあたり、将来どうなるかはわからんけどね)

シンガポール建国50周年記念式典でAKIRA発見

今日は「シンガポール建国半世紀記念の日」でもあり、「あきらの日」でもあった

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以上。

ちゃんちゃん。

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インドから帰ってすごいおどろいた事

高崎線の踏み切りで電車を待っていると、

行き先がなんと「沼津」行きになっていた。

この埼玉県内陸部の片田舎から、乗り換えなしの一本で「中部地方」静岡県まで行けてしまう

終点までずっと座ってれば、沼津の干物を買ったり、駿河湾を見ることができる

これまで湘南新宿ラインはあったにせよ路線は大体が関東で終結しており、箱根から先の中部地方は、埼玉にとっては別世界なイメージなので、こんなに驚いたことはない。

インドにいる間の2015年3月に東京上野ラインじゃなかった上野東京ラインができたので、沼津行きの電車を見るまで全然知らなかった。まさに浦島太郎状態。

戒厳令のほうが旅しやすかったバンコク

おもえば2014年12月にタイに居たときは、タイ軍政による「戒厳令」のまっ只中だった。

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だけどあのとき夜中でもふつうに人が歩いてたし、2010年に色シャツ軍団があばれて都心部が機能停止してたときに比べればずっと安定していて、逆にスムーズで旅がしやすかったし快適だったので、まさかあの時戒厳令だとは知らなかったぐらいですよ(クーデター直後なら面倒だったろうけど)

タイ軍事政権、治安権限保つ 戒厳令10カ月ぶり解除

2015/4/2 13:29

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM02H2X_S5A400C1EAF000/

 

しかしさきほど「エラワンのほこら」でテロ事件がおきた。

バンコクに行く時は、伊勢丹のほうにもよく行くし、ビルの中の交差点の角でいつもお香が焚かれているこのほこらも一度行った事がある。

軍政で一応の安定を取り戻していたゆえに、寝耳に水の事件。

今後バンコクに行く時は、運を天にまかせるしかないのか・・・

バブルなんてはじけろ なぜなら世知辛いからだ

先日18時半頃埼玉りそなのATMに行くと、手数料108円がかかるという。

りそなはこないだまで「手数料は終日0円」を売りにしてなかったのか。

インドにいる間に改悪されたのか。

しかも無料時間は平日の18時まで、ATMへの預金も同様、とより条件きびしくなって唖然。

このインフレ時代に、この世知辛さ。暗澹。

思えば、円安がすすみ株価が上がるごとに、サービスが改悪している

たとえば高速料金のETC割引だって、気がつけば3割しかなく、しかも深夜割引は0時から4時と時間短縮。かつての高速1000円という時代がなつかしい。

どさくさにまぎれて、消費税はもとい、いろんな税金が値上がりしている。

そして円安による値上がり。ダブルパンチどころかマルチパンチ。

だけど庶民には還元されず、所得が変わらない人にとっては「生活が苦しい」という人が増えている。

つまりベアのやってる政策は庶民を欺く「まやかし」「欺瞞」である。

実体経済が伴っていないのに、株価だけが高騰したのは、バブルとしかいいようがないでしょう。

日経平均はいっそのこと14000円以下に転げ落ちてほしい。

ピークから7000円近い下落だが、それでもどん底だったころの2倍の値なわけなので、もうそれで充分ではないか。

そして資産家が儲かるような社会にせず、適正で安定した経済にしてほしい。

松尾清晴71歳・浦和に帰還 ~2002年と2015年のワルキューレ~

same same celebration style 2002 & 2015

Mr.Matsuo came back in Saitama from world touring today!

