世界一周21-1 ホンジュラス エルサルバドル編 超危険な国で”Poly Station”

南米・中米・北米編
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第21章 中米 III 編
(2001年3月25日~4月14日)

●ホンジュラスの”Poly Station”

●エルサルバドルとチェ・ゲバラの南米ツーリング

概要
中米は小国が連なっているが、それでも国ごとに食事内容が違うのは興味深い。
中米のガソリンスタンドは日本風のコンビニも併設されており、中米でも人気のカップ
ヌードル(100円位、米国製)も食べれる。

ホンジュラス
通貨1レンピラ=7.8円  ガソリン 78円 ・タコス 86円 ・バナナミルク
500ml 43円

エルサルバドル
通貨1コロニア=13.4円  ガソリン59円 宿 335円  ゲーム13円
・タコス 134円

定食:干魚のフライまたは牛肉煮、クリームシチュー、ピラフ、ポテト、トルティージ
ャ(餅のようにどっしりしている) 以上、スーパーのカフェテリアで 350円、市
場の食堂なら134円~
・合成ジュース250ml 13円(水代わりに飲用、駄菓子屋の味)

 

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ホンジュラスの”Poly Station”

2001年3月25日。ニカラグア出国。ホンジュラス入国。

一日あれば通過できるほどの小さな国なのに、またも超非効率的な入国手続き&通関に3時間もかかり、そのうえ手続きに4000円以上も取られて、もう内心、頭にきて仕方が無かった。

通関で待っている間にマシンの点検やチェーン調整を済ませておく。

そして、イミグレに5台ぐらいのハーレーダヴィッドソンがやってきた。みんなホンジュラスナンバーのハーレー。

この国では金持ちしか乗れないバイクなので彼らホンジュラスバイカーは皮ジャンにシェード(サングラス)、マスク、つま先までワイルドでカッコいい。アウトローの雰囲気ながらも、騎士的な感じがした。ホンジュラスではハーレーは特権階級が乗るものだからね。

見方によれば黒ずくめの武装学生運動家にも見えるが、半ばファッション化した日本のひょろひょろしたハーレーバイカーとは明らかに一線を越えている。

やっと自分のバイクの書類ができたが、排気量も120ccとデタラメに書いてあった。
大金払ってデタラメはないだろう!と日本的に思ったが、反面うんざりしていたので早く手続きが終わるのならもうどうでもええわい、と思ってしまうあたりが我ながらラテン的。

ホンジュラスは世界有数の危険な国である。

その日の夜に首都テグシガルパに到着。安ホテルはテレビ付の部屋。

翌朝屋台のタコスを食べるのだが、トルティージャに小さく角切りした肉やキャベツ、ピクルスを挟むあたりが、イランのナーンにシシケバブを挟むのと同じ感じなので、中東と中米は国や文化などが全然違っても、食に関してはかなり共通しており、世界一周旅行の醍醐味ともいえる大発見だった。

テグシガルパ市内は、ニカラグアのマナグアと違って新旧市街とも物が豊富で、さすがにメトロセントロほどではないが小さなデパートもあるし、新市街も米軍基地に近いので近代的である。

広場の露天商で、なんとプレイステーションの本体を無造作に売っているのを発見。だけどそんな高価なものをなんで露店で売るんだろう、と思って外箱をよくみると、「POLY STATION」と書いてあった。

つまり、ニセプレステで、本体の外観も本家そっくりなのだが、ハードの中身はただのファミコン。だからスカスカに軽いし、蓋の部分もフニャフニャしている安物ぶり。

悪い事に、外箱のパッケージも本物のPLAYをPOLYに変えただけの模造品ぶりで、一見しただけでは本物と区別のつかない、罪な商品だった。

このプレステもどき、東南アジアや西アジア、欧州の一部そして中南米では必ず見かける。他にも任天堂64もどきもあるが、やはりハードの中身は同じ。

だけどこのポリステのすごいところは、一級のコピー商品と言えど、国によってはすっかり市民権を得ている事だ。エクアドルの家電店のテレビCMを見ていると、

「プレイステーションUS$208!! ポリステーションUS$17!!」

と、コピー商品と本物と同じ土俵で宣伝されると言う、堂々とした扱いだったのだ

まあ、著作権うんぬんと問題はあるが、日本や欧米の金持ち国家だけしか音楽やゲームなど楽しめないと言うのも不公平な話で、発展途上国では海賊版のソフトやCDが当たり前のように売られているが、正規の価格だとCDアルバム1枚でその国の月給分になったりする。

