●天才と狂気のインド人
●効果100%ダイエット
●ターバンとサーベル
(2000年4月21日~5月8日)
インドの物価
通貨1ルピー= 2.5円(2000.03) ・ガソリン 70円
・宿(地方125円、都市部400円から。)
定食:ベジタリアンカレーとチャパティ、漬物、ヨーグルト 12.5円~60円
・中華料理の焼飯 100円
・サモサ(インド揚餃子)1ケ 2円 路上で売る冷や水 1カップ1.25円
・チャイ(ヤギの乳のミルクティー) 5円
・ラッシ-(ヨーグルトドリンク)17.5円~25円
・マンゴ1ケ 30円 ・マンゴジュ-ス(パック入り)25円 ・マンゴアイス 5円
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天才と狂気のインド人
インドのアーグラにある日本でも有名な世界遺産・タージマハールにやってきた。
4/21 いよいよ金曜日。金曜は入場無料(注:2000年当時)なのでタジマ・ハルさんの家に入った。
このタージマハール、中にはインド人、欧米人、そして日本人もいっぱいで、やっぱりインドのシンボルだ。とにかく美しくて、お見事である。
さっきのアホアホ店員(第4章参照)の先祖だって、タージマハルの建設に従事したのかもしれない。そう思うとインド人は天才の人種なのかもしれない。
それにしてもタージマハルは秘密がいっぱい。神殿や閉鎖された塔の中には地下階段があってまさにファンタジーの世界。忍者屋敷のようにどこまで地下が通じているのか?こじ開けて地下のダンジョン(迷宮)に入ってみたい!
小説やゲームなど、ファンタジー物のモデルは、やっぱりタージマハルが多いのではなかろうか。これだけ伝説と謎に満ちた神秘な建物は、他にあるまいて。
しかし、それとはうらはらに、タージマハルとは対照的なものを見てしまった。
アーグラ―の国道2号バイパスを走っていると、道路わきの空き地でところどころでしゃがんでいる人たちがいた。
なんと彼らはズバリ、大便をしているのだ。恥ずかしがることなく堂々と朝の用便をしている光景は、インドの朝の風物詩。
見よ!
この点々と用便している風景を!これが昔の貧しい頃のインドだった・・・
インドじゃなくてタイだけど、タイで見かけたバイクは、
でもあれから15年経った今では、
朝の用便も、もはや絶滅しているのかも。
朝日を見ながら「サー今日もがんばるか」とうなるのはいいが、残されたハエがたかりまくっている生排泄物の山と、美しきタージマハルの対比。
このあまりにも極端な対比はなんといっていいのだろうか。
あと、野糞をしていたのは全員男だった。じゃあ女はどこでやっているのだろうか?まさか昔のアイドルみたいに「美人はうんこはしない」というのだろうか!?
カルカッタからのびる国道2号線(アジアハイウェイ)はそのうちアーグラ―からニューデリーの210km区間は片側2車線の完全舗装で格段に良くなる。標識にはJICAのマークで作られてあって日本の援助で作られたものだ。
それゆえにまるで日本の高速道路を走ってるような気分だった
ということで、やっとジェベルに全開をくれてやることができ、85~90km/hで走る。実にスカッと快適だった。
(2015年は昔とちがって交通量が激増した。当時は210kmを3時間で行けたのだが)
ニューデリーに入ると、不案内なのでめちゃくちゃに迷ってしまった。ニューデリーはインドの首都とは言え、ダウンタウンのビル群はどれも老朽化してみすぼらしい。ボンベイのほうが断然都会的だ。
効果100%ダイエット
日本で言えば上野駅界隈のようなニューデリー駅近くの安宿(と言っても高い)に泊まる。
いまだにだるくて老人のようにのろく歩いてニューデリー駅に入る。駅にはインドで唯一の自動販売機を発見。
その自販機は日本のドライブインにあるようなタイプで、あめとかチョコとか売っているのだが、ほとんどのインド人は自販機の使い方を知らないし、カルカッタの頁(第2章)でも書いたとおり、みんなコインなんか持っていない。
だから、自販機のそばに座っている「自販機の番人」のにいちゃんに、欲しいものを言って金をわたし、彼がコインを入れてボタンを押し、出たものを客にわたすのだ。これじゃあまったく自販機の意味がないぜよ。便利だからあるのではなく、珍しい見世物として置いてあるようだった。
昔のデパートや観光地にあるような、機械仕掛けの大型の体重計は、自分で1ルピー硬貨1枚入れて量った。でてきた切符には「56kg」と印字されていた。
これをみて「うそだ!ここまでやせるはずがない。きっとこの体重計こわれてるんだろう」と信じて疑わなかった。いくら病気に苦しむインドでも一気に2ヶ月で13kg痩せたなんてありえないからだ。
そしてとなりにも体重計があったので量りなおすと56kg。別の場所で量ると56.2kg!と言う事はズボンとか脱げば55kgしかないのだ。
日本出発前は68kgもあって、ちょい太りぎみだったのに2ヶ月で本当に13kgもやせてしまった!!
