2010 タイ・インドシナ放浪 タイ編1 3~4月の日記まとめ

[真冬の日本からバンコクにつくと、日本の真夏より暑いです。安宿の室温も昼間は37度もあって暑くて休めたもんじゃない。温度差と疲れで2~3日でへばってしまいます。]

あふろ@4度目のバンコクです。 またもや日本を逃亡しちゃった、国際派ボンビーマンのあふろで~す

だけど安宿の室温も昼間は37度もあって暑くて休めたもんじゃない。温度差と疲れで2~3日でへばってしまいます。

夜中0:44現在だと31度とすずしくなった。 こないだまで日本で指が冷たくなるぐらい寒さにふるえていたのに。

初めてバンコクにきたのは前世紀の1998年だから12年前ですが、物価が高くなった。平均して1.5倍はする。昔は交通手段はバスしかなく、渋滞が当たりまえだったバンコクもいまや地下鉄などもでき成田よりも近未来的な新空港もでき、それを結ぶ両側8車線のフリーウェイにおどろく。

安宿街カオサンもすっかり観光化の波にもまれ、よって空洞化、ドーナツ化現象となっており、安宿は郊外に膨張した。まるでバブル時代の東京か!

という事で、私はカオサンからすこし北西に離れた、遠回りしたところ路地にある住宅地のどまん中の安宿に泊まっております。

夜中でもうるさくて派手なカオサン通りと違って、住宅街の中なので夜はとても静かです

そして、この安宿(アップルゲストハウス、8号室、200バーツ)からたまたま流れてくる野良電波を使ってこのメッセージを打っているぞー。らっき。

しかし、タイは本当にいいところだなあ。

めしうまい 物価安い 治安良好

バンコク市内バスが20円、うまい焼き鳥が1本15円で買える。

こないだ行ったアフリカとは天地の差です。アフリカは、「耐えてアフリカ」です

今回はバックパッカーの旅です

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タイポップス(歌謡曲っぽい)のPV

をテレビで見てたら

田舎から3等列車で大都会バンコクにやってきたひとりの若者が、ファランポーン駅(タイ各地から発着する、日本で言う上野駅のような大きい駅)で右往左往し、そして作業所で就職し、そこで同期の女性と出会い仕事をしているうちに二人が惹かれあう。みたいな。

タイは日本同様、ネットや携帯であふれ、最新の流行を追う国でもある反面、出かせぎも多く集団就職のような雰囲気も残り、まるで昭和30年代の面影だった。 f:id:stk1:20100405183558j:imagef:id:stk1:20100405183648j:image

タイの音楽番組は肉食系。

さっき夜の9時にタイの音楽&トーク番組を見ていたら(民放ではなくケーブル番組)スポンサーがDurexとなっていて、その、いわゆる、「男根装着型避妊具」のメーカーだった。CMはもちろん、なんと番組中でも商品の紹介をしていた

さすがタイ。肉食系男女が健在である。 しかもまだ夜の9時なのに。

日本でも夜の9時からそういうCMやれば肉食系増加、エエヅ減少なるかもね。 主催、協賛はかなまら神社で(笑)

ミャンマー国境の村、大谷地

きのうチェンマイから日帰りツーリングをしました。

目的地はミャンマー国境の村。

国境の村に着いた途端、顔立ちが中国系の血が多く、中国語の看板も出現。いま大陸で使っている簡体字ではなく、繁体字なので、ここも中国国民党が逃れてきた最奥の落ち武者集落なのだろう。タイ語で書かれていてもまったくわからないが、中国語ならてきとうに読めるので、ほっとする。

この村の名まえは二つあって、タイ名だとアルノタイ、中国名だと大谷地(タークーティ)

札幌にも大谷地(おおやち)という地名があるので、じつに親しみをかんじる。

同じような村としてはメーサロン(美斯樂)がそうだが、メーサロンとちがって大谷地は全く観光客の来ない素朴な村。

村はずれの国境のチェックポイントに行く。この国境を越えると、ミャンマーの国道45号線に続くはずなのだが、車や人の気配はまったくなく、駐屯しているタイの軍人がいる程度。メーサイとタチレクの国境と違い、ここの国境はタイとミャンマーの交流はほとんど無い。まるで韓国側の(向こうが北朝鮮)チェックポイントのようだ

