南インドの大都市・チェンナイ(旧名:マドラス)は、
私にとって重要な町。
それは、15年前に世界一周したときの、
記念すべき出発地でもあるからです。
そして15年経って、
わが旅の原点は、どう変化していったのか。
それを今回のインド一周で是非見ておきたかった。
まずは役立ち情報 ベストレートの両替所
いろいろ訪ねまわった結果、チェンナイの老舗デパートのスペンサープラザ内1階にある両替店がいちばん良かったです。
この店構えとタミル人そのものなおじさんが目印です。
3月15日
9時10分起床。32度。次の目的地はいよいよチェンナイだ。
ポンディシェリを出発し、チェンナイに北上するも、行ったり戻ったりのぐだぐだ走ってしまう。海沿いの道が最短距離だが、片側一車線の道が続くので、内陸部の45号なら高速道路なので走りやすかろうと針路変更してやたら距離をくってしまう。
チェンナイには結局夜に到着。大通りにはスペンサープラザを発見!15年ぶりに見た!なつかしすぎる!
チェンナイ最大の目的は、救世軍とドベトン・カフェに泊まる事。
15年前にお世話になった救世軍は、世界中のバックパッカーが集まる合宿所のような雰囲気だった。
それで病気になった時は個室であるドベトンカフェで休養し、また救世軍のドミトリーに戻るというのを繰り返した。
しかし救世軍はみつからず、ドベトン・カフェにいくとリニューアルされていて、その新館はたいした部屋でないのにかかわらず一泊990(2000円)と非常に高い!15年前はたった110(275円)で泊まれたのに・・・
もう思い出の旧館は閉鎖されているので、べらぼうに高い金出して泊まる価値もない。
しょうがないのでほかの宿を探すが、日本人だと宿泊拒否にされてしまう。宿側は宿泊者の情報を警察に報告せねばならないため、外国人だとめんどくさく、店によっては登録を受け付けていないと管理がめんどくさいからだろう。
あああ、チェンナイは相変わらず封建的だなあ、と嘆いてしまう。
もう23時を過ぎているので、しょうがない。
今夜は野宿だ。
ということでチェンナイの海岸、マリーナビーチへ行く。
かわいらしい名前とは裏腹に、何千人と言う貧民が野宿をしていた。ここで野宿してもいいが、もっといい野宿場所がないか探し続けることに。
夜中の1時、街を走っていると、太刀の悪い警察の検問に捕まる。
「免許所を見せろ」「バイクの保険証と書類を見せろ」
国際免許と日本の免許を見せたのに、今度は「インドの免許書を見せろ!」と言う。ないものはないので「ない!」と答え、しょうがないので荷物を降ろし、バイクのシートの中に入れておいた保険証と書類を引っ張り出したら、やっと放免してくれた。あーやはり夜中はバイクでうろつかないほうがいい!
1時半、マリーナビーチに戻って野宿。
走行331km
16日 マリーナの夏。砂の上での寝床。
朝になるとハエが耳の穴とかに入って目がさめる。7時半まで寝続けると、暑さと強烈な日差しで寝てられなくなる。青森のねぶたキャンプ場を思い出す。砂浜の幅が何百メートルもあるので、意外と海は遠い。
建物の陰で寝てしまったので、ブルーシートを畳むと、小便臭かった。宿に泊まったらシートを真っ先に洗わないと。
朝から宿探し。エグモア駅から離れた、歩き方にも載っているパレスロッジ。7号室。350ルピーと都会にしては安い。
15年ぶりのチェンナイは、大いに変わっていた。近くには高架道路ができていた
スラムもかなり縮小されて、スラムに行っても屎尿が落ちていない!
