毎日野宿のヨーロッパ。後編は、ドイツ万博を見物し、パリ、そしてロンドンをめざします。
アルプスの古城たち
7/3の朝にミラノを出発したその日の夕方、スイスへ入国した。
ここではパスポートチェックを受けた。
2300mのアルプスの峠を越えるが、それは「アルプスの少女ハイジ」そのものの牧場の風景が広がる。ウオー、本当にスイスに来たんだー!
だがしばらく走ると、なぜか車が渋滞していて、みんな全員エンジンを切っている。先頭にはパトカーが止まっている。
「何だろうか?」
しかたがないから、アルプスを眺めながら待ってみる。日本と違ってアイドリングしている車が一台もないので静かだし、近くのせせらぎもきれいで冷たくて、正真正銘のアルプスのさわやかさだった。
20分ぐらいすると、「カランコロン」とアルプスの牛の群れが移動していった。
それだけのために警察が車を停めさせるとは平和な永世中立国のスイスらしい話だが、同時に少し堅苦しさも感じたのも事実。もうここは全てが混沌とした、カオスに満ちたアジアではないのだ。
道に残った牛の糞を避けながら、標高1700mの町、サンモリッツに着いた。けっこう暑かったミラノと違って、人々はみなジャンパーを着て寒々しい。
さらに山をくだり、無人駅の軒下で野宿した。昨日のミラノの熱狂がここではウソのように静かだった。
翌朝7/4。朝起きて片付けていると、地元の女性から英語で「ここは寝るところではありません」と言われた。
やかましい!と心の中で叫んだが、スイスはよそ者にとってはどこか肩身の狭さを感じる。
スイス
通貨1SF=70円 ・ガソリン109円 ・パスタ500g 88円
・米1kg 109円 ・コカコーラ1缶 175円
・パスタソース400g瓶 284円 ・コピー1枚 7円
※スイスでは、金を使わぬまま通過したので、これらの価格はスーパーに入って調べた参考価格である。全般的にかなり高い。
小型バイクなのでサイクリング向けの森の小道を走りつないで、小国リヒテンシュタインに寄った。通貨や言葉はスイスのものだが、さしずめスイスの一州という感じか。イタリアの中のサンマリノと似たようなものか。
この国は金融立国なので首都ファドーツのメインストリートは、それらのオフィスと観光的な土産店とが交互に混じっている。
スイスからリヒテンはフリーパスだが、リヒテンからオーストリアに入国するとパスポートのチェックを受ける。雨の降る中15時にオーストリア入国。この2日間で4カ国も入った。その翌日7/5はオーストリアからドイツへと入国した。
物価の高いスイスでは一銭も使わずに通過したが、このオーストリアやドイツはスーパーに入ると食料品が驚くほど安い。しかも人々もスイスと違って好意的だった。
ドイツ南部とオーストリア西部のチロル地方は、アルプスの景色や古城、城跡がきれい。毎日走ってばかりだったので、このあたりで何日か滞在した。
オーストラリア・インスブルックの街
ドイツとオーストリアの国境もトンネルを通るだけで、フリーパス。自由に行き来できるから自分の財布にはドイツとオーストリア両国のお金が入っていた。
ディズニーランドのモデルにもなるほど有名な南ドイツのノイシュバンシュタイン城を眺めたり(中は観光客ばっかなので)
それとは対照的なチロルの古城址のエレンブルク廃墟は、いかにも甲冑に身をまとった中世の騎士が出てきそうな気分で登ったりした。
RPGの世界にどっぷりつかった自分としては、こんな中世ヨーロッパの風景や面影を味わうことが、長年のあこがれでもあった。
誰も来ない薪置場から見おろすアルプスの村は、子供の頃から思いをはせたメルヘンチックな風景で、それを見ながらハム野菜サンドを作って食事をしていると、夢が本物になった。
この景色は自分だけのもの!
