10代の頃は筋金入りのゲーマーだったたびいち。
記念すべきファミコン40周年を黙ってるわけにいきません!
8ビットの先に見た夢の世界。
私もご多分に漏れず、リアルタイムでファミコンにどっぷり夢中になった。
ファミコンにはまりすぎて、コントローラーがこわれてしまい、自分で直そうとしたら余計にこわれたことがあります
マリオやスターソルジャーなどのシューティングで反射神経がごっつう鍛えられ、これがバイクの運転にものすごく役に立ってるし、
ドラクエなどのRPGで、ロマンを養われた。あの時に見た、空の向こうの先の世界の冒険に思いを馳せ、結果的にリアルに世界中を旅するようになった。
そんな人生に影響を及ぼしたほどの少年時代のファミコン。
とはいえ、当時はゲームに対する大人のバッシングは今では考えられないぐらい凄まじかった。
波乱のファミコン世代も今なら親の世代になってるので、当然大人の側もゲームに理解もあるし、親子で一緒にゲームを楽しんだりしてる家族もとても多いはず。
そんなたびいちのファミコンの思い出を、過去の記事を加筆してギッシリまとめましたのでお楽しみください
1985年の思い出 ~スーパーマリオの洗礼~
いまや誰もが知っている、おヒゲのおじさん。
日本で、世界中で本格的にしれわたったのは、1985年でしょう。プラザ合意がなされた年なので、バブルが始まる前の時代だった。
1985年の日本はこんな時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/1985%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC
ファミコン用ソフト『スーパーマリオブラザーズ』が発売され空前の大ヒットを記録、社会現象となる。
1985年当時は、私は小学2年生でして、今とちがってテレビゲームなんてものは少なく、ファミコンソフトも1本4000円はしたので、当然何本も買ってもらえません。
ファミコンと一緒に、初めて買ってもらったのがギャラガでした
余談になるけど、ギャラガといえばボーナスステージでパーフェクトを取ると、当時のファミコンソフトでは珍しい超ハイテンションな曲が流れるので、そのため気分のいいときなんか、ヤッター!と曲にあわせて踊ったことがある(笑)
そんでしばらくたってその次に買ってもらったのが、スーパーマリオブラザーズでした。
畳の上で撮影ってのが、昭和っぽくていいね
30年以上前のことなのであまり覚えていないけど、コロコロコミックでファミコンの記事が目白押しだったので、それに影響されたり、近所の駄菓子屋のゲームマシンで、1プレイ20円のギャラガにはまったということもあった。ギャラガを買えば、駄菓子屋に行かなくてもタダでやり放題だし。
アーケード版ギャラガとファミコン版ではいくらかの違いがあって、FC版はもっさりしてた感じだけど、それはそれで味があったけな。
2008年、南アフリカで見かけた、ありし日の駄菓子屋のようなゲーム筐体。
なつかしすぎる このゲームはMsパックマン
ギャラガもほしかったけど、スーパーマリオはもう欲しくてしょうがない、と言った感じでしょう。
なぜなら、それまでのギャラガやナッツアンドミルクとかのようにシンプルな一画面で完結するゲームとは次元が違い、飛んだりダッシュしたりでずーっとスクロールし続け、地下室になったり海で泳いだり城内になってめまぐるしく変わったりという冒険が手に取るようにできるのは、それだけでも当時のスペックとしてはすごく画期的なのです。
スーマリを買ってからの半年か1年近くは、うちにはギャラガとマリオのたった2本しかソフトがなかったので、ファミコンと言ったら、ひたすらマリオ、マリオ、マリオ(ときどきギャラガ)でした。
なので当時住んでいた団地の、居間の14インチテレビで畳の上で座りながら何度も何度もするめのように繰り返して味わい尽くすようにプレイしたものでした。
昔、小学生の頃住んでいた団地。
ただその間、父が自分専用にと「内藤九段本将棋」を買ったので、私はこれで、将棋を覚えました。
そして団地の下に住んでる友達から、ピンボールとドンキーコングジュニアを貸してもらったりしたな。
いまだと何万タイトルものゲームアプリがあり、飽きたら掃いて捨てるぐらいにありあまる現在とちがい、あのころたった2本しかなかったギャラガと、とりわけマリオには、強い思い入れがあるのでした。
1986年は無理ゲーイヤー
スーパーマリオで発破がかかった翌年の1986年は、二匹目のどじょうをねらえとばかりにファミコンブームがやってきて、たくさんの種類のソフトが出回るようになり、ファミコンブームとなった
私もその後は、マリオだけでは飽き足らず、16連者のスターソルジャーを買ったり、となりに住んでる女の子とファミコンソフトの貸し借りをしたり(ツインびーやnuts&Milkなど)、中古ソフトがうんと安くなって一本何百円かで買えるようになると、自分のこづかいでもやっと手が届くようになったので、一気にファミコンソフトが増えていったわけです。
そのなかで、クソゲーの誉といえるのがトランスフォーマー。
アマゾンでは180円どころか、1円(+送料)という超デフレ。
いますぐ買って、君も後悔しよう!
