世界一周09 イタリア、スイス、ドイツ南部篇 中世の世界を追う 

世界一周のヨーロッパでは、物価が高いために毎日野宿の大貧乏旅!それでも若さで進んでいくのだが、のっけから大トラブル発生!さあどうなる?

第9章 イタリア、スイス、ドイツ南部編
(2000年6月17日~7月15日)

●奈落の底は突然に
●イタリアな青春人
●哀しみと泪のソレント
●ナポリとローマ観光
●サッカーバカ一代 in Milan
●アルプスの古城たち
●自転車と冒険教育先進国
●日本のツアー観光客が見たものは・・・

ヨーロッパ編

概要:
ヨーロッパに入ると、物価が高くなるので、毎日野宿となる。
レストランにも入れなくなるので、食事は全て自炊となった。
ただ、トルコから先の欧州では、日本のようにショッピングセンターがあるので、主婦顔負けにスーパーで買い物すれば、清潔で自分の欲しい食料が手に入る。(★印は新通貨がユーロに変わる国)

イタリア
通貨100リラ=5.8円★  ・ガソリン 124円 ・パスタメン500g 40円?
・パスタソース400g瓶 150円? ・テイクアウトの生ハムピザ 145円
・ローストチキン 232円 牛乳500ml 63円

※イタリアでは、さすがにスパゲッチーがうまくて安い。スーパーで売ってるソースもアラビア-タ(唐辛子入りのシンプルなトマトソース)や、ボロネ-ズ(ミートソース)、ぺペロンチーノ など本場の味が堪能できる。

毎日自炊、コールマンのガソリンコンロでめんをうでては本場のソースをかけて夏の地中海性気候の青空の下、食したものだ。自炊でも贅沢な気分になる。
ピザは、街中どこでも食べられる。そのぶんマクドナルドは非常に少ないが。

スイス
通貨1SF=70円 ・ガソリン109円 ・パスタ500g 88円
・米1kg 109円  ・コカコーラ1缶 175円
・パスタソース400g瓶 284円 ・コピー1枚 7円

※スイスでは、金を使わぬまま通過したので、これらの価格はスーパーに入って調べた参考価格である。全般的にかなり高い。

ドイツ
通貨1マルク=58円★   ・ガソリン 旧西独118円 旧東独111円
・ビール500ml 29円 ・コーラ350ml 17円  ・ヨーグルト200g 17円
・プリン200g 23円  ・ハム500g 232円
・ドイツ風フランスパン1袋5個入り 34円

※ドイツやオーストリアは、スイスと違って福祉的措置なのか、スーパーで食料品を買うと驚くほど安い。ビール、乳製品、ハムはドイツの名産とあって安さも最強。
トルコでは「ツナQ」を作ってたが、ここでは本場のハムときゅうりをパンにはさんで「ハムQ」を作った。さらに最高の調味料として、ドイツの古城やアルプスの少女ハイジに出てくるようなアルプスの麓の村を見ながら食べれば、何よりの晩餐をも凌ぐ食事になる。

なお、オーストリアの食料品もドイツと同じぐらい安いが、デンマークになるとかなり割高になる。とにかく、ドイツ人はでっかいので、安くないと困る!?


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イタリア入国 奈落の底は突然に

ギリシャを夜出港した国際フェリー。
翌朝目が覚めると、青いアドリア海の果てについにイタリア半島が見えてきた.