帰ってきたマツオサン

2002年10月の写真は、世界一周を終えて北浦和駅にて

そして本日2015年9月の写真は、ユーラシア一周。帰路はロシアシベリア・サハリン経由してフェリーで稚内に上陸、そのまま南下しさいたま市役所にゴール。

スマフォもWiFiもなかった13年前と同じ服でお出迎えしました

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マツオサンは髪の毛が若返ってますが(笑)

あふろ姿になると、20台半ばの時と、2015年のいまでも年齢が判らんですね

特筆すべき事は、世界を共にしてきたワルキューレがいまでも現役だということ。

世界中を30万キロ以上走っているので、1500ccのワルキューレは非常に頑丈だ。

 

松尾清晴氏の世界一周の軌跡

http://baikunomatsuo.sakura.ne.jp/

 

比較してみるとこれが2002年。シンプル。

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2015年 ナビなどの装備が付いている

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これらは2002年

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これらは2015年。その間使ってるのでだいぶダメージ。だけどこれらのきずは勲章。

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けいゎごん!

先日、友人がダイハツの軽ワゴン アトレーをSNSで安く売りに出していた。軽ワゴンなら175cmぐらいの人でもラクに車中泊できるし、中古車屋で売っている車だと素性が解らんが、友人が使っていたとなれば信頼できる。ダイハツの軽ワゴンと言えば、子供のころは、家の車は550ccのハイゼットだった。なつかしい。80年代前半の話。

なので直感的に「欲しい!」と思ったけど、自分にとって、たとえ軽でも車を持つということは、超ぜいたく品。まだ必要性がない。なぜなら妻や子供がいるわけじゃないし、デゼニーランドに行ったり送り迎えする様なこともないし、買った後は、管理やメンテナンス、車検等がめんどうで、維持費、保険や税金もドバッーとかかる。首都圏だと走りにくいし、街に出るといちいち高い駐車場も探さなくてはならない。

自分ひとりが使うのなら、単車に比べれば燃費も良くないのでエコロジーではない。

実際は車中泊する機会はそんなにないし、よっぽど不便な田舎で生活したり、「家族が出来た」り「仕事で自分の車が必要」とならぬ限りは、要らないな。

(軽ワゴン持込の仕事をする場合は、貨物の4ナンバーに変更しなくてはならず、後部座席を取払い定員などの制約を受ける。4に変更すると、後部座席を付け直すことは出来ない。日本はなんて融通が利かないのだろう。)

人口の多い日本で車中泊に適した場所は、意外と少ない。

車中泊といえば道の駅だが、だいたいうるさいし、かといって道をそれて静かそうなところに停めると、近隣住民から不審車とみなされて、夜中にケーサツにいきなり起こされるとびびるので気分ぶちこわしになる。

そのてん、単車なら人のいない林道の山奥でも河川敷の陰でもグイグイ進めてどこでも寝れる。

単車&テントがあれば初期費用も少ない。



で、その売りに出した軽ワゴン。案の定、翌日にはすぐに買い手が現れ、一件落着。(だけど相場よりとても安かったので、なぜか微妙にくやしい)

8cmCD、復活!

DEENなぜこの時期に8センチCD?スタッフが明かす理由

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151008-00010002-musicv-musi

おおなつかしや。子供のころはレコード、平成になって90年代前半の中高生の頃は8cm全盛期。

8cmこそ青春だった!

 

2015年現在、「完全なデジタル」がハイレゾやMP3だとしたら、

レコード・カセットの後の過渡期に作られた8cmCDは、半分アナログ、半分デジタルな媒体だと思う。(といってもあのころはCDはまぎれもなく最先端の完全デジタルだったわけだが)

だけど今の若い世代でも、さすがに8cmCDを見たことぐらいはあるんじゃないかろうか。

「車のプレーヤーじゃ聴けない」というけど、

車で聴きたかったら、MP3にコンバートするなり、逆に昔のようにアナログ的にカセットにダビングもできる。

8cmを聴くために、中古の古いCDラジカセを引っ張りだす。あの頃のどこか新鮮で、どこか不便な体験をもう一度。それがロマンじゃなかろうか。

てことで、

あの90年代のなつかしさとほろ苦さを味わいたい人は、

ここから8cmCDを買って聴いてみそ!

