世界一周23-2 USA最南端での別れとフロリダのブラジル人の生活

南米・中米・北米編
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はるばるインドからジェベル125という小さいバイクで世界一周をして、念願とも言えるアメリカ最南端のキーウェストに到着した。

しかしドイツ、ブラジル、そして最南端キーウェストで、3度目の突然のエンジンストップ。

そして下した判断は・・・

ジェベルには悪いが、この南のはての島で別れることにした。

もうジェベル125には未練は無かった。

7月には日本に帰らなくてはならないし、もうブラジルのようにエンジンを修理する金や時間、そして予想以上に辛すぎるアメリカをツーリングし続ける気力は、もう残っていなかった。

しかしインドから南米、アンデスを越えてはるばるアメリカまで走りきったわけだし、ジェベルも正真正銘の100%完全燃焼で燃え尽き天寿をまっとうしたのだから、ジェベル125にとっても最高の大往生だ。

「ジェベルよ、よくここまでがんばった。米国最南端での別れというのも、何かの運命なのか・・・」

もう迷いは無い。すぐにジェベルを己の手で解体して、まだ利用できそうなパーツや電装部品等はできるかぎり抜き取った。アメリカではカルネは使っていないものの、万が一転売されないようにキーも捨てた。

自分の世界一周のシンボルである「STK 1」のナンバープレートと、75733kmと刻まれた速度計は、一生涯の形見にするのだ。

骨だけになったジェベルはバイク屋に許可を得て処分される事になった。

日本から、カオスのインド、熱風の西アジア、ファンタジーなヨーロッパ、様々な出会いがあった中南米・・・

ここまで共に走ってきて、ジェベルのおかげで素晴らしい体験と仲間ができた。

そんな相棒ジェベルの末路がこういう結果になってしまったが、やむをえん。許して欲しい。人間だろうが鉄馬だろうが、いずれは形がなくなるものなのだ。

バイク屋にはまだ新しいバッテリーをあげた。段ボール箱をもらい、ツーリング用品や形見を入れて、観光地なので近くのレンタサイクルで乗りにくい自転車を10ドルで借りて、キーウェストの郵便局から埼玉の自宅に送り返す。

そんな目まぐるしい一日だったので目が回るほど忙しかった。

その日の夜、スーパーで買った見切り品のココア牛乳をがぶ飲みすると、傷んでいたのか疲労とあいまって激しい下痢をしてしまい、公衆便所が無いので海で雲古をしようと思ったが、波止場の手前で間に合わず自爆。ただでさえジェベルを失ったのに、この仕打ちは屈辱的といっていいほどみじめだった。泣きっ面にハチとはこのことだ。

仕方が無いから海水でシリや下着を洗い、絞って濡れたままの下着を穿き直してライオンズクラブの建物の陰でホームレスのように野宿するという、もうめちゃくちゃな夜だった。

翌朝も、帰るためのキーウェストのバスターミナルまでタクシーで行けばいいものを、ヤケクソな精神状態ゆえに、タクシー代が高いからと意地を張って、20kgの荷物を担いでよたよたと歩いてバスターミナルへ歩く。歩いては休み歩いては休みでなかなか進まない。

そこで運良くヒッピーの小型キャンピングカーに乗っていかないか?と拾われ、ありがたく乗せていただきターミナルに着いた。

キーウェストからマイアミ (約260km、34ドル) 行きのグレイハウンドのバスに乗った。

観光バスではないので7マイルズブリッジも海中道路もキーラーゴの島々もあっけなく通り去る。

途中の休憩地はファーストフードチェーン店。乗客や黒人運転手もハンバーガーやらシェイクを買っていた。

マイアミからは路線バスを乗り継いでデニーズの家に着いたが、まだ閉まっていたので6kmもバカみたいに歩いて彼らの店に行った。

店でガラナと、チキンなどを包んであげたブラジルのスナックを食べた。

閉店後アパートに戻る。ジェベルを失い、この数日間で肉体的に、そして精神的にボロボロになっていたので、しばらく居候させてもらい充電する事にした。

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地獄の後の極楽

キーウェストからデニーズの家に戻ったその夜は、またも大往生のように眠りこけた。

起きたのは昼過ぎだが、デニーズたちは仕事に出かけており、アパートには自分ひとりだけが残っていた。
今日はヒマだ!昨日まではまるで嵐のように目まぐるしく忙しかったのに。

