ある女子水泳選手が言った「努力は必ず報われる」
について、いろいろ書きます
まずはこのツイートを見ると
池江選手の「努力は必ず報われる」発言に対して「報われない努力もある」という意見が飛び交っていますが、努力が報われるのは必ずしも結果においてではなく、僕は過程においてだと考えています。夢に向け走るその刹那に、人はいちばん輝く。それこそが最大の報酬だと思いますhttps://t.co/mBHyCHJ60r
— 山口雄也 (@Yuya__Yamaguchi) April 5, 2021
そして、
努力とは180度正反対の、なまけもの代表のカウンター系はこの方
ひろゆき「人生、努力ではどうにもなりません」
https://toyokeizai.net/articles/-/343981
先の女子水泳選手を「鋼のように強靭」だとすれば、この人はオバケやナマコのようにつかみどころがない。
たびいちは、若いころから世の中なめまくってきてるし、人生逃げて逃げて逃げまくってきたし、この年になってもふざけた生き方をしてるけど、この人の常識のぶっとびぶりは、一回りも二回りも人間離れしてるぐらいでここまで徹底してるとは思わなかった。
だからこそ、途方もない巨万の訴訟などの困難をのらりくらりとかわしながら、日本最大の匿名掲示板を作ることができたのだろう。
もし普通の人のように一歩でも「常識」を考えたら、たぶん普通の人だったら途端に砕け散ると思う。
五輪選手と一般人の違い
オリンピック選手の場合、目指すべきことは「勝つこと」「メダルを取ること」と、極めてシンプルで一方向なので、選手になれる素質があって、タイムを縮めたかったら、ただひたすらにがむしゃらに頑張ればいい。だから努力の成果も実感しやすいと思う。
しかし多くの一般の人々は、自分の目指す方向性が多様過ぎてしまい、迷ってしまい、どれも中途半端になったり、見失ってしまう。だから努力は報われないと感じるのだと思う。
たとえばユーチューバーになりたいという人も、プロになれるのは、ほんのほんの一握り。非常に難しい。
それは、「努力すれば報われる」といって、たとえ時間と労力をかけてどんなに凝った内容の動画を作っても、世間のニーズとYouTubeのアルゴリズムが合致しないと、人気になる保証はない。
YouTubeがまだ黎明期の頃なら勝算のチャンスもあったろうけど、いまの強豪だらけで動画であふれまくってる時代だと、そんなレッドオーシャンで一から成り上がるには、努力だけでなく才能やキャラクターやセンスが合致してないと、まず空回りしてしまう。
あるニュースコメントにはこんなこと書いてあった
努力の裏側に尊さがあるのでは。
王さんが言ってました。
「努力しても報われないかもしれない。しかし、努力しなければ絶対報われない。」と。
40代が思う努力の概念
元気いっぱいの20代と、身体機能も衰え、先の見えてきた40代では、努力の概念が違うと思う
それは、40代になると、自分の人生がだいたい、わかってきてるからだ
自分自身も20代の頃は、世界一周を達成した後は「何でもできる」という根拠のない自信があった。
しかしその後はさまざまな「現実」にぶつかり、「やはり自分の力はちっぽけだったのか」と知ってしまい、己の小ささに気づいてしまう。
と同時に肩の力が抜けて、その壁にぶつかったりした経験を通じた、身の丈に合った自分が楽しめる。
なので、
「努力なんかキライじゃあ」という人もぜんぜんかまわない
まずは自分の好きなこと、楽しいことにチャレンジするだけいい。
それでいいと思う
私の場合43歳になってからYouTubeをしっかり作り出すようになったし、
今年来年はコロナで世界に行けない代わりに「UberEatsで日本一周」も計画している。
と書くと、
我ながらまるで20代の青年のようだ。
歳を関係なく、自分だけでなく、みんなが楽しめるものをやればいい。
それを「もう40代で齢だから」「世間体があるから」といってしり込みすると、何も生まれないし、面白みのない人生でしかない。
でも、やりたいことをやり通したり、チャレンジすれば、それだけで魅力的になるし、人から見れば立派な努力になると思う。
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