世界一周08-2 ギリシャ・マケドニア篇 ついにヨーロッパ!だけど特異な国。

アジア・中東・欧州編
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●ギリシャの行き過ぎたKISS
●謎の国 マケドニア
●ホームレスの一家
●地中海の国際フェリーに乗る

ギリシャ
通貨1ドラクマ=0.315円★ ・ガソリン 85円  ・キュウイフルーツ4ケ60円
・パスタ500g 44円  ・マッシュルーム中缶 88円  ・桃缶850g 81円
・大きい丸パン95円(まずかった)
・ミートボール200g缶 179円 ・ゲーム1回 32円

マケドニア
通貨1=1.73円  ・ガソリン 89円 ・シュークリーム8ケ 95円
・バナナ3本 38円
・きゅうり3本 15円  ・牛乳500ml 32円 スクラッチ宝くじ52円

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ギリシャの行き過ぎたKISS

翌朝6/10、ギリシャに入国。高速道の料金所を大きくしたような場所がイミグレーション。そこで入国手続きをしたが、その際にグリーンカード(車両強制保険)に加入しろといわれた。

トルコは、日本人に対して友好的な人が多かった(うざったいところもあるが)が、ギリシャに入るとどうもこちらに対する感じがよくない。一ヶ月のしかないと言われて、9000円。だがさらに300円よけいに取られた。
「なんだこの1000ドラクマ(300円)は」と聞くと、紙代だと。EUのくせに平気でぼるのか。一気にこの国の印象が悪くなった。

便所に入ると、ギリシャの便所はトルコ以東と同じく、しゃがんでやる和式スタイルだ。白人国家なのにしゃがんでするとは意外だったが、トルコ以東では使われなかったトイレットペーパーがここから置いてあった。

ちなみにこのキンカクシなしの和式便器は南イタリアでも見かけた。洋式にすると便座が汚されるからなんだろうか?

そしてギリシャに入国した途端、道路標識のデザインや文字が変わるのは当たり前として、イスラムのモスクはなくなり、かわりにキリスト教のギリシャ正教のほこらが地蔵のように道先に並んでいる。またも国境を越えただけで世界が変わった。

ヒンズーの国、イスラムの国、そしてキリストの国と、国境を越えるごとに変わる。それが世界一周の醍醐味である。

ギリシャ北部の都市で副首都でもあるテッサロニキに着いた。夏場は毎日太陽が出てくれるせいか、とてもすごかった。というか激しかった。

バス停では、老人とかいろんな人がいるのに関わらず、高校生ぐらいのカップルが人目をはばかることなく、ディープキスをしまくっていた。この2人には目玉がないのか、と思うくらい周りを気にすることなく激しく長時間バス停でキスをして、ずっと二人だけの世界に入っていた。だけどここまでやるとさすがにアホに見えた。

これが日本の高校生カップルの場合だったら、こんなアホなキスをしたらみんなの大ひんしゅくを買うから、きっと二人して首を曲げて携帯メール打ちながらバスを待つのが関の山なんだろうなあ。

そして、中学生ぐらいの女の子5人ぐらいが歩いていたが、彼女らは別れ際になんと女の子同士でキス(互いに舌を入れあう本当のキス)をしていた。だからといってレズビアンの集団でもなさそうで、普通の友人同士といったとこだが、さっきのカップルとちがって彼女らの場合はいやらしさや不潔感がないから、見てるこっちはもうたまらないね。日本じゃまずないよこんなの。

ビーチに行けば行けばでトップレスだからこの国の夏の大胆さはラテン人よりも上を行っている。

イスラムの国からくると全く世界が違う。

テッサロニキから北上。マケドニアに入国するためギリシャ出国したのだが、ここは入国以上にひどかった。アジア人に対する偏見や差別だろうか?あるいは自分がジプシー(ロマ)に見えたのだろうか。なんとも嫌な国だった。

たとえばギリシャの八百屋とATM。果物のシールが貼り付けられているが、よく見ると、「トルコダメ」のシールが。隣国同士のギリシャとトルコの中は非常に悪いのは知っていたが、あからさまにレイシズムするとは。

