「第二のオーストラリア」と言われるナミビア。オーストラリアのような荒野あり、砂漠あり、海があり。
治安もまずまずで、日本人にとっても、アフリカの中で人気のある観光国ですが、どんな国なのでしょうか?
そんなたびいちのアフリカツーリングも、いよいよ最後の国となりました。
奇妙な荒野の国境
アピントンからナミビア国境へは、オーストラリアのような荒野が続き、夜、南ア出国。
出国手続き後2km走ると国境になるが、ナミビアのイミグレは、そこからさらに14km先だった。緩衝地帯長すぎ。
ナミビア入国はノービザだが、単車は申請用紙に記入し、通行、保険代など115R(1150円)払った。ナミビアドルは、スワジランドやレソトと同じく南アのラントと等価。
入国後は、国境の町外れの茂みの中に入り、テントを張って野宿。いわゆるブッシュキャンプで、まさにオーストラリアだ。カンガルーはいないけど。
22:20分寝る。静寂がこだまする。
6月17日
6時50分起床。気温4度。標高660m。実は時差があって、南ア時間だと7時50分になる。
こうしてみると、バイク以外はオーストラリア一周ツーリング時代とまったく変わっていない。
朝、パンクしていることに気づいた。
ブッシュキャンプするにも、乾燥地帯なのでトゲトゲの木や枝が多いのだ。結局パンクを自分でなんとか直して、出発したのが昼過ぎになってしまった。チューブのパンク修理ほど無駄にめんどくさくて不毛な作業はない。
国境からは、南アのアピントン148㎞、次の町カラスバーグ112㎞。首都ウィントフック826㎞。
途中、道端にテント発見。おお、仲間よ!
危険な南アと違い、思った通りナミビアなら野宿も気軽にできそうだ!
14時10分、Karasburg着。スーパーで昼食を買う。すると・・・
下衆な内容になっちゃうけど、ミニスカ事件。
そして、ポピュリズム路線丸出しな下衆な内容になってしまうけど、
ナミビアの女子高生は、なんと、ミニスカート。
しかも、こう見ると日本と変わらないどころか、特に自分が90年代半ばに通ってた高校の女子の冬服に、セーターとミニスカがあまりにそっくりだった。
90年代半ばはコギャルブームの始まる前で、当然自分の頃はスカート丈もミニの女子がとても多かった。(そんなミニはいてた子も、いまでは40代になってるけど・・)
この撮影した時は特に何も思わなかったけど、今思うと彼女らにおねがいしてちゃんと撮らせてもらえばよかった!
それだけ高校時代にそっくりだし、ナミビア南部の女子高生のスタイルがとても美しかった。
カラスバーグを出ると、すぐにオーストラリアのような荒野が続く。
1㎞先、休憩所。
休憩所はアフリカンテイスト。
ここで昼食。チーズケーキ70円。セレス200ml60円。KaasBan(チーズサンド?)35円。スナック菓子。
食事中、ナミビアの列車がやってきた。
貨物と客車などが混じっている。
ディーゼルエンジンだけど、まるでSL。のんびりしたような雰囲気がして、なんだかあの列車に乗ってみたくなった。
ガソリンスタンドで野宿する
19時4分、Keetmanshoop着。336㎞。この町のガソリンスタンドは、トレーラーなども泊まる為、とても広い敷地になっており、片隅で野宿することに。
南アでは治安上できなかったが、ナミビアでは気軽に野宿できるようになる。
テント張って、GSで給油したり食事したり、シャワー浴びたりすると22時になってしまった。
シャワーの利用は、ガソリンスタンドの受付に行き、10N$(100円)払ってシャワールームの鍵を借りて入室。
せっかくなので、シャワーのみならず、熱いお湯をゆたんぽ替わりにペットボトルに詰めた。
寝袋だけだと寒いが、これがあればけっこうあったかい。
2018年追記:東日本大震災の際、ゆたんぽの替わりになるとテレビとかでやっていたが、私は以前から本能で知るようになった。でも、ペットボトルだと、どうしてもお湯が少し漏れる。
