ついにインド最南端の聖地・カニャークマリ・コモリン岬にたどり着きました。
カニャークマリの町に着き、最南端に来たからにはとにかく海の見える部屋に泊まりたかったので、街中の何軒かあたって決めた宿が、Hotel Saagar 303号室。4階の部屋は700ルピーだったが、3階なら500と安くしてくれた。
部屋からの海の眺めはとてもいいけど、その分道路に面しておりホーンの音とかが非常にうるさいので、音にかんしてはガマンするしかない。
魚が旨い
最南端の町はハンピ同様聖地とあって、ほとんどがベジタリアンの店。そして観光地なのでムダに高い。ケララでは逆にベジタリアン専門店がほとんどなかったのだが。
当然ここまできてベジタリアンなんて食いたくもないし、せっかく最南端の海に来たんだから、
魚でしょ!
ってことで、ホテルを出て西へ歩くと、魚屋台を発見。
そこはうらぶれた日本の昭和30年代の横丁の屋台のような雰囲気。ここは聖地なので、殺生である魚料理ははばかられるのだろうか。
何種類かのうちの一切れはシーラや鯖で、鯖のほうは味はカレー風味の鯖の竜田揚げそのものだった。なつかしい日本の味に感動。魚を食べまくっても、合計で100ルピーしかかからなかった。最高。
とれた魚をその場で揚げてくれる。魚とタピオカ(マンジョカ・キャッサバ)。これが実にうまいし、安い!以後毎晩通う事になる。
何軒かある屋台のうち、二人のおばさんがウロコをとったり魚を揚げたりしているが、彼女らの髪の毛は縮れていた
ということは、彼女たちは黒人の血を引いていると思われる。
ケララなどの南インドの西海岸では、黒人の血が混じってるインド人を割とよく見かける。この地域はアラブやアフリカとの交易も盛んだったのだろう。彼女らはカースト上において、代々、殺生である魚屋台で働くことになったのだろうか?などと考えてしまう。
6日
6時20分起床。気温30℃。部屋から日の出を見ようとするも、曇っているので太陽が現れず、そのままもう一度寝てしまう。
寝直して11時半起床。のろのろと日清のScoopyを作って昼飯。Scoopyは日本のカレーうどんそのもの味でうまい。
カニャークマリのコモリン岬は、インド人にとっても大聖地であるため、インド中、そして世界各国からも観光客が集う。最南端というと「うらぶれた最果て」と言うイメージがあるが、ここはそんなイメージとは180度異なり、佐多岬や宗谷岬とは比べ物にならないぐらい活気がある。
ホテルから岬へのテンプルロードは、まさに仲見世の如し。
夕日の時間になると黒山の人だかりになる。とても人が多い。
このカニャークマリの祝祭的な高揚感は、やはり北米各地のナンバーの車がやってくる一大観光地で、豪華客船も停泊するUSA最南端のキーウェストを思い出す。
バンコクで散髪して以来3ヶ月もたち、髪もだいぶ伸びているので、散髪をする。
ちょうどいいことに、ホテルの近くに床屋。
インドでは庶民でもきちっとした髪型の人が多く、こまめに床屋に行ってるので、需要も多い。ので仕事も丁寧でありつつ60ルピーと、とても安い。
紫に染まる海
散髪のあとホテルで海パンに履き替え、ガート(沐浴場)で泳ぐ。3つの海が交わる最南端の海で禊ぎとして泳ぎ、散髪で体についた髪も流してやった。
わが髪の毛も、インド洋へ流れるのか。それともベンガル湾へ流れるのか。
髪形もスッキリさせて、ついでに野蛮人のように伸び放題だったヒゲもきれいに剃って、見かけをデフォルトにリセットした。ここは最南端。あらためて新たな旅を始めるのだ。
ガートのとなりの砂浜ではたくさんの人が泳いでいたが、少年たちが泳いでる所は、海水が赤紫色に染まっていた。今日はホーリーの日らしく、ごく一部の人の服が紫色に染まっている
やはりホーリーの激しさは地域によってちがうようで、最初、タイのソンクラーンのようにめちゃくちゃやられるんじゃないかと警戒していたけど、カニャークマリでは全然やってる気配がなかった(午前中寝てたのもあるが)