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謎の国 マケドニア

マケドニアは1993年にユーゴスラビアから分離独立したばかりの国。現在はアルバニアとの紛争もあるようだが、それゆえに今までの国とは違って特異な感じがした。

国境から首都のスコピエに通じる道路を走っても、一切民家が見当たらないのだ。あるのはGS(ガソリンスタンド)とその商店だけ。軍事上、村や民家は道路を外れた山の隠れた所にあるのだろう。そのGSですら停電中で、ガスを売ってくれなかった。

やがて道路は両側6車線で制限速度120km/hの高速道路になったが、やはり周りに民家等何も見えない。そこに住む人の生活が感じられない。あまりに不自然だ。そして走るたびに何度も料金所で高い通行料金を取られる。

頭にきたし、なにぶん面白くないのでハイウェイを外れ、狭い道を走った。だが他の国と違い標識も何もないので当然迷ってしまい、何かの建物を少し過ぎると、なんと野犬が20匹ぐらいうろついているではないか!怖くなってすぐにハイウェイに引き返した。
この国はなんか不気味で怖い。

しかしのしかし、首都のスコピエにつくと、予想を反してとても都会だった。

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この国はスコピエ以外に町はないのか?と思うぐらい首都と地方の差が激しい気がした。

スコピエには意外にもマクドナルドやスーパーもあるからまるでトルコのようだ。中央の広場には若者が集まっているが、他の国と違ってファッションはHIPHOP系が主流。女の子も男同様にだぶだぶに着こなしているから妙に色っぽい。だがミニスカートとか2000年当時日本で流行っていた厚底ブーツで歩いているのはほとんどいなかった。

 

やはりマケドニアは臨戦下にあるため、おのずと機能的で守備力重視を兼ねたスタイルだった。ミニスカだとダメージも大きいし、厚底サンダルなんか履こうものなら逃げても敵兵に追いついてしまう

 

中心部はアーケード街のようなスタイルの、なかなか落ち着いた感じのショッピングセンターがある。そのなかにある電器屋に入ってみると、普通の雑誌も売っていたが、一緒くたにハードコア無修正の雑誌が売っていた。しかも立ち読み可能。子供が見たらどうすんだ?

エロ本見かけて喜ぶな!といわれそうだが、じつはこの本を通じて、ユーゴからの分離独立の鍵が読むことができたからである(?)

というのも、この本はユーゴスラビアで出版されているので、アルファベットが使われているが、このマケドニアではロシアのキリル文字が公用語として使われている。

元々は同じ国だったのに、ここまで使う文字や言葉がちがうと、分離独立するのは当然の結果だろう。そんな文化の狭間に存在する小さな国ゆえに、マケドニアでは英語を話す人が多かった。

まあ、マケドニア人であろうが、文字は読めなかろうが、ハードコアだけを見ればいいのだから問題ないか。

ホームレスの一家

電器屋を出た後、ホームレスの家族に出くわした。

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その夫は30歳ぐらいの浅黒い小柄なアジア系、という見かけだが、おそらくジプシー(ロマ)だろうか。妻のほうは15~16歳ぐらいか。そして彼らの間で生まれた乳児や、別の仲間の子供で計10人ぐらい。皆全員、とても汚れた格好で、通りを歩く白人のマケドニア人とは全く別世界。

その子供らは風呂代わりにフルチンなどで噴水の中に入って暴れまくっていたが、その時に夫から
「よう、おめえもこっちに来いや」
とさそわれた。そのとき自分も汚いアジア人(?)だったので、完全に仲間と思われたようだ。拾い集めたシケモクを子供も大人も家族みんなで吸っていて、とても近寄り難い。

そして何より一番SHOCKだったのが、そのホームレスの幼な妻。
汚れたワンピースを着た浅黒い彼女の顔は、自分が中学生だった頃の、同じクラスでしかも隣の机だった女の子の顔とそっくりだったのだ!!

