ニューヨーク。夢も欲望も交錯する街。
我が人生ではじめてのNewYorkとの出会いは、小学校のころに見たアメリカ横断ウルトラクイズである。
「ニューヨークへ、行きたいかぁ~!!」
と聞くと、懐かしがる人も多いと思う。
それと同時に小学生なのにどういうわけかNew Yorkと書かれていた渋~い黒い筆箱を使っていた。
ろくに英語も読めなかった小学生のころなので深くは覚えてないのだが、そこにはたしか”The City has Many Dreams” とかなんとか書いてあった気がする。
ともかく、
NYには多くの夢がある。NYには何かがある。
そんなNew York Cityに、ついについにやってきたのだ!
世界全ての人種が集まるNewYork
フロリダから3時間のフライトで5月17日NY・ラガーディア空港に着いた。
夏のフロリダと違って空港の外に出ると曇っていて肌寒く、薄着のままなので震えてしまう。
緯度的には沖縄から青森に来たのと同じだから寒くて当然か。
空港からダウンタウンへ向かうバスからハーレムを眺める。かつての悪名高きハーレムだが、ヒスパニックや黒人が多いので自分としては中米の下町を思い出した。
途中でバスを降りて、歩いたり地下鉄に乗ったりしてNYの街並みを散策しつつ、目的地である「サッポロレストラン」に到着した。周りには超高層ビルが林立している。
こうして写真としてみると、東京に見えなくも無いが、まぎれもなくNYです。
ここでは同じく世界一周中のライダー・ワユーさん(上田和由さん)が仕事しているので、とりあえず重い荷物を店内に預けて摩天楼の下を歩き回る。
道路標識には「Snow Route」と、冬場の積雪時の際の赤く雪印のマークが標識にかかれていた。
つい今日までいたフロリダだと、学校や教会の前に「Hurricane Evacuation」(ハリケーン避難所)と青く書かれた標識が目に付いたので、同じアメリカでも気候の世界すらガラッと変わった。
夏は暑く、冬は寒さが非常に厳しいNYは、人々の気質もいたってクールだ。在住する日本人も例外ではない。その点温暖なカリフォルニアに在住する日本人は陽気でまったりした人が多いと言うが・・。
NYは全世界中の人間が集う場所なので、自ら貪欲に求めればその何倍も成果が跳ね返ってくるという。その代わり東京と違いエネルギッシュなパワーと「個性」がないと押しつぶされてしまう。そんな都市なのだ。
渋谷のようなタイムズスクエアー。あまりの人の多さに最初来た時はうざったく感じた。というのも、デニーズたちの家の周辺は完全な車社会なので、店や住宅の間隔がアメリカらしく広々としているので、歩くには不便で歩道を歩いている人なんか全然いなかった。
そんな息苦しくも人のパワーを感じる人ごみの中を、おのぼりさんの田舎者のように歩いた。
サッポロレストランに戻り、ワユーさんのおごりでラーメンと餃子、梅酒を戴いた。
11年前、賀曽利隆氏も50ccバイクで世界一周した時も偶然この店でラーメンライスを食べていた。他にも小室哲也などの有名人や芸能人も多数入店している。
閉店後、ワユーさんは職場の仲間を紹介してくれた。みんな日本から来ているが、厨房では中国人やメキシコ人が働いていた。特にメキシコ人の場合は英語も日本語も話せないという。それでも彼は日本食レストランの厨房で仕事をこなしているから、このレストラン、そしてNYの懐の広さを感じた。
ワユーさんと深夜の地下鉄に乗る。24時間運転している地下鉄だが夜中は非常に恐ろしい、と先入観を抱いていたが、夜中の一時とはいえ人も多いので危険な感じはしなかった。
「もちろん油断は危険だけど、中米なんかと比べればマシだよ」とワユーさんが言っていた。
テロ以前の2001年5月、アメリカは好景気だったので地下鉄も新型車両を導入。10年前は座席まで落書きされて尽くしてたと言うひどい荒れっぷりだったそうなのでそれから比べれば格段に治安も良くなった。
だけど地下鉄に乗ると途中で止まったりして、ロンドンの地下鉄同様、老朽化を感じる。
マンハッタン島から東にあるクイーンズ区にあるワユーさんの家。ルームシェアをしている相手は加納洋(かのうよう)さんというアーティストだった。