そうそう、8cmを買ったら、ケースの網状の下半分を、ぺしっと取っ払うのもおつですよ!

いまの音楽配信じゃできないあの頃ならではの贅沢だね。

いまやCDは売れなくなったので、ユーザーの世代や時代を読んだマーケティングをしないとならんですな。

演歌とかだったらいまだにカセットの需要も多いしね。

インドの「意識高い系」 ~象を操れても面接官は操れない~

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若者旅行は意識高い系にシフト ラオスで象使い体験等が人気

http://goo.gl/ynj6gn

15年ぶりにインドを訪れたわけだが、その時に比べると日本人旅行者もやっぱり変わったと思う。

まだインド全体が貧しかったし、それこそ安く旅を続けられる放浪者の時代だった

しかしいまではインドでも物価が何倍も高騰したので、放浪者も過ごしにくくなっているので

プリーの某有名日本人宿に行っても、「いかにも沈没してます」ってタイプはいなかった。

(もっとも沈没派はほかのさらに安い宿に流れているが)

そのかわり、まだ日本より安く過ごせるということで定年後の沈没型老人が何人かいた。昔はインドには日本老人はほとんどいなかった。

そして現代らしいのは、ネットで旅人育成的ミニビジネスを開いてた若者カップルや、現地の日本人からセミナーを受けてます、と言う意識系?若者が目に付いた。

 

少し前は世界一周が人気だったが、いまでは象使いが人気とか。

で、象使いの資格をとったからって採用に有利になるとおもってるのかい?

「面接官の目を引くための象使い」なんて、多くの普通の会社だと付け焼刃でしょう。

まあ、動物園の飼育係に就職したいのならアリだけど(笑)

 

「面接のため」とかいう小手指、じゃなかった小手先の目的ではなく

本当に自分のやりたい事、一心に夢中になれることに打ち込むほうが大事。

若いうちなら、世間知らずで無鉄砲さと燃える気力があるから、夢中になれるものは見つかりやすい。

それなのに安易に企画会社に頼るのは、若者らしくない。

自分が「やりたい!」と思ったら、本能のままに突き進めばいいだけ。

そうすれば、たとえ取るに足らないことでも、自分のやってきた事に心から自信を持って公言できるわけです。

草のコスプレこそが、原始時代から続く狩猟の仮装の原点ではなかろうか。

 

すっかり巨大なコスプレ大会と化してしまった日本のハロウィン。

http://www.fashionsnap.com/the-posts/2014-11-03/halloween14-snap/

その仮装の中でも、一番気に入ったのは、草!

何のコスプレキャラでもなく、かわいくもかっこよくもなく、ただ怪しいだけの意味不明ぶりがいさぎよい。当然ほかのコスプレしてる女の子にもてるわけも無く、しかも一人で通行客をおどすだけの役割。まるでなつかしのドッキリカメラ。じつにシュールすぎる。

草のコスプレこそが太古の狩猟時代から続く仮装の原点ではなかろうか。

Prier pour Paris, et Prier pour le monde.

ああ巴里の黄昏

若い頃の自分は、全く何の取り柄もなかったが、

多くの少女や女性が同じであるように、私にとってもパリはぜひとも行きたい、高校時代からのあこがれの街であった。

インドからはるばる小型バイクでユーラシアを横断し、文化と民族の移ろいを見ながらパリに着いたときは本当に最高だった

凱旋門とエッフェル塔をながめ、シャンゼリゼを歩き、郊外のセーヌ川のほとりで念願のセーヌで野宿をした。

ヨーロッパの旅はとても辛く、極貧状態だったが、その喜びもひとしおだった

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テロの犠牲になった人々の冥福を祈ります

パリの犠牲者だけではありません。パレスチナやレバノンなど、世界全ての国でテロの犠牲になった人々に。

世界中を旅してきた旅人として、憎悪の連鎖を断ち、

自分ひとりではささやかだけども、ときには世界平和を地球規模で考えてみたい。

2001年の911以降、テロの脅威は年々増しているのかもしれない

ただ、まじめにくらしているイスラム教徒と、過激派のISでは、日本でたとえれば、仏教徒とオウム真理教徒ぐらいの差なわけなので、そこを認識しなくてはならない。

Pray for Parisだけではなく、Pray for the world.