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6/17。朝9時にイタリア南東部のブリンジジに入港した。

バイク共々下船すると、まるで青森のフェリーターミナルに下船したようなだだっぴろいターミナル。全くのフリーパスで入港できたが、言葉はもちろん通貨も変わるので(統合通貨ユーロ以前だったので)とまどった。
イタリアリラが無一文のままブリンジジの町まで行き、街角の両替屋で両替した。

イタリアの高速道路、アウトストラーダE55でバリの町についたが、そこでパンク。GSまで走って自分で苦労してパンク修理。なんとも慌しい限りだ。

そしてナポリに向けてイタリア半島を横断する。夕方、南イタリアの半島中央の町、ポテンツァPotenzaについた。山の中の地方都市で、イタリアらしい趣のある落ち着いた感じの街だった。

しかし、ふと後ろを振り返ると、後ろに括り付けていたリュックサックがなくなっていた・・・

「しまった!」

たしか取り出しやすいように背負ってたリュックを後部座席の荷物の一番上につみかえた。それで走行途中で落ちたのに気がつかなかったようだ。

「とにかく冷静になって探そう」
リュックの中には、30万円分のT/C、10万リラの現金(約5500円)、国際免許証、説明書、書類といった、大切なものばかり!それを落したのだ。

来た道を戻りに戻り、100kmも戻りながら探した。だけどリュックは見つからなかった。じょじょに冷静さを失い、絶望が覆い始める。

「何でこんな時に限って大事なものを入れたんだ!何で落としたのに気がつかなかったんだ!ああ・・・どうしようか・・・・・」

普段元気な時は気づくものでも、今日はイタリアの1日目、入国やパンクなどいろんなことがあって、さらに4ヶ月に及ぶ旅の疲れが溜まりに溜まってリュックの事まで気が回らなかったようだ。

また探しながらポテンツァに戻るころにはもう夜中だったが、いてもたってもいられないぐらいの緊張の為、翌朝5時に起き、T/Cのリファンド(払い戻し手続き)のため日本のアメックスとVISAに電話する。

しかし「テレコォムイタリア○×X△~~~~」
とメッセージが流れ、よくわからないがつながらないみたいだ。

仕方ないからもう一度100km戻って、道端とかをくまなく探したが、やはり見つからなかった。昼頃、またポテンツァに戻った。往復200kmを2往復もした。なんとも虚しい限りである。

ポテンツァに戻ったら派出所に出頭した。イタリアの場合、警察機構がそれぞれ独立している。
警察はポリツィーア(Polizia)、憲兵隊カラビニエーリ(Carabinieri)、そして派出所のケストゥーラ(Questura)など。

その派出所には、ティアドロップスタイルのサングラスをかけた、いかにも昔の日本の刑事ドラマに出てきそうな刑事がやってきて、「明日なら英語のうまい人がやってくる」と言って去っていった。
他の署員に「コレクトコールのかけ方教えてください」と言うと、今日は日曜だから明日にしろと、何ともつれない。

試行錯誤の末、やっとコレクトコールを掛ける事ができたが、AMEXとVISAの両方にそれぞれ説明しなくてはならない。久し振りの日本語が話せたが、そんなノスタルジーを思う気力もなかった。

何社分のTCを持つと、その分だけ説明しなければならんので、時間と労力の無駄になってしまう。

イタリアな青春人

教会の駐車場ですっかり落ちぶれていると、地元のバイカーたちがやってきた。

500ccのアメリカンバイクに女の子を乗せたり、他の仲間がいろんなバイクに乗ってきてやってきた。ヨーロッパだからでかい白人が、みんなでかいバイク乗ってるのかと思いきや、彼らのバイクは意外に日本の中型と同じぐらい。体格だって南イタリア人は日本人とそんなに変わらない気がした。

孤独に落ちぶれていても仕方がないので、彼らと一緒に走る事にした。

日もまだ落ちない夏の長い夕方前。丘の上を走る。果てしなく広がる丘に空が淡い黄色に染まると、どこか幻想的な風景で、昔の青春ドラマのようなシーンだ。

町の外れにある自然公園まで走る。当然彼らのほうが速いが、ダートになると今度はオフロードバイクの私が悪戦苦闘しているアメリカンをあっさり簡単に追い抜く。

自然公園に着いた。野生の動物が歩き回る中、みんなでジェラート(といっても普通の安いアイスだが)や、スナック菓子を買い屋外のテーブルを囲む。実にほ~んわかとしたひと時だった。