ひとり夜までずーっとロマンチックな景色を見おろし、そのまま薪置場で野宿したほどだった。
「この景色を見るために、ここまで走ってきたのだ!」
こうして、イマジネーションを働かせて、思う存分中世的な世界を楽しんだのだった。
資料館?に入る。個人的には、どこか70年代のようななつかしさを感じた。
真ん中にある黒いジュークボックスから
「ジ、ジ、ジーンギスカーン」とディスコソングが流れそうな雰囲気
しかしアルプスの気候は変わりやすく、7/7の15:50ごろ、行く先には黒い不気味な雲が。
「む、いかん!」
すぐに安全地帯をさがした。町民プールのある体育館の軒下を見つけて避難した。
そしてすぐに黒雲からなんと1~2cmぐらいの小石のような雹が降ってきた。
すぐさま身をかがめる。頭はヘルメットをかぶったままなので平気なのだが、肩などにバシバシ当たって
「ゥヒョウ!」
と叫ばずにはいられない位に痛かった。
アルプスを越えたスイスからは、アルプス山脈のため天気も不安定で雨がよく降る。イタリアまでの南欧ラテン世界と違って、夏は雨降って寒いし、食べ物も、民族性も全く異なる。
アルプスを越えたら、ラテンとゲルマンの違いがはっきりわかるのだ。
それでも、オーストリアの場合はゲルマン民族でありながらラテンのカトリックの教えが多数占めるので、欧州の中でも労働時間がもっとも短く(週32時間程度)スイスやドイツに比べれば人生を楽しむ事に重点を置いてるようだった。
自転車と冒険教育先進国
南ドイツのフュッセンからローテンブルグまでの、ロマンチック街道を走る。
ここは日本人もお得意さんの観光ルートで、道路標識にも「ロマンチック街道」と日本語で描かれているほど。
だけど日本語の読めないドイツ人が付けてるので、時たまその日本語の標識がひっくり返って上下逆に取り付けてあったりで、勤勉で律儀なドイツらしからぬ失敗が大いに笑える。
ドナウ川の町で、カラフルにペイントされた家々を見ながら、カフェの屋外のテーブルにてコーヒーとカツサンドのセット(6DM 350円)でぜいたくをする。
ヨーロッパの旅は極貧の旅だったので、こんな優雅なぜいたくですら、中々できなかった
日曜日だけあってサイクリングしている人が多い。ドイツやオランダ、デンマークなどはサイクリング王国。自転車の後ろに幌付きの小さなリヤカーをつけて、そこに子供を乗せて毎日の買い物をしている。それを見て、あらためて文化の違いというものを感じた。
日本では荷台などに子供を乗せたりする「ママチャリスタイル」だが、ドイツにいるとそのママチャリスタイルがまるでアジア風に見えてしまう。
そして、小学生の少年少女がリーダー格の大人に引き連れて、各自の自転車にはキャンプ用品をつんで、みんなで何泊かのサイクリングをしていた。
または、中学生ぐらいの少年が私のバイクのように、自転車に山のようなキャンプ用品をつんでなんと一人旅をしていた。
アジアでも、南米でもアフリカでも世界のあちこちでドイツナンバーの車やツーリングバイク&自転車が走っているが、やはりドイツ人の旅好き、特に一人旅や冒険好きは、子供の頃から養われているのだ。まさに冒険教育先進国だった。
(インドのタージマハルでも、普通のインドの自転車でインド中を旅しているインド人グループを見かけたが・・・)
日本のツアー観光客が見たものは・・・
城壁に囲まれた中世の町、ローテンブルグにやってきた。
日本人がドッカンドッカンやってくる。
ドイツの小中学生チャリダーとは打って変わって、ほとんどが日本からのツアー団体客。同じ日本人と言えど、インドのように汚くてむさくるしいクセのあるバックパッカーはいないし、かといって渋谷系の金パツガングロのギャルってるねえちゃんもいないから、妙に安心した。
そのツアー客は、おばさんが半分と、お嬢様ふうの女子大生やOLなどで占められていた。
20:50分になると、日本人客がぞろぞろと町の中心の時計塔広場に集まる。9時前とはいえ、空はまだ明るい。
これだけたくさんの日本人を見るのは日本出発以来だった。ハウステンボスにいるのと変わらない気がした
21:00になると、しかけ時計の人形が動き出すのをみんなじっと見つめるのだが、人形がちょこちょこ動く程度で、すぐ終わってしまう。
「たったこれだけ~?つまんない」
「もう終ったの~?」
「ディズニーランドのほうがすごいのに」
と、みんなガッカリして帰っていく。このしかけ時計はぜんぜんたいしたことがないので日本人以外の観光客はぜんぜんやってこないのだ。やはり日本人は期待しすぎていた。日本のツアー会社におだてられたのかもしれない。
だから時計塔よりも、このガッカリした日本人観光客を見てるほうが、はるかにおもしろかった.
