世界一周05 インド北部・パキスタン篇 国境を越え、世界が変わる!

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第5章 インド北部、パキスタン篇

(2000年4月21日~5月8日)

●天才と狂気のインド人
●効果100%ダイエット
●ターバンとサーベル
●初めての国境越え
●旅のつわものが集まる都市
●世界最悪の道と怪しい日本語

インドの物価
通貨1ルピー= 2.5円(2000.03) ・ガソリン 70円
・宿(地方125円、都市部400円から。)
定食:ベジタリアンカレーとチャパティ、漬物、ヨーグルト 12.5円~60円
・中華料理の焼飯 100円
・サモサ(インド揚餃子)1ケ 2円  路上で売る冷や水 1カップ1.25円
・チャイ(ヤギの乳のミルクティー) 5円
・ラッシ-(ヨーグルトドリンク)17.5円~25円
・マンゴ1ケ 30円 ・マンゴジュ-ス(パック入り)25円 ・マンゴアイス 5円

パキスタン
通貨1ルピー= 2円(2000.05)  ・ガソリン 55円  ・宿代はインドと同じぐらい
定食:マトンカレーとナン、サラダの定食(おもにパキスタン西部) 80円
・手作り風ハンバーガー&ポテト(ラホールにて) 106円
・チャイ(ヤギの乳入りミルクティー) 6円   ・ホットケーキ 20円
・さくらんぼうかんずめ(イラン製) 48円

※西アジアでは、チャイ(茶)がよく出され、文化のひとつになっている。パキスタン西部のバ
ロチスタン砂漠を境に、インドやパキスタン中央のミルクティーのチャイから、 パキスタンの
西端、イランやトルコの氷砂糖を入れるストレートティー式のチャイに変わる。


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天才と狂気のインド人

インドのアーグラにある日本でも有名な世界遺産・タージマハールにやってきた。

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4/21 いよいよ金曜日。金曜は入場無料(注:2000年当時)なのでタジマ・ハルさんの家に入った。
このタージマハール、中にはインド人、欧米人、そして日本人もいっぱいで、やっぱりインドのシンボルだ。とにかく美しくて、お見事である。

さっきのアホアホ店員(第4章参照)の先祖だって、タージマハルの建設に従事したのかもしれない。そう思うとインド人は天才の人種なのかもしれない。

それにしてもタージマハルは秘密がいっぱい。神殿や閉鎖された塔の中には地下階段があってまさにファンタジーの世界。忍者屋敷のようにどこまで地下が通じているのか?こじ開けて地下のダンジョン(迷宮)に入ってみたい!

小説やゲームなど、ファンタジー物のモデルは、やっぱりタージマハルが多いのではなかろうか。これだけ伝説と謎に満ちた神秘な建物は、他にあるまいて。

しかし、それとはうらはらに、タージマハルとは対照的なものを見てしまった。
アーグラ―の国道2号バイパスを走っていると、道路わきの空き地でところどころでしゃがんでいる人たちがいた。

なんと彼らはズバリ、大便をしているのだ。恥ずかしがることなく堂々と朝の用便をしている光景は、インドの朝の風物詩。

見よ!

この点々と用便している風景を!これが昔の貧しい頃のインドだった・・・

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インドじゃなくてタイだけど、タイで見かけたバイクは、

なぜか「用便」!(笑)
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でもあれから15年経った今では、

朝の用便も、もはや絶滅しているのかも。

インドの15年で変わったもの、それは用便!
※注意!!食事中の人はいったん箸を休めよ。 先月講演会のゲストとして来て頂いた三井昌志さんは、次なる撮影の旅で...

朝日を見ながら「サー今日もがんばるか」とうなるのはいいが、残されたハエがたかりまくっている生排泄物の山と、美しきタージマハルの対比。

このあまりにも極端な対比はなんといっていいのだろうか。

あと、野糞をしていたのは全員男だった。じゃあ女はどこでやっているのだろうか?まさか昔のアイドルみたいに「美人はうんこはしない」というのだろうか!?

