マナリ、そしてヒマラヤをもって有終の美を飾る。
たびいち、雪とともに燃え尽きる!そんなヒマラヤの景色を、とくと味わいください!
6月17日
廃墟のラブホテルのようなボロ宿に泊まったのだが、そのせいか寝てるうちに熱っぽくなる。あまりよく眠れず、やっと夜が明けた。結局9時まで寝た。室温27度。だけど風邪の症状は無い。よかった。
マンゴを食し、そのあとカフェで、チーズバーガー。50ルピー。ベジタリアンの店なので肉は入っておらず、まずまずの味だけど、やっぱり肉が食いたい。
11時半頃出発。マナリへ北上。ダラムサラからマンドゥの山道にくらべれば、いくぶん走りやすい。
全長3kmのトンネルがあった。これだけの大きいトンネルは、インドでは珍しい。
日本のトンネルとちがうのは、奥へ進むとほとんど照明が無くなり、まるで洞くつのようなトンネルだった
トンネルを出ると、いきなり明るくなるのでとまどう。
その後クルの町に着く。移動遊園地がある。行楽シーズン。
乞食の子どもが車を相手に物乞い。
ここで驚いたのは、クルは山の町なのに、川沿いに10kmも20kmも住宅街が延々と続いている事。ここでも思った以上に人口が多い。
川沿いにはラフティングの看板であふれる。
そういえば荷物をつんで走るツーリングライダーもよく見かける。西洋人ライダーも見かけたが、インド人ライダーのほうが多い。ほとんどがエンフィールドなどで二人乗りで旅している。ガソリンだってインドの物価からすればリッター700円ぐらいするのにかかわらず。
日本でも、ツーリング創成期の1960年代はこんな感じだったのかもしれない。15年前にくらべてレジャーや旅ができる余裕のある中流階級があきらかに増えている。
日がくれた頃、やっとマナリに到着したのだが、有名な避暑地とあってか、町の中心はなんと新宿や渋谷のような人の山。大混雑の大渋滞。一気にガックリ。夏の軽井沢よりもひどいのではないか。
いやな予感がしながら宿を探すが、当然足元を見ており、安宿でも一泊1500だの1800だのと、超ぼったくり価格。どうみても400~500ルピーのクオリティなのに。タイですらそんなに取らないぞ。ふざけるのもいいかげんにしろ。
物価がぼったくりなくせに、ただインド人観光客がウジャウジャ大混雑してるだけの町なので、全く面白くもくそも無い。マナリなんて嫌いだ。ジョギンダナガルやマンドゥは素朴で実に良かったので、マナリもいいかと思ってたが、見事に肩透かしをくらってしまった。
こうなったら町外れで野宿しようかと思いつつも、川の東側の道を戻ってみる。相変わらず高そうなホテルばかりだが、10kmほど離れて、やっとHomestayという民宿・ペンション風の宿をあたってみると、600でOKだった。
一泊600はちょっと高いが、ここはマナリなのでやむをえん。部屋のクオリティも値段相応だし、寒い中野宿するよりはいい。
室温22度。ホットシャワーも出る。これから先の高山地帯ではシャワーには入れないかもしれないので念入りに洗っておく。洗濯もする。
1時半ごろ寝る
6月18日
9時起床。21℃。
いよいよマナリからさらに山奥へ。とりあえず行けるところまで行く。
マナリからさらに北へ進むと、エンフィールドのレンタルや修理などの店がある。ここで借りてラダックを回るのもあり。
街外れで、いよいよ景色が開けてきた。この雪山の先のはるかかなたにレーがある。なんてロマンがあるのだろう。
山の民
海外からのバイクも発見。
バイクも多いが、ガソリンが高いので大概二人乗り以上。
こちらもカップルだが、むっちむちの体
雪渓を発見!