これ以上「13日の金曜日」を増やさないためにも、お互いに対話できるようにして、いかに世界規模でテロをなくすべきか、考えなくてはならないと思う

<H2Aロケット>29号機打ち上げ 2015/11/24

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今年バンコクなどでお世話になった人が、実は種子島の宇宙センターにいる。

そして今日発射されたH2Aロケットに搭載されたのはテルスター。

初代のテルスターは50年以上前の1962年で、初めて打ち上げられたときは、それを記念して曲がつくられ全米で大ヒットした。

 

ぜひ聴けばわかるけど、全米で1位になりいま聴いても色あせないのは

「人類はこれから宇宙の時代だ!」

という期待と感動が、このテルスターに込められていたからだと思う

11月29日インド講演会 終了! エキナカのインド料理で舌鼓

本日は御来場いただきありがとうございました。

遠くはなんと海外、佐渡島から来てくださりました

新幹線で熊谷駅から新潟駅に行き、そこからさらに船で島に戻るそうです

16時47分に新幹線に乗って高崎乗換17:09で18時20分に新潟駅について、

19:30→22:00のカーフェリーで、その日のうちに島に戻れたとのこと。

今回の会場は新幹線駅直結のメリットが生きて何よりでした

特別ゲストに

三井昌志さんをお迎えしました

http://www.tabisora.com/

三井さんは新しい写真集をリリースしました

グリーンジャイアントのような、おそらく世界一男臭い写真集を、

発売前に先行的にいただきました

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ありがとうございました

 

講演会の前に、三井さんと熊谷の街を歩いた。プリーで出会って以来である。街中なのに静かで人気がとても少ない。

というのも、前回までは、あらゆる音に満ちて、人がウジャウジャいてゴミがいっぱい落ちているインド・プリーの町を三井さんと歩いてたので、その気分のまま我が地元を歩いているなんて、非常に不思議な気分であった

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そして駅ビルの会場に戻ったが、会議室のちょうど下の階3階に、ビンディというインドレストランがあるのでそこで昼食にした。

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ウェイター2人と厨房で合わせて6人いたが、全員インド人。

それでも日本人向けの味にされてるので、どれもハズレが無くうまかった。

なのでインドカレー独特のクセがなかった。

ナンのうまさが絶品だった。といってもインドではない香り。ホットケーキ粉を配合してる模様。

しかもランチタイムだったせいか、ナンはお変わり自由。

そして、チャイは、ただのミルクティーだったのがちょい残念。

しかも砂糖が一本だけなので、ちっとも甘くならず、ウェイターに2本追加したものまだまだ甘くならず。

本場の甘さを再現するには5~6本ぐらい入れないとダメだった。

日本人はこれが「インドのチャイ」だと思われるととても残念。

現地でいかに砂糖だらけのチャイを飲んでいたか

バンコクのリトルインディアで飲んだチャイやマサラドーサは本物だったが。

ひさしぶりのインド人なので、出身はどこからなどいろいろ聞いてみたのだが、よく理解されず、

日本語ではなく英語で話してみると、いっきにインド人のノリが戻ってきた

 

そしてエスカレーター乗って会場に行って講演開始

結局、来場者は5人だった

アフロ・ファイブ!

