概要
中米は小国が連なっているが、それでも国ごとに食事内容が違うのは興味深い。
中米のガソリンスタンドは日本風のコンビニも併設されており、中米でも人気のカップ
ヌードル(100円位、米国製)も食べれる。
グァテマラ
通貨1ケツアル=15.5円 ガソリン 53円 宿 388円 ゲーム 7.7~
15.5円 ・I’NET 186円/h ・タコス 109円
メキシコ
通貨1ペソ=12.8円 ガソリン 69円 宿 512円
I’NET 256/h円 ・タコス64円
ミゼットプロレスの夕べ
4月1日、エイプリルフールの日にグアテマラ入国。中米の観光国とあって、首都グアテマラシティに近づくとバイパスの道幅も広くなり近代的なビルも増えてきて、まるで名古屋を走っている気分だ。
グアテマラの中心街も華やいでおり、何よりも今までの中米諸国と違って犯罪や恐怖のにおいが少ない。
繁華街の6Av(アベニーダ、六番街)は、香港のようにたくさんの看板が道路の頭上に張り出している。
映画館では最新のアメリカ映画を上映しているが、映画館の地下のゲームセンターはなぜか80年代前半のアメリカ製のビデオゲーム機が多く、とってもレトロ。
繁華街から離れたある日本料理店にはメニューの中にそれぞれ「いか酢」「たこ酢」「えび酢」という料理があったが、どうみても「イカすタコス、恵比寿」と、ウケを狙っているとしか思えない。
日曜日、グアテマラシティでもルチャリブレをやっているので見に行った。
ルチャ・リブレはメキシコのプロレスだが、メキシコのみならず中米やカリフォルニアとかでも幅広く興行されている。ルチャは覆面レスラーが多く、悪役(ヒール)とかがはっきりしているので勧善懲悪的なショー的なプロレス。
大仁田厚の流血ドロドロ爆破有刺鉄線デスマッチというディープでマニアックなのとは違い、ケガも無ければ流血も無いから客層も幼児から女性、老人と客層も幅広い。この地域に根ざした娯楽性の高いルチャリブレを日本に持ち込んだのが、あのみちのくプロレスである。
チケットは20Q(約310円)。同時にフランスパンのチキンカツサンド(約70円)を買って中に入る。大きな倉庫といった場内で、平日は室内駐車場になっており、日曜日はこのようにリングと椅子が並ぶ。
4時の予定開始時間より遅れて選手入場。今日は本場メキシコからの悪役選手が招待されて登場。
そして試合が始まるのだが、試合の合図はゴングではなくホイッスルなのでカーン!ではなくフィー!という合図なので、なんか白けてしまう。やっぱゴングじゃなくては格闘技らしくないと思った。
そして戦闘開始。一番驚いたのは、レスラーたちの背がみんな低いのだ。だいたい150~160cmぐらいのずんぐりむっくりとした体格。一番大きいメスティーソ(混血)の選手でさえ175cmほどだから、ジャイアント馬場やアメリカのプロレスから見ればもうミゼット(小人)プロレスだ。
そんなもんだから、豪快さや緊張感、迫力というよりも、いきなりコケたり技かけようと失敗して自爆してしまうようなコミカルさで、笑える。みちのくプロレスや学生プロレスのような面白さである。だからといってそれだけじゃなく小回りが効くゆえの鮮やかな技もある。
そして最後の試合になると、観客もいよいよ騒然としてきた。お気に入りのレスラーの覆面をかぶった子供らが興奮してリングの周りを勝手に暴れまわっている。
そしてリングに上がったのは例のメキシコからの悪役同盟だが、みな小柄でリーダーは148cmぐらいしかない。だが対するチームはもっとすごかった。
入場してきたのはなんと、身長120cmぐらいのレスラー、マスカリータ!
月光仮面のように真っ白い全身タイツと白い覆面と言ういでたちのマスカリータはまるで宇宙人のような風格で、「キン肉マン」に出てくるミートくんみたいにかわいらしい。
だからマスカリータと同じくらいの背丈の子供たちがこぞって「マスカリータ~!!」と叫んで応援するほどの超人気ぶり。タイガーマスクの並みの人気ぶりは、はるばるメキシコからやってきた悪役を食うほどの人気振りである
最後の闘いが始まった!悪役の執拗な攻撃にマスカリータも苦戦している。
しかし相手の攻撃をマスカリータが見事にかわし、華麗な空中殺法!観客は大騒ぎ!
