ちょうど2年前は、インドで熱波で2000人以上死亡!と言うニュースで日本は盛り上がってるようでして、気がつけば地震や熱波など、ニュースになる所ばかり追っている我が旅です
ニュースの通り、インドに大熱波が来てますが、運の悪い事にまさにその真っ只中にいます!
うちの親や友人からも「インドで熱波で死んでる」というメールを同時に頂いております
思えば、この熱波だけでなく、これまでも先月28日にカトマンズに着いてからは震災直後のあおりをくらったので、なんだか道中ニュースになるレベルの悪運ばかり遭遇しとるです
現在タージマハルのある町、アグラーにいます。ネパールからインドに戻ると、毎日とにかく暑い!暑い!暑い!暑い!暑い!暑い!暑い!暑い!
走っていると、ドライヤーのような熱風が入ってくる。
これから向かうデリーの週間予報も最高44~46℃だそうです。もはや熊谷の暑さの騒ぎでは無く、ここまで狂った暑さだと、もはや新感覚な暑さです。
さすがにピークタイムは外に出る気がしないです。夕方7時になっても気温は40℃。日は沈んでも時折熱風。夜になっても38~39℃。部屋に戻り、現在23時52分だけど、ノンエアコンなので室温が37度。夜でも暑すぎる。24時間暑さとの戦い。停電でせんぷーきが止まったら悶え苦しんでます。
写真は、3日前に寄ったラクナウの気温です。
インドの北部内陸部は赤い40℃以上!!
日本だとこんな灼熱の炎天下だと人なんか歩いてないが、でもインドでは人々は歩いている
昨年、デリー最高46度を記録!なんてあったので、そんな環境で人間は生きていけるのか、とインドに来る前は思ってましたが、いざデリーに来ると、意外と暑さはなんとかなってます。
真夏の熊谷にいるとき同様、スローでゆるく行動しているし、昼間は外出を避けてるので。
いま泊まってるデリーの宿もエアコンなし、終日室温は36度です。が、日本の家にいるときも西日が当たると37℃ぐらいになるので、46度のデリーのほうがすずしいことになる。
日本でニュースになっているインド熱波についても、意外に何とかなるもんです。デリー在住の日本人も日本からの心配のメールが届いているようですが、現地デリーで働く日本人が言うには、例年通りの暑さですよ。改めて日本のマスコミは過剰報道だなと、と仰っていました。
ということで、インド編を再開します
ネパールからインドに戻った感想
ネパールからインドに戻ると天国からゴミ溜めに堕ちた、イヤだ、と言う旅行者の話をよく聞くが、たしかにネパールからインドの国境を越えた途端に、めちゃくちゃうるさい&汚くなる(笑)
しかし私の場合は、ネパールからインドに戻ると、心からホッとしたのである
インドとネパールを比べてみると、いいところ、いやなところ、一長一短ある。
だけど総合的にジャッジした場合、自分にとってはインドのほうがいい。ネパールは思った以上に物価が高かった。数百円で生活できた沈没天国だったのは昔の話。
それでいてアジア最貧国なので、インフラもいまだに未発達で、特に震災があったので大変だった。
インドはIndia is Great。つまり文句なしに悪くも良くも超大国。そして悠久の国とは裏腹に、隠れた工業国でもある。IT産業はもちろん、工業製品なども自国で生産輸出しているので、意外に国力が強い。
2016年のGDPに至っては、イタリアやブラジルを押しのけ、なんと7位にまで成り上がっているのだ。成長国なので、まもなくフランスなどを追い越し5位ぐらいに上がるだろう。
しかしネパールはインドからの輸入に頼っているし、観光立国でありながら、海外に出稼ぎしたり、援助漬けになっているという国の一面があるので、貧富の差がインド以上に露骨に見えてしまう。
インドの人間のほうが純粋で、憎めないところがあるが、ネパールだとどこか擦れている者が多い。ので、人の感じもどうもいまいちな気がした