内容としては、来てたのはほとんど仲間内なので、全く緊張することなく、

本来の講演ならやらない、おふざけなプレゼンもできて、非常に最高でした

笑いの渦で本当に暑くなりました。
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しかし、収益と言う面を考えると、これではプロじゃないなとグサグサ刺さりました

プロとしてやるなら、仲間うちだけではダメだ。地元の人が0というのはね。

前回のアフリカ講演で満室にできたので天狗になってましたね

都内でやって欲しいというリクエストもあって、集客にかんしては都内のほうがいいのだが、都内で公共の会議室を借りるには、熊谷とちがって地元の人間ではないし人気が高いのでかなり大変。かといって私営の会議室はとても高い。

さあ次はどうなるか。

あなたはタトゥー、好きですか?私はキライです

最近、街でにわかに増えているタトゥースタジオ。

「タトゥー彫り師、「自分の仕事は犯罪か」 法廷闘争へ」

タトゥースタジオは、てっきりグレーゾーンだと思ってたけど、明らかに医師法で違反というのは初耳。

そして、生まれてこの方入墨を見たことがない人が8%もいる、というのも初耳でした

外国はと言うと、イヤというほど見れますね。

そんな海外での刺青タトゥーのこぼれ話を。

シドニーに住んでた頃、同居人が

「うちの友人がタトウーを入れる予定なんだけど、彼の名前の〇〇〇〇〇って漢字でどう書くの?」

と相談された事があったが、変な当て字入れたら一生後悔するだろうから、当然難しいね。

チェンマイでタイ古式を練習してた時、クラスメートで見事な刺青男(フランス在住のタイ人)がいたけど、やはり入れてない普通の肌と、入れてある面の肌では、肌触りの感触が少し違った。入れてないほうがなめらかで肌触りもいい。

日本では刺青・タトゥーはタブー視されてるが、それもひとつの文化。

かといって異国の部族にとっては、アイデンティティを表すものでもあるので、それもひとつの文化。

ただ、海外にいくと、「いたづら書き・落書きレベルのタトゥー」を見かけるけど、そんな下等なタトゥーほど見苦しくて不快なものはないね。中途半端なら入れるな、唯一無二の己の体を粗末にするな。といいたい。

人生のリスクを負わなくても、こういうものも売ってるし

 

あなたは、タトゥーは好きですか?

私は嫌いです(笑)

 

いまの政府は文字通りの「ヤンキー」だね

2015/12/8

http://www.asahi.com/articles/ASHD861Z3HD8UTFK00S.html?ref=mixi

すでに東京や香港にもあるのに

デゼニーランド作ってよろこばそうなんて、子供ですか?

大の政府がデゼニーランド作りたいとか、一億総活躍とか。いかにも幼稚。勘弁してくれ。

せっかく明けわたせる土地を、なんでまたメリケン資本に鞍替えせなならんのか。

沖縄にとって逃れる事のできないアメリカの呪縛なのだろうか。

いま騒がれている新基地の建設を見てもわかるけど、勝手に基地をごり押ししておきながら勝手にデゼニーを創り上げるなんて、アメリカと日本の都合で県民の意見をはなから無視してるようにも思える

そんなえげつなさが見える中で作られたネズミーランドに行きたいとおもうだろうか?

ともあれ、

密集した沖縄本島で、これだけの広い土地は貴重だから、ひとまず公園とかイベント用の広場にしたほうが、よっぽどうちなんちゅのためになるのでは。

こんなにあったかいのは、今年だけではない

2015/12/12

季節外れのあったかさみたいですね

冬になると、常夏の太陽を求めてタイに行きたくなるのだけど、今年は暖冬ですね

正直言ってあったかいほうが体に負担がかからず、手足も冷えないのでとてもラクです。

かわいた空っ風の吹く時期が、いちばん寒く感じてきつい。

むしろ雪が降るときのほうが、気温ほど寒さを感じさせない。

そういえばちょうど11年前の2004年12月10~12日に長野県にある友人の家に行ったときのこと

今年は信州のスキー場は全く雪がないそうです

しかし、2004年の12月は今年と同じか、それよりも暖冬で、林道や山には雪が全然なかった。

今年の冬は異常気象だ!温暖化だ!と心配する人も要るかもしれないが、

2004年の事例を見ると、さほど気にする必要はないのかも。

みんな100%島民

2015/12/14

先日、「佐渡島の島民」と書いたが、

島民というと、どうしても自分としては

「腰蓑つけて生活している」

「椰子の木がある砂浜で」

「パパイヤを食べて踊ってる」

ような南の島のイメージがしてしまう(笑)

