世界一周10 西ヨーロッパ編 ドイツからフランス・イギリス 

毎日野宿のヨーロッパ。後編は、ドイツ万博を見物し、パリ、そしてロンドンをめざします。

多難だったヨーロッパで、ついに恐れていたマシントラブルが発生!
ホームレス状態になりながらも、はたして無事ロンドンにたどり着けるのか!

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第10章 西欧・独蘭白仏英編

(2000年7月16日~9月2日)

●アウトバーンの損益
●ハノーバー万博
●オランダベルギー・悲惨の極み
●ついに花の都・パリへ
●ハッタリかますロンドンのゴール
●金がなくてもロンドンを完全満喫

ヨーロッパ編

概要:
ヨーロッパに入ると、物価が高くなるので、毎日野宿となる。
レストランにも入れなくなるので、食事は全て自炊となった。
ただ、トルコから先の欧州では、日本のようにショッピングセンターがあるので、主婦顔負けにスーパーで買い物すれば、清潔で自分の欲しい食料が手に入る。(★印は新通貨がユーロに変わる国)

ドイツ 通貨1マルク=58円★
・ガソリン 旧西独118円 旧東独111円
・ビール500ml 29円 ・コーラ350ml 17円  ・ヨーグルト200g 17円
・プリン200g 23円  ・ハム500g 232円
・ドイツ風フランスパン1袋5個入り 34円

※ ドイツは、スイスと違って福祉的措置なのか、スーパーで食料品を買うと驚くほど安い。
ビール、乳製品、ハムはドイツの名産とあって安さも最強。
トルコでは「ツナQ」を作ってたが、ここでは本場のハムときゅうりをパンにはさんで「ハムQ」を作った。
さらに最高の調味料として、
ドイツの古城やアルプスの少女ハイジに出てくるようなアルプスの麓の村を見ながら食べれば、何よりの晩餐をも凌ぐ食事になる。

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なお、オーストリアの食料品もドイツと同じぐらい安いが、デンマークになるとかなり割高になる。とにかく、ドイツ人はでっかいので、安くないと困る!?

フランス 通貨 1FF=17円★
・ガソリン 122~136円  ・3分間写真 425円
・プりクラ 340円 ・ゲーム85~170円 ・コインランドリー 374円
・フランスパン 56円  ・牛乳500ml 71円  ・きゅうり 83円
・ばなな6本 94円

※フランスで買ったポテトチップスはとても塩辛い。やたら塩ぶっかけりゃいいもん
じゃない!水戸泉じゃあるまいし。

イギリス通貨1ポンド=174円
・ガソリン 140円(世界一高い) ・宿ロンドン、ドミトリー1740円
・プりクラ、三分写真 522円  ・ゲーム87~174円
・ピカデリーサーカスの立ち食いピザとフリーサラダ 261円
・ヤギの乳750ml 155円
・コーラ2L 33円◎ ・桃缶詰 16円◎  ・ベークドビーンズ缶 16円◎
・ポテト缶詰 30円◎

◎印は、スーパーSailsburyの自社製品。いわゆるダイエーの39円コーラのような商
品。
だからパッケージもとても地味。だけど爆安。イギリスの代表料理として、煮た大豆
とトマトソースが入ったベークドビーンズがあるが、私はロンドン滞在中、毎日フラン
スパンに缶詰のベークドビーンズをかけて食べるという、赤貧生活をしていた。

ロンドンでは、普通のスーパーでもどこでも寿司が買える。Healthy-Sushi
はブームらしい。Bento Boxは弁当だが、いかにもアメリカ風日本弁当。
ベジタリアンのベント-ボックスはまるで精進料理のように手が込んでいる。

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かつて長期旅行・留学では必携だったTC(トラベラーズチェック)

しかしTCがない現在では、旅資金は海外プリペイドカードの時代。

もちろん「年会費無料」なので、海外での盗難や紛失やカードのATMの飲み込まれを考えると、

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アウトバーンの損益

ドイツのローテンブルグから首都ベルリンに向け、いよいよアウトバーンのIC(インター)に入る。

おお、これが天下のアウトバーンなのか!

