デリーで休息のあとはさらに北へ。ついにインドの旅も最終フェーズに来た。といっても予定も大幅にくるってしまい、どこまで行けるかはわからないが、まずはデリーからはパキスタンまで通じる国道1号を行く。
6月3日
デリーの1週間でやったことは、グルガオンのAさんたちに再会し、カローバーグでバイクのメンテナンスをした。
バッテリー新品が1400ルピー。フロントタイヤ交換が1820ルピー(1600,Tax200,Labour Charge20)工賃が20と激安なのはなぜだろう。タイヤ代やTAXなどに含まれているからだろうか。
デリーでは42度ぐらいの激暑がつづいたが、このところ最高気温も40度を下回ってだいぶすずしくなり、しのぎやすいが、少し蒸し暑かった。殺人的な暑さも一段落。
そしていよいよデリーを再出発。まずはデリーからはパキスタンまで通じる国道1号を行く。そしてとりあえずはインドパキスタン国境を目指す。この道を走るのは2000年5月以来、15年振りである
2車線以上の道が続いて走りやすいが、昔と比べれば、とにかく車が多くなった。
夜になり、ハリヤナ州アンバラにあるPunjabi Vashino Dhabaという食堂で、食事をとった後は寝させてもらう。まるでライダーハウスみたいだね。
食堂では豆カレー、たまねぎときゅうりのサラダ、バターナン、チャイの真性インドめし。
日本だとゆるキャラか萌えキャラが定番だけど、
ここではどうでもいい謎のヘタウマ像がシュールすぎて、おもしろいけど萌えない。
夜中でも人がいて、そうそう眠れない。
走行270km
シィクのおっちゃんは気前がよかった
5日
5時起床。気温25.8度。今日もひた走る。正午ぐらいに、何気なく1号沿いのGSに立ち寄ると店員はシーク教徒。
ただの通りすがりなのに、なんと昼食までわけてくれた。彼の弁当箱にはカレー味のオクラとチャパティが入っていたのでわけてくれた。
いかつい見かけによらず、想像以上に質素な弁当だった。それなのにしっかりスマホも持ってます。
シークのおっちゃんは、気前がいい。昨夜は眠れなかったのに昼寝させてもらい、WiFiまで使わせもらった。ハイテクである。すっかり甘えてしまう。じつに気前がいいのである。またインドをリベンジすることが合ったらぜひまた寄りたい。
その後も国境目指してひた走り、今日も野宿。閉店した店舗の軒下で野宿。
6日
パンジャブ州の都市・アムリトサルに到着。シィク教の総本山ゴールデンテンプルがある。ここから国境まではわずか30km。パキスタン第二の都市ラホールへはわずか70km。
アムリトサルについては、こちらも併せてご覧ください
アムリトサルでは15年前と同じホテルに泊まった。ホテルの所在はよくわからなかったが、宿を見つけて中庭を見た瞬間、なつかしくなった
15年前に泊まった階段近くの部屋はクローズされていて、今回は別の部屋に泊まった。204号室 500ルピー。高いので翌日は狭いほうの218号室に変えてもらい、そこは300ルピーだった。
ところで私はシークを陰ながら応援しているものである。
ターバンとひげといういでたちが、「ザ・インド!」というかんじがして、ビジュアル的にもかっこいい。
そして、知られていないけどシークのインド人は全世界の実業界でも活躍している。
シーク教徒は煙草も酒も飲まないのでビジネス上でも信頼されやすいし、飲酒運転することがないからドライバーやトラックの運転手でよく見かける。
そして、彼らシークの人々とかかわってわかったのは、損得を考えていないところ。目先の利益ではなく信頼と実績をつくっていて、長期的なスパンでの利益を考えているのがわかる。
シィクの総本山・ゴールデンテンプルでは、無料で食事が配られる。
厨房ではみんな一生懸命一目散に働いている。
シンプルだけど、うまい。ここにはないけどポリッジ(おかゆ)がデザートみたいでとてもうまかった。
聖者たちの食卓は、そんなゴールデンテンプルの無料の食事を撮影したドキュメンタリー
ゴールデンテンプルでは野宿することもできる。
自分もいずれは自営・個人事業家として働きたい人間ので、その他者に対するホスピタリティが大いに参考になるのである。
パンジャブ州では、北海道やアメリカのように、ターバンかぶってトラクターに乗って農作業をしているのが目立つ。
たしかに、ほかのインドの州では非効率な人力で野良仕事をしていたが、大型農業機械を導入したほうが効率的なため、あらためてインドの中でも南インドと同じく豊かな州だと思う。貧しかったインド東部のビハールや西ベンガルとはちがう。