冬季五輪の開会を記念して、ちょうど20年前に行った長野五輪・実録極貧観戦ツーリングをお届けします!当時は若気の至りで、無謀・無茶のオンパレードだったけど・・・
ちょうどこれから開幕式
ですが、実はもうすでにおとといぐらいから競技は始まってたんですね。
てっきり開幕してから明日から競技がスタートするのかと思ってたけど。
選手村のある江陵では、あれだけ寒いと言われてるのに、きのうテレビで見たら全く雪が見られなかったのが意外。
それだけ寒いと、普通だったら以前に降った雪が傍らに残ってたりするのなのに、毎日天気が良く、何週間も全く雪が降らないのだろうか。
なお、2006年に韓国ドライブに行ったときは、ちょうど五輪誘致していたころでした。平昌一帯はこんなところです
「イエス!ピョンちゃん」という響きがプリティー。
ということで、
きのうの20年前シリーズ同様、
今回も「20年前シリーズ」をお送りします
それは、長野オリンピックを観戦。
日本の、しかも長野でオリンピックが開催されるので、そしてミーハーだった私は、開催中の長野にとにかくぜひ行ってみようと思ってた。しかも長野ならこれまで何度も行っていたし、そんなに遠くないのでチャンスだった
オリンピックが日本で開催されるので、当時の日本はお祭りムードで浮かれていた。
とはいえ、もちろん当時の私は激貧だったので、観戦はできなくてもとりあえずどんな様子なのか見に行きたい。なのでいかにお金をかけずに長野に行って見に行くかがテーマだった。
バイクで行くのが一番金がかからない。GN125で長野まで行くのだが、当時ガソリン代もリッター100円しなかったし、125㏄で燃費も良かったので、たった1000円ぐらいで行き来できた。そのかわり、ずっと下道・国道18号を走るため、極寒とのたたかいだったが。
1998年、五輪開催時の長野駅前。
チケットを買うことができた!
しかし、長野市内の五輪専用の特設チケットブースのようなところで、なんとチケットが売ってるので、買うことに。
一番安い競技を探すと、バイアスロンと、リュージュという、聞いたこともない競技の観戦チケットをそれぞれ1枚ずつ買うことにした。たしか1枚につき2000円か2500円ぐらいだった。
フィギアスケートのような室内ではなく、雪に囲まれた屋外なので当然寒い。
でも、選手と一緒に雪と寒さを共有しなくては、見ても面白くないしね。
こうして、チケット買って、夕方には日帰りで長野を去り、また日を改めて長野に行き、二つの競技を観戦しに行ったのだった。
リュージュ
ボブスレーは複数人乗るのに対し、リュージュは一人か二人乗り用のソリ。
延々とすべり台やウォータースライダーのようにすべりおりていく。
コース自体が長いため、全体が見れるわけではないのでそれ自体は特に印象になかったが、一番印象に残ったのはゴールした後だった
ゴール後、ブレーキングさせるため上り坂を上るのだが、ゴール直後は最高速になっているため、雪煙をあげながら猛スピードで上り坂を昇っていく様は、まるでホウキに乗った魔女がターボジェットエンジンで離陸するようなど迫力で、とても印象に残った。
バイアスロン
翌朝、バイアスロン競技の野沢温泉村まで、ところどころ雪道をあえぎながら進み、会場までやってきた。よい子はマネしないように!
これも初めて見る競技だが、銃を背負いながらクロスカントリースキーを走った後、射撃場で「スポン、スポン」とライフルを射撃するという、よくよくかんがえると実に牧歌的な競技だった。当時の現地の気温は-1度から-5℃ぐらいだったか。でも日差しが出ていたのでそこまで寒くて震えるほどでもなかった。
そのさい、「〇〇選手、満射」という会場アナウンスがひんぱんに流れるのだが、女子のバイアスロンで、しかも「満射」という響きが、当時20歳の自分としては、どーしてもあっちのほうのイメージになってしまう。
まあ若気の至りだ。しょうがない。よい子はマネしないように。
で、競技を見た後は長野を去るのだが、帰りはとにかく寒く、夜の軽井沢では-8℃だった。
路傍の雪は凍り狂っており、路面にアイスバーンがないか冷や冷やものだった。バイクで-8℃の中を走ると、ありったけの着膨れ状態でも骨まで沁みるぐらいの極寒だった。群馬に降りると、寒さもうんと和らいだので助かった。よい子はマネしないように!
そして、家に帰った翌々日ぐらいにタイに行き、長野のふるえる極寒から、いきなりのタイのトロピカルな暑さに仰天するのでした。
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