【お宝!】17才のたびいちの旅日記「真夏の価格破壊旅 1995」

名作復活シリーズ

青臭さ万点! 青の野宿人の

ツーリングレポート

「青の野宿人」と言うのは、たびいち・アフロあきらの旧称です。

この夏の緊急企画!!

ちょうど22年前の1995年の高校時代に書いた、我が旅の原点とも言える「野宿ツーリング日記」を公表します!

当時17歳。もうオートバイに乗りたくて仕方がなかったあの日。

その理由は、私のような運動神経ダメダメ人間でも、オートバイに乗ればカッコいいし、そしてどこまでも遠くへ行ける!

だから受験勉強そっちのけで、バイク雑誌をオニのように読みまくり、1995年4月、17歳の時に勝手に自動二輪中型限定免許(現・普通二輪免許)を取って乗り回すまでになった。

二輪中免を取得と同時になぜか中古のスズキGN125Eを購入。

理由は、中免とったとはいえまだ若造で、運転もヘタで、金が全然なかった。

アメリカンスタイルなのに何故かアジアンテイストあふれる渋いスタイルと、燃費抜群、維持費も50cc並という経済性に惹かれたのだ。(高校生なのにえらい所帯じみてた)

日曜日になると、朝4時に出発して、日光や湘南方面を日帰りツーリングしていたほどの精力ぶり。あの頃は乗ること自体が未知への旅に燃えていた。

しかし当時は学校の目を逃れて単車生活を謳歌していたので、もちろんおおっぴらには乗れないし、友だちともバイクの話すらできなかった。

そして高校最後の夏休み。

自分にとっては処女航海とも言えるツーリングに挑戦した・・・・!

※雑誌・月刊モーターサイクリストに掲載された文章をそのまま書き起こしました。

だから若気のいたりと思われる文章もありますが、気にしないでね♪  

だけど、雑誌に掲載された時は写真もモノクロだったけど、ついにカラー写真で完全復活!

さらに充実したので是非御覧ください 

1995年8月 9,000km走行。静岡市にて撮影。ベンチの上でシュラフで寝た 2002年2月 72,000km走行。錆びて色あせてる老体だが現役だー!

        


 懐かしい街を訪ねて 真夏の価格破壊旅

月刊モーターサイクリスト 1996年3月号 掲載

スズキGN125E(’89年式)

 青の野宿人 18歳  

      

価格破壊車ボルティーをさらに縮小したような愛車GNで、一泊とはいえ野宿旅をするのは初めてだ。行く先に静岡方面を選んだ理由は、見どころも多いだろうし、昔、親の転勤で、清水市日立町で暮らした事があったから。懐かしさと不安と希望を抱きつつ、発動機に生命を吹き込む——。

日立町を目指して

<1995年8月9日>

朝6時30分出発。本当は、これより2時間早く出るつもりだった。だが日帰りではないし、まあいいだろう。

R407を進み、途中、東松山図書館前で荷物を積みなおす。GNのリヤシ-ト後ろのキャリヤには、トランクをつけている。これが便利で、日帰りくらいなら、これだけで充分だ

R407を走っているうちに、「あそこ」と書かれたホテルの看板を発見。思わず単車を止め、写真を撮ってしまう。まったく、彼女がいないからこんなことができるのか?

入間からR16へ。相変わらずトラックが多い。トラックに囲まれながら、アリみたいに走る。

東京都に入りしばらく進むと横田基地が見える。渋滞していたので、基地を眺めつつスリ抜ける。中はアメリカそのものという感じだったが、「YAKITORI」と書かれた露店を認めて「日本伝統の味が、米軍を占領した。万歳」とヌカ喜び!?

8時30分頃八王子に着きようやくR 20に入る。そして大垂水峠へ。

ここは休日には、125cc以下のバイクは通行禁止。平日なので通れたが、なぜ125cc以下は通行禁止なのか。

ローリング族が峠にタイヤの跡を残している。跡を見ただけで4輪とわかる。しかしなぜか2輪が通行禁止になっている。

しかも原付2種は、攻めるようなバイクは少ない。実用的なバイクが多い2種でさえ通行禁止になるのは、実に愚かで納得がいかぬ。

そう思いながら、相模湖を見つつ水筒の茶を飲む(夏に冷茶は最高だが、中身が空になると、水筒はただの荷物になってしまうのである)。

   
鳴沢氷穴の最深部。地獄穴は、ふさがっている感じだった

狙撃手のアジト発見!?

