たびいちは、これまでいろんなタイプの冒険家に会ってきましたが、
冒険とは何なのか。冒険者の意義とは?
何気なく流れてきたリツイートの中で、まさにこれだ!と思いました
関野さんとの対談で話題になったのは、若いヤツがほとんどいないということ。対談相手をみても、ほとんど私と同世代かそれより上。冒険って生きる意味と成長の探求なのだから本来若者特有の行動のはずなのだが。
オッサンがやってどうする!というのはある。同じことがノンフィクション系の編集者と会っても話題になる。いつまでたっても私が一番若手。賞の候補者を見ても毎年かわらないメンツ。ずっと頑張っていたらそのうち賞がもらえる。そういう状態。まあ世の中がつまらんから、冒険もノンフィクションも廃れるのは仕方がないといえばそれまでだが。
引用元:角幡唯介@kakuhatayusuke
オッサンがやってどうする!てのには笑っちゃったけど。
たびいち的にも若者の冒険離れは強く感じていたのが、やっぱり冒険家が言うと、事実なのだなと思った
なぜ若者の冒険離れがすすむのか
それは
上の世代がすでにやりつくした
世界が可視化されてしまって必要とされていない
繁栄よりも環境の時代
日本の社会が本当に停滞し、つまらなくなった
多くの方は以上のことをたぶん認識してると思いますが、
これから核心に迫っていきます。
若い世代にお金が無い
日本経済がどんどん悪化し、そしてコロナのせいで、今を生きるのに精いっぱいだと思う
とはいえ、1960年代の若者もお金はなかったと思う。でも冒険欲などは今とは比べ物にならないほど旺盛だったと思う。
それはなぜか
上の世代がすでにやりつくした
登山や極地制覇・砂漠縦断や世界一周といった、あらゆるジャンルの冒険が、すでに先人たちによってやりつくされてしまった
エベレスト登山は、初登頂からすでに70年近く経っているわけで、今更命がけで登っても、名声的なメリットもない。
エベレストの大量のゴミも問題になってるし、もはや自己顕示、自己満足のためにエベレスト登山をやってるようなものだ。自分が遭難して死ぬ分には自己責任だが、そのためにシェルパまで巻き添えにするのは人道的にどうなのか?という問題。
エベレストで栗城氏が死んだが、勝ち目のない挑戦に挑んで死んだとしても、この今現在、何が残ったというのだろう?
あまりにも常識を逸脱して無謀すぎた挑戦がゆえに、人々から共感できなくなると、思った以上に人々の記憶から急速に忘れ去られてるのではないか。
ハイリスク、ローリターンだ。
世界が可視化されてしまってメリットが無いし、必要とされていない
いまやネットを通じて、家や外出先などどこにでもいながら、その国々を気軽に見れるようになった。もう世界全体がオンラインでつながっている。
ネットの無かった時代、世界の未知に飢えていた時代を知っているので、これは画期的なことだ
その反面、未知の世界に対する、ほとばしる好奇心も削がれてしまう欠点がある。特に若者にとってはデメリットにもなる。
日本のジャーナリストが紛争地で捕まって拉致されて、運よく帰国できたものの、結果的に大ひんしゅくを受けた事件があった。
たしかに、現地に行って見聞きした生の情報は貴重だろう。しかし、ネットで世界が網羅されているいま、得られるメリットよりも、迷惑をかけてしまうリスクのほうがでかすぎる。
「自称ジャーナリストが行くよりも、現地の人のSNSを分析したほうがよっぽど確実だ」という意見もあったからだ。
故・河野兵市氏は「冒険に失敗すると社会からの孤立を招く」という思いがあったらしい
そしてそのSNSによって、迷惑をかけたりの失態をすると、たちまちSNSによる非難の集中砲火を浴びることになる、怖い時代になってしまった。
繁栄よりも環境の時代
日本が金満大国だった80年代に大人気だったパリダカも、人気が無くなってしまった。開催地におけるあつれき。現地の人からも「先進国の人間がガソリンまき散らしやがって」とねたまれるようになった
日本があくせくがつがつしていた時代から、30年経ってSDGsとかで意識も変わった。そういう意味ではいい時代になったかもしれない。
日本の社会が本当に停滞し、つまらなくなった
しかし今の日本は、とくにコロナ時代で、人間の持つ感性や、多様性をうばっているのではないかと、心から危機感を持っている。
たとえばイギリスのサッカー大会でも、アメリカの大リーグでも、観客は誰もマスクなんかしちゃいない
ほんとうにうらやましい。ほんとうにうらやましい。ほんとうにうらやましい。
くそあつい真夏にマスクなんかしたくないよ。
マスクの着用もどこまでOKでNGなのか。日本人はなぜみんなで考えないのだろうか?
ただ「ルールだから」といって、黙って従えばいいのか。
それに従ってばかりだと、いまの政治や、5つの輪っかなど、時の権力者のいいように動かされてしまう
まだ去年だったら、「熱中症にならないよう真夏なら適宜マスクを外してもいい」という認識が世間にあった。
ところが、その後の一年で暗黙のマスク強制着用地獄が浸透した結果、今年はそういう意見が出てない気がする。
最近、小さい子供までみんな一様にマスクをさせられているのを見ると、いやになってくるよ。ふびんでならない。まるで全体主義国家に後進しているディストピアのようなシーンだ。
もう日本の復活も望めないし、香港やミャンマーの流れを見てもそうだけど、このまま何十年も経つと、日本も衰退した暗い不自由な国になってしまうのではないかと。
まとめ
世界を見てきた人間からすると、今後、コロナの呪縛で、海外に行くのも困難になると、この国は一気に詰んだ気がする。つまらん世の中とマスクも外せないような狭く息苦しい日本で過ごせとなれば、若者の冒険離れも進んで当然だ。
だからと言って、ムリに冒険する必要もない時代。
冒険には莫大なお金がかかるからだ
バブル時代とちがって、スポンサーが気軽に出してくるような時代ではない。それでもクラウドファウンディングで何千万円も集めたとならば、それに見合った常人離れしたカクゴが無いといけない
無名の駆け出しの若者がいきなり何千万も集めるのは困難。となるといくらか名声と実績のあるオッサンばかりになってしまうのはしょうがないと思う。
冒険をする必要は無いが、ダライラマが仰せの通り、若い人は英語を覚えて、海外に飛び出さないとダメだ。異文化と圧倒的な自然に打ちのめされて、人間は磨かれるのです。
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