アメリカンの後ろに乗っていた女の子(左から二番目)は、興味を持ってくれたのかいろいろ話し掛けてくれた。といっても、イタリア語で話してくるもんだからちっともわからなかったよ。
すこし残念だけど、こんな天真爛漫なところがラテンの女の子らしくてとてもかわいい。

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公園を出ると車できた彼らの友人たちが待っていた。そのうちの1人、ルイージはメガネをかけていて、仲本工事そっくりだった。

イタリア人らしい陽気さもありつつ、みんな真面目で素朴な連中だった。彼らとは行きずりの出会いながらも、しばし孤独感とどん底を忘れさせてくれた気分のいい出会いだった。

こうしてポテンツァの日(Sole)は暮れていく。

夜はポテンツァの駅の待合室を案内された。
「これから僕は工場に仕事に出かけてくるからここでお別れだけど、この中なら寝る事ができるから。それじゃあ元気でね、チャオ」
と去っていった。

オイオイこんなところで寝ていいのか、ホントだったら屋根のある彼らの家に泊まりたかったのにい・・と内心思いつつ、
「グラッチェ、ちゃお」と別れを告げた。東北や九州あたりの無人駅のような待合室で夜を明かした。

その朝は水道の水を沸しスパゲッティを茹でて朝食。プラットホームの片隅で食う。本場イタリアなので、パスタソースが種類豊富で安くてうまい。トルコからギリシャまではパンにツナ缶とか野菜とかを挟んで食べていたが、イタリアに来てからの食事はこんなパスタパターンが続く。

もう一度派出所に出頭。イタリア語の紛失証明書を作成してもらい、ポテンツァを去る。一応やることはやったが、もう憂鬱でしかたがない。

イタリア半島中央部のポテンツァから半島西岸のナポリへとつながる高速道路は有料区間となる。日本同様絶壁を縫うように走っているのでコストがかかり通行料も高そうだ。

どちらにせよパワーのない125ccなのでゆっくり下の道を走ることにする。日本の3桁国道のように山の中の狭い道が続く。案の定途中で迷ってしまい、道路工事の人に道を尋ねた。

ちょうど昼食中だったので、彼らが何を食べているのか弁当箱の中をみると、トマトソースがけのマカロニだった。

哀しみと泪のソレント

山を越えて半島を横断し、風光明媚な街、ソレント(Sorrento)に着いた。
青く美しい空と地中海が目の前に広がる。

しかし、絶壁のシーサイドを走りながらそんな景色を見ていると、かえって悔しさが増してくる。

「失ったものはとても大きく、そして失ったものは永遠に帰って来ない・・・」

そう思うと、ついに堪えられなくなった。
「うわああああああん」
と、大声をあげて爆泣きした。

自分の愚かさに、くやしくてくやしくてしかたがなかった。
我ひとり、オニのように死ぬほど暴れた。もう死んでも良かった。それくらい心がボロボロに破綻していた。

ちっとはスッキリさせたので、まだ心は悶えながらも、火山ベズヒオ山を眺めた。古代都市ポンペイが消失したほどの噴火があった伝説の火山。

その山は海の向こうにあるので、ソレントの公園の高台から火山をながめると、鹿児島市の城山公園から見た桜島とそっくりだった。

ポンペイのスパルタカスキャンプ場に泊まった翌朝、起きてものろのろとした動きしかできない。
半分眠ったような状態で、亡霊のように無意識の内にキャンプ場内をふらふら彷徨い歩いている自分・・

もうなにもしたくない・・・・

極度の疲労と精神的な絶望のためである。
大事な物とお金の入ったリュックを落して無くしてからの一週間は、心はナイフで引き裂かれたようにズタズタで、もう廃人同然だった。

ナポリとローマ観光

雑然とした街並みで、しかも排気ガスで煤けたナポリの市街地。

噂には聞いていたが、ナポリの運転は荒々しく、ひどかった。なんかインドに近いが、インドに比べればはるかに交通インフラが整っているのと、力車と牛がいないだけまだマシだった。