6月18日
6時半起床。標高825m。気温8度。7時になると12度まで上がる。ゆたんぽ効果のためか、そんなに寒くない。
奥の目立たぬ場所にテントを張った。
8時15分、テントを撤収。8時半出発。キートマンシュープの街。
街を出ると、これまでのアフリカと違い、きょうも何もない荒野が延々と続く。
この日の昼食も、国道わきの休憩所で、きのうとまったく同じような景色を見ながら昼食。
昼食は、昨日と同じくチーズサンド60円。飲むヨーグルトは、ドイツじこみの酪農が盛んなナミビアの名産品ともいうべき。25円を2本。
そんななんでもない日が続くと思ってたら、
大間違いだった。
今日は悲惨な日。命がけの日。
原野の中を80km/hで走行中、前輪が突然バーストした。
とっさにバランスを取りながら減速したが、60km/hぐらいになったときにおもいっきり大転倒した。ルサカ以来二度目の大転倒。
タイや内側のケプラーが露出し、それがすれてチューブが一気にパンクしたのだ。
そのタイヤはタイのVeeタイヤだが、粗悪品や欠陥品によってひどい目に合うと言うか生死に関わる問題だ
とにかく痛いので病院に行こうかとも考えたが、日数もないし、まあ動けるのでそのまま旅を続ける。
チューブを抜いて、そこらへんの草をタイヤに詰め込み、無理やり走る。
なので予定より遅れてマリエンタルに着いて、タイヤ店で修理。閉店間際の15分で修理してくれたが、ここは厳しい店のようで、まるでF1のピット作業のように素早く、抜群のチームプレーで修理が終わり、その手際のよさに惚れ惚れした。工賃も400円と安かった。
マリエンタールのスーパーで買った夕食。ビーフいっぱいの大盛カレーライス220円。まるで日本みたいだ。GSで食す。
かといってマリエンタルで野宿するにはまだ早いので、やけくそでさらに進む事にした。
これが間違いだったのだろう。今思うとじつに愚かな選択だったと思う。
閃光あふれる恐怖の夜
マリエンタルから北へ50kmほど進むと、稲妻ががんがん落ちている。
しかも、ここは何もない大平原なので、自分に落ちる可能性がある。
このままでは怖ろしいので巨大な電線塔を見つけて、塔の頂点から斜め45度のふもとでひたすら伏せる。今日は正真正銘、命がけの冒険日和だ
稲妻もだいぶ止んだので一気に逃げ出す事にした
そのさい銀マットを適当にくくりつけたため落としてしまった
それに気付いたのがテントを張ろうとしたときだった。
130kmも走ったのに、普段なら気付くのだろうが、今日のケガと焦りと疲れと寒さで振り返る余裕さえなかったのだろう。
しかしどうする事もできない。テントを張ると、疲れと打撃傷でロクに動く事もできない。
マットがないので、地面の凸凹がダイレクトに伝わる。旅を終わらせろと言うお告げなのだろうか。なんて一日なんだ
23時50分寝る。
6月19日
6時38分起床。Rehoboth郊外の野宿。気温11度。標高は1300mだが、緯度も下がったのか、あったかい。
世界一周した時、イタリアでリュックをなくしたときのような気分を彷彿させながら、すぐに730に出発
しかし、今度はすぐにチェーンがまた外れた。はめなおす。20分のロス。幸いウィントフック迄もう少しだ。
といいながら、昨夜落とした銀マットを回収するため、125kmかけて塔まで戻ったものの、結局見つからなかった。誰かが拾ったのだろうか。
これからまだ野宿は続くのに、銀マットはあきらめて、新聞紙とかしいてしのぐしかない。結局5時間255km余計に走ることになった。
南回帰線。
記念すべき南回帰線で昼食。カレーピザ38円。ツナサンド100円。
さらに行くと、道路沿いにバーベキュウ屋台発見
マーガリン付きのパン30円。焼肉50円を2枚。うまい。
こうして、
やっとの思いで首都ウィントフークが見えてきたのだった。