そういえば、2002年のW杯の時、フーリガンの日本上陸に過剰警備したものの結局は杞憂に終わったのと似ている
走行1km
7日
6時20分起床。部屋から日の出を見ようとするも、またも太陽が現れず、そのままもう一度寝てしまう。じつは近くのシービューホテルに遮られていた事に気づく。やはりちゃんと岬へ行って日の出・日の入を見ないとダメだ。
寝なおすと、朝っぱらから大騒ぎする家族連れがやってきて、あまりのうるささにこちらの眠りを一気に妨げられたので、もう瞬間湯沸かし器状態。
なぜインド人は空気が読めず、他人に対する気遣いができないのだろうか。
せっかくきれいな海が見えるのに、ムードぶちこわし。なので今夜は静かなところに宿を替える。
午前中はひさびさにPazztaを作り、ハンピの日本人と将棋した事を思い出して、海を見ながらIPod touch で将棋をやってると・・・・
夢中になってどんどん時間が過ぎてしまう。いかんいかん。そういえば今年が平成27年と言う事にやっと気づいた。
チェックアウトは夕方5時までなので、昼間も部屋から海を見ながらのんびりし、夕方から宿を引っ越す。
今夜の宿はガートに近い「Meenakshi Bhavan Lodge」という、ガンジーに似たじいさんが受付管理しているとても地味な安宿。350に負けてもらい、部屋から海は見えないが、道路から離れて、今朝のような迷惑な客もいないので、思った以上にすごく静かだった。
眠くなったので、11時半ぐらいに寝る。走行0Km
最南端・コモリン岬の夕日と朝日
3月8日
6時起床。室温30℃。岬に行って日の出を観にいった。夕日同様すでにたくさんのインド人が朝日を待っていた。岬の気温28℃。
まずは先日の夕日から
18:24
18:24
そして反対側を向くと、翌朝はあの神像から朝日が昇る。それにしてもインド人もスマホで撮るなんて時代は変わった。
そして朝日
6:33
6:42 朝日は神像の島に当たるように設定されているのか、その姿が実に神々しい。
6:44
6:43 朝日に、像に向けて、祈る人々。
6:57 そして、沐浴をする人々
https://tabi1.com/india-photo-dvd
ということで、
南の果ての岬の海から、朝日と夕日を同じポイントから見ることができました。感無量です。
宿に戻る。この宿は、日の出前の時間は騒がしかったが、それ以外は実に静か。そして蚊がいない。南インド西海岸のケララは、アラビア海の湿った西風が山脈にぶつかり湿度も高く雨も多く、いかにも熱帯圏の気候でトロピカルな空気だったが、最南端のここではさえぎるものがないので、天気も空気もカラッとしている。眠くて仕方ないので宿に戻って寝直して、10時起床。
神像島へのフェリー
昨夜魚屋台で買った魚とタピオカ(マンジョカ・キャッサバ)を食べる。そのあと外に出てチャイ10ルピーを2杯飲んで部屋に戻り、たまった日記を書く。
そして、夕方、最南端カニャークマリに別れを告げて、出発。
東も西も南もないので、北へ行くしかない。最南端から北上すると、ウソのように快適な高速道路が続くようになる。ケララは本当に走りにくくてつらかった。共産主義が根強いので、インド政府はケララの国道に予算を回していないことがよくわかる。
今宵は野宿だ。夕方4時に出ても、深夜0時まで8時間走れる。デリーを出発した時はまだ冬で、昼間走行、夜宿に泊まるというサイクルだが、これからは野宿もできるし、昼間は死ぬほど暑くなるので、うまく考えないと。
夜の国道7号はフリーウェイ。交通量も多いので70~80km/hで走っていた。21時ごろ茶屋でチャイとインド風ドーナツで休憩した後は、80~90km/hで走る。1時間で68kmも北上できた。これまでとはありえないハイペース。
途中に見つけた、工場萌えの夜景 インドであってインドらしくない
マドゥライの南35kmぐらいのあたりで、国道を外れ、1kmほど入ったところで野宿する事にした。
人や車がほとんど来ないので、結構良く眠れた。蚊も寄らないので、蚊よけクリームは偉大だ。
走行261km