この先ローマ、ミラノへとイタリアを縦断するのだが、ナポリに関しては、同じイタリアでも大阪のように世界が独特だった。

そしてローマにたどり着いた。「全ての道はローマに通ず」といわれているが、今回の件でもローマは私にとってもきわめて重要な町だった。
ローマのAMEXとトーマスクック(VISA)の支店に行って、TCを再発行しに行ったのである。

するとスムーズにあっさり無事全額リファンドできて、心からホッとした。
場所柄ローマは日本人観光客の盗難が多い場所なので、きっと再発行手続きも慣れているのだろう。

アメックスのUS1800ドルTCは全額、VISAは紛失時は9万円分のTCだったが、再発行の時は850ドルのTCになっていた。

すっかり安堵の息をもらし、心安らかになると今度は相方のケアもしなくては。
リヤタイヤを注文した後は、ローマ市内をたくさん観光した。バイクがあるので機動的に回れる。ベスパに乗った気分で本当のローマの休日を味わった。

コロッセオを眺め、有名な真実の口(Bocca della Verita)に、口だけではあきたらず鼻にも手を突っ込んでみたり。同じ教会の中はつるされた人がいる。

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スリ団を警戒し肩を怒らせながらトレビの泉をすこし眺めたり、街角の名もないピザ屋で舌鼓をしたり・・・

すっかりいち観光客のミーハー気分のままバチカンに入国。カトリック教の総本山とあって、欧州、中南米、アフリカ、アジアなど全世界から集まる。日本のおのぼりさん観光客は、日本人らしく旗の先にピカチュウをくっつけて先導していた。

かとおもえば女性ばかりの巡礼団が賛美歌を歌いながらぞろぞろやってきた。彼女らは色のついた帽子を被っているので遠足に見えてしまった。

さて、ローマではどこに泊まっていたかと言うと、実は街中のちょっと外れの公園で野宿していたのだった。

公園はちいさな丘になっているので、バイクごとてっぺんまで来れば誰も来ないし、盗みもなかった。
スリが横行するセントロとは別世界の、台風の目のような意外なセーフティゾーンなのである。

公園の入口では、これまた貴重とも言える水道があるのだが、交差点の信号で停まった車を相手に、窓ガラス拭きを生活の糧にするジプシーだかアジア系だかの人間が、バケツに水を汲みにやってくる。
自分もそこで自炊してスパゲッティーなんかも作っていたものさ。

いくら貧乏ツーリングとは言えど、ローマの休日のようにちゃんと優雅な観光もできれば、JALパックでは決して味わえないローマのアンダーグランドな世界も覗けるのだ。なんと贅沢であろうか.

ローマで金は戻ったが、やはり大事なものが入ったリュックサックを諦め切れず、ローマから500km離れたポテンツァにわざわざ戻ることにした。

ローマから一日走ってポテンツァに戻り、翌朝さらに150km戻ってリュックを探してそこの管轄する派出所とポテンツァの派出所を尋ね、最後の望みをかけてリュックが見つかったかどうか尋ねた。

が、両方の派出所に聞いても、答えはノーだった。

残念だったが、それと同時にあきらめとふんぎりがついた。

「よし、これ以上悩んでも仕方がない!
後はガンガン走るのみだ!」

そうなりゃパワーも戻り、ローマへ一直線。そしてサンマリノ、フィレンチェ、ピサの斜塔、神戸のように近代的なジェノバの港、そしてミラノへとどんどん走った。

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サンマリノはほとんどイタリアと変わらないのだが、ゴミの分別がドイツのようにしっかりきちんとしているのが意外だった。

サッカーバカ一代in Milan

6/30、ミラノ着。ここは稚内と同じ北緯45度まで来たのに、稚内と違ってやたらと蒸し暑い。

ミラノの城内の博物館で、ミケランジェロの名作「ロンダー二のピエタ」を見る。そのほかにも中世の騎士の鎧や剣も展示されており、面白い。

ミラノのど真ん中、ドゥオーモ広場は、ストリートパフォーマーや中国やアジアからの不法労働者が即席で風呂敷広げて雑貨を売っていたりしてたが、夕方になると急に人が増え始めてきた。