宿に戻り、鏡をじっくり見ると標準体型を通り越して骨がむきだしでガリガリになっていた自分がいた。
出発前は色白だったが、今や黒く焼けて二重アゴだったのがいっきにホホがこけてしまっている。全くの別人になった。
「うーん、これでビューティクリニックに行かなくても短期間でダイエット成功だ!」
と喜んでる場合じゃない!ジャイアント馬場のように動きがスローになり、慢性的な下痢や体調不良が続き、もはやずっと病人だったからやつれて体力も落ちて苦しかった。
抗菌グッズ王国から来た人間にとっては過酷な裁きであった。
ニューデリーに来た目的は、となりのパキスタンとイランのビザ取得の為。パキスタンのほうは翌日取得。その後すぐにイラン大使館へ。一週間かかると言われたので物価が安くて居心地よいアーグラーに戻る事にした。
アーグラーの一週間、安静にするしかなかった。テレビで見た古典映画「ベンハー」が印象に残った。夜中に暑さのため寝下痢しそうになった。
ニューデリーに戻る。ここには日本センターがあったが、ネットカフェなんてなかったので日本の活字とかに飢えていた。
中に入るとその時はみんな職員も客も全員インド人で、日本人は私一人だった。しかし図書室のように日本の本が並び、新聞や本をむさぼり読む。砂漠のオアシスのように。
するとインド人学生がやってきて、アーグラーのへんたいな客引きとは違い礼儀正しく「間違っているところがあったら直して下さい」と日本語でいわれてノートを差し出してきた。
それを読むと例文には(当社の工業生産額は前年比の5%増です・・・)といった、思いもよらぬ高度な日本語を勉強していた。
日系人でもない普通のインド人がここまでまじめに熱心に勉強しているとは。ここに来る学生はエリートなのだろうが、どこぞの学生とはえらい違いだ。
何はともあれ、パキスタンとイランのビザが無事取れて、ついにヨーロッパへの道が開けたのだ。そうなると新たな国への期待が鬼のように沸き起こった。もう興奮してるので夜中も走ってパキスタンを目指した。
15年ぶりに訪れたデリー
デリーの町は、一気に近代化した。
自動販売機も、番号指定すると、らせん式にむにゅっと商品が出てくる新型タイプで、しかも10ルピー札対応だ。
15年前のときのように、コイン入れ係のまどろっこしい人は、もはやいない
ターバンとサーベル
パキスタンの国境の町アムリットサルまでの道も走りやすかった。だから時々100km/h以上で走ったりもした。
いよいよ国境が近い!
まっすぐ行くと、アムリットサル。
右へ行くと国境の町アタリと、パキスタンのラホールへ!
パンジャブ州アムリットサルは、ターバンとひげのシーク教徒で有名。その宗教柄、酒や煙草を売る店はほとんどなく、代わりにターバンやサーベルが売られていて、シークに興味があったのだ。
まずはシーク教大本山、ゴールデンテンプルに行った。中に入るとそれぞれ色色な色のターバンをかぶっており、遠くから見るとマーブルチョコのようにカラフルだった。
ゴールデンテンプルはもちろん金色の寺院だが、近くで見ると5円玉やトランペットに使われる真鍮(黄銅)などでできている。そんな寺を眺めていると、
「ジャパニーズゴールデンテンプル」のキンカクシ、じゃなかった金閣寺がなつかしい。
世界でもまれなサーベル屋に入る。所狭しとサーベルが何百本もならべられている。店の主人はもちろんヒゲもじゃでターバンのシークのおっさん。この店に入ると、まるで武器屋に入るゲームの主人公になった気分だ
サーベルを品定めし、中ぐらいのサーベルの値段を聞くと、日本円でたったの300円だと言う。
さんびゃくえん!しかも本物。
おっちゃんは日本に送ってもOKだというが、成田の税関はくぐりぬけられまい。
このサーベルは持ちやすくて戦いやすそうだ。とても安いので2~3本買いたいけどサーベルで野菜を切るのは大変だろう。
しかしこれだけサーベルを売っているのに、この町はそんなに危険ではない。かの悪役レスラー、タイガージェットシンでさえ戦う時は必ず柄の部分をつかっていて、案外スポーツマンシップなレスラーだったので、その流れを汲んでいるのかもしれない(勝手な意見だが)
そしてパキスタンへの国境に近づくと、民家も人もなくなる。国境付近は緩衝地帯となっており、森の中にはバトルスクールなんてのがあってものものしい。
インドの旅は、地獄もあれば天国もあった極端な旅だった。
道行くトラックの荷台にはこう書いてあったのが印象に残った。
「India is Great」
まさにこの言葉がぴったりの国で、思わず深く「そうだよ、そのとおりだよ!インディアはグレートだよ!」とほざいてしまった。
良くも悪くも「India is Great」
インド出国・パキスタン入国。
初めての国境越え 2000年5月5日 15時。
国境に着くと、まず両替。小屋の中でシークのおっさんらがトランプなんかしてひまそうだったが、でてきたのはお札だけだった。パキスタンはコインのない国だった。
パキスタン側のイミグレーションは国境をまたいで1キロ。その間国境を行き来する人や車はほとんどいなかった。
インドとパキスタンは元々イギリスの連邦国だったが、長年の領土紛争と宗教観などのちがいで、両国間の交流はほとんど無い。
パキスタン側のイミグレ、税関(カスタム)に行く。役人らは白いイスラム服を着て、なんかしまりがなくニヤついている。インド側なんて一寸の隙も許さぬ真剣なイミグレなので両国間は雰囲気まで違う。
税関ではご好意なのかサービスなのか、わざわざカルネのファイルまで見せてくれた。
「君の知っている友達はいるかな?」
過去に通過したバイクや車のカルネを見ると、圧倒的にヨーロッパが多く、ドイツやスイスが主でその次にイギリスやフランスなどなど。
車両別ではバイクが圧倒的で、400cc以上の大型バイクが多くて125ccは私だけだった。
そして、日本人のカルネを発見した。住所は北海道で、750ccのオフロードバイクだった。欧米人並の格だが、その人はついこの前そこを通過した様子だった。
いよいよパキスタンだ。