日本でも人気の高い、南の果ての赤い独特な国・ケララはどんなとこなんでしょうか?
フランス領のマヘと、いよいよケララ州、そして高知に入ります
3月1日 高原から再び海へ。
10時起床。マイソールから旧フランス領のマヘに行くのだが、マイソールを出るのにまたも迷ってしまった。素直に西へ向かえばよかったものの、環状道路を通ったりで50kmぐらいムダ走りした。
マイソールからは800~900mの高原丘陵地帯が続くが、
マイソールから120kmほど進むと、いきなりいろは坂のようなつづら折の峠道になり、15kmぐらいかかって急な山を降りると900mあった標高が一気に100m以下になった。
一気にトロピカルムードでムシムシするようになる。植生も一気に熱帯的。
どうやら山を降りたここからケララ州に入ったようだ。
ケララと聞くと、ケララ軍曹と間違えやすいんだけども
先月ゴア州からKA(カルナータカ)州に入ったときも、同じように峠を越えて600m以上の高原地帯が続いたので、改めてKAは「高原の州」だということがわかる。
ケララ州は独特な国だ
独立国のような雰囲気で、独自の道を進んでいる。あらゆるものがほかのインドとはちがう。共産マルクス主義が圧巻している州なので赤旗やプロパガンダで、まっかっか。
ケララの若者のひとりに
「君はコミュニストか?」
と聞くと、「そうだ」といって、彼のバイクを見るとバイクの色は黒だけど、なぜかRedArmyとかかれていた
そして、彼のキーホルダーはゲバラだった
とはいえインドと言う民主主義国家の傘の下に入っているため、ベトナムなどのようにケララ州がうまくバランスが取れてるのかもしれぬ。
ケララは共産主義のみならずイスラムやキリスト教が幅を利かせていることもあってヒンズー色が全然感じられず、低カーストの人々にとってもケララに来れば一人の人間として平等なチャンスがあるのかもしれない。ケララの共産主義についていろいろ調べたくなった。
南西の端の州ケララはインドの中央から離れているのと、独自の気質、海を挟んで諸外国との交易で栄えており、その独自性は日本で言う薩摩・鹿児島と共通性があると思う。
KAからケララに来ると、一気に交通量が増えて、走りにくくなる。やっとの思いでケララに囲まれた旧フランス領のマヘに到着。安そうな宿は宿泊拒否にされて、小奇麗なところは700と高いが、マヘにくれば気温も高いので今夜は野宿をすることにした。
23時、開いていた食堂でおそい夕食。何も食わず走りづめだったので空腹の極み。チキンマサラ60.チャパティ4枚32、魚のカレー、最後にTea(チャイ)合計130ルピー。標高が低く海が近いので、食べていると汗がダラダラ出てくる。水を飲みまくる。
今夜の野宿はどこじゃいな。ということで街中のGSとかで寝ようと思ったが、寝れる雰囲気ではなく、GSの近くにバス停のような建物を見つけたが、周りに何人か男がいて、不安を感じてパス。
結局、町から外れた国道沿いの店の軒下で寝ることにした。ここなら誰もこない。例によって蚊にかまれる野宿だった。
走行281km
2日
7時15分起床。野宿明けの朝。
旧フランス領のマヘに行く
以前、旧ポルトガル領を訪れたが、
今回は旧フランス領で連邦直轄領のマヘである。
ケララ側から川をわたると
これよりマヘ。さっそく酒店が見えた。
ケララ州に囲まれた旧フランス領マヘはガソリンスタンドと酒屋・バーがやたら多いだけで、あとはケララと同じの普通の町だった。
メインストリートには酒屋が多く点在
ケララほどではないが、住宅街の中の学校の前に共産主義のマークがかかれてあった。とても小さな町なのに、ペトロールの税金が安いのでGSも多い。ケララでは63ルピーだが、マヘでは58ルピー。もちろんマンタンにする。
フランスの名残があったのは、住宅街の中にフランス語学校があったぐらい。
連邦直轄領マヘとケララ州の境界はどこにあるのか、探してみたが、北のほうは橋と川を隔ててあるのでわかりやすいが、南のほうは、住宅街の中の路地が境界線になっており、わかりにくかった。
今後は夜の気温も高いので野宿する事が多くなるが、そのさい、野宿の天敵・蚊とはどう戦うか。
戦略を考えた結果、蚊取り線香は荷物まで煙臭くなるので却下。そこでマヘの街中にある「Ami Medicals」と言う薬局で、ODOMOSという蚊よけクリームを買うことにした。23ルピーと安いのでケチることなく塗りたくれる。
なんとアマゾンでも買うことができるが、
なんと20倍と高いので、参考までに。
どうでもいい話になるけど、amiはフランス語で友だちという意味だが、ふと屋久島に移り住んでいる友達を思い出す。あれから御無沙汰になってるけど、元気にやっているだろうか。その人がいるうちに屋久島に行ってみたいけど、バンコクに行くよりも遠いんだなあ。
こうしてマヘからケララ州に戻ったのであった。
今日は高知へ行く。
といっても四国の高知ではなく、ケララのコーチである。
3月2日
マヘからコーチの国道は、路面自体はちゃんとしてるのだが、交通量が多いわりに片側一車線しかなく、しかも街中を通るので常に混雑しており、とにかく走りづらくてスムーズに進めずいやになる。
救いなのは、ケララ州のGSには、必ず冷水機があるのがうれしい。人間も給油!