こないだまで45度の地獄にいたことが信じられない。雪解け水がうまい。もうここまでくれば、正直満足だ。もう今回はこれにて。ラダック行きは次へのお楽しみにしよう。
夜道を走り、マナリに戻ったが、もう23時半なので、きのうの宿よりもさらにはなれた空き地で野宿する事にした
19日
野宿明けの眺めがすばらしい
今日は野宿の日だが、やはり野宿は、ビッグに寝なくちゃ。狭い公園でセコセコ寝るもんじゃないね。
今日は国内便を手配しなくては。
もういちど、峠のあたりまで行く。
今夜はおとといと同じ宿に泊まる。夜中になって、はげしい雷雨が降り始めた。ああ野宿しなくてよかった!部屋で護られていることの喜びをかみしめる。
20日
8時40分起床 晴れている
昨日はろくなものを食べてなく、今日はちゃんとしたものを食べようと、500mほどはなれた、小さなレストランに行く。
インドのレストランは、やたら高くて、客は全然入っていないのが典型的。
でも客がいないほうが、落ち着いててちょうどいい
メニューはとても高いので、思わず出ようと思ったが、その中で安くてよさそうなのが、マトンバーガーセット140。
ひさしぶりの肉はいい。マトンのくさみも無い。
ペンション風の民宿に泊まり、小さなレストランで朝食なんて、避暑地・軽井沢ならぬマナリらしいじゃないか。
途中の山沿いのとある町では、男も女もこれまでのインド人と人々の顔立ちがちがうことに気づく。まさに中央アジア系なのだ
その日の夜は、大きなバス停で野宿。
(118)インドで工場萌え。近代計画都市チャンディガル
悠久と神秘の国・インドらしくないネタ。それが近代工業国家の一面と工場と工場直売品と近代計画都市でございます。
6月21日
マナリからはデリーに戻る。さらばヒマラヤ。旅の終わりが近づいていく。
その日はバス停で野宿したのだが、そういえばまばたきしたとたん外が明るくなっていた。
いったん目がさめて、再び目を閉じた途端、20分ぐらい深い眠りについたんだと思う。
その夜は騒いでたり、車の音やホーンもガンガンうるさいのにも案外眠れたから、きのうはよほど疲れてたのだろう。8時ぐらいに起きた。
そして今日も大変な一日だった。雨が降ったり、行ったり戻ったりでぜんぜん進めない。あまりに疲れきって精神的に病んでいたので、頭がかなりConfused。できるだけ見たものを貪欲に吸収しておきたいという事だと思う
マンデゥに戻った。日曜日なので閉店している店が多い。さらに進むが、距離が伸びない。
国道沿いに、アップルジュースの工場直売品を見つけた。このところ栄養が偏っていたので、名産品を味わいながらビタミンゲットするには願ってもないチャンス。一瓶200ccで20とお手ごろ価格なので、結局3本飲んだ
このあたりから、ACCという看板が増えてきた。
もうすぐでACCセメントの工場があるらしい
インドで工場萌え
そこは、セメント産業の町であった。
そこにはACCセメントのレジデンスコロニー(工場労働者用の町)がある。
いくらかこぎれいで、社宅や病院もある。インドは高度経済成長期である。
今宵はセメント街から外れたところに宿を発見。そこに泊まる。
宿の前には何人かの若い男たちがいたが、彼らもACCセメントの労働者で、やはり何十キロもあるセメント袋を担いだりするので、みな千代の富士や長州力のようなずんぐりとした逞しい体になる。
ただ英語が話せずヒンディー語だけ?なので、彼らの場合はおそらく田舎から来た単純労働者で、ベストを着たような技術者とはちがって、やはり下の部類になるのだろう。なんとも外の屋上で寝るだとか。