9時50分ごろ大月に到着。ここからはR139で富士吉田を通り富士市に向かう。

富士吉田に着いたのは10時30分。富士山は毎年7月25日に登山競争が行われる。ここは裏富士の玄関口にあたる、山梨県で第二の都市である。

そんな街で、私は狙撃手(スナイパー)のアジトを見つけた!が、アジトのくせに、市街地の道路沿いにある!?

その建物の名は「ゴルゴ13」・・・ならぬ「ゴルゴ」。つまり実を言うと、古本屋の名前だったのだ。

これがR139沿いの”スナイパーのアジト”だ!? もちろん「ゴルゴ13」も売っています

「ゴルゴ」に入り、暇つぶしのための本を買おうと思ったが、店内には誰もいない。どうやら、店主は狙撃に出かけたようだ(大ウソ)

富士吉田を出て、精進湖方面へどんどん進む。

途中、鳴沢氷穴というのがあったので単車を止めた。入場料は190円。期待しながら中に入る。

たくさんの客がいて少しずつしか進めないが、とても涼しい。最深部に入るとますます冷え、氷柱がそびえ立っている。温度計を見ると2度Cしかない。1年中、気温は一定だという。5分くらいいたが、身も凍えるような寒さではなかった。

30度C近い差のある外へ出ると、真夏の光を浴び、ジワジワと暑くなる。この温度差だからこそ、私は大満足。

氷穴を見た後は、樹海の中を走る。やがて小さめの湖が見えてきた。精進湖だ。

さらに走り、静岡県に入って間もなく、富士宮道路へ。

料金所前にPAのような施設がある。そこの食堂で ”あさぎりうどん” というものを注文した。朝霧高原にちなんだものだろうが、他の天プラうどんなどに比べれば、220円と安い。

出来上がったのを見たら、思ったとうり、うどんのほかにはネギしか入っていない。味は250円の「山田うどん」(注・埼玉にあるうどんのチェーン店)よりも数段劣る。

私は「山田うどん」の回し者ではないが、ぜひ、寄ってみてはいかがかな。

若い女性とオニごっこ

富士宮道路は、高原を通っていて、まるで北海道のようだ。牧草地帯なのでクソだめの中を走る感じもあるが、通行料は50円ですんだ(2輪は210円。ちなみに私は原付2種友の会 №124である)

県境から25kmぐらいで、ようやく富士宮市の市街地についた。富士宮市は広かった。

次は富士市だ。新幹線の新富士駅の下を通って、R1に出る。

この道は車線が多く、流れが速い。信号も少なくて、高速道路にも似ている。せっかくなので、こちらもガンガン行くぞ。

今まで、山や高原を走ってきた。今度は海を見ながら走る。じつにバラエティーに富んでいる。当然ペースも速くなり80~90km/hぐらい。実に快感だ。気持ちええ。

と、そのとき右の車線から、さらに速いクルマが追いかけてきた。白黒のクルマかと思いきや、水色の丸みを帯びたクルマでほっとした。乗っていたのは若い女性だった。

そのクルマが私のそばを通りぬけるのを見て、「女には負けん」とばかり追従する。パワー全開じゃ。

しかし実用車のGNは、せいぜい100km/hしか出ない。彼女のクルマはあまりに速く、すぐ視界から消えていった。

「さすがスゴいぞ、静岡の女は」と思いつつ、駿河湾が望める興津のドライブインの駐車場で水筒の中身を飲む。現在、午後2時。清水はもうすぐだ。

懐かしき土地を回る

R1から、港通りのR149へと進路を変える。

途中で単車を止め、清水港を見る。すごい規模だ。外国船が出入りしている。遠くに三保が見える。

この港からの輸出額 №1の製品は、なんと2輪自動車である。近年、ずっと1位らしい。改めてすごさを感じる。

2時50分(某芸人の名前とはちゃうで)やっとのことで無事、清水市日立町に到着。どこで野営するか考えた。懐かしき土地なので、いろいろ回ってみる。

10年ぐらい前とあまり変わっていないようだ。市街地の方へ行くと、ビデオ屋やコンビニが出来ている。ただ、単車で移動したせいか、街全体が小さく感じてしまった。

途中、図書館に寄る。さすがにこの街らしく、”次郎長コーナー”というのがあった。

その後、あの有名な「ヤオハン」(ウチの近くにはないが)の最上階にある「寿がきや」でラーメンを食う。約10年の間に80円も値段が上がっていた。だが、港を見下ろしながら食うのはじつに格別だった。

