●ハッタリかますロンドンのゴール
●金がなくてもロンドンを完全満喫
イギリス通貨1ポンド=174円
・ガソリン 140円(世界一高い) ・宿ロンドン、ドミトリー1740円
・プりクラ、三分写真 522円 ・ゲーム87~174円
・ピカデリーサーカスの立ち食いピザとフリーサラダ 261円
・ヤギの乳750ml 155円
・コーラ2L 33円◎ ・桃缶詰 16円◎ ・ベークドビーンズ缶 16円◎
・ポテト缶詰 30円◎
◎印は、スーパーSailsburyの自社製品。いわゆるダイエーの39円コーラのような商
品。
だからパッケージもとても地味。だけど爆安。イギリスの代表料理として、煮た大豆
とトマトソースが入ったベークドビーンズがあるが、私はロンドン滞在中、毎日フラン
スパンに缶詰のベークドビーンズをかけて食べるという、赤貧生活をしていた。
ロンドンでは、普通のスーパーでもどこでも寿司が買える。Healthy-Sushi
はブームらしい。Bento Boxは弁当だが、いかにもアメリカ風日本弁当。
ベジタリアンのベント-ボックスはまるで精進料理のように手が込んでいる。
ハッタリかますロンドンのゴール
パリをあとにして、そしてフランスのカレーに着いた。そこからドーバー行きのフェリーに乗った。
津軽海峡の青森県大間から函館ぐらいの距離で、夜の便は一番安いのだが、それでも650FF(約一万円、二輪込み)と、とても高い。ロンドンパリ間なら飛行機のほうが安いかもしれない。
なのでフェリーターミナルはイギリスに帰るキャンピングカーがほとんどだった。
21時50分出港。1時間40分の船旅。カレーの港が遠ざかると、空は闇に包まれる。
船内にはバーもあり、日本の長距離フェリーで見かけるようなゲームコーナーもあったが、1ゲーム1ポンド硬貨で、英国通貨払いだった。他の売店とかもポンド払いだった気がする。
そしてフランスやドイツ、オランダベルギーそしてアメリカの硬貨をイギリスの硬貨に両替できる自動両替機があった。
だけどためしに米の25セントコインを入れても10ペンスしか返ってこないし、フランスの1FF硬貨だと6ペンスしか戻ってこない(40%の損)。
さあ、いよいよ大英帝国のドーバーに上陸だ。闇に浮かぶ白い絶壁、ホワイトクリフがおでむかえだが、フェリーを降りると料金所のようなイミグレも待ち構えている。
不法労働者をブロックする入国審査には、かなり緊張したが、
「私は日本の食品会社の会社員で、現在ロングバケーション中である」
とデタラメ言ったら、無事に入国できました。これでうそも方便!?とにかくやったぞ!?
もう暗いので、港の近くの屋根つきベンチで寝た。
翌朝は、ドーバーからロンドンへと走る。
これがイギリス海岸の本家 ドーバー
イギリスに入った途端左側走行に戻ったが、日本と同じなのですぐ慣れてしまった。だけど標識の文字のフォントが、フランスと微妙に違うし、(オーストラリアとそっくりだが)マイル表示なのには参る。
イギリス式民家が続く国道を走り、ついに8月13日17時47分、ロンドンのビッグベン前に到着!
インドのマドラスから29400km、140日間かけてユーラシアを横断したのだ。
今、こうしてビッグベン(国会議事堂)の前にあるテムズ川上の橋に立っていると、すぐにセーヌ川が流れるパリを思い出す。
河にしろ、街並みにしろ、ロンドンもパリもほとんど同じで、なんだかパリに戻った気分すらした。だがこれから南米に行く準備をしなくては。
まずは英国日新に電話して、ジェベル125を南米のウルグアイに送る事にする。
船で送っている間の一ヶ月以上、待っている間にアルバイトでもしようと思ったが、旅行者で、しかも1~2ヶ月ぐらいの仕事なんか見つからなかった。
「新薬の実験台」というのも報酬が多く、なにより違った体験ができるのでやろうとおもったが、もし副作用も発生したらマイボデーがキズモノになってしまうし、薬の効果が出るまで何ヶ月かヨーロッパに滞在しなければならないのでやめにした。
結局ロンドンでバイトできそうもないので、早く物価の高いロンドンを脱出し、ブラジルのサンパウロに滞在してから引き取る事にした。そのためにブラジルのビザを取ろうとしたら、揉めに揉めた。
サンパウロ行きの片道航空券を買ってからビザ申請したが、往復航空券が必要だと言われた。自分はバイクでブラジルからアメリカまで行くから、と説明したら、預金残高証明書をもってこいと言われたが、そんなものどうやって作ればいいのさ?