カルカッタからのびる国道2号線(アジアハイウェイ)はそのうちアーグラ―からニューデリーの210km区間は片側2車線の完全舗装で格段に良くなる。標識にはJICAのマークで作られてあって日本の援助で作られたものだ。

それゆえにまるで日本の高速道路を走ってるような気分だった

ということで、やっとジェベルに全開をくれてやることができ、85~90km/hで走る。実にスカッと快適だった。

これが2015年。昔とちがって交通量が激増した。当時は210kmを3時間で行けたのだが。

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ニューデリーに入ると、不案内なのでめちゃくちゃに迷ってしまった。ニューデリーはインドの首都とは言え、ダウンタウンのビル群はどれも老朽化してみすぼらしい。ボンベイのほうが断然都会的だ。

効果100%ダイエット

日本で言えば上野駅界隈のようなニューデリー駅近くの安宿(と言っても高い)に泊まる。
いまだにだるくて老人のようにのろく歩いてニューデリー駅に入る。駅にはインドで唯一の自動販売機を発見。

その自販機は日本のドライブインにあるようなタイプで、あめとかチョコとか売っているのだが、ほとんどのインド人は自販機の使い方を知らないし、カルカッタの頁(第2章)でも書いたとおり、みんなコインなんか持っていない。

だから、自販機のそばに座っている「自販機の番人」のにいちゃんに、欲しいものを言って金をわたし、彼がコインを入れてボタンを押し、出たものを客にわたすのだ。これじゃあまったく自販機の意味がないぜよ。便利だからあるのではなく、珍しい見世物として置いてあるようだった。

昔のデパートや観光地にあるような、機械仕掛けの大型の体重計は、自分で1ルピー硬貨1枚入れて量った。でてきた切符には「56kg」と印字されていた。

これをみて「うそだ!ここまでやせるはずがない。きっとこの体重計こわれてるんだろう」と信じて疑わなかった。いくら病気に苦しむインドでも一気に2ヶ月で13kg痩せたなんてありえないからだ。

そしてとなりにも体重計があったので量りなおすと56kg。別の場所で量ると56.2kg!と言う事はズボンとか脱げば55kgしかないのだ。

日本出発前は68kgもあって、ちょい太りぎみだったのに2ヶ月で本当に13kgもやせてしまった!!

宿に戻り、鏡をじっくり見ると標準体型を通り越して骨がむきだしでガリガリになっていた自分がいた。
出発前は色白だったが、今や黒く焼けて二重アゴだったのがいっきにホホがこけてしまっている。全くの別人になった。

「うーん、これでビューティクリニックに行かなくても短期間でダイエット成功だ!」

と喜んでる場合じゃない!ジャイアント馬場のように動きがスローになり、慢性的な下痢や体調不良が続き、もはやずっと病人だったからやつれて体力も落ちて苦しかった。

抗菌グッズ王国から来た人間にとっては過酷な裁きであった。

ニューデリーに来た目的は、となりのパキスタンとイランのビザ取得の為。パキスタンのほうは翌日取得。その後すぐにイラン大使館へ。一週間かかると言われたので物価が安くて居心地よいアーグラーに戻る事にした。

アーグラーの一週間、安静にするしかなかった。テレビで見た古典映画「ベンハー」が印象に残った。夜中に暑さのため寝下痢しそうになった。

2000年当時のアーグラー。インドでも自転車旅行者はいる。

そしてコニカのフィルムが、時代を感じる。

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ニューデリーに戻る。ここには日本センターがあったが、ネットカフェなんてなかったので日本の活字とかに飢えていた。

中に入るとその時はみんな職員も客も全員インド人で、日本人は私一人だった。しかし図書室のように日本の本が並び、新聞や本をむさぼり読む。砂漠のオアシスのように。

するとインド人学生がやってきて、アーグラーのへんたいな客引きとは違い礼儀正しく「間違っているところがあったら直して下さい」と日本語でいわれてノートを差し出してきた。

それを読むと例文には(当社の工業生産額は前年比の5%増です・・・)といった、思いもよらぬ高度な日本語を勉強していた。

日系人でもない普通のインド人がここまでまじめに熱心に勉強しているとは。ここに来る学生はエリートなのだろうが、どこぞの学生とはえらい違いだ。

何はともあれ、パキスタンとイランのビザが無事取れて、ついにヨーロッパへの道が開けたのだ。そうなると新たな国への期待が鬼のように沸き起こった。もう興奮してるので夜中も走ってパキスタンを目指した。

ターバンとサーベル

パキスタンの国境の町アムリットサルまでの道も走りやすかった。だから時々100km/h以上で走ったりもした。

いよいよ国境が近い!

まっすぐ行くと、アムリットサル。

右へ行くと国境の町アタリと、パキスタンのラホールへ!