清水から静岡市へ向かう。JR静岡駅近くまできたところで、細い道に入ってしまった。この先は通行禁止。それに気づき、即エンジンを止めて歩道へ移動する。なんと、ポリスマンが先で見張っていたのだ。

私の前を走っていたスクーターの男子高校生は哀れにも通行してしまい、笛で呼び止められて、”御用”。

私は安堵の息を漏らした。このときは本当に冷や汗をかいていた。

公園での初めての野宿

初めてのキャンプでいきなり野宿というのはつらいので、貸しテントのある梅ヶ島のキャンプ場で泊まろうかと思ったが、山奥にある静岡市梅ヶ島までは45km。これは遠すぎる。

静岡市は、駅前だと池袋に似た都会だが、奥まで行くと3000m級の山(赤石山脈)がある、バカデカい市なのである。

キャンプ場はあきらめ、清水港へ行こうといったんは決めた。だが高波もありそうだし、暗そうで怖い。結局、静岡市の中心にある常盤公園で寝ることにした。

噴水が、奇妙な鉄琴音と光に合わせてショーを演じている。時刻は8時をとうに過ぎている。サラリーマン、家族連れ、カップルが多数、そしてベンチで横になっている自由人の方達。夜だが、えらいにぎやかだ。

適当なベンチを見つけ、その前に単車を止めて、寝袋に入る。

暑い。もうちょっと薄い寝袋にすればよかった。大体、まだ寝る時刻ではないので、金がないけど、夜の街へ繰り出すことにした。

しばらくして、また公園に戻って寝ようとする。家の中だと、夜中でも30度を越えるぐらいの超熱帯夜(家中の熱がこもってしまうから)だが、外はだいぶ涼しい。

しかし間違った寝袋のために暑苦しく、そしてかゆくなってきた。そんな時はウナコーワ。体中に塗る。

午後11時30分ごろ、叫び声が聞こえた。外国人の家族連れが遊んでいるのだ。「ウルサイナ、ボケ」と思ったが、彼らの場合だと、”時差ボケ”なのだろう!?

公園の水道で脚や腕を洗うと、とてもさっぱりした。

それにしても、カップルがイチャついている。2時間くらい前からずっとだ。彼らは堂々と乳房をまさぐったりしている。

約2名の除きの人とともに、私も堂々と拝ましてもらってるうち、寝てしまった。

本日の走行・・・309km。

三保の松原には、この衰弱した”羽衣の松”のほかにも、砂防林としてたくさんの松が植えられていた

悲惨な海水浴場

<8月10日>

朝7時30分に目覚める。日差しがきつい。だが、初めての野宿にしてはよく眠れたと思う。

両替町のコンビニで朝食の後、「ベッド」に戻り片付ける。今日は三保の松原と、風呂代わりに海水浴場へ行くぞ。

8時30分出発。R1からR149で三保に向かう。朝の港を走るのはすばらしい。まだ早い時刻なので、先に松原に行く。

天女が羽衣を掛けたという松は衰弱し切っていて、何本かの支柱によって支えられている。海を背景に、この松は寿命を「待つ」のか、と考えた。

あと、フランス人能楽師の碑というのを見る。戦前、三保を舞台にした能をヨーロッパ各地で演じたが、彼女は結局、あこがれの三保の地を踏まぬまま、パリで息を引き取った、と書いてあった。

現在は海外旅行は容易になったが、その前に日本の各地を旅行して、日本のいろんな文化などを知ってほしい。まだ、すばらしいものは日本にたくさん残っているはずだと思う。

三保の先っちょのあたりに、真崎の海水浴場がある。客もけっこういた。

ここで泳ごうとするが、焼き付いた砂が熱い。「アチョチョ」と叫びながら海に入ると、今度は岩に付着したフジツボのせいで、その上を歩くとクソ痛い。よけようとしてバランスを失い、体中が切り傷だらけになった。

しかし、これからがもっと悲惨なのだ。

もう一回泳ごうと、今度は沖のほうへ出た。かなりの深さになり、足を底に着こうとしたその瞬間、激痛が走った。断末魔の叫びを上げながら、狂ったように岸へ泳ぐ。

足の裏には、トゲが3本も刺さっていた。しかも、一本も抜く事が出来ない。5円玉をあてがっても取れず、30分ほど格闘したが、ムダだった。結局、招かざる「土産」を持ち帰る事になった。