だけどそれを言い出したら、日本に住んでる人はみんな100%島民じゃないか。

この埼玉の内陸サバンナ地帯に住んでいると、島民という実感は湧かないけど、大陸に住んでる人から見れば、日本に住んでる人はまぎれも無く島民。

と、どうでもいいネタになったけど、腰蓑ひとつ、いや短パンだけで生活できればラクだろうなあと思う初冬の一日。

好きなことで、生きていく。どうやって?

いろんな人のブログを読んでいるが、

気がつけば毎日チェックしているのが、このブログ

からあげ隊長の日記 ~財布と地球に優しいアウトドアライフを研究中! おっさんの日常の登山、探検、DIYなどを綴ります。~

http://diary.karaagetankentai.com/

最初の頃、「人間嫌いで自分の素性を明かさないくせに探検隊をつくりたいとか、非現実的で夢みたいなことばかりいってる変なおじさんだな」とぐらいにしか思っていなかった。

だが、見ているうちに小屋を作る過程や、旅の出来事などの実況が半端無く細かく丁寧なことに気づく。

その毎日のつみ重ねのおかげでPVも広告収入もうなぎのぼりで、何より氏のブログは「毎日見ても飽きない」「次は何をやらかすか」という期待感がある。これによって読者をひきつけることに成功している。

多くの人は、金のかからない小屋ぐらしには憧れる。しかし実際はとても不便で難しい。

冷蔵庫も持てないし、カビも生えるし、洗濯も入浴もままならない。なので社会生活をするとなると不利な点が多く、日本では一人で生きたい単身者のみしかできない。土地を買って小屋で生きるとなると、かなりの決意が必要。

氏が代わりに小屋ぐらしをして詳細に報告することによって、読者が気軽に小屋生活気分を味わえるようになり、人気が集まるのだと思う。

さらに、田舎には付き物の「地域とのつながり」を持たないのもいい。あのわずらわしい田舎の封建的な社会に入らず、集落から離れて、変人を貫いて世捨て人のように生きることによって、さらに現実逃避気分までも味わえるからだ。わがままに生きても、協調性がなくても生きていけるんだ、という心の支えになってる人も多いとおもう。

もし、氏に協調性があって社交的で、町内会に参加したり消防団に加入したりとかで現地の人と交流を持ってたなら、途端に当たり障りのない優等生的な普通の田舎ぐらしのブログになってしまい、ここまで読者は集まらなかったろう。

「将来を見据えたブログ運営をしてゆこう。

手間だが一つ一つ問題解決してゆくことで、ブログの独自性や価値が生まれる。

毎回、手っ取り早い方法を選択し続けていると、その他大勢のブログに埋没してしまう。」

とも言っている。

それにより一日平均8000PVぐらい集めてるのに対し、自分のブログは一日平均140PVしかない。今も昔も代わっていない。一応アマゾンのアフィリエイトもコツコツ張っているけど、ほとんどクリック数もないし、もちろん収益金はずっと0円だ。つまり中途半端なPVでは、タダ働き。

 

そして思い知らされたのは、先月セルフプロデュースであふろ講演会を開いたりしたものの、やはり現実は厳しすぎたということ。

ブログにしても、「アフロあきら」という、自分よがりな面が強く打ち出ているからだと思う。それで敬遠されてる向きもあるんじゃないか。

からげ氏の場合は、つねに新しい事に取り組み、毎日実況更新、共感型、変に自分アピールしない。

そして、「人のためのブログ」にすること。すなわち人の役に立てる情報を惜しみなくどんどん出す事だと思う。

最初は0円でも、続けていくうちに読者を呼び、収益も上がっていく。

たとえば旅のブログでも、文章も写真もたくさんアップしているブログを見かけるが、自分の自己満足的なブログなのか、読者に向けたブログなのかによってPVが大きく変わってくると思う。