しかし海賊版により第三世界の人々でも手の届く価格で音楽やビデオを楽しめるから、先進国と発展途上国では著作権の考えが異なるのも当然だと思う。

エルサルバドルとチェ・ゲバラの南米ツーリング

エルサルバドルに入国。
入国した夜は宿が見つからず、GSの駐車場でテントを張ったのだが、うるさいし人も来るのでおちおち眠れず。

翌朝はエルサルバドル東部の都市、サンミゲル。アララト山や富士山を一回り小さくしたようなサンミゲル富士が町からでっかく見える景観は、まるで山梨県側の富士吉田市を思い出した。

この国では以前に大地震が起きたので、復旧していないところでは道に砂埃が立つし、ハイウェーも通行止めのままなので、結局海岸寄りの道に迂回して首都のサンサルバドルに着いた。

首都のセントロは地震の影響は無く、市場やスーパー、ファーストフード店など普通に営業している。ただ倒壊した建物や廃墟となって荒れたビルも多く、やはり不気味である。

銀行に入る時は銃を持った警備員にボディチェックを受けないと入れない。
それでも、高級住宅街に行くと、パナマにもあったスシレストラン、ITTO(一統)があったりした。

アムステルダムの「飾り窓」のように鉄格子で仕切られた娼館のあるあたりは実にみすぼらしいスラムなのだが、とあるビルにはチェ・ゲバラの肖像がデカデカと描かれていた。

キューバ革命の英雄、ゲバラはこのように中南米では人々の心の支えになっているようだ。
最近では映画になったがゲバラも若い頃南米をツーリングしていたのだ。

ゲバラはアルゼンチンの豊かな家庭で生まれた。南米のヨーロッパと言われるアルゼンチンはヨーロッパ同様ツーリングが盛んで、ボリビアやペルーで見かけたアルゼンチンナンバーのバイク(トランザルプが多かった)に荷物を満載、しかもカップルで二人乗りして国境を越えてアンデスを越えて南米中を走るのを見た。

話はそれたが、医師を志していた若きゲバラはボロボロのバイクで南米ツーリングへと旅立った。しかし旅先で見た南米の貧困ぶりにゲバラは直面する。

半世紀以上前のアルゼンチンは、豊かな食料生産を背景に、現在と違って世界でも先進国として繁栄の一途をたどっていた。しかし同じ南米大陸でも富める国と貧しい国の差が歴然としていた。

それらの現実を自分の目で確かめたゲバラは、「貧しい人たちを救おう」と、立ち上がった。南米ツーリングの旅をしたことによって、その後のカストロ(議長)とともに世界を揺るがす大革命へとつながっていったのである。

私にとって身近なツーリングがゲバラもやっていた事で親近感が沸くし、私と同じく貧乏ツーリングをして、泥まみれになりながら時には命がけで南米を走ったわけだから庶民のありのままに触れる事ができる。

うわべっつらだけの海外視察では決して味わえない「もの」をつかんだわけだから、本当に誇るべき事だ。革命家と言うといかめしい響きだが、ゲバラの素顔は気さくで、「イバラないゲバラ」だった。

エルサルバドルの首都サンサルバドルから、グアテマラに向かう。
エルサルバドル西部の都市、サンタ・アナへの道路はやはりがけ崩れが起きており、片側の通行が遮断されている。

渋滞の仕方も、対向車線の向こう側が来るまで車は一時間も二時間も動けなくなり、半端じゃない。
しかたがないから単車の利点を生かして一足先に反対車線の隅をすり抜けながらへばりつくように走る。逆走しているので当たり前だがすぐ横を対向車がビュンビュン飛ばすのでおっかないったらありゃしない。

こうしてなんとかサンタアナの町に到着。(こうしてみるとエルサルバドルの都市の地名はキリスト教の聖者に関する名前が多い)

この町にもピカピカのショッピングモールがあって、ピザとか中華のファーストフード店が中にある。そして駐車場にはなんとニューヨークやテキサスのナンバープレートをつけた車が何台か止まっていた。きっとアメリカからエルサルバドルへの里帰りなのだろう。国境を越えて何千キロも走る里帰りなんてロマンだ。

考えてみれば中米の旅はインドなんかと比べればはるかに楽だ。中米は思った以上に発展しているのでちょっとお金があれば何でもできるしうまいものが食べれる。

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