旅行者にとってはそんなに縁は無いけど、日本人駐在員の人々は必ず行くといわれる、タニヤ通り。その隣りは言わずと知れたパッポン通り。
実は20年前にタニヤ・パッポン通りに来たことがあるのですが、あれから20年でどう変わったのでしょうか?
3月7日の日記 続き
前回、謎の東京を見たアソーク。
しかし現地の発音はよりによって「麻生」と聞こえる。
アソーからエカマイまで歩こうと思ったけど、かなり距離があるし、思った以上に時間がないので、BTS(スカイトレイン)で行く。
エカマイ駅からソイ63をひたすら歩いて、マッサージ学校時代にお世話になった人に会いに行く。お世話になった人の職場へ行くも、もう誰もいないので、またエカマイ駅に戻る
時間がないので、帰りはモタサイッ(バイクタクシー)を拾う。
「BTS、タウライカッ?(いくらですかッ?)」ときくと、「イーシッバー(20B)」というのですぐに乗る。自分はノーヘルのまま、後ろに乗る。距離は1㎞ぐらいあった。歩いてたら急いでも10分はかかるし、汗だくになるので、モタサイッに感謝。
BTSエカマイ駅に戻り、駅直結のショピングモールでようやく再会。そのショッピングモールについては、また後日。
赤バスとBTSでは客層が違う
バンコクに来るたびにいつも思うのが、赤バスに乗るのは、日に焼けて色黒の人が多く、庶民階級がメイン。あるいは西洋人や日本人のビンボーバックパッカーなのに対し、
BTS(スカイトレイン)や地下鉄はビジネスマンやOLや学生とか、色白の人が多い。すなわち収入のある中流階級向けに住み分けされている。
3月7日の食事
朝 からーげ残り カオニャオ10
昼 駅食堂:いかと野菜炒め 30
夜 幸楽苑(ラーメン二人99×2、ドリンク) KFCソフトクリーム10とエッグタルト22
ゼリージュース150ml 6 2個 小魚ピーナツ10 トマトスナック 6 ソフトクッキー3個入り 6
交通費
ファランポーン>アソー 28 x2
アソー>エカマイ26 x2
3月8日の日記
6時前、蚊にかぶれてかゆくて目がさめる。二度寝して11時50分起床
きょうも天気が曇ってるので、おとなしくする。
宿を出て昼食。ファランポーン駅出口あたりの屋台でソーセージ。キャベツを一緒に食べる。
いつもの駅食堂では、一品盛りのほかに、ゆでたまごを追加。ハエがたかってた。そのせいもあってか、2個くれた。
食後は、案外と腹いっぱいになってしまった。いろいろと疲れているのか、宿に戻って昼寝すると19時過ぎまで寝てしまった。そのあと夜のタニヤに行くことに。
夜も蒸し暑い。この日のバンコクの気温 最高33℃、最低25度とのこと。
タニヤに行く
タニヤはファランポーンからシーロムまで、地下鉄ですぐに行ける。
シーロム駅構内にあった、JRのレールパスの広告
日本人通ともいえるタニヤは、日本人向けの店も多く、シーロム駅と直結しているサラ・デーン駅を降りてすぐのところにツルハドラッグを発見。
ここで30バーツで虫よけスプレーを買ったが、やはりベトベトして好みじゃない。外にいるときはいいかもだけど。
タニヤ通り
タニヤの通りと両替屋
タニヤの両替屋は、有名なタニヤスピリットは閉まっていたが、夜開いてるほかの店も、スーパーリッチに準ずるぐらいレートが良かった。
ただしタニヤは店によってレートの良し悪しに非常にばらつきがあるので、やはりスーパーリッチ方面のほうが競合店が多い為、レート的には安心。そして日本円以外(米ドルやインドルピーなどの交換)も有利だろうし、しかもタニヤは客引きが非常に粘着系でうっとうしい。
強烈な異彩を放つのが、大阪からやってきた432″という店
ネット上でも話題になっていたが、この大阪由来の極限なまでのアホパワーは、他の日本食レストランを一気に押しのけて霞ませるほどである。
写真がぼけてしまったが、とにかく強烈。
「ビュっと道わたってこんかい」
道路交通法を無視してでも店までわたって来いって・・・まあここは日本じゃなくタイだし度胸試しも兼ねているってことか。
ターミナル21同様、謎の文体が書かれているちょうちん。
しかしこの店のちょうちんは、きのうのターミナル21とは比べ物にならないぐらいお下劣で
「女・子供の来るとこじゃねえ」と言わんばかりの下ネタ放送禁止用語が爆発。もちろん日本語の読めない現地の人はセーフだけど。
日本の居酒屋だと、やれコンプライアンスだのクレームとかあるから日本では絶対できないことを、ここ海外で見事にやってのけている。
「超超ブラック企業」と書いてあるが、店員の表情はなぜか極めて明るい。
タイ語とミャンマー語の求人広告。
こんなめちゃくちゃないかれた雰囲気に似合わず、なにやら条件がぎっしり細かく書いてあるので、応募者側からすれば超超ブラックでも納得しやすいのかも。この中には「下ネタも受け入れられる人」なども書いてあるのだろうか?