やがてドゥオーモは何万人も埋まり、イタリアの三色旗トリコロールが山のようにはためく。巨大スクリーンからサッカーの試合が写った。それと同時に騒がしさが増大した。

イタリアVSフランスという、それはそれは因縁の試合が始まったのである。

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まずイタリアが一点入れると、
「ウオォオ、キャアアアア」「ピーピーパフパフ」
地響きのような歓声と、抱き合って喜ぶカップル。

しかし、フランスが一点入れると
「なんだよーオーオー~パフ」
といった感じで、殺気がみなぎる。だがわずかにはためくフランスのトリコロールは威勢がよくなる。

さらにフランスが一点入れると、さらに殺気がみなぎった・・・!

結局、1対2の逆転負け。みんなガッカリして帰っていくが、広場はゴミで覆われ、ビール瓶の破片が散らばって危なくてしょうがない。

イタリアはサッカー一辺倒の国。
そういえば港町ジェノバにいたときの夜、突然民家から奇声が聞えた事があった。サッカーを見てて点が入って喜んでいただけのことだったが、あの時はケンカでも始まったのかと思ったほどだった。

そのときはイタリアが勝ったらしく、もうお祭り騒ぎ。スクーターや車はみんなホーンを鳴らしながら大きい旗をなびかせながら走っていたっけな。

イタリアではパルコで野宿してきたが、ここミラノでもパルコで野宿した。

パルコといってもイタリア語で言う公園のことで、渋谷とかにあるパルコではない。

見てのとおり、汚くてやばそうなダメパルコだ

ベンチのとなりにジェベルを置いて寝たのだが、いま思うとよくこんなところで野宿したと思う。これも若気のイタリーだけど、しかも洗濯までしてるのだから、我ながら図太い神経してるなと思う。

そんな浮浪者然とした私にみかねたのか、パンク風のあんちゃんが、ピザをくれた(笑)

イタリアらしいね。

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7/3の朝、ミラノを出発。いよいよスイスへ向かうが、イタリアリラを余らせてもムダなので、スーパーで食料を買いだめする。

昼は、スイスの国境近くで雨に降られる。イスタンブールやギリシャやイタリアでは毎日晴天が続いていたが、欧州に入ってから始めての雨だ。

同じイタリアでも地中海側の乾燥した風景とは違い、ここでは周りの景色も緑が多くしっとりとして瀟洒である。

いよいよアルプスの山々が近づいてきた。世界がまた変わろうとしている・・

アルプスの古城たち

7/3の朝にミラノを出発したその日の夕方、スイスへ入国した。
ここではパスポートチェックを受けた。

2300mのアルプスの峠を越えるが、それは「アルプスの少女ハイジ」そのものの牧場の風景が広がる。ウオー、本当にスイスに来たんだー!

だがしばらく走ると、なぜか車が渋滞していて、みんな全員エンジンを切っている。先頭にはパトカーが止まっている。

「何だろうか?」

しかたがないから、アルプスを眺めながら待ってみる。日本と違ってアイドリングしている車が一台もないので静かだし、近くのせせらぎもきれいで冷たくて、正真正銘のアルプスのさわやかさだった。

20分ぐらいすると、「カランコロン」とアルプスの牛の群れが移動していった。

それだけのために警察が車を停めさせるとは平和な永世中立国のスイスらしい話だが、同時に少し堅苦しさも感じたのも事実。もうここは全てが混沌とした、カオスに満ちたアジアではないのだ。

道に残った牛の糞を避けながら、標高1700mの町、サンモリッツに着いた。けっこう暑かったミラノと違って、人々はみなジャンパーを着て寒々しい。

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さらに山をくだり、無人駅の軒下で野宿した。昨日のミラノの熱狂がここではウソのように静かだった。