といっても、パワーのある悪役にはかなわないので、なんとレフェリーがマスカリータを担いで相手に攻撃するという掟破りの反則技(?)をすると、ブーイングどころかみんなもっとマスカリータを応援するようになる。
そしてパワー全開になったマスカリータはまたも空中殺法が炸裂!そしてマスカリータチームが勝った!
勝利と同時に子供たちが大量にリングになだれ込んできて、すぐに休む間もないマスカリータと記念撮影したり、リング上では勝手に遊んだり子供同士でプロレスごっこをしたりのメチャクチャぶりとなる。
そして負けた悪役が
「マスカリータよ~~、戦う事ができてうれしかったぞ~~」
と、浪花節のようなマイクパフォーマンスを延々と続けるのだった。
葬式祭・セマナサンタ
グアテマラシティから、山を一発越えて急な下り坂を降りると古都のアンティグア。
偶然にもセマナサンタ(聖週間)の時期だったので、観光客もめっぽう多く、日本人ツアー観光客も何人か見た。ツアーの日本人を見たのはサンパウロの空港以来だった。
とにかく町は観光一色、祭り一色。タイのチェンマイのように外人でいっぱいだ。
ところで、ペルーとかグアテマラのインディヘナの人々は、さっきのルチャリブレではないがみんな小柄だ。身長171cmの私は、日本だと高くも無く低くも無い。だから日本にいたときは身長の事なんか全く気にしなかった。
しかし世界に出ると、ドイツなどのゲルマン民族はみんなでかくて、自分が小人のようにすら思えた。
かたや中米のインディヘナは小柄なので、今度は自分が背が高くなってでっかい人になった、と錯覚してしまう。
アフガンへのテロ報復をしたアメリカだが、アメリカは金もたくさん持ってるし体もでかい「世界の番長」だ。アメリカ人の所得は高所得で、それが3億人もいるのだから文句なしの帝国である。しかも白人も黒人もでかいので、他の民族が弱く見えてしまうのだろうか、すっかり優越感に浸った番長は、「正義」の名の下に戦争をしている。
日本人の場合は、所得ではアメリカ人と肩を並べる事ができたが、背比べのほうは肩を並べることはできないので、今なお日本人はアメリカ人に弱くて、頭を下げてばかりいる番長の子分だ。
世界を旅したことによって、そんな人間のいやらしさまでも発見したようだ。ドイツとかでは肩身が狭い気分すらあったが、ペルーではでっかいと言う錯覚を、自分では持ちたくないのに潜在的意識のうちに感じてしまった。
そんなもんだから、昔のヨーロッパ各国の人間、そして日本人も「我々は偉い」と錯覚してアフリカや新大陸、オセアニア、アジアと侵略していく。
先住民は迫害されて、生活の場を失われたり、絶滅したりする。人間は結局はアニマルなのだ。
背の高いグリンゴ(アメリカ人)観光客と、小柄なグアテマラ人が同じ通りを歩いているのを見ると、身長差があまりにも印象的なので、ついそんなことを考えてしまった。
セマナサンタのプロセッション(山車の行列)がやってきた。男女に分かれて巨大な山車を数十人で曳き、ゆっくり進む。男はキリスト像の山車、女はマリア像の山車。
セマナサンタは英語ではイースターと呼ばれ、キリストの復活祭である。
キリストの生誕を祝うクリスマスとは反対に復活(つまりキリストの死、受難)を悼むので、担ぎ手たちは全員黒い喪服を着ている。キリスト教圏の葬儀と言うことでティアドロップのサングラスをかけてる者もいる。
だから町全体が喪に服している雰囲気になる。カーニバルや日本のおみこしワッショイみたいな祭りとは全く異なる。
そのためか国外からの観光客がいっぱいになると、グアテマラ在住の金持ちはマイアミなどのリゾート地に逃げるのだという。
そんな思いをよそにアンティグアからいよいよメキシコへ向かう。
アンティグアから東へ進み、とある町について安宿に泊まった。通路にはなぜかミャンマーのポスターが張ってあった。地理的に、文化的には違えども、先住民族の血が濃いグアテマラでは街並みや人々の雰囲気とかがアジアにそっくり。アジアがフラッシュバックしてくるし、まだ見ぬミャンマーに思いをはせてしまう。
だけど安宿の部屋は気密性が無かったので声とかが筒抜けでうるさかった。なのでとっとと早朝に出発した。
そしてその日のうちにメキシコに入国した。
果たしてタコスの毎日になるのか。