で、買ってやってみたら、本当にすぐ死ぬ!
先に進めない。たかが300円ぐらいとはいえ、このつまらなさゆえに、金をドブに捨てたような気分で、もしこれを定価で買った人は、本当に御愁傷様である。
コンプライアンスのある現在だと
「こんな無理ゲーを売るなんて、けしからん!」
となるだろうけど、
だからといってあのころは、コンボイの謎が、特別に無理ゲーだとは思わなかった。
なぜなら、同じ時期(1986年)には、
もっとわけのわからんアクの強いゲームがたくさん世に出ており、
「スペランカー」や「カラテカ」のようなすぐ死ぬゲームやマヌケなゲームや
「たけしの挑戦状」のような理不尽な鬼畜ゲームなどが多いとなれば、
コンボイの謎なんて霞んでしまうのだ。
カラテカにいたっては、空手は日本の武術なのに、アメリカ製というあたりで、クソゲーの臭いが・・・
それにしても、はじめコンボイの謎のアプリがニセモノ認定されたところが、いわくつきであるコンボイの謎らしくていい。これをつくった鷹の爪団のスタッフも、きっとワゴンセールで買って苦しんでたにちがいない。2014/8/23
1987~88年をなつかしむ RPGとテラクレスタとマグマックス
1988年。当時ドラクエ3が発売になって社会が大騒ぎになっていた時代。
しかし小学4~5年生だった当時は、RPGは全く興味が無かった。アクションやシューティングとちがって、RPGは難しそうでとっつきにくいイメージだったからだ。
そのころウルティマとかハイドライドとかあったけど、複雑でよくわからない洋ゲーのRPGなんて小4にはまずわかるわけもなく、敵機を撃破したりアスレチック的なステージをクリアするような爽快感もなく、どこが楽しいのだろう?と思ってた
ところが、
大人気だったDQ3がない代わりに、たまたまDQ2をやってみたら、これがおもしろいのなんの!DQは日本人向けのRPGとあってかとても味わいやすく、まさに食わず嫌いだった。それ以来、一気にRPGにはまってしまった。
思えば、ドラクエがブレイクした時は、まだニジゲン、いわゆるオタク文化やゲームそのものに偏見のあった時代で、子供や若者だけが楽しむ的なものだった
しかしそれから30年以上経ったいまでは親子で楽しめるゲームになった。ニジゲンノモリである家族ずれは子供がDQ4のコスプレ(アリーナとライアン)してたり、または赤ん坊をスライムの上にのせて「スライムナイトだ」なんて言ってたり、50代ぐらいのオジサンがDQ話をしてたり。いい時代になったと思う
若いころは有利だったのに、現実はきびしく、この歳になるとなかなか自分の思うようにはいかない。ほとばしるようなアホさかげんやがむしゃらなキチガイじみた力が湧いてこない。
落ち込んでもしょうがないので、きのうは開き直り、ファミコンをやった。
すこし本気で寺呉すた、テラクレスタをやる。エクセリオンをやる。てきとういいかげんでなく、真剣にプレイすれば、熱中していた昔に戻ったようだ。
そのあとマグマックスをやる。154500点。2ループまでいけた。いいぐあいに左指疲れた。24年ぐらい昔に戻ったようだ
このゲームにはまってたのは’87~’88年頃だろうか。居間にあったリモコン式でない14インチのテレビでコタツ入りながらやってたとおもう。なつかC
昔のゲームはシンプルでいい。シンプルゆえに頭を空っぽにして、心から楽しむ事が出来た。
カストロは1956年に死んでいた? ファミコンソフト・ゲバラ
世界的カリスマでキューバの「国父」の
フィデル・カストロ前国家評議会議長(90)が死去しました。
ところで、
日本はかつて、カストロを主人公にしたゲームがあったのを、
みなさん御存知でしょうか?