他のブログやウェブサイトを研究し、セルフプロデュースの反省をしてみた結果、やはり自分の利益にならない事をこれ以上やってもしょうがない。限界が見えてきた。

ブログを始めた10年前以上と違ってアフィリエイトが発達し、PV数で収益が上げられる今では、これから独自ドメインで情報的サイトを作ろうかと考えている。アフロ色を一切消し、みんなの役に立てるサイト。その一言に尽きる

といっても、競争もあるし、「何が自分にとって継続できるか?」という見きわめもむずかしいので、収益の見込みがあるまでやらないけど。やはり、「これが我が道」といった魂のこもったことをやらないと、読者もついてこない。

とにかく大事なのは

「継続は力なり」

忘年会 12月28日のクリスマスパーティと下町情緒にあふれる家族の絆と秋葉原

28日の月曜日と、29日の火曜日は、二日連続で忘年会。そしてさきほど帰ってきたばかりです。
この頃天皇誕生日やクリスマスや週末と忘年会とが混じり合って、すっかり曜日の感覚が狂ってしまいます(笑)

初日の28日の夜は、葛飾区の家で行われるパーティ。

その前に、鎌ヶ谷の芸術家宅の庭に生っているレモンを収穫しました
自宅を出発し、今回は記念すべき営業初めとして奮発して外環道へ。

 

R464で鎌ヶ谷へ到着。

芸術家宅には毎年のように収穫しに来てますが、
2004年にオーストラリアにいたとき、果樹園でレモン取りのバイトをしてた事があり、鎌ヶ谷の庭でレモンを収穫していると、いつもそのことが思い浮かぶ。

 

2004年7月、西オーストラリア・パースから北へ100kmほどのシトラス農場で働いた。
(農園の労働については、おいおい記事にしていきます)

芸術家の家で苦いコーヒーを飲んでまったりしたあと、採れたレモンを持って葛飾区のD君家へ。
今夜は忘年会と言うよりも、遅れてきたクリスマスパーティをするのだ。

特筆すべき事は、参加者の若さ。家のお父さんを除いて、なんと私が最長老。
「忘年会」ではなくクリスマスパーティなので、おしゃれな感じで、参加者はD君の同級生などのつながりで当然20代がほとんどで、中にはモデルみたいな美女も来ており、ビンゴゲーム大会などで盛り上がりのナイスパーティだった。

 

で、アラフォーの私が、なぜここにくるようになったかというと、現在アマゾン河を冒険中の宮川竜一君の壮行パーティがD君宅で行われて参加したのがきっかけ。
D君のお父さんは鉄工所を経営しており、下町情緒たっぷりの義理人情あふれる家族なのだ。

もちろん楽しんでばかりでは無く、しっかり営業もしました。
葛飾から広島県尾道に移住したWEBデザイナーと、WordPressや企業向けのWEB案件など意見を交わしたり、これからネット起業したいという若者の相談にも乗りました
反省だったのは、名刺の渡し方。
パーティには30人ぐらい来ていたけど、一人一人に対して詳しく丁寧に説明してから名刺をわたせばよかった。まあ初めてだから、直していけばいいね。

お父さんは早々と寝て、私も0時を過ぎる頃には眠くなってしまい、一番初めに寝る準備をしてしまった。

 

だけどほかの人たちは1時、2時を過ぎても元気いっぱい。
寄る年波には勝てないし、睡魔は年功序列だということを再認識した一日でした。

昨夜のクリスマスパーティ。早々と寝たものの結局寝られず、6時ぐらいに起きる。そして8時から正午12時まで寝落ち。

葛飾のD君の家では年に何回かパーティが行われる。私が今回で3回目の参加。
なぜ3回も来てるかというと、下町の良さがあふれていて、ここの家族はみんな仲がいい。とくに鉄工所を経営するお父さんは、まさに下町の男。義理人情にあふれ、とてもお人よし。
転じて、おそらく多くの家庭はそうだと思うけど、うちの家族環境はドライなので、うちにはない、この自然に醸し出される人情やあたたかみに惹かれてしまう。