翌朝7/4。朝起きて片付けていると、地元の女性から英語で「ここは寝るところではありません」と言われた。
やかましい!と心の中で叫んだが、スイスはよそ者にとってはどこか肩身の狭さを感じる。

小型バイクなのでサイクリング用の森の小道を走りつないで、小国リヒテンシュタインに寄った。通貨や言葉はスイスのものだが、さしずめスイスの一州という感じか。イタリアの中のサンマリノと似たようなものか。

この国は金融立国なので首都ファドーツのメインストリートは、それらのオフィスと観光的な土産店とが交互に混じっている。

スイスからリヒテンはフリーパスだが、リヒテンからオーストリアに入国するとパスポートのチェックを受ける。雨の降る中15時にオーストリア入国。この2日間で4カ国も入った。その翌日7/5はオーストリアからドイツへと入国した。

物価の高いスイスでは一銭も使わずに通過したが、このオーストリアやドイツはスーパーに入ると食料品が驚くほど安い。しかも人々もスイスと違って好意的だった。

ドイツ南部とオーストリア西部のチロル地方は、アルプスの景色や古城、城跡がきれい。毎日走ってばかりだったので、このあたりで何日か滞在した。

オーストラリア・インスブルックの街

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ドイツとオーストリアの国境もトンネルを通るだけで、フリーパス。自由に行き来できるから自分の財布にはドイツとオーストリア両国のお金が入っていた。

ディズニーランドのモデルにもなるほど有名な南ドイツのノイシュバンシュタイン城を眺めたり(中は観光客ばっかなので)

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それとは対照的なチロルの古城址のエレンブルク廃墟は、いかにも甲冑に身をまとった中世の騎士が出てきそうな気分で登ったりした。

RPGの世界にどっぷりつかった自分としては、こんな中世ヨーロッパの風景や面影を味わうことが、長年のあこがれでもあった。

誰も来ない薪置場から見おろすアルプスの村は、子供の頃から思いをはせたメルヘンチックな風景で、それを見ながらハム野菜サンドを作って食事をしていると、夢が本物になった。

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この景色は自分だけのもの!
ひとり夜までずーっとロマンチックな景色を見おろし、そのまま薪置場で野宿したほどだった。

「この景色を見るために、ここまで走ってきたのだ!」

こうして、イマジネーションを働かせて、思う存分中世的な世界を楽しんだのだった。

資料館?に入る。個人的には、どこか70年代のようななつかしさを感じた。

真ん中にある黒いジュークボックスから

「ジ、ジ、ジーンギスカーン」とディスコソングが流れそうな雰囲気

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しかしアルプスの気候は変わりやすく、7/7の15:50ごろ、行く先には黒い不気味な雲が。

「む、いかん!」
すぐに安全地帯をさがした。町民プールのある体育館の軒下を見つけて避難した。

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そしてすぐに黒雲からなんと1~2cmぐらいの小石のような雹が降ってきた。
すぐさま身をかがめる。頭はヘルメットをかぶったままなので平気なのだが、肩などにバシバシ当たって
「ゥヒョウ!」
と叫ばずにはいられない位に痛かった。

アルプスを越えたスイスからは、アルプス山脈のため天気も不安定で雨がよく降る。イタリアまでの南欧ラテン世界と違って、夏は雨降って寒いし、食べ物も、民族性も全く異なる。

アルプスを越えたら、ラテンとゲルマンの違いがはっきりわかるのだ。

それでも、オーストリアの場合はゲルマン民族でありながらラテンのカトリックの教えが多数占めるので、欧州の中でも労働時間がもっとも短く(週32時間程度)スイスやドイツに比べれば人生を楽しむ事に重点を置いてるようだった。

自転車と冒険教育先進国

南ドイツのフュッセンからローテンブルグまでの、ロマンチック街道を走る。

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ここは日本人もお得意さんの観光ルートで、道路標識にも「ロマンチック街道」と日本語で描かれているほど。