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アムリットサルは、ターバンとひげのシーク教徒で有名。その宗教柄、酒や煙草を売る店はほとんどなく、代わりにターバンやサーベルが売られていて、シークに興味があったのだ。

まずはシーク教大本山、ゴールデンテンプルに行った。中に入るとそれぞれ色色な色のターバンをかぶっており、遠くから見るとマーブルチョコのようにカラフルだった。

ゴールデンテンプルはもちろん金色の寺院だが、近くで見ると5円玉やトランペットに使われる真鍮(黄銅)などでできている。そんな寺を眺めていると、
「ジャパニーズゴールデンテンプル」のキンカクシ、じゃなかった金閣寺がなつかしい。

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世界でもまれなサーベル屋に入る。所狭しとサーベルが何百本もならべられている。店の主人はもちろんヒゲもじゃでターバンのシークのおっさん。この店に入ると、まるで武器屋に入るゲームの主人公になった気分だ

サーベルを品定めし、中ぐらいのサーベルの値段を聞くと、日本円でたったの300円だと言う。
さんびゃくえん!しかも本物。

おっちゃんは日本に送ってもOKだというが、成田の税関はくぐりぬけられまい。

このサーベルは持ちやすくて戦いやすそうだ。とても安いので2~3本買いたいけどサーベルで野菜を切るのは大変だろう。

しかしこれだけサーベルを売っているのに、この町はそんなに危険ではない。かの悪役レスラー、タイガージェットシンでさえ戦う時は必ず柄の部分をつかっていて、案外スポーツマンシップなレスラーだったので、その流れを汲んでいるのかもしれない(勝手な意見だが)

パキスタンへの国境に近づくと、民家も人もなくなる。国境付近は緩衝地帯となっており、森の中にはバトルスクールなんてのがあってものものしい。

インドの旅は、地獄もあれば天国もあった極端な旅だった。

道行くトラックの荷台にはこう書いてあったのが印象に残った。
「India is Great」

まさにこの言葉がぴったりの国で、思わず深く「そうだよ、そのとおりだよ!インディアはグレートだよ!」とほざいてしまった。

良くも悪くも「India is Great」

初めての国境越え 5/5 15時。インド出国。パキスタン入国。

国境に着くと、まず両替。小屋の中でシークのおっさんらがトランプなんかしてひまそうだったが、でてきたのはお札だけだった。パキスタンはコインのない国だった。

パキスタン側のイミグレーションは国境をまたいで1キロ。その間国境を行き来する人や車はほとんどいなかった。

インドとパキスタンは元々イギリスの連邦国だったが、長年の領土紛争と宗教観などのちがいで、両国間の交流はほとんど無い。

パキスタン側のイミグレ、税関(カスタム)に行く。役人らは白いイスラム服を着て、なんかしまりがなくニヤついている。インド側なんて一寸の隙も許さぬ真剣なイミグレなので両国間は雰囲気まで違う。

税関ではご好意なのかサービスなのか、わざわざカルネのファイルまで見せてくれた。
「君の知っている友達はいるかな?」

過去に通過したバイクや車のカルネを見ると、圧倒的にヨーロッパが多く、ドイツやスイスが主でその次にイギリスやフランスなどなど。

車両別ではバイクが圧倒的で、400cc以上の大型バイクが多くて125ccは私だけだった。
そして、日本人のカルネを発見した。住所は北海道で、750ccのオフロードバイクだった。欧米人並の格だが、その人はついこの前そこを通過した様子だった。

パキスタン編

そして入国。国境付近は田んぼだらけで、大陸を越えて旅する人向けの古本屋の小屋がポツンとあった。やはりこの国境は旅行者しか通らないようだ。

国境からゲートシティのラホールまでたった30km。パキスタン第二の都市で人口400万人。そこへ向かって走ると見わたす限りの田んぼからどんどん民家が密集してくる。

インド側はシーク教だらけだったが、国境をちょっと越えただけで人々は白一色のイスラム服を着ている。あまりの急変ぶりにまるでワープしたみたいだ。

ラホール市内に到着。と同時に夕立が降ってきて足止めを食う。インドでは乾季だったので全く雨が降らなかったのだ。

だが北緯13度のマドラスから北緯32度のラホールまでやってきた。同緯度で言えばグァム島から宮崎市まで来たようなものだから気候も変わって当然だろう。

旅のつわものが集まる都市

ラホールの宿はドロボーの巣窟だというので、まっとうなミッション系の宿探したが、救世軍もYMCAも閉まってたので唯一のYWCAに泊まった。

これまでで見た一番の記録は、6人乗り。

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YWCAに入るやいなや、なんと日本の国際ナンバーをつけたジェベル250XCを発見!
中にはその持ち主、横浜のT.Yさんがいた。