退屈そうにしている軍人に尋ねてみると、ミャンマーのビザを持ってたとしてもここからの入国は不可の事。たしかに、イミグレも何にもないし。

帰りは真っ暗な夜道を苦労して走り、チェンマイにもどったのは23時。疲れたけどツーリング度満点でとても楽しかった。

借りた単車はホンダのCB400。

ちょうど15年前の1995年、免許を取るときに乗った教習車がCB400なので、エンジン音を聞くと、急制動!1本橋!という懐かしい気分になる(笑)

15年前の単車なのでガタガタでエンジンやキャブレターが不調なのかやっとこさ140km/hしかでなく250ccにも劣るが、それでも600バーツで借りれたのだから安い。

写真:

国境付近。遠くで農民が畑を耕しているありふれた風景f:id:stk1:20100409170032j:image

シンプルなチェックポイント。この先ミャンマー{f:id:stk1:20100409154938j:image

名物・雲南麺。ラーメンというより、まさに中華そば。チャーシュウとワンタン入りで25バーツ。麺はコシが無く伸びているが、これだけ入ってれば、うまい。f:id:stk1:20100409162316j:imagef:id:stk1:20100409161241j:imagef:id:stk1:20100409173504j:imagef:id:stk1:20100409172430j:image

バンコク戦争

バンコクでは大変な事になっているようですが、しかしチェンマイや北タイ地方ではほとんどなく、全く普段と変わらぬ状態だった。正直バンコクとは別の国である

以前のミャンマーのときや、中南米や中東、アフリカでもデモ騒乱はよくあるがバンコクで日本人記者が死亡したとなると、さすがに動揺した。あのバンコクでデモのために死者が多数でたとは、これは戦争だ。

3月の23日ごろチェンマイからバンコクに一旦戻ったとき、大規模なデモが継続されていたが、まだこの時は納涼お祭り会場のような雰囲気で、自分もその様子を写真をとりまくってた。

ドンぱちやってる最深部にさえ行かなければ、死ぬことはないと思った。

しかし、非暴力の政治を、民主主義を、とデモで訴えながら、先日デモ隊の一部が首相官邸を攻略、軍に攻撃、ついにはカオサンの近くでも戦いが起きた矛盾。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/asia/379269/

テレビや新聞の写真を見ると、反政府の大集会では、血まみれの死体の上にタイ国旗の生地がかぶせてあり、闘士たちの死を讃えられていた。政府支持者も反政府支持者も、同じタイ人なのだが。

微笑みの国といわれるぐらいいい国なのだが、40度の暑さでついにストレスが爆発し暴動が起こる。

潔く身を引く日本の首相の常識。

日本にいては気付かない世界の常識。

インドシナは今日も暑かった。

タイに戻ってきました

4月27日

偉大なる田舎国家・ラオスからタイに戻った瞬間、過去から現代に戻った。

ラオスの道路は日本の下道のように道が狭く、アフリカのように砂埃も多く、しかもインドのように牛の群れが国道上を横たわっている。そんなラオスからタイに戻ると、快適なハイウェイが整備されており、まるでバックトゥザヒューチャーの世界。

ラオスに比べると夜の明るさ(街灯や照明)がちがう。コンビニは24時間営業。物が豊富。

「CapitalCity」のビエンチャンより、タイの田舎の「地方都市」ウドンターニーのほうが高いビルがあるし、なんと日本のような超近代的なショッピングセンターがある。

なのでタイに戻ると、先進国に思えてしかたがないのに、そのうえラオスよりも物価が安い。

なまいきにも、エアコンとCATV付きの「ホテル」に泊まっています(ウドンターニーのバスターミナル近く。それでも一泊300Bと安い)しかもホテルのWiFiもFree!なので、またもやネットネットサンコンさんになったのは笑ってください

でも、2010年はWiFiの宿やホテルが多くなって大変便利~。

とにかく、便利なタイに戻ってほッとしております。

ラオスは社会主義がつづいていたのでサービスという概念がまだ根付いておらず、無愛想な接客も何度かあったが(かといってラオス人の性格が悪い、ということではないので念のため)タイは微笑みの国とだけあって接客態度も好い。