その翌日、ローテンブルグの中世の城壁の下、野外料理をした。
スーパーに入ると何でも安く、ビールの国だけあって500mlでたったの29えんだったので、赤貧ど根性ツーリングの真っ只中なのに関わらず、思わず買ってしまう。
その日はチキンステーキを焼き、飯を炊き、インドの教会以来のビールで、中世に乾杯。
毎日厳しい野宿と自炊の赤貧ツーリングなので、中世の気分に浸りながらひさびさに充実した食事ができたのだった。
(2000年7月16日~9月2日)
概要:
ヨーロッパに入ると、物価が高くなるので、毎日野宿となる。
レストランにも入れなくなるので、食事は全て自炊となった。
ただ、トルコから先の欧州では、日本のようにショッピングセンターがあるので、主婦顔負けにスーパーで買い物すれば、清潔で自分の欲しい食料が手に入る。(★印は新通貨がユーロに変わる国)
ドイツ 通貨1マルク=58円★
・ガソリン 旧西独118円 旧東独111円
・ビール500ml 29円 ・コーラ350ml 17円 ・ヨーグルト200g 17円
・プリン200g 23円 ・ハム500g 232円
・ドイツ風フランスパン1袋5個入り 34円
※ ドイツは、スイスと違って福祉的措置なのか、スーパーで食料品を買うと驚くほど安い。
ビール、乳製品、ハムはドイツの名産とあって安さも最強。
トルコでは「ツナQ」を作ってたが、ここでは本場のハムときゅうりをパンにはさんで「ハムQ」を作った。
さらに最高の調味料として、
ドイツの古城やアルプスの少女ハイジに出てくるようなアルプスの麓の村を見ながら食べれば、何よりの晩餐をも凌ぐ食事になる。
なお、オーストリアの食料品もドイツと同じぐらい安いが、デンマークになるとかなり割高になる。とにかく、ドイツ人はでっかいので、安くないと困る!?
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オーストラリアとアフリカの旅で大活躍。
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アウトバーンの損益
ドイツのローテンブルグから首都ベルリンに向け、いよいよアウトバーンのIC(インター)に入る。
おお、これが天下のアウトバーンなのか!
とはいっても、道幅などは東名高速なんかとおなじようなものだ。
速度制限はないが、110~150km/h、さらにそれ以上で走っていて、空気抵抗もなく最高のコンディションで走れる。
本当なら大型バイクで新幹線のように200km/h以上でぶっとばしまくりたいのだが、小型バイクなので全開にしても速度計は100~110を指すぐらい。レッドゾーンぎりぎりなのでエンジンも異常にうなっている。だけど最高に気持ちいいので、調子に乗ってそのまま全開で100km/h以上で走り続けた(これが後で大問題になる。若気の至りとはいえ、あらためて愚かな事をしたと思う。)
ベルリンに着いた。旧東欧なのでガスや食品などが首都とは言えど比較的安い。
かつて東西を分断したベルリンの壁も1989年に崩壊となり、11年後の今はブランデンブルク門など一部を残し、壁は跡形もなくなっていた。
90年当時はアウトバーンを「徐行」していたという旧東欧の車、トラバントも今では一台しか見なかった。残るのは静かで速い車だけ。時代は確実に変わっていた。
さらに進み、デンマーク国境近くでエンジンの異音が始まった。全開走行が原因だ。アウトバーンを降りて田舎道を走るが迷ってしまう。やむをえずアウトバーンの路肩の端をゆっくり走るが60kmしかでなくなり、不安になってくる。
さらに追い討ちをかけるのが、北欧の夏。7月下旬、夏の盛りだというのに、毎日シトシト雨が降り、なんと手に霜焼けができるほど寒くて、ものすごくみじめ。
かたや実家に電話をかけると、「日本はとても暑いよ。祭りもやってるし」
それに比べて、自分は雨に濡れながら風呂にも入れず汚い格好で野宿を続けていた。
インドやイランでは感じたことのない孤独感で、胸が引き裂かれる思いだった。
エンジンも壊れ始めたのでノルウェーやスウェーデンに行くのをやめ、一日だけデンマークを走った。ドイツよりも清潔な町並みだが、でかいデンマーク人だらけで、無性にさびしくなるだけだった。ここは北緯55度。23時になりようやく暗くなり始めた。
パーキングエリアで、スパゲティを作る。
でも、わびしい・・・・・。孤独だ。