そのてん、インドに戻ると、とにかく人が素直でいいということ。若者だろうがおじさんだろうが、男は好奇心旺盛で、すぐに自分に対して興味深げに覗いてくる
とはいえ、自分も好奇心がやたら旺盛で、ずうずうしい性格なので、それがインド男のそれにどこか近いものがあるからだ。
オムレツ屋台で夕食にしたのだが、かれらと仲良くなると、「お金はいいよ」と好意でタダにしてくれた
インドのこういうところが大好きだ。
引き続き夜道を走る。しかし、ネパールと違って、インドの田舎なんか泊まるところなんてロクになさそうなので、この日は野宿をすることにした。
夜中の田舎道を走り、ガソリンスタンドの裏手に縄ベッドがあったので、そこで勝手に寝ることする。ずうずうしく勝手に寝たというのに、翌朝はスタッフからチャイまでいただいてしまう
インドのこういうところが大好きだ。
あついぞ!インド
今日も田舎道を走る。ムスリムも多い。
とてつもない力持ちを発見
https://tabi1.com/india-photo-dvd
走りにくい田舎道が続いてきたが、
ついに高架橋が見えてきた。待ちに待った高速道路だ。
インドはガソリン代が高いが、その分高速道路が無料で走れば割に合う、と考えよう。
高速沿いのレストランに入る。
冷水機の水を飲みまくりながら、チーズサンドイッチ60ルピーを食べる
日陰でも40℃になっている。
「このインドの暑さは生き地獄かと思ってたけど、意外にそんなに暑くないな」
と、悠長なこと言っていたが、そんな余裕は午前中のみだった
その後は一気に走ったが、外気温はなんと47℃。慈悲なき直射日光と、ドライヤーのような熱風が入る。3時を過ぎた頃になるとあまりの暑さに朦朧としてきた
死ぬほど暑いときは、こうやってクールビズ。コンパクトやね
国道沿いの茶屋に入ると、「ああ暑いああああ」と言いながらチャイやジュース、生水を飲みまくる
快適な気温のカトマンズから来ると、45℃以上の殺人的な暑さは堪える
茶屋で1時間休憩すると、気力も戻ってきた。日も傾き、だいぶ暑さもやわらいできた
夕方、ウッタルプラデシュ州都・ラックナウについた。「幸運・今」という縁起のいい地名。再開発されているあたりは、新興都市グルガオンにそっくりだった。
そんな都市景観を見ていると、デリーに戻りつつあるのを実感。
しかし日がくれているのに、なんと41度もある。日本じゃありえない気温だが、それでも暑さがやわらいだように感じるから、人間とは恐ろしいものである
(108)暑い国では、あつくるしくあつかましいホットマンが揃い踏み
夕方の18時半でも気温41度という地獄の暑さ。大量の死者が出るほどの熱波が続く北インドの都市・ラクナウ。
カーンプル・ロードに入ると、申し分ない都市高速が空港まで続く。ネパールとインドは、田舎だと同じぐらいだけど、インドの都会になると断然ちがう。カトマンズよりもインドの地方都市ラクナウのほうが非常に近代的だ。
だいぶすずしくなったので走り続けようと思ったが、このままだと22時を過ぎるし、目もしょぼしょぼして、とても無理。ラクナウの近郊の安いホテルに泊まることに。
もう21時を過ぎているのに外は36℃もある。しかし部屋に入ると、思いのほかすずしい。といっても室温は33℃。それでもすずしく感じるぐらいだから慣れとは恐ろしい
そんな極限の環境ですら生きているのだから、これなら-40℃以下の凍り狂うような極寒の世界でも旅できそうだ。
とにかく空腹で仕方ないので、近くの食堂でベジタリアンターリー 50ルピーを注文。
普段は食べる気がしないベジターリーだが、このときは空腹もあってかとても旨く感じた。
ハングリーイズザベストソース。空腹は最高の調味料だった
https://tabi1.com/india-photo-dvd