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とはいっても、道幅などは東名高速なんかとおなじようなものだ。
速度制限はないが、110~150km/h、さらにそれ以上で走っていて、空気抵抗もなく最高のコンディションで走れる。

本当なら大型バイクで新幹線のように200km/h以上でぶっとばしまくりたいのだが、小型バイクなので全開にしても速度計は100~110を指すぐらい。レッドゾーンぎりぎりなのでエンジンも異常にうなっている。だけど最高に気持ちいいので、調子に乗ってそのまま全開で100km/h以上で走り続けた(これが後で大問題になる。若気の至りとはいえ、あらためて愚かな事をしたと思う。)

ベルリンに着いた。旧東欧なのでガスや食品などが首都とは言えど比較的安い。
かつて東西を分断したベルリンの壁も1989年に崩壊となり、11年後の今はブランデンブルク門など一部を残し、壁は跡形もなくなっていた。

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90年当時はアウトバーンを「徐行」していたという旧東欧の車、トラバントも今では一台しか見なかった。残るのは静かで速い車だけ。時代は確実に変わっていた。

さらに進み、デンマーク国境近くでエンジンの異音が始まった。全開走行が原因だ。アウトバーンを降りて田舎道を走るが迷ってしまう。やむをえずアウトバーンの路肩の端をゆっくり走るが60kmしかでなくなり、不安になってくる。

さらに追い討ちをかけるのが、北欧の夏。7月下旬、夏の盛りだというのに、毎日シトシト雨が降り、なんと手に霜焼けができるほど寒くて、ものすごくみじめ。

かたや実家に電話をかけると、「日本はとても暑いよ。祭りもやってるし」

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それに比べて、自分は雨に濡れながら風呂にも入れず汚い格好で野宿を続けていた。

インドやイランでは感じたことのない孤独感で、胸が引き裂かれる思いだった。

エンジンも壊れ始めたのでノルウェーやスウェーデンに行くのをやめ、一日だけデンマークを走った。ドイツよりも清潔な町並みだが、でかいデンマーク人だらけで、無性にさびしくなるだけだった。ここは北緯55度。23時になりようやく暗くなり始めた。

パーキングエリアで、スパゲティを作る。

でも、わびしい・・・・・。孤独だ。

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ハンブルクに戻る頃には、40kmしかでなくなり、どんどんパワーダウン。バーンはおろか、普通の車道も走れなくなり今度は自転車用の道路をガボガボノイズを出しながらあえぎ走る。

原因を調べようとオイル交換したりキャブレターを分解して調べたが、やっぱり違う。

ハノーバーに着く頃には10kmしかでなくなり、すがる思いでスズキのディーラーを見つけて修理した。

エンジン内側上部のロッカーアームがなんとボロボロに溶けていた!このときに原因がわかり、バーンで長時間連続走行していたツケがまわってエンジンを壊してしまったのだ。しめて3万円なり。

偶然にも、このハノーバーで万博をやってることを知り、(ハノーバーのGSの店員に万博見に来たのか?なんて言われたので)重い気分を晴らすため修理している間に万博見物をすることにした。

ハノーバー万博

2000年のハノーバー万博会場にやってきた。

このナイトチケットは900円と安かった。(愛知万博では2300円もしたそうで、その上大混雑らしかった)
だけど万博は端から端まで3kmもある広大さなので、四夜連続、6時から12時以降まで駆け足で見て回った。愛知万博のように人も混雑もなくスムーズに楽しめた。