というのも、15年前、エグモア駅に行く途中、スラムを通るのだが、駅前のあたりはスラムが続き、そこを通ると住民が路上で用便をしており、ものすごい悪臭がたちこめており、なんと道路の半分が屎尿で覆われていると言う、とんでもない時代だった。
都会でも、チェンナイ(マドラス)のスラムは、舗装路の半分が青空便所になっており、人糞と尿で覆われて、汚いし臭くて臭くてしょうがなかった。あの時は 世界のどんな発展途上国を探してもインドがいちばんの「地雷原」で、おかげで病気で苦しみ2ヶ月で13kgも痩せたほど。あのときほどインドに来たことを呪った事はない(泣)
インドの15年で変わったもの、それは用便!※注意!!食事中の人はいったん箸を休めよ。先月講演会のゲストとして来て頂いた三井昌志さんは、次なる撮影の旅で再びインドへ。プリーに到着してサンタナロッジに泊まってる模様。きっと去年と同じ部屋に泊まっているのかなそれで大笑いしたのが、三井昌志...
だけどいまでは公衆トイレができている。
そんな不潔な環境だったため、当時は病気に苦しんだわけだが、いまでは問題なく旅ができてる。
2000年当時のインドはまだとても貧しく、ミールスでもベジタリアン食しかなく、しかも不味いので当然のどを通らず、なんとかノンベジのレストランを見つけても、これまた不味くて、すぐにタイに戻りたかったぐらい。
しかし15年経った今回は体調が絶好調だ。やはり食べる物が変わったからだ。
だいぶ豊かになったせいか、屋台のミールスですら普通に魚や鳥肉が食べられるようになった。栄養のバランスが取れている。
そういえばチェンナイにはUna Masというメキシコ料理屋があった。インドとメキシコは地理的にも文化的にも非常に離れているのに。そんな店なのでカジュアルな高級ファーストフード店。one moreと言う意味だが、タコスがベジタリアンとノンベジの二種類あるのと、かすかにマサラ風味がするのはインドらしい。タコス1コ80ルピーと高い。WiFiもあるので1時間ぐらいネットした。
走行127km
いいものを、長く、大事に使う
17日
救世軍をようやく発見した。看板も無く、入り口は閉鎖されて、面影は無い。
先日走行中にエネループを入れたケースを落としてしまったようだ。落としたと思う場所に戻り探したが見つからず。呆然とする。インドでエネループなんて売ってないんじゃないか。
エネループと同じニッケル水素の電池はチェンナイでもいろんなお店で売っているのだが、類似品の安物は買いたくない。それはすぐに寿命が来たりするような、安物買いの銭失いになるからだ。
だけどカメラ店で、あっさりエネループを買うことができた。4本で1000ルピーだが750に負けてもらい、さらにおまけに電池ケースもつけてくれた。感謝!日本で買うより高いけど、信頼できるエネループが手に入ったので、これで気分がだいぶ晴れた。
なぜカメラ店が値引きまでして喜んでくれたかというと、インドではエネループはまだまだ売れないからだと思う。類似品だと半額で買えるからだ。
日本人だと、「安物買いの銭失い」という言葉がいまでも生きているように、
「信頼できるブランドのもの、いいものを、長く大事に使う」という考えだ。
そのためスマホでもiphoneや日本製やハイエンド機種しか売れないが、インド人はたかが電池なんかそこそこ使えて、安けりゃいい、という考えなのだと思う。
走行85km
15年ぶりに訪れたマドラス
いまはマドラスからチェンナイと名前が変わり、経済発展により街自体も、なにもかもが大きく変わっていった。
ようやく発見した救世軍の宿は、15年ぶりに訪れると、5階建てのビルに改築されたが、ただの事務所になったのか閉鎖中で、中に入ることはできないかった。だから気づかなかった。
日本人や外国人バックパッカーでにぎわっていた昔の面影はない。もう世界中のバックパッカーでにぎわっていたあのころの活気は戻ってこない。
しかし、スペンサー百貨店は、15年ぶりに訪れても、ほぼ昔のままで、うれしかった。
2000年3月のマドラス(チェンナイ)
そしてこれがちょうど15年後の、2015年3月のチェンナイ。
学生たち(下の女子高生など)の着ている服がとても小奇麗になり、
インドはだいぶ豊かになった。
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