-第21章-
おわり
第22章 メキシコ編 ふんだりけったり落としたり
(2001年4月14日~4月30日)
●退屈なメキシコと、旅の養老院ペンションアミーゴ
●空港で大さわぎ
旅の養老院ペンションアミーゴ
中米パナマから中米諸国を通って、グアテマラからメキシコに入国した。
メキシコに入った途端、道路が狭くなり、しかも危険になる。
そして許せなかったのがトペスという、スピードを落とさせるための高さ20cmぐらいの蒲鉾のような段がある。
このトペスを越えるたびに急ブレーキをかけなければならずかえって危険だ。だからといってスピードを出したまま越えると転倒しそうになったり衝撃でバイクの荷物がずり落ちる。
そして熱くなったマフラーと防水バッグがキスをしてしまい、穴が開いて使い物にならなくなった。
インドでもさんざんこのトペスに苦しめられたのだが、メキシコに入国した途端意地悪と思えるぐらいに多くて怒りが溜まる。
そんなものを作るぐらいだから、メキシコの道路状況や運転マナーは非常に悪い。
特にグアテマラからメキシコシティ(DF)あたりまではとてもひどくてライダーや自転車旅行者にとって悪名高い危険なルート。
どのくらいひどいかと言うと、車に轢かれた犬や猫などの死体を一日に30回以上も見たほどだった。自分の前を走っていた車が野良犬を巻き込んでいたシーンも目撃した。巻き込まれた犬は運良く「ひーたまらん」と言った風に逃げまくっていたが。
その日は道路沿いの山の空き地でキャンプした。テントを張った場所は道路から離れて無いのでロケーションからすれば決して安全ではなかったが・・
翌日の夜には首都のメキシコDF(DistritoFederal:連邦区)についた。DFと周辺地域を含めたメキシコ首都圏は人口2000万人で世界最大の首都といわれるが、実は日本の首都圏(東京の他に神奈川、千葉、埼玉などの周辺都市を含める)は人口が圧倒的に多い3400万人になるので、東京こそ地球最大・宇宙最大の都市圏になる。
それでも世界最大級の人口を有する巨大都市なので、峠を下りDFの中に入ると東京や大阪のように30kmも40kmも住居や建物が続く。これだけの人口に盆地となっており排ガスが逃げにくいのでそのぶん大気汚染も深刻になる。
交差点の信号待ち。
三人の少年が路上で組み体操。
よくぞ3人もできると思ってたら、
写真をよく見ると一番上のは「人形」だった
そんなパフォーマンスで、投げ銭を稼いでいるのである。
DFのセントロ(中心街)に着いた。日本人宿・ペンションアミーゴを見つけるためイダルゴ周辺(Hidalgo)をいく。
迷い込んでしまい、ある路地に入るとメキシコ人がたむろしていたが、「ペンションアミーゴならあっちにあるぞ」と英語で教えてくれた。
どうやら地元の人間の間でも「アミーゴ」は有名らしい。
いよいよPアミーゴに入ると、最初にきれいな日本人女性が出てきた。
「どこから走ってきたんですか?」
「インドから」と、私がさりげなく言うと
「えー、うそやん!」と驚いていた。
「本当ですよ。一年かけてこのジェベル125でやってきたのさ」
中庭には、世界を駆けるツーリングバイクがなんと6台も置いてあった。カリフォルニアナンバーが2台。あとの4台は日本の国際ナンバーで、いっぺんに国際ナンバーを見たのは珍しい経験だった。
そのうちの一人、ジェベル250XCで世界一周中の「どいうらさん」と話をする。坂本龍一のように落ち着いた感じのいい男性だった。
どいうらさんの話だと、さっきのきれいな彼女はなんと米国全州をハーレーで周ったというのだ。「えーうそやん!」と、こっちが言いたい。
確かに彼女はすこし気が強いが、どう見たってどこにでもいるような普通の若い女性にしか見えなかった。
さらにすごいのは、彼女はハーレーでなんと一日で900マイル(1450km)走ったというのだ!たとえ100km/hでインターステーツを走り続けても15時間走るわけだから、彼女は見かけによらず想像を絶する女だった。
さて、この日本人宿は、以前はジャンキー(麻薬中毒者)がいたり、同じ宿泊者の物を盗む手癖の悪い者がいたりと良くなかったが、今ではマシになったようだ。