だからまるでかつての同級生がホームレスになってるみたいで、なんだか切なかった。

 

彼らはカフェや店に入っても、入口であからさまに追い返されてしまう。だがそんな差別をもろともしないようなすごい図太さとあつかましさとたくましさがあった。

その夜、住宅街のスーパーの近くを走ると、くるった野犬同士が牙剥き出しで暴れまわっていて恐ろしかった。野犬多すぎ。ちゃんと保健所で捕まえてほしいと思った。

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結局スコピエのスズキ四輪のショーウィンドウの下で単車とともに添い寝した。今思うとよくこんな街中で寝たものだと思う。

その翌日はスコピエのGSの敷地内の芝生の中で野宿することができた。

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トイレには運良く熱いシャワーがあったのでもう快適!今までの汚れを丹念に落とし、ついでに洗濯までしてバイクにロープを張って一晩干してやった。宿に泊まってるのと変わらないぐらいのファシリティぶりだった。

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スコピエを去り、ユーゴスラビアに入国しようとしたら、グリーンカードに一か月分50ドル払えと言われた。ギリシャで買ったのはEUのみ通用するので、東欧では入国するたびにその国ごとのカードを買わなくてはならない。しかしユーゴスラビアなんて2日で通過できるのに50ドルも払えなんてあまりにもバカバカしいではないか。

東欧に入国するたんびに金をふんだくられてはたまらん。本当はボスニアとの内戦を見て確かめたかったが、上記の理由と危険そうなので、急遽マケドニア、ギリシャと戻ってフェリーでイタリアに行く事に変更した。

帰るためにマケドニアに再入国したが、ここでもマケドニアのグリーンカードを買わされた。(行きでは買わなくても通過できたが・・・)一日で通過できるのに、最低二週間もので37ドル!もう泣けてくる。その上高速では通行料をとられるからまさに泥棒に追い銭。「国家的搾取」だった。

行きの時に立ち寄ったGSに入ると、おっさんたちがアイスなんぞ食べていたので、吊られて買ってみた。昔が懐かしい味だった。

そしてギリシャ再入国。この国には正直ロクな思い出がないので、オリンポス山を右手に見ながらさっさとイタリアへと向かった。

地中海の国際フェリーに乗る

ギリシャの西部の港町、Igoumenitsaという、イタリア行きの国際フェリー乗り場に着いた。イタリア北部のアンコナ行きなどもあったが、イタリアの長靴のかかとの部分にあるブリンジジが近かった。そして一番安い「デッキクラス」の乗船券を港近くの代理店で買った。約2600円。バイクがタダというのがうれしい。

本日の便は乗りそびれたので、フェリーターミナルで野宿して翌日の便を待つ。スーパーで買ったミートボール缶詰と、桃の缶詰、パスタで飯にする。これじゃまるで北海道ツーリングだ。

翌日夕方になると、キャンピングカーとかであふれるが、イタリア行きの船なのにほとんどがドイツナンバーだった。なぜドイツ!?と違和感を覚えたが、バカンスの帰りなのだ。

イタリアのアンコナからアルプスを越えてドイツに走っても数百キロ。
日本で言うなら北海道でバカンスして小樽から舞鶴までフェリーに乗って、さらに数百キロ離れた四国や九州の自宅まで帰る、といったところだ。

そう考えると、ヨーロッパ大陸とはいえ、距離的にはそんなに無いのである。
というよりも国境を自由に越えて気軽にバカンスやドライブに行ける環境が素晴らしいと、島国人間の私は感心してしまった。だけどドイツの車が多くてイタリアの車が全然少なかったのはなぜなんだろう?

いよいよ自分も22時15分に乗船した。23時30分出港。船内にはカンツォーネが流れ、日本一周ツーリングではないことを実感する。

さて、最安運賃のデッキクラスはどんなものぞと期待すると、屋根のついた甲板(デッキ)の中に、ベンチがずらりと並んでいる。たったこれだけ。

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雨は防げるが、当然海風が吹き抜ける中を一晩ここで過ごさなければならない。あまりのオソマツさに思わず笑ってしまうぐらいだ。海風に吹かれて寝ろ、だなんて日本的サービスじゃ考えられないが、自分にとっては合理的だし、むしろ開放感があって良い。
ヨーロッパのバックパッカーは寝袋持参で旅するから外のベンチの上で寝ようが全然躊躇が無いのだろう。

ひさしぶりにシャワーで身体を思う存分洗い、ベンチの上で寝袋を敷いて寝たのだった。
翌朝目が覚めると、青いアドリア海の果てについにイタリア半島が見えてきた・・・

–第8章–
おわり

★次号の予告★
次はイタリア編です。
極限のツーリングとはいえしっかり観光名所も一巡り。
そのぶん疲労も限界、トラブルが待ち受ける・・・
Mamma Mia!

お楽しみに!

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