世界一周20-2 ニカラグア編2 ニカラグアに住む日本人女性たち

南米・中米・北米編
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マナグアの日本人宿

ニカラグアの首都マナグアでは日本人宿に泊まったのだが、旧市街地の住宅街にあるのでタクシーを使って先導していく事にした。

そこの日本人女性は、真っ黒に日焼けしてやせた女性で、すっかり現地に溶け込んでいるので日本人の面影があまりなかった。ヘアスタイルも彼女が若かったころの80年代のヘアスタイルのままだった。

彼女は、元看護婦として中米にやってきたが、ニカラグア男性と知り合い、今もここに住んでいる。中庭にあるマンゴの木がたくさん実を結ぶのでこの家が気に入ったのだそうだ。

だけどそのニカラグア人の夫がまた印象的だった。

夫は元軍人だが、内戦の修羅場をくぐり抜けてきたせいなのか、ゴルゴ13以上に全く無口だ。一言もしゃべらず無表情で無口なのでその分異様な威圧感がある。

よそ者に対してスペイン語やへたな外国語を話すぐらいなら男は黙っているのが一番、というプライドだろうか。

それとも、ここまで無口だということは、軍人時代に内戦で仲間が殺されたり、あるいは人を何人も殺したりしてきたのだろうか。そういった重い暗い過去を振り返りたくないのかもしれない。

本当の修羅場を潜り抜けてきただけあって、日本人以上にサムライ的であって、その寛黙振りには典型的なラテンアメリカの男とは180度異なる。

彼女の話だと、その寛黙な夫と旧ソ連製の中古トラックを8000ドルで買ったのだが、仕事が入ってこないので失業中とのこと。そうなると家でずっと新聞を読んでいる。

そうなると彼女は夫から新聞を取り上げて、何でいつも黙っているの、とけんかになる。
「最初知り合った時は彼はにこやかな感じだったのに・・・。今じゃこうだから千べんはけんかしてるわよ」

この宿(というか家)では、他の日本人宿と違ってこの時期私以外の宿泊客は誰もいなかった。なので宿というより親戚か誰かの家に居候している気分になる。

それでも内戦の時はフリーカメラマンや革命に興味を持つ人がいつも何人も泊まっていたというし、過去のノートを見ても私の知っている人が何人も泊まっており、サンパウロのモト三郎さんに載っていた人も大体ここに泊まっている。

ところで、この家にはなぜか冷蔵庫とテレビがなかった。ちゃんと電気は通っているのだがラジオしかない。その理由を聞くと、かつてはあったのだが、トラックを買ったり諸々の都合ゆえだという。だから冷たいものを飲むときはたまに氷を買っているのだという。

彼女たちの食生活は、ニカラグア人と全く同じである。ガジョーピント(ニカラグアの豆入り飯。色は赤飯に似ている。)や、野菜の煮物といった感じで、冷蔵庫もないので肉などを食べる機会も少ない。

そして庭のマンゴを近所のおばさんと物々交換しているというから、彼女は生活スタイルや食生活まで完全にニカラグア人として溶け込んでいる。

それにしても、さっきのモールで出会った日本人駐在家族は、きっと家政婦付きの豪華なところにすんでいるのだろうけど、同じ日本人でもニカラグアにくると明らかに対照的である。

だけど一つ思った事は、現地の人と同じ視線で生活した方が、その分よけいな神経が磨り減らないのは確かのようだ。確かにお金を持っている裕福な駐在員は狙われやすいし、あれもこれも危険だからと言って鎧で固めてしまうと無理がたたってくると思う。

結局、この家には8泊したけど、途中でまた夫婦げんかしたのか、夫はプチ家出してしまったようだ。代わりにそんなに無口ではない夫の友人がやってきた。風通しがよいので家の中はすずしかったのだが、ベッドに入ると毎日痒かった。

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ニカラグアで見たハイテクバイク

マナグア市内のパンアメリカンハイウェイを走っていると、

一瞬日本に戻ったのでは?