セメントコロニーの社宅に住む技術者とは格差がある気がするが、彼らの力自慢でタフな体こそが、大国インドの建築産業を担っているわけである
6月22日
町に戻ってACCの町を散策。町は普通のインドの街だが、工場の作業着を着たインド人が行き来する。まるでインド人研修生であふれる徳山とか四日市のような、ちっともインドらしくない雰囲気だが、日本人のイメージからすれば全然スポットが当たらない、工業的な日常のインドも見ておきたい。
伝統的なターバンと、理数系な工業技術。そのアンバランスさがじつにいい。
昨夜はセメントコロニーを出た途端、チェーンから激しい音がするようになった。
ボルトを緩めようとするも。手持ちのモンキーレンチでは抜けない!ボルトをなめてしまった
だましだましワークショップを探してチェーンを緩めるか、いずれにせよヤマハのワークショップでスプロケとチェーンのセットを買ったほうがいい
もうゴールまでわずかなのに。
しかし本日出発すると、チェーンの激しい音が無くなっていた。その後も問題なし。何かがひっかかってたのだろうか。
山道を降りたあたりで、ダーバ(食堂)の裏庭の建物の軒下で野宿。
6月23日 チャンディガル
朝、スペアのクラッチワイヤーアッシーを持っていたので修理屋で交換してもらう
見間違えるように、新品に乗ったかのようにクラッチが楽になった。
それでいて工賃は20(40円)でいいという。インド最高。
デリーまで400km、300kmと言う標識を見るたびに、自分の旅の終わりが近づいてきて、なんともいえぬ気分になる
これより平原部になったと同時にパンジャブ州になり、念願の片側2車線道路になる
チャンディガルは、デリーやダマン&ディウなど、あるいはブラジルで言うブラジリアと同じ連邦直轄領で、ハリヤナ州とパンジャブ州の両方の州都という特殊な計画都市だ。いわば小デリーといったところか。
チャンディガルに入る手前に、今度は乳業会社の工場直売店がある。まるでシャトレーゼみたいだけど、工場の敷地の一部が公園になっており、たくさんの家族連れが憩っている。
じぶんもラッシーやチョコアイスを買って「今日はどこまで行こうかな?」と考えながらピクニック気分で芝生の上でゴロゴロした。
こういう他愛のないところが好きだ。インドはやっぱりおもしろい
チャンディガルに着くと、計画都市らしく森の中を切りひらいた碁盤の目状の都市で、森で道路沿いの建物がよく見えない。そんな森につつまれたような、謎めいた町だった。
チャンディガルからパンジャブ州に戻ると繁華街が続く。グルガオンのMGロードのような高級ホテルやショッピングモールがならぶ。
再びエンジンをかけようとすると、エンジンがかかりにくくなる。デリーまでもう少しなのに。なんとかたどりつかねば。
国道1号につき、眠くなったので、ダーバ(ドライブイン)でダールとロティの食事後、木製ベッドで寝させてもらう。
(119)インド一周最後の日!巨大な〇〇と、ふんどし男がお出迎え!?
ついに、このインド一周の旅も最後の日となりました!
さあ、はたしてどんな結末が待っているのか!
6月24日
茶屋の軒先にあるベッドで野宿。「朝だぞ、おきろ」と6時に店員に起こされる
6時間も寝ておらず、死ぬほど超眠いので、ほかのベッドで移って二度寝しようとすると、その病人のような寝方ゆえに
「おまえ、病気か?薬ならあるぞ」
と病人に間違われたほど。
出発して、前回行きのときにGSで出会ったシークのおじさんに再会しておこうと寄り道してGSに行くと、
あいにく不在だった。
そうなれば思い残すことなく、デリーに一直線で戻れる!
