2024日本一周33 北九州・山口 これより故郷と思い出巡りの旅

日本一周2024
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日本一周も最後!なので、九州からの帰り道は思い出の地に寄り道し、いろんな人に会いながら帰ることにしました。幼少時に住んでいたふるさとに再訪。

6/03 Day198(33)

天気:はれ
ゲリラキャンプした北九州桃園公園で7時起床

テントを畳むと、公園ではシルバー老人会の草刈りが始まった

桃園公園わんぱく広場
隆盛極める昭和とその後

腕白広場で見た自由過ぎる表現力。

2022年の豊岡で見た「希望」もそうだけど、生殖器をむきだしに、しかも奔放なポーズの彫刻を創っていた昭和は、なんておおらかで自由な表現ができたのだろうと改めて思ってしまう。

かたや近年、過剰なほどのポリコレとやらで発想がどんどん狭くなって、人間の創造性もどんどん無難な方に萎縮してると感じるのは私だけだろうか。もっと表現できる自由を取り戻すべきだ。

出発。以前来た時気になった、R3を戸畑区に入ったところにあった謎の激安GSで給油する。たしかにレギュラー158円と異常に安かった(ほかだと170円弱ぐらい)が、そのせいか接客態度も異常にアレだったので、逆に損した気分だ!いつも通りセルフのGSで入れたほうが何十倍もマシだ。様々なストレスと、それもあって心がクサクサしてる。途中の公園で海を見ながら朝食を作る。定番のよもぎスパゲティをしっかり食べると機嫌も直ってきた。

門司レトロに寄ってみる。私はハイテクものも大好きながら、レトロものも大好きなので気にはなっていたが、日本一周も最後なので、今回こそ行ってみる。中国系(台湾・香港)などのインバウンドがとても多い。地理的にとても近い韓国系は意外と少なかった気がする

レトロな建物をいろいろ見てると、あれこれ気になるうちに時間ばかりが過ぎる。

ここでトラブル デジカメ(ニコンAW110)の充電器壊れた。
USBで充電できる非純正品なので壊れやすかった。タンクバッグに入れて充電してたが、どうしても差込口などが曲がってしまい、本体の端子がいかれてしまったのだ。

今年もこうしてふぐちゃんの体中に入りこみ、九州という島から本州という島に戻った。

 

新下関のゆめシティ近くのカメラのキタムラに行くと、充電器は置いてないという
山田電機に行くとニコンの充電器があったが、5000円ぐらいするし、そもそも型番が違ってた。

私ははじめ純正の充電器を持ってたが、AC電源タイプで、USB対応じゃないので不便だったし、高く売れるだろうとネットで売ったのだが、いまになって後悔。純正ならやすやすと壊れないからだ。それに比べアマゾンで売ってるのは安いけど、すごくちゃちな造り。何度も壊れるとコスパが逆に悪い。

幸いまだバッテリー残量があるので何十枚か撮れるけど、デジカメがダメなら、スマホで撮影するしかない。でもスマホだと撮影しにくいし、容量をとってしまう。

充電器はどっちみちアマゾンで買うしかないが、日にち的に旅先の受け取りは断念。さっそくノートPCを店の中でひろげてスマホの神プランのテザリングで今注文したけど、6日に自宅に届くようだ

新下関駅ちかくのゆめタウンは、なぜかゆめシティ。そのため定番のゆめタウンのテーマソングは流れてなかった。代わりにおもちゃのチャチャチャみたいなのが流れていた

山口市の昭和のドライブイン。この日本一周で何度も来た気がする

 

光や下松などの瀬戸内海沿いを往く。このあたりから思い出の地が始まる
何だかタイの海岸に行きたい。

こうしてみると2021年に来た南伊豆に雰囲気が似てるかも。

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40年前に住んでいた初めての故郷に再訪

夕方、柳井市新庄の県営住宅についた。長屋風のコンクリート式の住宅に我が一家が住んでいた。自分が幼少時の頃、赤子の頃から小学1年の時まで住んでたから、1984年(昭和59年)まで住んでいた。

記録をたどると、便所は和式の汲み取りで、冷蔵庫にはなぜかプレイボーイのウサギのステッカーが貼ってあり、14インチのダイヤル式のテレビがあり、4.5インチの白黒ポータブルテレビもあった。炊飯器はガス式で、2階の和室にボロいクーラーがあったと思う。当時の我が家の車はダイハツの550㏄の軽ワゴン・ハイゼットだった。

なので、自分のこのあたりの記憶は、見事に昭和のままで止まっている。

山陽本線の踏切をまたいで北に進むと、小川と道路を挟んだ東側には、昔ながらの長屋風のコンクリート式の平屋風の住宅が残っていた。

でも扉の形がちがう。以前は鉄のドアだったが、アルミサッシになっている
昔住んでいた36号が別の位置になっている?でも造りは昔のままだ。なぜだろう?

ここで、幼少時のたびいちが住んでいた

道路沿いの小川は、幼い頃よく中に入って遊んでいた。今だと危険だとか言って誰も遊ばないだろう。かつてはそういうおおらかな時代だった。この小さな川の先には海(瀬戸内海)があり、海を越えて世界につながっている。子供ながらにそう感じていた。

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そんな思い出の地に戻れて感無量だった半面、一家で住んでいたあの家はどうなったのだろう、という気分で県住を後にした。

しかし後日に親に聞くと、うちらが住んでいたのは東側ではなく、小川と道路を挟んだ西側のほうで、その西側にあった県住はとりこわされ、代わりに何階建てかの新しいタイプの団地に何棟か建て替えられていたのだった。

つまり東側の平屋の住宅(県営住宅だと思ってたら市営住宅だった!)は残っていたけど、幼少時に住んでた西側の平屋住宅は、もうとっくに跡形もなくなってしまったのだ。

そのあとかつて通っていた新庄小学校にも寄ってみた。見覚えのある鳥居とグラウンド!しかし当時幼少だったので、夜の風景は見たことがないので、その時とは全く別の印象だった。

私は幼稚園から小学校までの転勤する前まで、合気道を習っていた(習わされていた?)のだが、その稽古場だった市民体育館も、建て替え中だった。もし転勤が無くこのまま柳井市に住み続けたなら、合気道を続けていたのだろうか。そうなるとその分人生観も変わってたと思う。

県営住宅から東に行ったところにあるマックスバリュで買った半額夕食を駐車場で食す。

もし40年前にこの店があったなら、母はせっせとマックスバリュに買い物に通っていたことだろう。

ひさびさに戻った故郷の一つは感慨深かったけど、時間的に満足に寄れなかったので、また明るい時にじっくり寄ってあの日に浸れたらと思う

この日は広島県ののん太の道の駅まで行こうと思ってたが、もう遅くなったので、行きの時にも野宿した大定番の廿日市の歩道橋でテント。もはや別荘みたいになったけど、寝床を探してさまようことを考えれば、安定の寝床なので安心するね

朝 よもぎスパゲティ
昼 ごぼう天 ビスケット
夜 カニサラダ助六逗子半額149 やきとりもも2本半額84 からあげ98 むね塩からあげ126
宿  廿日市スポーツセンター歩道橋下

走行 272km          2024年11月7日

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