しかしこの日本人宿は退廃的かつ排他的なムードが支配する。半年も一年もゴロゴロ沈没する人も何人かいた。メキシコのビザが切れるとガテマラに一旦入国してガテマラのビザが切れたらまたメキシコに戻ると言うパターンを繰り返す。毎日宿の本やマンガ、おしゃべりなどでダラダラと過ごす。
宿の中は日本だし、外に出ても首都だからコンビニでも何でもそろう。沈没旅行者にとってはパラダイスである。
この宿にいるあるツーリングライダーの一人もずっとここにはまっており、なんか彼のツーリングは志半ばでここで終わっている気がした。長く沈没すると再び重い腰を上げて浮かび上がるのは困難の技だ。
そんな長期沈没者の彼らの生活を見ていると、この宿はまるで養老院、つまり老人ホームと化している気もした。
ここでゴロゴロ過ごすのはいいんだけど、(自分だって道中沈没しまくってるので人の事いえないしね)この小さく固まっている、排他的でよどんだムードは自分の性に合わない。
ついでに言わせてもらうと、メキシコも中米に比べれば物価が高く何もかも中途半端でつまらない。あのギラギラした、今までの常識を覆すほど濃いニカラグアやエルサルバドルのほうがずっと面白かったし、人々も素朴で良かった。
ちょっと前までそれらの濃い国にいたのがすぐに懐かしくなってしまう。
空港で大さわぎ
メキシコDFではスズキのディーラーでブレーキレバーなどのパーツを注文して、修理交換。
意外なことにパーツは基本的なものならメキシコでもすぐに揃うものだ。グアテマラでもフロントのスプロケットが入手できたし(その代わりぼられた)
むしろアメリカの方が125ccの小排気量なんて扱っていないだろうから供給において苦労するかもしれない。
ある用事でメキシコ国際空港に行ったときのこと。
空港に着いて、入り口の隅にバイクを停めてターミナルビルに入った。そして5分ぐらいして入り口に戻ると、なんとバイクがなくなっているではないか!
「しまった!盗まれたのか!?」
と思ったら、なんと数人の男たちがレッカー車に担ぎ上げていた。
「ちゃんとじゃまにならないところに、5分しか停めていないんだからやめてくれ!」
と叫んでも、アレヨアレヨとレッカー車は去ってしまった。
ああ、後の祭り・・・。
どうすることもできないまま、近くの職員に尋ねると、インフォメーションのガイドの女性を呼んでくれた。彼女は英語ができるので結局彼女とともに空港内の事務所や警察を周る。
小一時間後、空港警察から駐車違反の罰金が提示された。
一万円ぐらい取られるのかな、ああいやだ~なんて思っていると、罰金額は59ペソ(約800円)。肩の力が抜けた。思った以上に安いのだ(不謹慎!!)
だけど、ガイドの姉さんにこんな駐車違反の同行までさせてしまい、本当に申し訳ない気分だった。彼女はボランティアで外国人への空港内のガイドをしているので、こんな事件の面倒に付き合うのは言語道断なはず。彼女は顔では笑っていたけど
「こんなことするのは私の仕事じゃないわよ」
と嘆いていた。だから別れ際に
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。だけどあなたのおかげで助かりました。本当にありがとうございました」
と、何度も何度も彼女に頭を下げるのだった。
その後、警察の車でわざわざ駐車場へ連れてっていただき、囚われの身となったジェベルと再会したのだった。
「それにしても、レッカー移動代と人件費、さらにパトカーで連れてってくれて罰金800円で果たして元が取れるのかな??」
川を境に世界が変わる
メキシコシティのペンションアミーゴを最後に、経費削減のためと、たるんだ根性をなおすため一切宿やホテルに泊まらないことにした。
これよりどんどん物価が高くなり、またヨーロッパのような惨めな毎日になると思うと辛いけど、とにかくアメリカを走って走って走るしかないのだ!と、一路ニューヨークを目指した。
メキシコ北部に来ると大分道も良くなってきた。道路沿いにはコンビニも点々とある。(といっても品揃えはアメリカ並みだが)メキシコとは言えど北と南では大分違うのであった。
メキシコ側のヌエボラレードから、米国テキサス州ラレードにいよいよ入国。
さあ、長かった世界一周の旅もついに終わりが近づいてきた!
そしていよいよアメリカだ!いったいどうなる!