ドイツ館やカナダ館、アジア館のウズベキスタンコーナー、といった風に世界各国のそれぞれの文化が紹介されて、自分の世界一周の旅のテーマにぴったりだった。

アジアのコーナーを見て「なつかしい」と感じたり、南米館をみて、旅の「予習」をしたりして世界の文化に興味を持つ私としてはとても楽しい万博だった。

出展しているコーナーも、お国柄が出ておもしろい。

アイスランドは青く冷たいイメージの館内。

中国館はこれからの将来を見据えて宇宙をイメージしているのだが、センスの違いなのかまるで昔のディスコみたいだったが、各惑星での体重が計算される体重計など、金はかかってなくても(?)アイデアで勝負していた。

ブラジルでは多民族国家なので、アマゾン先住民から日系人の写真がずらりと並んでいる。よくみると日系人の写真の中に、うちの祖母にそっくりなひとがいた。

2010年万博候補のアルゼンチン(現在では2010年の万博は上海に決定)巨大なアコーディオンがあったり、南米に移住したドイツ人の記事というハイレベルなものもあった。

インド館の外では、スタッフのインド人がそこらへんにゴミを散らかしており、悪いクセまでドイツに持ち込んでいた。

中南米のコーナーは活気がなく、ホンジュラスのコーナーなんか閉まっていて、完全にやるきなし。良くも悪くも忠実にその国々のお国柄が表れていた。

アジアは昔からの文化や、マレーシアに至っては21世紀のハイテク構想などの紹介。

アフリカ館は、文化の紹介と民族の道具や楽器を展示したり販売したりでローコストで若干地味だったが、本場アフリカの土の匂いがするような館内だった。
「水道や井戸を整備して病気や貧困から脱出しよう」といった、シリアスなコーナーも目に付いた。

さて、本国のドイツ館では、ドイツらしく中はデカイ。が、当然人気があるので、やけに時間はかかるは、わけわからない内容でつまらなかった。

そしてお待ちかねの日本館はというと、やはり経済大国でまだまだ金に余裕があるのか、中は大きい。そして環境問題をテーマにしてある。いかにも2005年の愛知万博を示唆したような雰囲気。

中に入ると、初めにゲームコーナー。ボタンをリズム良くたたかないと失敗となり、そうなると森は枯れて世界が水没してしまう(笑)このゲームのメーカーはその昨年音楽ダンスゲームを大ヒットさせただけあって、水没するCG映像やサウンドは妙にド迫力だった。

次のコーナーは、「未来のコンピューター化された日本。」
未来の車は、高速道路に入るとハンドルが勝手にダッシュボードの中に消えて、コンピューターがオートドライブするというもの。

すごいオーバーな未来の車だが、見に来ているドイツ人は信じても、今の日本人ならこんな大げさなのは信じないのではなかろうか。

実に派手な紹介が多かったが、今度はスクリーンに日本の若奥様が映し出され

「自転車や電車に乗って、排気ガスを減らしてまぁ~す♪」

と、ノー天気に環境保全をテーマにしていた。

この日本館は、バブル経済の中の1988年、私が小学生だった頃に埼玉県熊谷市で開かれた「さいたま博」によく似た内容だった。

ハノーバー万博は、スシだのキムチだナシゴレンだといった世界中の食事が味わえ、万博に行けば「世界一周」が気軽にできてしまうのでした。

オランダベルギー・悲惨の極み

世界一周の相方・スズキジェベル125をハノーバーで修理したのはいいが、またすぐにノイズが発生してきた。せっかく3万円払って治したのに、さらに不安になる。

のどかなヨーロッパの典型的な田園風景が広がるいい景色の中でも、自分の頭の中は不安でいっぱいだった。

オランダのアムステルダムに着いたのだが、市内のど真ん中でエンジンから「ピシピシッ!!」といういやな音がした。

クランクケースは異常に熱い。オイルキャップをあけると蒸気が。なんとオイルが全て燃え尽き、エンジンが焼きついたのだ

「ああ、これでわしの旅もGAME OVERか・・・」

と、情けない気分になったが、予備のオイルを入れたらまた動いた。
しかし2サイクルエンジン並にオイルを食うようになり、毎日のようにオイルを買った。明らかに異常だ。このとき、