ジェベルXCのY氏は、アメリカ横断、マイアミからリスボンへバイクを空輸してここまでやってきた。約43000kmの長旅。北部パキスタンを回ってインドに行くという。

何せ後にもユーラシア大陸で日本人ライダーに出会ったのは彼だけだったので、互いに情報を教えあうと、これからのアジア横断に希望と自信が出てきた!彼はちょうど自分の予定ルートを通って来たので、なおさらの事だ。

そしてY氏は、私のことを知っていたのだ。日本にいた頃、私は日本の貧乏ツーリング日記をバイク雑誌に寄稿していたが、Y氏はそれを読んでくれて、「貧乏ツーリングを極めているすごい人だな」と思っていたそうだ。世界の果てでもつながっている。ありがたい話である。

他にも、ひとり旅の若い韓国人女性や、ロンドンから10ヶ月でここにたどり着き、中央アジア経由でオーストラリアの自宅に帰宅するという豪傑サイクリスト、中庭にはバスを改造したキャンピングバスでインドに向かう二人のトルコ人がバスで寝泊りしていた。

大陸横断する際、インドパキスタン間の国境は先日通った一本しかなく、横断するとなるとどうしてもラホールを通り抜けなくてはならない。それゆえにこの町は濃い旅人が集結するのだ

そのバスのトルコ人と沸かしたトルコチャイ(ストレート)を飲む。彼らはイスラム教徒だが、ちゃっかりYWCAに泊まるあたり宗教を越えた場所だ。

このYWCAの門番だってメッカに向かってお祈りしとるではないか。

それにしても、この国は全てがずさんだと思った。イスラム国家なのに関わらずこの町はドロボオが多いのはガラが悪い証拠。インドだと案外きちんとしているところもあるのだが、ここにはそんなものはない。興奮と環境の変化、たまったストレスや疲労でささいなことでいかりが込み上げる。ある意味精神病だった。

インドの交通マナーも最悪だったが、パキスタンのラホールは最悪なんてもんじゃない。極悪だ。
交通法規も何もなく、濁流に流されるかのように何度もぶつかりそうになりつつ、何とか事故に合わず宿に帰還できた。もう恐怖そのもので、本当に街中を走るのがイヤになったほどだった。

世界最悪の道と怪しい日本語

ユーラシアの魔都、ラホールから高原都市のクエッタまで走る。これからの道は世界最悪の道のひとつと言われる。なぜなら、交通マナーはインド並だが、車は日本の中古車。それゆえにスピードが出るうえに無理な追い越しが多いから〇〇〇〇に刃物だ。

インド国産車は50~60km/hぐらいしか出ないので、そういう意味ではインドのほうが危険度はまだマシだった。

南はムルターン、北は首都イスラマバード。どこか標識が日本と似ている。

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パキスタンのハイウェーはだいぶ舗装されているので80~95km/hで高速走行する。検問が途中であったが、何かと思ったら「ギフトくれ」だと。

ワイロなんて結局やらなかったが、時間が無駄になり怒りが収まらなかった。

ムルターンの町に入る。こんな国でもブロックバスターのレンタルビデオ店があった。だがここのスーパーマーケットはすごかった。

薄暗いスーパーの中と外にそれぞれサブマシンガンを装備した警備兵がいたのだ。略奪に備える為とは言え、これが日本だったら恐ろしくて誰もこんなスーパーに入らないだろう。

夜、インドと全く同じスタイルの茶屋の野外の縄ベッドで眠る事にした。さっきの恐怖のスーパーで買い物したんだがロクな物が売っていなかった。

せめてラーメンが食いたかったが、先ほどのスーパーではそれすら売っていないので、苦肉の策でクノールの中華スープの中に、パキスタンのパスタ工場製のチャイニーズヌードルの麺を入れるというシロモノを作る事にした。

単車のガソリンタンクからガソリンを抜き、それをコールマンのガスストーブに入れる。同じガソリンが使えるから経済的だし無駄がない。コンロのポンプでシコシコ空気を入れて着火。そして先述の材料でラーメンもどきを作った。