だけど今日が旅の最後だと思うと、ついつい寄り道ばかりしてしまい、どんどん時間がかかるのであった。
国道1号の標識にあるキロポストで、デリーまで250km。デリーまで200km。デリーまで160km・・・・・
と、見るにつれ、どんどん我が旅も終わりが近づいていくのを心より実感。
デリーまで120kmぐらいのところで、田舎のど真ん中の国道沿いに、バブリーなベジタリアン高級レストランを発見。
高級そうな店だから、肉やワインがあるのかとおもいきや、なぜかベジタリアンである。
インドの文化だと「血の滴る肉なんて汚らわしいのよ!」ということなのだろうか。
ともあれ、日本にも田舎のど真ん中にバブリーな宮殿のようなパチンコ屋があったりしたけど、その不釣合いさは日本もインドも似たりよったりだ。
あまりにごうじゃすすぎるので、はたしてどんなところなのか覗いてみたくなった。
普通のレストランとはちがい、シェフも一流レストランのいでたちだし、従業員も完璧なスーツを着ている
それに比べ、野宿の連発で3日も洗濯して無い黒ずんだ汚いボロボロの、ドレスコード完全マイナスの格好で入るのはすごく勇気がいる。
入り口にはいかつい黒服がいて、入店を断られたらそれこそ屈辱だ。
なので、「人は見かけやない!心や!」
ということで、
「May I come in?」
とクインズイングリッシュ風の思いきりカッコつけたキザったらしい発音で尋ねて見ると
意外なことに
「Why not? Welcome!」
と笑顔で迎えてくれた
バスも止まっているので、庶民でも入れるらしい。激烈に貧しかった東インドとは明らかに違う。
扉の中は、ムンバイのタージマハルホテルのような豪華なロビー。メニューを見ると、格の割りに、Tea(チャイ)は30と安い。日本だとたったの60円。ほかのフードもそれほど高くは無い。
もう時間が無いし、荷物も単車にくくりつけたままなのでそのまま立ち去ったが、じっくりゆっくり優雅にアフタヌーンチャイを味わいたかったわい。
100km地点で、高くそびえる〇〇
インドからちょうど100kmの地点で、巨大な尖塔、すなわちインドのリンガ・日本でいう「かなまら」を発見。
「かなまら神社・インド支部」である
そびえたつ沈降と、ハイウェイ。じつにシュール。
先っちょの上には鳥。
これが、聖者の行進だ!!
そして、デリーまであと50kmぐらいから、民家などもぼちぼち増え始めてきた
そこには、ふんどし一丁のおっさん、ではなく聖者が歩いていた
ジャイナ教の高僧になると、すべての所有を放棄するという意味で、全裸で過ごし、全裸で行進するというが、ここは首都圏のお膝元なので、さすがにフルチン全裸ではまずいのだろう。
しかし、
しかしね!我がインド一周の最後を締めくくるのが、男根とふんどしじゃ、あまりにも感動のゴールには程遠いではないか!
このままじゃ、感動もへったくれもありゃしない!
そして感動のゴール!3つの感動
夜になると、どんどんデリーの街に近づいてきた。と同時に雨が降ってきた
いつもならイヤな雨。だけどこのときは違った。
「もう少しでゴールだ!!明日から走らずに済む!野宿しなくても済む!」
そのうえで、雨が降ろうものなら、異常にテンションが高まるのである。
フィナーレを飾るかのように、曲を聴きながら無我夢中で走る。
そして、デリー到着!
この「Welcome to Delhi」の標識を見たとき、
「帰ってきたんだーー!!ついに半年以上に及ぶ、長い旅が終わった!!」
と、腹の底からの押さえきれぬ衝動を爆発させたのだった。
そう、この何の変哲もないこの標識こそが、最後の感動だった。
思えば、このインドの旅で、心より感動したのは3回あった
ひとつは、インド最南端の岬についたとき。
8000m級のヒマラヤを見たとき。
そして、このデリーのゴール。
だけどまだ旅は完全に終わってはいない。今日は最後なので、大雨に濡れまくりながらも、デリーを目指す。
これまでだったら、GPSがあったので楽に戻ることができたが、もうGPSもこわれているため、当然のように大いに迷ってしまった。標識も不親切なのでノイダのほうまで行ってしまい、どんどん時間がなくなっていく。
すでに感動から冷めて、現実に戻っていたが、結局検問の警官にこちらから道を訪ねながらも、日付が変わるころにようやくパハールガンジの宿・ホテルナマスカールに戻ったのだった。
わがFZ-sの、最後の雄姿。
最後は自分もボロボロになり、マシンもボロボロになって、何とかたどり着くことができた。
完全燃焼!
ということで、昨年から連載してきたインド一周編は、これにておしまい!