フロリダの超さわやかなそよ風をあびながらTVをダラダラ見ていると、すっかり自由の身になって荷も降りて万歳!てな気分だった。

ツーリングの時と違って、つい昨日までと違って心と時間に余裕が出来た。

なので日本の実家に電話する事にした。暗証番号式のテレホンカードを使えば海外への通話も安いのだ。
電話すると、「ニューヨークの上田さんという人があいたいだって」「ひー」

実は私は、エクアドルのキトから賀曽利隆さんのホームページ「賀曽利隆オンライン」(現在は閉鎖)の掲示板に、自分の旅のことをリアルタイムに書き込んでいた。

私はメキシコシティ以来インターネットが読めなかったが、その間、日本の両親が「NYに着たらうちへ泊まっていきませんか」という上田さんの書き込みを読んでいたのだ。

「よっしゃ!こうなったらNYに行くしかない!」

かねてから人種のモザイクであるNYには行きたかったが、ツーリングの場合だと宿泊の面などで行くのをためらっていた。

しかしこれは願ってもないチャンスだ!

居候の次も居候、もう絶好調だった。

早速、NY在住の上田和由さん(ワユーさん)に電話した。私が話した後、デニーズと旦那のアレックスに話させてみると、ワユーさんもブラジルでお世話になってたから話も弾んでいるようだ。アレックス曰く、「彼はナイスガイだ」そうだ。

本来なら3泊ぐらいデニーズの家に泊まる予定だったが、もうバイクは無いし、あまりにも快適だったので、12泊もさせていただいた。

その間、JAFへ今は亡きジェベルの廃車申告のため日本へFAXを送らせてもらったり、NY行きの航空券を手配していただいたりと、まるでオボッチャマ気分だった。

そのささやかなお礼に、牛丼やテリヤキチキンなどの「ジャパニーズフード」を彼らに作ってあげたりした。キッチンもあるので久々に料理の腕がうなった。

日本人のいない寿司屋でフォークで食べる

3人で近くのスシレストラン・FUJIに行ったこともあった。

寿司やてんぷら、麺類などがあるが、映画の「Sayuri」じゃないけど、日本食レストランなのに店員はみんな中国系か韓国系といった感じで、しかも、日本語は誰も話せなかった。これは日本人として、ある意味ショックだった。

近年アメリカでもスシバーが急速に増えているが、やはり地方だと日本人が皆無だから他の東洋人が代わりになっているのだろう。

とはいえ、ここの寿司はうまかった。私はグルメぢゃないからよくわからんが、日本人でもアメリカ人でも受ける味だと思う。
マイアミロールと言う日本には無い手巻きやネタもあって面白い。魚のフライやテリヤキを巻いた手巻き寿司なども、ファストフード感覚でいい。

「私たちはSushiも好きなのよ」
といいながらも、アレックスはフォークでのり巻きを突き刺して食べていたのにはまたもビックリ。文化の違いを認識した。

アレックスの姉たちが住む近くの家でパーティーがあった。
12人ほど集まったが、みんなブラジル系アメリカ人だ。当然ポルトガル語での会話だが、みんな陽気に話しかけてくれる。やっぱブラジル人。フロリアーノポリスのラモン一家を思い出した。

アレックスの親類のおじいさんが店のマネージャー。落ち着いてにこやかでありながらも真剣な目つきが印象的だった。

宅配ピザとコーラ(アルコール類はなし)で食した後は、「儀式」が始まった。

全員が輪になって手を取り合い、「エスピリトサントなんたらかんたら~」と一斉に呪文を唱え始めた。デニーズに言わせると、これはブラジルの黒人が信仰するキリスト教の一派だという。(と言ってもこの家族はみな白人だが。そんな辺りが人種に寛容なブラジル人らしさを感じる)

最初はビックリしたけど、儀式を通じて家族団結しようとする現われなのだろう。
遠い異国で暮らす家族ゆえの、今までにない絆の形であった。

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