「なんとかパリやロンドンまで走って、だめだったら日本に帰ろう」

と考えたほどだった。
アムステルダムは物価が高いしガラが悪いので適当に観光してすぐ退散。町外れの高架橋の下で野宿した。

翌日はロッテルダム(Rotterdam)のEuroportを見た。世界最大ともいえる巨大な港で、敷地内にコンテナがもう果てしなく続く。圧巻。

そして有名なあこがれのオランダの海水浴場「スケベニンゲン」にも行った。といっても何の変哲もないごく普通のリゾート地だった。

観光客も多く、天気も良くビーチには人も多いが、緯度が高く太陽の光が弱いので、まるで北海道の海水浴場のように泳ぐにはちょっと寒そうだった。

ベルギーに着くと、後輪がパンクした。欧州では修理費が高くなるのでその場で自分で直した。2時間以上かけて直したのに、失敗したのかまたパンクした。いらいらしながらパコパコ、パンクのまま走らせて、GSでもう一度修理しようとタイヤを外すと、チューブの根本がちぎれていた。

「くそったれ!」使い古しの予備チューブがあったのでそれを嵌めた。
夕方、やっとブリュッセルに着くころには、チューブの古傷から空気が漏れて、またペシャンとなった。そのたびに小さなポンプで息を切らして空気を入れなくてはならない。

ブリュッセル近郊の森の中のベンチで野宿する。再度のエンジントラブル、連日の野宿生活、そして性質の悪いパンク・・・

「なんでこんなに辛い思いをしなけりゃならんのだ」
と、絶望と孤独で死ぬほどみじめだった。

だが、明日はもっと悲惨な1日になるのを、この時は知る由もなかった。

翌朝、ベンチから目が覚めた。せっかくいい夢を見たのに現実はやっぱり絶望。タイヤに空気を入れて出発したが、3km走るとまた空気が抜けた。

完全にいらつきながらまた空気を入れようとすると、今度はエアポンプがないのだ!
昨日の疲れで落した事に気がつかなかったのだ。

バイクを置き去り、来た道を歩いて戻りながら必死でエアポンプを探す。

一時間も歩き、野宿したベンチの近くまで戻った。
すると

道路上には、まるであざ笑うかのように車にふみつぶされたエアポンプの無残な姿があった・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ここまでいっきに不幸が連続してふりかかると、ついに最後の神経の糸がプッツンと切れ、発狂した。

くだけたポンプを思いっきり叩きつけ、叫びながら、暴れまわった。

そして我に返り、バイクのところに戻り、「もうやけくそじゃー!」

と、また空気の抜けたタイヤをパコパコしながらブリュッセル中を走る。とっくにチューブはもげているし、走りにくいし、何より目立つ。だがそんなことはどうでもいい。
バイク屋を探さないと。

バイク店を当たっても、ビッグバイクが主なので、チューブを売っている店は見つからないが、夕方、何軒か当たってやっとチューブをゲットした。その上、ガレージの中で交換させてくれた。

そして・・・ついに後輪はよみがえった!やったぜ!
今までの苦しい事がいっぺんに吹き飛び、別人のように心にも一気に余裕が戻った。

ベルギーは、南北にゲルマン系とラテン系に分かれ、ブリュッセルとその以南では完全にフランス語圏になる。ブリュッセルでは店員がボンジュールなんて言ってた。

ブリュッセルの中心部は石畳、教会、路面電車と、昔と全然変わらない中世の街だが、少し離れた新市街では新宿のように高層ビル群があった。

ベルギーとフランス間の国境は街中にあって、チェックポイントも何もない完全フリーパス。ちょうど隣の県、いや隣の町に行くような感覚だ。街中の見えない境を越えただけで国のシステムや法律が変わるのだからにわかに信じがたい。