だけど日本語の読めないドイツ人が付けてるので、時たまその日本語の標識がひっくり返って上下逆に取り付けてあったりで、勤勉で律儀なドイツらしからぬ失敗が大いに笑える。

ドナウ川の町で、カラフルにペイントされた家々を見ながら、カフェの屋外のテーブルにてコーヒーとカツサンドのセット(6DM 350円)でぜいたくをする。

ヨーロッパの旅は極貧の旅だったので、こんな優雅なぜいたくですら、中々できなかった

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日曜日だけあってサイクリングしている人が多い。ドイツやオランダ、デンマークなどはサイクリング王国。自転車の後ろに幌付きの小さなリヤカーをつけて、そこに子供を乗せて毎日の買い物をしている。それを見て、あらためて文化の違いというものを感じた。

日本では荷台などに子供を乗せたりする「ママチャリスタイル」だが、ドイツにいるとそのママチャリスタイルがまるでアジア風に見えてしまう。

そして、小学生の少年少女がリーダー格の大人に引き連れて、各自の自転車にはキャンプ用品をつんで、みんなで何泊かのサイクリングをしていた。

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または、中学生ぐらいの少年が私のバイクのように、自転車に山のようなキャンプ用品をつんでなんと一人旅をしていた。

アジアでも、南米でもアフリカでも世界のあちこちでドイツナンバーの車やツーリングバイク&自転車が走っているが、やはりドイツ人の旅好き、特に一人旅や冒険好きは、子供の頃から養われているのだ。まさに冒険教育先進国だった。

(インドのタージマハルでも、普通のインドの自転車でインド中を旅しているインド人グループを見かけたが・・・)

日本のツアー観光客が見たものは・・・

城壁に囲まれた中世の町、ローテンブルグにやってきた。
日本人がドッカンドッカンやってくる。

ドイツの小中学生チャリダーとは打って変わって、ほとんどが日本からのツアー団体客。同じ日本人と言えど、インドのように汚くてむさくるしいクセのあるバックパッカーはいないし、かといって渋谷系の金パツガングロのギャルってるねえちゃんもいないから、妙に安心した。

そのツアー客は、おばさんが半分と、お嬢様ふうの女子大生やOLなどで占められていた。
20:50分になると、日本人客がぞろぞろと町の中心の時計塔広場に集まる。9時前とはいえ、空はまだ明るい。
これだけたくさんの日本人を見るのは日本出発以来だった。ハウステンボスにいるのと変わらない気がした

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21:00になると、しかけ時計の人形が動き出すのをみんなじっと見つめるのだが、人形がちょこちょこ動く程度で、すぐ終わってしまう。

「たったこれだけ~?つまんない」
「もう終ったの~?」
「ディズニーランドのほうがすごいのに」

と、みんなガッカリして帰っていく。このしかけ時計はぜんぜんたいしたことがないので日本人以外の観光客はぜんぜんやってこないのだ。やはり日本人は期待しすぎていた。日本のツアー会社におだてられたのかもしれない。

だから時計塔よりも、このガッカリした日本人観光客を見てるほうが、はるかにおもしろかった.

その翌日、ローテンブルグの中世の城壁の下、野外料理をした。

スーパーに入ると何でも安く、ビールの国だけあって500mlでたったの29えんだったので、赤貧ど根性ツーリングの真っ只中なのに関わらず、思わず買ってしまう。

その日はチキンステーキを焼き、飯を炊き、インドの教会以来のビールで、中世に乾杯。

毎日厳しい野宿と自炊の赤貧ツーリングなので、中世の気分に浸りながらひさびさに充実した食事ができたのだった。

–第9章–
おわり

★次号の予告★

次はヨーロッパ編、後編!

ついに恐れていたマシントラブル発生!
ホームレス状態になりながらも
はたして無事ロンドンにたどり着けるのか!

お楽しみに!

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