日立町に戻り、子供のころよく遊んだ鉄舟寺の裏山に行く。この山道を登ると日本平に着くのだが、忌まわしきトゲと疲労のため、すぐにあきらめる。

歩くと痛いけど、単車に乗っているときには支障はない。帰路を急ごう。

価格破壊の旅成功

12時30分ごろ清水を出発。昨日通ったR1を、平均80km/hで進む。箱根のあたりを回って帰ろうかとも思ったが、天気も悪くなりそうなので、往路と同じ道で帰ることにした。(このほうが近く、自然も楽しめる。)

富士宮市を走行中、「100円ラーメン」の看板を認め、すぐに引き返した。

中華料理「龍園」というR139沿いの店で、中国の音楽が流れる中、頭ツルツルのおっさん(香港映画の悪役みたいだ)が厨房で、中国語で会話している。これぞ本物だ!

ラーメンのほうは、塩味を主とした本場の味。木曜だから100円になっていたのだろう。午後1時30分ごろですいてたし、最高の昼食だった。

この後、ルパン三世のエッソで、初めてハイオクを入れた。5L入れれば、十分家に着く。

ところが、GNにハイオクを入れたら詰まったような走りになった。やっぱり実用車には高級ガソリンは似合わないのだよ!?

ノドが乾き、ジュースを買おうと思ったが、郵便局に入り、冷水器の水をたらふく飲んで、すぐに局を出る。旅の恥はかき捨てだ。

富士の樹海を走っているうち、だいぶ眠くなってきた。このままではスーパーマンみたいに空を飛ぶ。身の危険を感じ、河口湖町の「ヤオハン」の硬いベンチで寝る。よほど眠かったのか、すぐに眠れた。

30分後に目覚める。午後4時になっていた。後はどんどん先へ進みます。

しかし東京都に入ると雨が降り出し、高尾あたりで強くなった。

降ったりやんだりして、横田基地当たりでまた強くなったのでコンビニで休み、7時10分ごろ再出発。

午後9時、自宅に到着。価格破壊の旅は成功した。

本日の走行・・・288km。

後記(誓いのスピーチ)

これからは、野宿、倹約、単独で日本一周、世界を放浪したい次第であります。

データ

全走行距離 597km    燃費 43km/L 全費用 2064円

( 内訳 ガソリン代 615円、 食費 1155円 有料道路代 100円 氷穴入場料 190円 )


そして、感想(2005年当時)

・・・・・・以上、当時の高校のときに書いたレポートを一字一句、忠実に完全に書き起こしたわけであります

価格破壊・・1995年の流行語でもあります。まだ今からだとつい最近の事なのか、懐かしいのかわからない、微妙なノスタルジーでございます。

ただし、あの頃は誰ひとり携帯持ってる高校生がいなかったのですよ。

もちろんインターネットなんてほとんどナイチンゲールな時代。

(その代わり現在から見るとめちゃくちゃお粗末な「ポケベル」が流行っていた・・・・・・・ ^^;)

数十年かかった情報技術の進化が、最近では数年で済んでいるので、高校時代を振り返ると自分ではまだ高校時代のままの若さだー!と思っても、結果的にはまるで年寄りになった気分で、恐ろしいほどです。

今でこそあきらは、「小型バイク世界一周の男」ということですが、まあ、昔はこんな事もやっていたんですのう~。

そして!2017年8月現在の感想

価格破壊・・当時ダイエーが39円でコーラを売り、ボルティーという国産250ccバイクをたったの298000円で売っていた、1995年の流行語でもあります。しかし2017年現在だと、立派なノスタルジー。携帯どころかスマホやタブレットの時代ですしね。

それでもガソリン代も安かったし、龍園では100円でラーメンがくえた。景気に余裕のない2017年では、いくらプロモーションでもいまや100円でラーメンはありえない。

私も40になろうとしているので、若き日の旅を振り返ってみると、あのころは気づかなかったけど、とにかく元気がありまくってたなと思う。

なぜなら、いまや日帰りツーリングのためにもはや朝4時に出発なんてバイタリティはもうありません。

これから逆に22年後になると、61歳なので、もっとダメダメのヨボヨボになってることでしょう(笑)

22年ということは、もはや一世代分、時が過ぎたわけですが、当時の自分にとって、2017年の夏に自分が何をやってるのかなんて、思いもよらなかったです。

ということで、

これからもたびいちドットコムでは

「過去と現在を行き来」します!

これまでの過去の経験が、あなたの肥やしになるように。

ちゃんちゃん

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