フランスとベルギー国境。中央分離帯のあるところから国境になる。

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当時、ベルギー側の国境の町ではベルギーとフランス両方の通貨で買い物できたが、フランス側では仏フランのみ。ドイツマルク同様、仏フランはやっぱり強かった。

ついに花の都・パリへ

8/5。パリから250kmの町、バレンシエンヌにあるスーパーの軒下で目覚める。

昨日の夜、バレンシエンヌの駅前では酔っ払い同士がビール瓶振りかざしストリートファイトしていたが、ここのスーパーなら安全だ。
自分が持っていた華やかなフランスのイメージと、現実の社会の歪みを見た気がした。

銀マットを片付けて、さあ出発!パリに向け南下!

正午に別のスーパーで買い物し、途中道路をはずれ、のびやかな畑の真ん中で休む。豊富な食材を提供するフランスの肥沃な大地の下、食事した。

夕方、シャルルドゴール空港が見えてくるあたりから建物が増え始め、いよいよパリに入る。パリの街中に入ると、黒人街やらアラブ人街が目立つ。

さらに中心へと走ると、ついに凱旋門が目の前に現れた!

「うおおお」

アジアのインドから、ユーラシアを横断して、ついにパリに来たのだ。
毎日苦しみながら、苦労しながら走ってきたのでうれしくて仕方がなかった。

飛行機と違い、大陸の文化の変わり目を見ながら走ってやってきたので、達成感もひとしお。

北海道一周するような荷物満載のツーリングバイクで凱旋門の周りをぐるぐる回り、シャンゼリゼを走ってやり、18:50エッフェル塔の下に着いた。

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まだ空は明るく、たくさんの観光客が塔をバックに記念撮影する中、私もジェベル125を撮って労をねぎらった。メーターは43202kmを指していた。

並ならぬ苦労の末に辿り付いた巴里。

詩人・萩原朔太郎は、
「ふらんすは 行きたけれど あまりに遠し」

と言ったが、せめてフランス製の服を着るぐらいでしかできなかったそんな朔太郎の言葉をここで噛みしめるのだった。

次の日は、シャンゼリゼの脇道にジェベルを停めて、すっかりミーハー気分でシャンゼリゼを歩き、ルイヴィトンの店に入った。

案の定、店内は日本人や韓国、中国人のアジア人種だらけだった。なんかこれらのブランドは成金の東南アジア人向けになった気がする。もちろん何も買わずに店を出た。

これがシャンゼリゼ。当然だが表参道よりもひろい。

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同じくシャンゼリゼのマクドナルドにはいると、店員の90%が黒人で、まるでアフリカのマクドナルドみたいだった。
マクドナルドは人種を問わず採用するので、旧仏領の西アフリカからフランスへ移住してくる黒人にとって、こういう所で働くのが精一杯なのだろうか。

巴里ではブローニュの森にあるキャンプ場に泊まろうと思ったが、すごい満杯だった。
しかし、宿泊客のふりをして、シャワーを拝借してスッキリしたところでキャンプ場を出た。
毎日野宿してきたので神経がすっかり図太くなってしまった。

そんなわけで、パリから15kmほど離れた、セーヌ川沿いという申し分ないロケーションの公園のベンチで、パリの常宿とした。

パリの空の下。セーヌの夕日。

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すっかり日本語を使わない生活をしてきたので、活字に飢えた私はパリ日本文化会館で日本の本をむさぼり読んだ。

日本にいるときは決して読まないくだらない本でも、活字に飢えるとなんでも真剣に読んでしまうから人間の本能と言うのは面白いものだ。

すると、私のバイクを見た中年の女性店員が、
「夜、うちで食事するから来ませんか」
と言われた。これはいいチャンスではないか。
彼女は砂漠と名前が同じ、サハラさん(佐原?砂原?)と名乗った