あんまんや大福のように、表がホワイトでも入ってみたら中がブラックじゃ、たちが悪いやね。
ドクター・ポン
同じく大阪と言えば、大阪大学医学部卒業のドクター・ポンのクリニック。
20年前に来た時に見かけたときは「日本語のできるクリニック」として記憶にあるのだが、昭和40年卒業ということは、現在のドクターポンはおそらく80歳前後ではなかろうか?となると今でも現役で営業しているのだろうか
タニヤとパッポンは、20年で変わったか?
タニヤ・パッポンへのアクセスは、20年前は公共交通はバスしかなかったのだが、現在では地下鉄やBTSですぐにたどりつけけるようになった
しかしはっきりいって、パッポンは20年前と全然変わってないな、というのが印象。
もちろん品ぞろえとかファッションなどは今流だけど、タニヤの客引きのしつこさやパッポンの怪しさは、基本的には変わってない。
タニヤは、カレー屋ができたり、おにぎり屋(一品)40~50Bができたりと、それなりに変わってたと思う
パッポンのみずキッチンのサイケな看板は、20年前に見たときと変わってない気がする
洋食一筋のみずキッチンは、1957年開店。海外旅行が解禁されたのは1964年なので、それ以前から駐在員向けに営業していたであろうレジェンドな老舗。
3月8日の食事
昼 ウインナー串10 (キャベツ付き) ミロナゲット15g 10 駅の食堂 豚としょうが炒め30 ゆで玉子 10
夕 ソフトクッキー2袋 12
夜 KFCソフトクリーム 10 トマトスナック 6 クリスピーパンケーキ 10
そういえば下ネタといえば・・・・
そういえばちょうど入ってきたニュース。
コロコロコミック、見事にかっとばしてくれましたね・・・。
https://www.nikkansports.com/general/news/201802260000629.html
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180313-00000002-wordleaf-soci
そのインパクトの意味では、レジェンドを作ってしまった。少年ジャンプを超えたかもしれない。
昔はキンタマンだったけど、
30年以上たっても相変わらず下ネタ炸裂だったのね。
もちろん「下ネタのコロコロ」なので、下ネタはやりたきゃやればいいけど、ネットで画像検索して問題の画像を見たら、海外での経験上
「悪ふざけのつもりでも、これはさすがにまずい。間違いなく絶対に国際問題に発展する。完全にやばすぎる」
と思った。
PTAどころか国際問題に発展してしまった下ネタは、やってはいけない。
なお、うちのサイトでは、上品な下ネタ、エレガントな下ネタは書くけど、ストレートな下ネタ、生々しい下ネタや、アダルトは一切載せません。んなことしたらアドセンスが停止されて広告収入が入らなくなり、おまんまの食い上げになっちまう。
だからチンギスハン事件のようなちょっとの表現が命取りになるので、たびいちドットコムを運営してからは表現に人の何倍も気を遣う。
そもそも、たかが小学生向けのネタなのに、国際問題に発展して損害や禍根を生むリスクを冒してまで載せるものなのか?いい大人ならおのずとわかるものだが。
OKを出してしまった小学館は、ネットでリーク拡散されて国際問題になってしまい販売中止になるというリスク予測すらできなかったのか?
「表現の自由は人権の一部である」という意見もあるが
http://blogos.com/article/281516/?p=1
たしかに理屈ではそうだが、だからといって国内ではなく、全く文化の違う海外の人相手では、理屈で通用する問題ではない。
なぜならネットの拡散力はパンデミックのようにすさまじい。現にここタイにいながら額に書かれたチンギスハーンが見れてるわけだし。
キンタマン時代のようにネットのない時代だったらうまく闇に葬れたろうけど、ネット時代は一つの失敗・黒歴史が世界中に永遠に残る。
英雄の額にンチンチを描いて、そんなのを軽々しく載せてしまったがゆえに、せっかくの親日国であるモンゴルに泥をぬることになった。
これまで我々日本国民の血税を使ってせっせとモンゴルにODA援助してきたのに、この事件で無駄になってしまうとなれば、結果的に多大な損失。
そういう失態のつみ重ねによって、日本も落ちぶれてきてると感じる、今日この頃。