ハンブルクに戻る頃には、40kmしかでなくなり、どんどんパワーダウン。バーンはおろか、普通の車道も走れなくなり今度は自転車用の道路をガボガボノイズを出しながらあえぎ走る。
原因を調べようとオイル交換したりキャブレターを分解して調べたが、やっぱり違う。
ハノーバーに着く頃には10kmしかでなくなり、すがる思いでスズキのディーラーを見つけて修理した。
エンジン内側上部のロッカーアームがなんとボロボロに溶けていた!このときに原因がわかり、バーンで長時間連続走行していたツケがまわってエンジンを壊してしまったのだ。しめて3万円なり。
偶然にも、このハノーバーで万博をやってることを知り、(ハノーバーのGSの店員に万博見に来たのか?なんて言われたので)重い気分を晴らすため修理している間に万博見物をすることにした。
ハノーバー万博
2000年のハノーバー万博会場にやってきた。
このナイトチケットは900円と安かった。(愛知万博では2300円もしたそうで、その上大混雑らしかった)
だけど万博は端から端まで3kmもある広大さなので、四夜連続、6時から12時以降まで駆け足で見て回った。愛知万博のように人も混雑もなくスムーズに楽しめた。
ドイツ館やカナダ館、アジア館のウズベキスタンコーナー、といった風に世界各国のそれぞれの文化が紹介されて、自分の世界一周の旅のテーマにぴったりだった。
アジアのコーナーを見て「なつかしい」と感じたり、南米館をみて、旅の「予習」をしたりして世界の文化に興味を持つ私としてはとても楽しい万博だった。
出展しているコーナーも、お国柄が出ておもしろい。
アイスランドは青く冷たいイメージの館内。
中国館はこれからの将来を見据えて宇宙をイメージしているのだが、センスの違いなのかまるで昔のディスコみたいだったが、各惑星での体重が計算される体重計など、金はかかってなくても(?)アイデアで勝負していた。
ブラジルでは多民族国家なので、アマゾン先住民から日系人の写真がずらりと並んでいる。よくみると日系人の写真の中に、うちの祖母にそっくりなひとがいた。
2010年万博候補のアルゼンチン(現在では2010年の万博は上海に決定)巨大なアコーディオンがあったり、南米に移住したドイツ人の記事というハイレベルなものもあった。
インド館の外では、スタッフのインド人がそこらへんにゴミを散らかしており、悪いクセまでドイツに持ち込んでいた。
中南米のコーナーは活気がなく、ホンジュラスのコーナーなんか閉まっていて、完全にやるきなし。良くも悪くも忠実にその国々のお国柄が表れていた。
アジアは昔からの文化や、マレーシアに至っては21世紀のハイテク構想などの紹介。
アフリカ館は、文化の紹介と民族の道具や楽器を展示したり販売したりでローコストで若干地味だったが、本場アフリカの土の匂いがするような館内だった。
「水道や井戸を整備して病気や貧困から脱出しよう」といった、シリアスなコーナーも目に付いた。
さて、本国のドイツ館では、ドイツらしく中はデカイ。が、当然人気があるので、やけに時間はかかるは、わけわからない内容でつまらなかった。
そしてお待ちかねの日本館はというと、やはり経済大国でまだまだ金に余裕があるのか、中は大きい。そして環境問題をテーマにしてある。いかにも2005年の愛知万博を示唆したような雰囲気。
中に入ると、初めにゲームコーナー。ボタンをリズム良くたたかないと失敗となり、そうなると森は枯れて世界が水没してしまう(笑)このゲームのメーカーはその昨年音楽ダンスゲームを大ヒットさせただけあって、水没するCG映像やサウンドは妙にド迫力だった。
次のコーナーは、「未来のコンピューター化された日本。」
未来の車は、高速道路に入るとハンドルが勝手にダッシュボードの中に消えて、コンピューターがオートドライブするというもの。
すごいオーバーな未来の車だが、見に来ているドイツ人は信じても、今の日本人ならこんな大げさなのは信じないのではなかろうか。
実に派手な紹介が多かったが、今度はスクリーンに日本の若奥様が映し出され
「自転車や電車に乗って、排気ガスを減らしてまぁ~す♪」
と、ノー天気に環境保全をテーマにしていた。
この日本館は、バブル経済の中の1988年、私が小学生だった頃に埼玉県熊谷市で開かれた「さいたま博」によく似た内容だった。
ハノーバー万博は、スシだのキムチだナシゴレンだといった世界中の食事が味わえ、万博に行けば「世界一周」が気軽にできてしまうのでした。