夕方、教えられたパリ郊外の彼女の家を探すが、じきに迷ってしまった。
電話もかけられないので、通りすがりのフランス人男性からセルラー(携帯)を借りて、やっと話せた。メルシイじゃ!
日も沈む頃、ようやく彼女の家を見つけた。

家に入ると、既に食事ができていた。御飯に、スーパーで買ったという鯵の干物、味噌汁にもやし炒め、レタスのサラダ。毎日貧食だったのでなつかしき和食におおトレビアンとうなってしまった。

パリのマルシェ

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実はこの彼女も、若い頃女ひとりで車でヨーロッパを回っていて、寝るときはいつも車の中。食事はカンズメばかりという、貧乏旅をしていたのだ。

狭い日本を脱出して、でっかく旅したサハラさんは、やはり荷物満載のツーリングバイクと、薄汚くてギラギラした目の私を見て、きっと懐かしく思ったに違いない。

ハッタリかますロンドンのゴール

パリから再び北上する。フランスは戦後、近代化発展のためにアラブやアフリカ方面から大量に移民を受け入れただけあって、パリの近郊の団地では住民がほとんどが黒人だったりと、ヨーロッパの国、白人の国とは思えないぐらいすごいところだった。

田舎に出れば北海道のようなのびやかな風景が続いた。そしてフランスのカレーに着いた。そこからドーバー行きのフェリーに乗った。

津軽海峡の青森県大間から函館ぐらいの距離で、夜の便は一番安いのだが、それでも650FF(約一万円、二輪込み)と、とても高い。ロンドンパリ間なら飛行機のほうが安いかもしれない。
なのでフェリーターミナルはイギリスに帰るキャンピングカーがほとんどだった。

21時50分出港。1時間40分の船旅。カレーの港が遠ざかると、空は闇に包まれる。

船内にはバーもあり、日本の長距離フェリーで見かけるようなゲームコーナーもあったが、1ゲーム1ポンド硬貨で、英国通貨払いだった。他の売店とかもポンド払いだった気がする。

そしてフランスやドイツ、オランダベルギーそしてアメリカの硬貨をイギリスの硬貨に両替できる自動両替機があった。
だけどためしに米の25セントコインを入れても10ペンスしか返ってこないし、フランスの1FF硬貨だと6ペンスしか戻ってこない(40%の損)。

さあ、いよいよ大英帝国のドーバーに上陸だ。闇に浮かぶ白い絶壁、ホワイトクリフがおでむかえだが、フェリーを降りると料金所のようなイミグレも待ち構えている。

不法労働者をブロックする入国審査には、かなり緊張したが、
「私は日本の食品会社の会社員で、現在ロングバケーション中である」
とデタラメ言ったら、無事に入国できました。これでうそも方便!?とにかくやったぞ!?

もう暗いので、港の近くの屋根つきベンチで寝た。
翌朝は、ドーバーからロンドンへと走る。

これがイギリス海岸の本家 ドーバー

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イギリスに入った途端左側走行に戻ったが、日本と同じなのですぐ慣れてしまった。だけど標識の文字のフォントが、フランスと微妙に違うし、(オーストラリアとそっくりだが)マイル表示なのには参る。

イギリス式民家が続く国道を走り、ついに8月13日17時47分、ロンドンのビッグベン前に到着!

インドのマドラスから29400km、140日間かけてユーラシアを横断したのだ。

今、こうしてビッグベン(国会議事堂)の前にあるテムズ川上の橋に立っていると、すぐにセーヌ川が流れるパリを思い出す。

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河にしろ、街並みにしろ、ロンドンもパリもほとんど同じで、なんだかパリに戻った気分すらした。だがこれから南米に行く準備をしなくては。

まずは英国日新に電話して、ジェベル125を南米のウルグアイに送る事にする。

船で送っている間の一ヶ月以上、待っている間にアルバイトでもしようと思ったが、旅行者で、しかも1~2ヶ月ぐらいの仕事なんか見つからなかった。

「新薬の実験台」というのも報酬が多く、なにより違った体験ができるのでやろうとおもったが、もし副作用も発生したらマイボデーがキズモノになってしまうし、薬の効果が出るまで何ヶ月かヨーロッパに滞在しなければならないのでやめにした。