葛飾の家を出たあとは、今度は千駄木で忘年会だが、その前に時計の電池を買いに秋葉原へ。

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地元の時計屋で買うと高かったので、アマゾンで調べると半額で売っていた。しかしその店がアキバにあるので、どうせだったら直接買ったほうがさらに安くなるのではないか、という目論見もあった

その電池専門店は、部品を扱う店が並ぶ昔からの雑居ビル。タイやシンガポールでも見かける、パーツのデパートで、まさに昭和のままの佇まい。

 

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店においてある電池は、値段はアマゾンと同じだった。それどころかアマゾンは送料無料なので、交通費かけて行く事を考えると、アマゾンで購入したほうが安いことになる。
「うちはアマゾンと提携している都合で、店頭よりもアマゾンで買ってくれたほうがありがたい」とのこと。
これまでの昭和的常識だと、発送するとさらに送料がかかる。なので店頭で直接買ったほうがトータルでは安い。
しかしネット通販のアマゾンだと、送料よりもインセンティブなどのほうで有利になるのだろうか。今までの常識では考えられないことが急速に変わっている。

昭和のままの部品ビル。最新のデジタル品を扱う店。闊歩する世界各国からの外国人。通りに立つメイドの女の子。レトロゲームの店。そんな凝縮されたアキバを後にして千駄木に行く。

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今夜は「パーティ」ではなく、忘年会。
隙間風と畳敷きの、昭和から続く和風下宿スタイルの家。

 

今日の特筆メニューは、北海道のふるさと納税でもらったという鹿肉。
牛肉のような味がしながら、肉はとても柔らかい絶品の肉。
昔食べた馬肉と食感は似ているかも。

続いてラム肉は、冷めると不味くなるので、熱いうちに食え、とのこと。

若い女性も多かった昨夜のクリスマスパーティでは自主規制だった下ネタ・エロトークも、今夜の忘年会では解禁&全開。もうみんな中年以上だし、何度もあってる面子なので、いまさらかしこまる必要も無い。

そして3日目は、また昼過ぎまでマッタリして、帰宅しました。
楽しい場所を提供していただき、ありがとうございました。

2015年を振り返る そして、決意。

もう大みそか?12月31日?というぐらい、私にとって今年の2015年はあっというまでした
2015年はちょうど元旦にデリーを出発し、インド一周をしました。

インド編など過去の旅はまだ文章だけしか書いてないですが、これからは編集してバンバン写真をくっつけて格段にパワーアップさせておきます。
今までごはんだけしかなかった味気ない食事に、いろんな豪華なおかずを付け足すような感じです

そして7月に日本に戻ってきて、自らセルフプロデュースで講演したりDVD写真集を販売したりいろいろな事をやってみました。
そんな自分の可能性を探った中で、今月「たびいちドットコム」が生まれました。

旅の情報屋として本格的な仕事を

始めたわけですが、現在の時点では運営収入は微々たる物です。
だけどやるしかありません。みなさんに向けて情報を発信しながら、いかに収入に結び付けていくか。そして息苦しい世の中を良くしたい。

確かなことは、「稼げないから」と言ってこのたびいちドットコムを放棄して畳むことは絶対ありません。生涯にかけて、今後何十年と言うロングスパンで運営します。

それは、旅いちばんは我が人生の轍でもあり、誰にもうばうことのできない、我が世界の経験の貯蔵庫だから。そしてその経験を多くの人たちに伝えるのは、微力ながらも社会のためでもあるから。

これまで個人的なホームページやブログを14年間も続けてきたのだから、これから20年、30年続けるのは全然無理な話ではありません(^ε^)

 

旅いちばんの船出はまだ始まったばかり。

目指す水平線の先は、何も見えない。

だけど、海の向こうには、きっと未来が待っている。

 

来年もよろしくおねがいいたします。

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