2011/3/6
キューバが米のTVゲームを批判 冷戦下でカストロ氏暗殺の内容
キューバの政府系ウェブサイトは10日、米国などで発売されたテレビゲームに、フィデル・カストロ前国家評議会議長を暗殺する内容が含まれているとして「米政府が違法に計画した暗殺を賛美している」などと批判する記事を掲載した。ゲームは冷戦下の世界を舞台にしたもので、プレーヤーには、1962年のキューバ危機を前にカストロ氏を暗殺する課題が与えられるという。
記事は、59年のキューバ革命以降、米国によるカストロ氏暗殺計画が600回以上あったとして「米国は50年以上にわたって実現できなかったことをバーチャル世界で実行しようとしている」と非難した。(共同)
アメリカではカストロは悪だった。静まり返るハバナ市内に対し、亡命者の多いマイアミではカストロ時代の終焉(しゅうえん)に「自由が訪れる」と歓喜した。
20年前にキューバから逃れてきた教師のパブロ・アレンシビア(Pablo Arencibia)さん(67)は、「人が人の死に喜びを見出すのは悲しいことだ――しかしあの人(カストロ前議長)は生まれてくるべきではなかった」と述べた。
アレンシビアさんはパーティーさながらの騒々しさの中、「今度はサタンが心配しなければならない。フィデルはそこ(地獄)に向かっているんだ。じきにサタンの地位を奪おうとするだろうから」とジョークを飛ばした。
http://www.afpbb.com/articles/-/3109293?cx_part=topstory
反して、
日本が生んだファミコンソフトは:ゲバラ
これはゲバラというよりも、インドのシク教徒にみえてしまうのだが
ファミコンソフトのほうの主人公はもちろん、
タイトルの通りゲバラなのだが、
このゲームの主人公はふたりいる
1P側がげばちゃんで2P側がカストロ議長になる
なので同時プレイをしない限りカストロの出番はないのだが(笑)
しかし、当然昭和のアクションゲームなんて、
ノーミスでクリアできるほど簡単ではないので、
プレイしているうちに途中で死ぬことになる。
だからわざわざ暗殺を企てるまでもなく、
ゲバラともども、カストロは
50年代には死んでいたことになる。
カストロが著したゲバラの記憶
それにしても、「正義の戦い」と称して、革命の戦士を讃えるSNK。
米のゲームをキューバが批判するなら、逆にゲームを社会主義の歴史的人物に捧げているSNKは、キューバからほめられたりごほうびがもらえたりした・・・・かな?
そんなふうにファミコンでいきなり社会主義に結びつけるのはスゴイ。
というか子供にはわからないと思う。
「ピーチ姫を救え!キノコ王国に平和を!」
という軽いフィクションとはわけがちがう。
しかしまだ現存していた人物を暗殺せよというゲームは、なんておこがましいんだろう。さすが独善的であつかましい唯我独尊ぶり発揮だね。
平和主義国家で育った日本のゲームと違い、メリケン国のゲームは好戦的でどぎついし、そのうえ生々しい。日本人のセンスから見て、ずれまくってるゲームが少なくない。
それでもフィデルは、
きっとあの世でチェ・ゲバラと再会して喜んでるとこなんでしょうかね。
そしてあの世でもまた二人で革命を起こして、
今度はサタンの地位を奪うのかもしれません(笑)
2016.11.29