結局ロンドンでバイトできそうもないので、早く物価の高いロンドンを脱出し、ブラジルのサンパウロに滞在してから引き取る事にした。そのためにブラジルのビザを取ろうとしたら、揉めに揉めた。

サンパウロ行きの片道航空券を買ってからビザ申請したが、往復航空券が必要だと言われた。自分はバイクでブラジルからアメリカまで行くから、と説明したら、預金残高証明書をもってこいと言われたが、そんなものどうやって作ればいいのさ?

早く解決しないとせっかくの片道航空券がパーになってしまう。

だからその翌朝は、先の見えぬ不安のために、変な訳のわからない夢を見ているうちに目が覚めた。

いちかばちかの勝負でブラジル領事館にもどり、最後の必殺技

「有り金全部みせびらかしビジュアル作戦」

に出た。

TCやキャッシュなど、計6000ドルあまりの札束を見せつける。

「見かけはキタナいけど、ちゃんと金持ってんだゾ~」

とかつての千昌夫のようにしてみたが、心の中ではそんな馬の目の前にニンジンをぶら下げるような原始的な手段で係官に通用するのか不安だった。

係員が札束を数え終える。

そして・・・
「わかりました。午後にビザを発給します。」

と言った。

やったぜ!札束ビジュアル作戦、大成功!

金がなくてもロンドンを完全満喫

なんだかんだで3週間近くロンドンで過ごした。

何故かアラブ系の家族連れが多いハイドパークや、花壇の整備されたロンドン的なリージェントパークを歩いたり。

ロンドンの公園は、人種のるつぼだ。

このハイドパークでは

左から魔術師、ヒッピー、インド人、刑事風の男、そしてチャドルを着たムスリム。

このあまりにも訳のわからない組み合わせが、実にいい。

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ロンドンの中心、ピカデリーサーカス。
近くにロンドン三越もあるという銀座のようなこの場所で、サブカルチャーの代表格のパンクロックのにいちゃんねえちゃんが集まる風景はロンドン名物でもあるが、原宿の日曜ゴスロリ少女軍団とぜひ勝負して欲しいものだ。

バグパイパー。もちろん女子高生のコスプレではない

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そんな街中ではいろんな店に入ったり、中華街に行ったり日系書店で立ち読みしたり。
夜になるとなぜかUAEなどのアラブナンバーのオイル成金どもの超高級スーパーカーが出没する。

夜中になっても胡弓やフォルクローレといった各国からのストリートミュージシャンが演奏し、とくにタイコひとつで魂の入った熱唱をする孤高のアフリカンドラマーは忘れられない。

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ロンドンの街中で食べたものは、本場イタリアで食べたのよりも味が落ちるが安い立ち食いピザ。5ポンドから3ポンドに値下がりした見切り品の弁当(BENTO-BOX)を食べて、椎茸の代わりにマッシュルームが使われているような、妙な日本テイストに、望郷の念と共に「何か勘違いしてる気がするなあ」という感情の入り混じった諸行無常の味を感じた。

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世界中のあらゆる人々と文化があつまるロンドン。金は全くなくても充分楽しみつくせたのだった。

9月2日。ユーラシア最後の日。
英国航空でブラジルへ飛ぶため、ガトーウィック空港へ。ヒースローと違いアフリカや南米行きの便が多いマイナーな空港だ。

英国航空、サンパウロ経由リオデジャネイロ行きの機内にのりこむ。だけどターバンに背広のシーク教徒ビジネスマンも乗っていた。

さらば、ユーラシア大陸・・・

そして、新しい旅が、これから始まろうとしている・・・

–第10章–
おわり

★次号の予告★
ついに!いよいよ新大陸版がスタートします!

お楽しみに!

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