そして、ラオスから戻って気付いた事は、タイの屋台のおばさんもてきぱきと効率的に動いている。のんびりマイペース至上主義のラオスでは見られなかった動作だ。とくに夕食時の満員のレストランでは店員がこまねずみのようにあわただしく動き回っていた。

「タイはのんびりしている」というイメージだが、そのイメージを変えなくてはならない。

ウドンタニの町は白人の姿をよく見る。ラオスの首都ビエンチャンでも西洋人が多かったが、大体がバックパッカーや在住者だった。しかしこの街はアメリカ人が多い。越南戦争時に米軍基地がおかれ独特の発展をした町。さしずめ沖縄のコザのような町だろうか。

貧困の地方とされるイサーン(東北部)でありながら先進的な町になった経緯が、なかなか興味深い。

http://kitaro.gozaru.jp/aboutudonthani.htm

琉球大学のPDFより 東北タイ出稼ぎ労働者

http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/13290/1/No54p128.pdf

錯覚

タイ東北部の田舎の地方都市ウドンタニにまだいます

コンビニやショッピングセンターも近く、バスターミナルや鉄道駅まですべて徒歩圏内というタイでも珍しい町。バンコクやビエンチャンなど違っていちいち市バスに乗ったり自転車やスーパーカブを借りる必要が無いので、小さな町のほうがコンパクトで便利なのだ。しかも人も素朴で物価も安い。

泊まってるローカルホテルも便利で、本当なら1~2泊で出て他の町にいく予定だったのだが、今日で7泊目なのは笑ってやってください。小説家風にいえばカンヅメだけど、悪く言えば外〇もり。

もはや旅ではなく、生活と化している・・・ タイの日々はすばらしいけど、明日こそ重い腰上げてこの町を出なくては・・

ホテルの小部屋でNHKワールドを見ながらネットをしてると、日本にいるのと全く変わらない。

しかし部屋から外へ出ると、当然タイの街並みや、タイ語、タイの日常が広げられており日本モードからいきなりタイの世界に入ると違和感を感じてならず、

一瞬「ここはどこの国?自分はどこにいるのか?」と無国籍な不可思議な気分になる この気持ち、わかるかなあ~

タイで見る日本の番組も、日本でテレビを見るより、異国にいることで何倍も自分の心に内容が沁みこむ。

この気持ち、わかるかなあ~

バンコクに戻った

先週の5月上旬、バンコクに戻った。

UDD(例の赤シャツのデモグループね)支配せり。

3月に戻ったとき、まだお祭りのような雰囲気だったが、4月にバンコク戦争が勃発、そして5月上旬の今回戻ると、出入り口が砦のようになっており、空気もちがう。タイヤと竹やりと有刺鉄線でできた砦。前回の単なるデモでは無かったとげとげしい不気味な気配。

UDDの支配下におかれたバンコク中心部のシャームスクエア一帯は死んだような町になり、街が街でなくなって異様だ。他のエリアは問題なく通常通りなぶんだけ、余計に不気味だ。

支配の間閉店され営業できない店舗の保障はどうなるのか?

なぜデモなのにそこまでする必要があるのか?

ま、タイ人のことだから、おたがいどうでもいいさ、ってことなんだろうけど、ここまでのさばっていると、やはり狂っている。

まるで、ならず者に街を支配され無法地帯と化した、ひでぶあべしの某漫画や、ゲームや映画のストーリがここで現実的におこなわれているのである。

そんなタイにいるうちに、なにが善悪なのか、わからなくなってきた。

カオサン通りも、そのえいきょうがあってか、人もめっきり減った。 夜でも盛り上がりが無くなり、朝や昼は人もまばらだ.まあおかげで泊まりやすくはなっているが。

ともあれ、こんなバンコクにいてもつまらない。大都会バンコクに来ると経済格差も露骨である。 もはや自分のいるところではない。タイは田舎がいちばんいい。

AirAsia に乗ってみた

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格安航空会社のエアアジアは、切り詰めた予算の都合、モニターすらない

では、離陸前に上映される緊急時の説明はどうするのか?というと、3人の客室乗務員が通路に出て、機長のアナウンスに会わせてベストやマスクを着用したりとくねくねと動くのだが、アナウンスにあわせて3人一斉に動くので、なんだかPerfumeの踊りっぽくて笑ってしまった

芝居もうまくなくてはエアアジアのスッチーにはなれない事が証明された。

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