洋さんは盲目というハンデに関わらず、「和製スティービーワンダー」と言われるほどの音楽家として活躍しており、パソコンを使って(タイピングすると音声が出てくる)作曲し、身の回りのことも外出も全てできるという。昔日本にいたときはTV出演もしており、本当にレベルの違うすごい人だった。
ワユーさんは洋さんのもとで一部屋間借りしてるとはいえ、長く住んでいるので部屋にはTVやビデオ、FAX、パソコンまで揃っていた。家賃は一月400ドルほどだが、以前マンハッタンの中央・ミッドタウンでアメリカ人とシェアして住んでいた時は600ドル以上してしかも狭かったので大変な生活だったと言う。
ワユーさんは昼から夜まで仕事して、休憩時間や休日は積極的に出かけたり語学を学んだりで実にエネルギッシュなNYライフを送っている。
日本にいたときはその努力を買われて一流企業に就職していた。
その後世界一周を開始、ヤマハTT250Rと言うオフ車(ジェベルの対抗馬)で北中南米を縦断後、旅費を稼ぐ為NYでバイトしているのだが、もうすっかり長く住み着いている。
そんな超多忙なワユーさんだが、NYの話、日本の話、世界や南米の話、ニカラグアやメキシコ、ブラジルの日本人宿の話・・など、毎晩夜遅くまで私と話し合ったのだ。
ワユーさんとは同じ世界一周ライダーとは言えど、のんびりマイペースな私と違って毎日毎日を力一杯生きている人だった。
NYは世界一周の総復習
ニューヨークでは同じ世界一周ライダーのワユーさんの部屋に居候中。
いつもエネルギッシュなワユーさんのように、自分もエネルギッシュなこの都市に負けないぐらいに精力的にNY中を歩いて見て回った。
またタイムズスクエアに立つと、なぜかボリビアのフォルクローレの生演奏が聞こえる。
フォルクローレは土のにおいがするアンデスで聞くと良く似合うのだが、スローテンポな曲なのでせわしないビジネスマンと摩天楼の下で聞いてもテンポが合わず興ざめだ。
やっぱりジャズなんかのカッコいい曲が似合うよな、なんて勝手な事を考えてしまう。
しかし、このアンデスのフォルクローレと超高層ビルの組み合わせこそが、究極の多民族都市NYら
しさたる所以だろう。
街を歩く。歩く。金なんかろくすっぽ無いのにあつかましく5番街のティファニーに入ったり、スタテン島行きのフェリーから自由の女神を眺めたり(フェリー代がとても安いのでおすすめ!)、中華街やリトルイタリーなど、とにかく歩き回った。
中でも驚いたのが、日本全国で展開中の古本チェーン店、ブックオフのNY店があったこと。ミッドタウンの超高層ビルの一階にあるのだが、中に入ると売っている本といい、客層と言い、日本の実家の近辺にあるブックオフと全く同じなのだ。
ただ違うのが、客の会話が関西弁だったり東北訛りだったりと、日本全国から集まるのと、値段がドル払い。そして壁にはバカボンパパの絵と共に「アルバイト募集・時給$7.50~」と書いてあった。これが日本なら「時給750円~」となるのだろうか。
クインズのワユーさんの家の周辺は、アジア各国からの移民が多い。
NYは北部のハーレムやブロンクスは黒人や中南米、カリビアンが多く、南東部のブルックリンにはユダヤ系が多い、と言う風に人種による住み分けがされている。
表に出ると、ターバンを巻いたシーク教徒の家族が遊んでいたり、韓国人がいたり東南アジア人がいたりする。商店もトルコ系とか韓国系、チリ系といろんな店があり、それぞれの国の人間が店に集まるので店によって全く持ってお国柄が出てくる。
一番印象に残ったのが、近くの商店だった。
小さく薄暗い店内にはサリーを着たインド女性が働いており、ターバンのシークのおっさんもいたが、客はなんと南米のインディヘナとか黒人という(そして日本人の私)、
予想だもしない人種の組み合わせで、自分の旅したインドやペルーのことが頭の中で走馬灯のように混乱するほどだった。
こんなこと、NY以外の都市では味わえないだろう。だからその気になれば全世界の食品や書籍が何でも入手できる。万博のような都市だった。
アメリカ人や西洋人のみならず、アフリカ人、南米人。アラブ人。インド人。中国人。そして関西人や東北人など、NYは「世界の首都」というだけのことがあって、本当に世界中の人々が集まる。NYに来た事で今まで旅してきた世界一周の総復習が出きて、本当に来て良かった。
家の周りは閑静な住宅街なのだが、外出時にはなんと3つの鍵をかけなくてはならなかった。入り口に二重の扉の鍵を開け、さらに2階の洋さんたちの部屋も開けなければ入れない、と言う有様。