ラクナウの宿で朝を迎える。9時起床。
昨日はモロに暑さにやられたのか二日酔いのように頭少し痛い。
それでもエアコンもない部屋なのに、部屋はすずしい。室温31度。
しかし一歩外へ出ると、怒りの太陽と、狂ったような殺人的な暑さが待ちかまえていて、出発する気がしなくなる。
今回の旅は、もう日程に余裕がない。バラナシやカジュラホにも寄りたかったがそれすらもかなわなかったぐらいなので、できるだけ進みたいところ。なのでとりあえずチェックアウトしたものの、シーク教の家族に呼び止められ、外は暑いから中ですずみなさいといわれる
この暑さじゃ危険なので、その言葉に遠慮せず大いに甘えまくって、エアコンの効いた部屋でまったりしてから、結局15時半ごろ出発。
気温も下がり、元気一杯なので、夜中まで走ることにする。
カーンプルの街中は渋滞だらけだったが、街中を抜けてDelhiの標識が見えて国道2号(アジアハイウェイ1号)にはいると一気に高架道路になる。
しばらく進んで村の商店街のようなところについたので、そこでジュースを買う。立て続けに4本も飲んだ。
もう夜なので、ついでに夕食としてクリームサンドパンとゆでたまご3個を食べる。やはり安い
それでものど渇くので、袋水を飲んだ。
しばらく走ると、ドライブインに到着。たくさんの長距離バスが停まっている。休憩所のようなドライブインを覗いてみることにした
たくさんの乗客とすごい熱気。ターリーを配るシーンは、まるで刑務所の食事のよう。
そこにクルタをきたムスリム風のおっさんがやってきた。世話係りらしい。
「飯食うか」とか「コールドドリンクはここで売ってる」とか、例のインド式おせっかいで案内してくれる。
網ベッドを指して、「ここで寝てもいいぞ」と言われたが、とてもうるさくて人の出入りが激しく安心して眠れないので、丁重にお断りする。
それでもなお勝手に案内し続けるので、次第にうっとうしくなってきた。
そもそもたくさんの客がいるのに、なんで自分ひとりずっとにつきまとうのだろう。「このおっさん、もしかしたらホモか?」ちょっと心配になってきたが、最後になって
「これだけ案内したんだからチップくれ、お金くれよ」
と言い出した。
いやいや、何言ってるの。あなたが勝手に案内しただけで、こちらから案内なんか頼んでないのだから、やるわけないでしょ。こっちにとっては余計な親切、大きなお世話だっつうの。
と思っても、ここはインド。意外とそんなに悪い気はしないけどね。
ということで、いつものように国道を外れた静かな空き地で野宿するのだった。
朝起きると早速村人がやってきた。
プライバシーなんかゼロ。しかし病める大国・アメリカのように警戒されないだけでもむしろありがたいぐらい。
今日も殺人的な暑さは絶好調。それでもさほど苦に感じなくなってきたから、多少は慣れてきたのかもしれない
ガソリンスタンドで休みながら進む。エンジンはもう2ストのようにオイルをくいながら走ってるので、オイルを買って入れようとすると、ただでさえ暑苦しいのに反比例して、またもやかましく話しかけてくる。若い男のくせに、大阪のおばちゃん以上におせっかいである。
これだけくそ暑いと、かまねでけろという気分になってしまう。それよりも自分の仕事をやりたまえ。
スタンドには冷水機があるので、ガソリンだけでなく己の体に水も給油する。しかしこれだけ暑いとほかのインド人も同じことを考えていて、砂糖に群がるアリのように殺到するので、ほんのちょっとしか冷えてない。それでも生水飲むよりはマシである。15年前のインドの旅は、飲み水を確保するだけでも本当に苦労したなあ。
そして、午後の昼下がりに、暑い中タージマハルの街・アグラに戻った。
5ヶ月ぶりのアグラは、最初来たときは真冬で肌寒かったのに、今ではもうかんかん照りであった。