と錯覚した事があった。なぜなら、日本のバイクがずらりと並んだ店を発見したからだ。

しかもその店の名前は「KENJI MOTORS」と書いてあった。もう入られずに入られなかった。

中に入ると、日本のどこにでもいるような「おばちゃん」が出てきた。彼女はレジーナ・ヨシモトさん。片言しか日本語が話せないのだが、「じーぴーえす」と言われて、よくみるとスズキジェベル250GPSver.(車載GPS付きバイク)があるではないか!すごい。ニカラグアにもこんなバイクがとは。

日本に住む兄弟が中古バイクを輸出しているので、神奈川とかのバイク屋のステッカーが貼られたままだった。

そしてうれしいことに、そのGPSバージョンに試乗までさせていただいた。

この店には日本語の読める人がいないけど、日本語のGPS表示が読める私のための特別試乗だった。

キイを回すと、「リセットされました どうたらこうたら(以下略)」と言う表示しか出てこない。つまり、携帯で言う「圏外」と同じ。だが、いじっているうちに

「現在地点は 緯度12’ 08 ’49’’N  経度86’ 13’ 51’’W」と、ケンジモータースのロケーションが経緯度でしっかり表示できた。

走り出してみると、同じジェベルシリーズでもさすがに125とは加速もパワーが全然違う。全開にするとすぐに110km/hを表示。自分のジェベル125は80km/hがやっとだから、まあその分扱いやすく安全かな。

店から西へ10kmほど走って現在地点を調べると、「12 08’ 51’’N 86 09’03’’W」としっかり座標が変わっていた。

しかし走行中は圏外のままだった。なぜだろう。とはいっても強盗とかに目をつけられるとまずいのですぐに店に戻る。GPSの表示は日本語のままだが、ここは日本ではないのだ。

店に戻り、圏外表示の理由がわかった。

経緯度は世界中表示できるが、車載GPSに登録されている駅やインターチェンジ、レジャー施設などの地点データは日本国内のみでしかないので、あまりに遠すぎて目的地への距離が演算できないのだ。

第一このニカラグアから目的地が「福岡都市高速榎田ランプ」「わんぱーくこうち」なんて出ても意味がない。だけどもし、「青森県タプコプ創遊村まで11565km」なんて出たらウケルのだが、GPSも異国でせっかくの性能が発揮できなくて残念だ。

ましてや日本語が読めないわけだからこのGPSバイクを買った人がせめて経緯度が表示できるよう、マニュアルを書いておいた。

その後、レジーナおばさんは昼食まで用意してくれた。

牛肉と野菜の煮物と御飯。牛丼チェーン店の牛皿みたいでうまい。料理には台湾製の醤油をつかっていた。

それでもレジーナさんいわく、台湾や中国製の醤油は安いけどダメ、醤油は日本製が一番、と言っていた。レジーナさんの夫も「ニカラグアの米はまずい、日本の米がが一番だ」といっていたそうである。

デザートにメロン。空腹だったので中高生のように食べてしまった。

店自体は特に大きくもなく素朴な普通なニカラグア風の店舗という感じだが、レジーナおばさんは、両親が日本人だそうで、娘も日本の高校で勉強している。夫はコロンビアに出張していて不在だったが、みんな国境を越えた活躍ぶりだった。

エクアドルでお世話になったMotoZoneもそうだったが、モトショップというのは日本や近隣国からバイクを輸出入する関係上、国際的でめざましい仕事をしている事が多い。

レジーナさんは片言の日本語とスペイン語、私は片言のスペイン語と日本語で話したのだが、それらをあわせると結構いろいろ話せるものなのだ。

そして別れ際に、レジーナさんはなんと40ドルを差し出してきたのだ。

さすがの私も遠慮して最初は断ったけど、それでも受け取って、と言う。

「まあ、受け取ることだってレジーナさんの感謝になるわけだし、日本に帰ったらその分プレゼントを返そう」と思い、20ドル札二枚を受け取る事にした。40ドルは庶民の二週間分の給料になると思う。

KENJI MOTORSのみなさま、そしてレジーナヨシモト様には本当に感謝。

こうして、新旧入り乱れたニカラグアは自分にとって本当に印象深い国となった。

たとえば道路にはぽっかりとマンホールの穴があって、夜気が付かずに歩くと穴ぼこに落ちたりで非常に危険だったりする。マンホールの蓋を溶かして鉄として売る為に盗まれるのだと言う。はっきり言ってめちゃくちゃだけど、日本の終戦直後の混乱期だってこんな感じだったのかもしれない。

ニカラグアの治安や、官僚や警察の腐敗振りもひどい分、どれをとってもインパクトだらけのワンダーランドだった。

そんな国でも日本人女性がしっかりがんばって生きていたのが本当に驚きだった。

最初来る前は、ニカラグアは廃墟だけでインドよりもひどいんじゃないかと思っていたが、先進国同然の新市街を見た時は、冗談抜きに自分の人生観が変わるほどの衝撃を受けた。

マスコミでは貧しい国では悪いニュースしか入ってこないけど、現在ではしっかり復興されているのを見ると、改めてマスコミの情報に惑わされず、しっかり自分の目で確かめよ、と声を大にして主張したい。

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