フロリダのデニーズの家では日本のように鍵を一つかければそれで戸じまり充分だったから、改めてここの治安の悪さを実感した。
ニューヨーク・セレブ日和
その日、NY在住のピアニスト、井上和子さんに電話をかけた。
彼女との出会いは、パリだった。
パリの日本センターで偶然出会い、
「バイクで世界一周中ですって!?んまー、NYに来ることがあったら寄っていって」
と言われたのだ。
花の都パリで出会い、摩天楼のニューヨークで再会・・なんていうと、映画のワンシーンそのものではないか!!なんとドラマチックな展開であろうか。
もう王子様になった気分で電話をかける。すると彼女が出てきて、明日の夜いらっしゃいよと言われた。
その翌日、ワユーさんから一張羅のYシャツをお借りして、髪型も決める。
パリで和子さんに出会ったときは汚れに汚れた浮浪者同然のツーリングライダーだったので、シンデレラのような変わり振りかもしれない。
着ている物が紳士的だと心も紳士的になっていくようで、風を切って歩くともう気分はすっかりニューヨーカーだった。
コロンビア大学の近くに彼女の家があるのだが、コロンビア大学構内によって見ると閉散としていた。図書館をのぞいて見ると、古めかしい室内にいた教授たちの雰囲気が実にアカデミック。
当時日本で大ブレイクしたNY出身の某女性シンガーソングライターもここに通っていたのだから、すごいところに来た感じだ。
和子さんのマンションは、外観は古めかしいが高級感がただよい、黒人のドアマンも紳士的で威厳がある。
そしてこれまたいかめしいエレベーターに登り、中に入ると和子さんと白人男性がいた。
井上室内アンサンブルを主宰する彼女はNYクラシック音楽の大御所、といった雰囲気で、華麗なインテリアの中にクラシック音楽が静かに流れていた。今までの混沌としたスラムのような世界とは別世界だ。
そしてディナーになり、あとからOCS編集部の武末幸繁(YUKI)氏もやってきた。Yuki氏も若い頃オートバイに乗っていたが今は奥さんに禁止されているそうだ。
その翌日、ワユーさんのPCでメールを見ると、なんとYuki氏からインタビューしたいとのメッセージが。ニューヨークでインタビューとは!!
すぐに電話をかけて、明日の昼にOCS編集部に行く事になった。
NYのスタバと取材
翌日、44丁目(44th st.)にあるOCSビルからYuki氏に会った。
まずは共に隣の日本料理店「梓」に入って昼食。貧乏ツーリングでは入れないリッチな店だ。勿論デニーズたちと入った似非日本料理店「Fuji」とは雰囲気もセンスも違う。純和風の店内。ランチタイムなのでビジネスマンでいっぱいだ。
そしてスターバックスでコーヒーを頼んだのだが、本場のアメリカンコーヒーとあって一番小さいサイズでも「コーラを入れるのか?」と思うぐらいカップがでかい!日本と違っていかにもでかい国アメリカらしいけど、ブラジルのコーヒーはおちょこに濃いコーヒーが入っているだけなので対照的か。
そしてOCSに戻り、いよいよ世界一周のインタビューを受ける。
テープに内容を録音するのだが、つい話し過ぎて1時間を越えてしまった。最後に一眼レフで顔写真を撮った。
インタビューされた新聞は帰国後実家に届いていた。あの時は気が付かなかったが、インタビューの半年後インターネットを見るとあの北野武(映画監督として)や矢沢永吉、パフィーや平田オリザなども同じOCSでインタビューされていることを知った。
つまりビートたけしやエーちゃんと同じ土俵に立てたのだ。
考えてみればここまで来たのも、偶然に偶然が重なった結果だった。
パリで井上和子さんと知り合わなければインタビューされる事はなかったろう。旅をすると巡り合わせがあって、生きている事の面白さが実感するものなのだ。
NYを去る日がやってきた。
NYは8日間だけの滞在だったが、最高に濃くて、しかも人生観が変わるほど充実した8日間だったので、LAに出発する時はもっと滞在したいと本気で悩んだ。それほどNYを離れるのがつらかったのだ。
6時10分発ラガーディア空港発の早朝便だったので、別に間に合わなくてもいいか、ぐらいの気持ちだった。だけどバスが来て、結局飛行機の便に間に合った次第だが。
そして、次なる目的地は、ロサンゼルスだ。
そして、日本が近くなっていく。