その間に茶屋にいた男達がぞろぞろよってくる。見世物じゃないゾと思いつつも、まるでデパートの調理実演販売のようになってきた

その男達に囲まれ、見られつつも食事した。はっきりいって落ち着いて食事ができぬ。そしてラーメンもどきを食べると「ま、まずい!」

世界一周で始めての自炊だったが、ふんだりけったりの大失敗で終った。周りの男に食わないかと勧めたが、誰も食べようとはしなかった。

その後冷たい井戸の水で身体を洗い、寝た。

1日 754km走行

翌朝(5/8)朝5:45に起きる。日本の夏の早朝のようなすがすがしさだ。山羊のミルク入りチャイを飲むと元気いっぱいじゃー!
「今日はメッタメタに走るゾー!」

7時20分に出発。インドと違って田舎でもハイペースで走れる。途中の町では中古の日本車が走っているが「野沢幼稚園」とか、「暮らしのデパート・孫六」なんてそのまま車にペイントが残っていて、笑える。

しかし、中には手書きの字で「仙台市福沢町5-42」(こんな地名は存在するのか?)など、意味不明な怪しい日本語で書かれている。しかもおかしい事に「(株)大豊」と書かれたワゴン車を何台も見たのだ。

ようするに、こうしたいかにも業務風な日本語ステッカーをコピーして、それを適当に貼っておけば、でたらめだろうがなんだろうが漢字を知らないから「これは正真正銘の日本で使われていた日本車ですよ」と、日本ブランドを自慢できるのだろう。可笑しく、そして物哀しい。

12時40分。327km走行。猛烈に暑い。早くすずしいクエッタに行きたい。

14時。シカールプルで西へ進路を変える。そこからは景色も変わり半砂漠の地平線が広がる。日本で見ることのできない荒涼とした風景に酔いしれる。

18時20分。623km走行。クエッタへの高原に入る峠への入口。日中気温は45度もあったが、今まだ42度もある!峠を登るうちに日もくれて標高が高くなりうんとすずしくなる。

21時30分。754km走行。ついにクエッタ到着。クエッタは標高1600mのバロチスタン州都である。気温27度まで下がった。

ラマダンの断食ではないけど今日1日、朝から夜まで何も食べず走りに夢中で走りずめだったので、ホテルではナーンと油っこいフライドチキンをむさぼり食う。それゆえ翌日は疲労と到着した安堵のため1日寝るだけだった。

–第5章–
おわり

15年ぶりに訪れたあの場所

デリーの町は、一気に近代化した。

自動販売機も、番号指定すると、らせん式にむにゅっと商品が出てくる新型タイプで、しかも10ルピー札対応だ。

15年前のときのように、コイン入れ係のまどろっこしい人は、もはやいない

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国境

私がかつて利用した国境は、いまや両国の示威を披露しあうセレモニー会場になっていた。

2015年

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2000年

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そして新しいイミグレーションと国境は、

この手前1km地点から、バイパスのように迂回したところにある。

そのまままっすぐ行くと、セレモニー会場(旧イミグレーション)左に行くと新イミグレーション。

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新イミグレーションへの入り口

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しかしいまだ険悪な仲の両国間のため、民間の行き来は今も昔も皆無の様で、

パキスタンナンバーの車両は全く見かけなかった。

15年ぶりの国境事務所

私も中に入ったであろう、旧イミグレの事務所は廃墟のようになっていた

あのとき、人生ではじめて「バイクごと入国」するという経験だったので、この中で出国手続きをしたわけだが、まさに緊張のひと時だった。

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中をのぞくと・・・・

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15年ぶりに現場を訪れ、あの日の空気を感じた途端、

あの日の緊張と興奮が15年ぶりによみがえってきた。

国境前 目の前はパキスタン

いまやセレモニー会場になった国境門前。

たくさんの人で、もう昔のようなのどかさはない。

ただし午前中にここに行くと、15年前同様閑散としているので当時の面影を感じることができた。

門の向こう側は、パキスタン。

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インド側はガンジーの肖像画。

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パキスタン側を撮って見た。

兵士以外の男は白いクルタを着ているのがわかる

インド側パンジャブも、パキスタン側パンジャブも、人種・顔立ちは同じなのだが、宗教を通じて別の国に分かれるという矛盾。

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両国の示威を競い合う

いつに日か、

両国が自由に行き来できる日が来るのだろうか。

★次号の予告★
目の前に広がる砂漠と死の酷暑!
ユーラシア横断の醍醐味!
百花繚乱イスラムの世界!
お楽しみに!

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