私にとってある意味人生を変えるきっかけとなった、あの3ない運動が、何十年かぶりにニュースとなって再び日の目を見たわけですが
まずは、3ない運動とは何か?
高校生バイク「3ない運動」廃止含め見直し 埼玉県教委方針 全国で半数が推奨せず
産経新聞 10月5日(水)7時55分配信
県教育委員会は4日、県立高校生のバイク利用を禁じた、いわゆる「3ない運動」(免許を取らない、乗らない、買わない)について、廃止も含め見直す方針を明らかにした。全国の教育委員会の半数以上がすでに運動を推奨しておらず、県内の高校生のバイク事故による死傷者数はピークの昭和55年から20分の1程度にまで減少。県教委は検証組織を立ち上げて運動のあり方を検討する。(川畑仁志)
同日の県議会一般質問で、関根郁夫教育長が松沢正氏(自民)の質問に答えた。
県内の高校生のバイク事故死傷者数は昭和50年代に増加し、55年に1557人となった。県教委は56年、山間部で通学に不便な場合などを除き「高校在学中のバイク免許の取得、購入、乗車を認めない」との方針を定め、県立高校に指導要項を通知した。
運動開始後、死傷者数は減少。平成23年は190人で200人を割り込み、27年には88人となった。県教育局は運動の効果に加え、車線の増設や直線化など道路環境の改善、交通安全意識の向上などが減少につながったとの見方を示した。
県教委は現在も新入生に「高校生活にバイクは不要」と記載したリーフレットの配布を継続。松沢氏は一般質問で「バイクは悪と受け止められる記述だ」と指摘し、「保護者の同意があれば免許取得を許可して道交法や安全教育を学ばせ、乗車を認めるべきだ」と運動の廃止を主張した。
これに対し、関根教育長は「選挙権年齢が18歳以上に引き下げられるなど高校生の自立を促すことが求められている。交通安全を自ら考えさせることが大切だ」と答弁。関係者を交えた検証組織を立ち上げてバイクに関する生徒指導を検証し、運動のあり方を検討する意向を示した。
全国的には、昭和57年から運動を展開してきた全国高等学校PTA連合会が、平成24年から自転車や歩行者も含めたマナーアップ運動に転換し、前面に掲げることをやめている。文部科学省が26年1、2月、47都道府県教委に実施した調査では、53・2%が運動を推奨しておらず、推奨は44・7%で半数を下回った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161005-00000010-san-l11
ということで高校時代の私は、
「3ない運動?ふざけんな!」
という一心で、その結果、高2でまずは手始めに原付免許、そして調子に乗って高3の春に中型二輪を「水面下」で取って、GNという125ccバイクに乗り始めました。
でも自分のころはまだマシだったと思う。
なぜなら、3ないが施行された当初の80年代(バイクブームだった時代)はひどくて、学校に隠れて免許を取ると、免許センターから学校に「おたくの学校の〇〇君が免許を取りました」と連絡がはいり、学校で処罰をうけるわけだ。
悪いことしてないのに、法律で認められたことをしてるだけなのに。
これはまぎれもない「密告」で、いまなら公的機関が個人情報保護を無視するという大暴挙なんですが、さすがに当時でもそれは問題になったようで、私が取った90年代半ばになるとそんな密告は無くなったけど。
なお、3ない運動は特例があり、僻地の場合は50ccなら条件付で可といっていたが、意味不明だ。
なぜなら125ccのほうが安全だからだ。
それよりも普通自動二輪免許を取って、しっかり一本橋や急制動など、乗り方の基礎を学んだほうがいいに決まっている。
いまでも、50ccまでならOKって、わけわからん。本当にばかげている。
そもそもタイの田舎では、
普通の小中学生でも100ccカブを乗り回してるんだぞ?
この「3ない運動」が施行された背後には、
バイク=ボーソーゾク(珍走団)という偏見があったこと。
今でこそ二輪環境は変わってきたけど、珍走団はしょせん内弁慶。
世界を走ってみろ。
狭い島国の常識なんぞぶっつぶされる荒々しくも広大な世界では、己の小ささ、人間の弱さというのがいやと言うほどわかるはずだ。
そしてやっと悪法が廃止の方向に向かうわけだが、
だからといって3ない運動を廃止したからといって、高校生にバイクに乗って欲しいとは毛頭思わない。
「高校生活にバイク不要」というのは、あながち的外れではない。
なんだかんだいっても自転車のほうがある意味気楽だし、免許やバイクを買うためにバイトをせねばならず、勉強もおろそかになるという意見もあろう。
そして若いうちは技量が未熟な上に、無茶をするから、当然事故も増える。安定している四輪車よりも、バランスが必要な二輪車のほうが当然危険度が高い。事故になったら家族がかなしむだろう。
だからといって「バイク=悪」という一方的なゆがんだ教育と、本来個人が持つ「乗る自由」をうばう権利はないわけだ。
なので、本当に何が何でも乗りたい人だけが乗って、そうでない人は乗る必要はない。
私が高校時代隠れて乗ってたころは、週末に都内(渋谷など)に行ったり、日帰りツーリングに行くだけで普段は乗り回さなかったし、下手に事故とかして学校にばれて停学とか受けたら大変だ。
そのおかげで、
「何が何でも絶対事故はしない」
という、安全に走るという心構えを、自然に学んだと思う。
3ない運動で学んだもの
それは
「偽善」と
「社会に対する不信」です
ようするに、自分ら大人(学校や教育委員会など)が保身するために、屁理屈こねて生徒らを縛ってるだけだろ、と。
私は学校ではまあまじめなほうの生徒だったとはいえ、そんな理不尽なことには反抗してバイク乗ってたし、そして教えるべき立場の大人が「偽善」にまみれている偏狭な日本の社会に、強烈な不満を持つようになりましたね。
それが転じて、「では、いったいほかの国はどうなんだろう?」と世界中をバイクで走りまくるようになってしまいましたが。
3ない運動よ、ありがとう。
おかげで私の人生はめちゃくちゃひねくれました(笑)