早く解決しないとせっかくの片道航空券がパーになってしまう。
だからその翌朝は、先の見えぬ不安のために、変な訳のわからない夢を見ているうちに目が覚めた。
いちかばちかの勝負でブラジル領事館にもどり、最後の必殺技
「有り金全部みせびらかしビジュアル作戦」
に出た。
TCやキャッシュなど、計6000ドルあまりの札束を見せつける。
「見かけはキタナいけど、ちゃんと金持ってんだゾ~」
とかつての千昌夫のようにしてみたが、心の中ではそんな馬の目の前にニンジンをぶら下げるような原始的な手段で係官に通用するのか不安だった。
係員が札束を数え終える。
そして・・・
「わかりました。午後にビザを発給します。」
と言った。
やったぜ!札束ビジュアル作戦、大成功!
金がなくてもロンドンを完全満喫
なんだかんだで3週間近くロンドンで過ごした。
何故かアラブ系の家族連れが多いハイドパークや、花壇の整備されたロンドン的なリージェントパークを歩いたり。
ロンドンの公園は、人種のるつぼだ。
このハイドパークでは
左から魔術師、ヒッピー、インド人、刑事風の男、そしてチャドルを着たムスリム。
このあまりにも訳のわからない組み合わせが、実にいい。
ロンドンの中心、ピカデリーサーカス。
近くにロンドン三越もあるという銀座のようなこの場所で、サブカルチャーの代表格のパンクロックのにいちゃんねえちゃんが集まる風景はロンドン名物でもあるが、原宿の日曜ゴスロリ少女軍団とぜひ勝負して欲しいものだ。
バグパイパー。もちろん女子高生のコスプレではない
そんな街中ではいろんな店に入ったり、中華街に行ったり日系書店で立ち読みしたり。
夜になるとなぜかUAEなどのアラブナンバーのオイル成金どもの超高級スーパーカーが出没する。
夜中になっても胡弓やフォルクローレといった各国からのストリートミュージシャンが演奏し、とくにタイコひとつで魂の入った熱唱をする孤高のアフリカンドラマーは忘れられない。
ロンドンの街中で食べたものは、本場イタリアで食べたのよりも味が落ちるが安い立ち食いピザ。5ポンドから3ポンドに値下がりした見切り品の弁当(BENTO-BOX)を食べて、椎茸の代わりにマッシュルームが使われているような、妙な日本テイストに、望郷の念と共に「何か勘違いしてる気がするなあ」という感情の入り混じった諸行無常の味を感じた。
世界中のあらゆる人々と文化があつまるロンドン。金は全くなくても充分楽しみつくせたのだった。
欧州野宿外伝
振り返ってみる。
物価の高い欧州ではなんと73日間連続で野宿しました。これはルンペン同様の旅だった。
草の上で気持ちよく寝たこともあれば、
いかにもやばそうなところで寝たこともあった。
野宿しているといろんなことがあった。ロンドンでは若いホームレスが多いのが社会問題となっているが(若いカップルのホームレスもいた)そのおかげで?教会の軒下で野宿しても周りの違和感が無かった。
考えてみれば日本に来る欧米人バックパッカーも、宿代が高いといってホームレスに混じって公園で野宿している旅人も多いという。お互い様といえばお互い様か。
ロンドンではいろいろ手続きとかあったので、さすがに人前に出るわけだから体を洗ったり洗濯したりするために一泊1700円のユースホステル風の所に泊まっておりました
が、毎日は泊まれないので野宿と宿のローテーションでロンドンの日々をつないでいました。
ドイツのハノーバーでは、駅から少し離れた高架橋の下で寝ていたことがあった。
そこは出かせぎアジア人女性などによる風俗店もある一帯。そんな場所で寝ざるを得ないときがあった。
眠りに着く頃、ドイツ人の若い男3人がこちらにやってくるではないか。
「やばい、このままではボコにされるかも」
しかしその3人は私の横を通り過ぎ、高架の柱に向かった。
ホッとしたのもつかの間、3人はおもむろに立小便をはじめたのだ。なんともやりきれない気分だった。
そして3人が去って「あーあ、アンモニアの臭いを嗅がされながら寝るのかよ」
と思って柱を見ると、例の液体がこちらに流れて来そうな気配だった。
「ヲイヲイ、こっちに来るぞ!全くなさけないな~」とおもいつつ、銀マットとかを少し移動してから寝たのだった。
こんな液体と添い寝するぐらいにみじめな宿泊体験があったこそ、自宅の屋根の下で布団の中で安心して寝れることへのありがたみと感謝がこみあげてくるのでしょう。
9月2日。ユーラシア最後の日。
英国航空でブラジルへ飛ぶため、ガトーウィック空港へ。ヒースローと違いアフリカや南米行きの便が多いマイナーな空港だ。
英国航空、サンパウロ経由リオデジャネイロ行きの機内にのりこむ。だけどターバンに背広のシーク教徒ビジネスマンも乗っていた。
さらば、ユーラシア大陸・・・
そして、新しい旅が、これから始まろうとしている・・・
–第10章–
おわり
★次号の予告★
ついに!いよいよ新大陸版がスタートします!
お楽しみに!