そういえばケララではまったく野良牛がいない事に気づいた。野犬も少ない。なので道路も全然うんこくさくないし、運転もカルナータカよりもケララのほうがよっぽど荒いのに、動物のれき死体はよそよりも非常に少なかった。
では牛はどこにいるのかというと、河原や空き地に放牧されている。ヒンズーのエリアでは人も牛も一緒くただが、共産圏ゆえなのか、人間と動物は線引きされている。
見事な真っ赤っかぶりのCPI(M)の事務所。もちろん椅子の色だって赤い(笑)
共産マルクス主義の赤い旗と、イスラームの緑の旗が共存してはためく。これは珍しい。
かといって、こちらはキリスト教。
ふつう国道は一直線につながってるもので、インドだと都市近郊はフリーウェイになってたりするのだが、なぜかケララの国道では、中央政府からの政治的圧力の遠縁なのか、ケララ州を縦断する大動脈なのに、コーチの手前あたりはごちゃごちゃしてわかりずらく、迷ったり、日本の県道のような狭い道を走らされる。
そのうえ工事中の迂回路によって余計に判りづらくなり、大幅に時間がかかってクタクタになってコーチについた。
ケララとIT
ケララは、インドの中でもITに対する教育やリテラシーが高いのが特徴だと思った
すなわち、既存のソースではなく、自分たちで作り上げようという意欲である。そこが封建的なインドの州とはちがうと思う。
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0509/07/news073.html
それを証拠に、ケララの田舎を結ぶボロボロのバスの看板には、アンドロイドの学校というものがある。アンドロイドのアプリを開発する専門コース。
フェイスブックとユーチューブな店
コーチは思った以上に近代的な都市だった。外資系のマリオットホテルが見える。コーチ・メトロも建設中で、ケララ州都トリバンドラムを凌ぐ、ケララ最大の都市である
KOCHI METRO はりまや橋へ通じているのだろうか
中心部につくと、交差点の歩道では、たくさんの貧民が野宿をしていた。平等を目指すケララとはいえ、インドの他州同様、それなりに貧富の差はある。ただケララは熱帯地方なので作物も取れ、北インドのような過酷な環境ではないので、悲壮感はかんじられない。
コーチ中心部には宿が何軒かあって、泊まったのはExective INN 116号室。700ルピーを500にしてくれたので泊まる。バスルームつき。
この部屋は汗がでてくるし、非常に蚊が多い。快適なマイソールの気候がなつかしい。1時半ごろ寝るが、おすだけベープを連発してもあとになって隙間から入ってくるし、扇風機を回しても咬まれる時は咬まれるので、かゆくなって途中で目がさめてしまった
走行325km
東南アジアのような町
3日
10時半起床。外に出ると、むわっ~とした暑く湿った夏の空気。
このトロピカルな空気は、シンガポールを思い出した。
Tiffin(キオスク)でコーヒー一杯12ルピー、Tea(チャイ)一杯8ルピー、円盤型の黒い揚げパン一個7ルピーと丸いドーナツ一個7ルピーは、円盤のほうは、中身が黒糖蒸 しパン風でうまい。
そういえばここではTeaであって、チャイなんて呼ばない。北インドのチャイ屋とは趣がちがう。これまたシンガポールのホーカーズの コーヒースタンドのような雰囲気。
今日はたまった日記やPC作業や雑務などをして、夕方からコーチを観光し、明日は走りに専念してコヴァーラムビーチまで走り、そしてついに最南端をめざす。
夕方、ウェリンドン島へ行く。とにかく人が多い。人人人。
ケララでは、男女平等推進しているのか、おもちゃ屋や子供服店などでは、女が売り子をしている。北インドの封建的なところとかだと、男が婦人下着を売ってたりする。
夜はショッピングセンターに入る。
ケララは平等を目指す州なのか、あのインドの他の都市のショッピングセンターにあるような、クソショボイくせに中流・上流オンリーの、あの鼻にかかったイヤミな感じがしないのがいい。日本のショッピングセンターのように気軽な雰囲気がいい。
ケララ、いい!ケララ、Good!
走行34km