インドでも全然インドらしくない都市、ムンバイ。
ボリウッドと呼ばれるほどのインド映画産業とインド経済の最大都市・ムンバイで、首都デリー以来の都会を味わいました。
15年前にボンベイ(現ムンバイ)に来たときは、まだ高架道路も無く渋滞だらけの道を進んでいたのでたどり着くのにとても苦労したのを見ると、インフラもだいぶ進化している。ムンバイに向かう高速道路は快適でムンバイ市内に入ってもアメリカのようなフリーウェイのち、都市高速のような高架道路が続き、意外に旧市街にあっさりつくことが出来た。
初めての駅寝
遅く着いたので救世軍(サルべーションアーミー)もホテルシップも満室。なので今夜は駅寝(またの名をSTB)をすることに。
CST駅に行くと、マンドゥの広場同様、駅構内には沢山の人が寝ていた。今夜こそ私もその中に混じるのである。駅から少し離れたところにFZをとめて、クロークルームで荷物を預けてもらい(17ルピー)、ブルーシートをしいてそのまま寝た。
夜中目を覚ますと、ひとりの男がずうずうしくも勝手に自分のブルーシートの上でとなりになって寝てきおったので、「むさくるしいから来るな」とブルーシートを静かにひっぺがえして移動して寝直す。
走行 315km
2月9日
8時17分起床。これまでの野宿と違って、駅寝は意外にぐっすり眠れた。
意外にも、まだ寝てる人は多い。ベンチの下でも寝てるのがいる
駅の中はほどよい気温で蚊も少なく、何よりみんな寝ているという安心感もある。
やっぱ、みんなで寝ればこわくない!
駅の構内で売っている、朝に飲むチャイ7ルピーがいい。
9時過ぎ、救世軍のドミトリー350にチェックイン。
このときは、滞在できるのは1泊のみだった。ムンバイ(ボンベイ)の救世軍は15年前にも来たことがあるが、満室で泊まれなかった。当時一泊165だったのが今では350と2倍以上。
救世軍の斜め向かいが、かの有名なタージマハルホテルとスターバックスという、じつに地価の高そうないいロケーションである。(さすがに15年前はスタバはさすがになかったが)
かたや救世軍の宿。ぼろいけどとても安いからいい。
駅寝でだいぶ体も汚れたので、インド初の水シャワー!季節はまだ真冬なのにかかわらず、ムンバイまで南下すると、だいぶ気温が高い。
ムンバイを散策する
まずは両替できるところを探したが、1万円で5000というふざけたレート。やはりデリーとちがってボンベイは日本円の需要がないからだろうか。
(夜、コラバの通りにやみ両替をしてくれる人がいた。なんとブランド店の試着室!で両替。満足のいくレートで4万円替えた)
ひさしぶりにマクドナルドに入る。安い。インドの田舎だと、ベジ食は不味く、言葉も通じず、しかも高いので、大変苦労していた。そこでマックグリルチキンを食べると、やっと文明に戻れた気分。ノンベジ最高!
コラバにあるこの店は、なんと1993年に世界初のマックカフェを始めた店らしい。
マクドナルドの場合、FreewifiにSMSが必要だと言うし、こういう時インドの携帯があるとラクなんだろうけど、外国人旅行者だと登録が難しいのが残念。
なので、面倒なパスワードもないCafe Coffee Dayに行く。
インド版のタリーズみたいなカフェチェーン店。
コーヒーが高く、かわりにチョコケーキを頼んだが128ルピーととても高い
が、これもネットのため。もちろんコンセントも使い放題。救世軍のドミ部屋だと充電は難しいのでここぞとばかりに。しかし客が多いので途中から全然つながらなくなってしまった(´・_・`)
暑い時間帯に店で長居をしたので、店を出る頃にはだいぶすずしくなった。ムンバイの昼間は暑い。デリーは冬なのに。
マリーンドライブで夕日を見る。15年前にマリーンドライブを走ったことがあった。なつかしい。
そして、タージマハルホテルに入る。
空港のような荷物チェックをされるが、ビンボーな身なりでも入ることが出来た。各国の要人やミックジャガーやジョンレノン夫婦などの大物も泊まったとだけあって、まさにセレブワールド。超高級の世界。
先月のデリーの共和国の日に来ていた小浜氏も、以前このホテルを訪れていた
そのためホテルの廊下には、ファッションショーから抜け出したような奇抜なファッションに、2つのでかいぬいぐるみを抱えたアジア人女子がいた。謎過ぎる。普通のインドとは完全に世界が違っていて、おもしろい。
夜になると紫色に妖しく輝く。さらに謎である
封建的な田舎と、斬新過ぎる大都会の旅。メリハリがあっていい。
かたやすぐ近くの救世軍のドミトリーに戻ると、蚊が多くて、眠れずとてもひどかった。なぜ蚊帳をつけてくれないのか。
でもムンバイの一等地で350で泊まれるのはとても格安なので、耐えて耐えて忍耐せねばならぬ。ここはお気楽なゲストハウスやバックパッカーズではなく、救世軍といういかめしい「軍の施設」なのだ
走行28km
それにしてもボンベイとポンペイはまちがえやすい。
10日
7時半起床。救世軍では無料の朝食がでて、ありがたい。チャイ、ゆでたまご、食パン、ジャムとバター。
朝からヨガをやる西洋人宿泊者
9時にチェックアウトするも、荷物の保管は50ルピーもとる。
せこいと思ったが、ここはホテルやゲストハウスではなく、「軍の施設」だと思えば、後になってその救世軍の質実剛健さに納得できた。
なのでFZに荷物をくくりつけたまま、タージマハルホテル近くの路上駐車係のおじさんに10ルピー払ってパーキング。荷物も見張ってもらえる(?)ので逆に得してる。
もう一度タージマハルホテルへ。せっかくだから何か買おうと思い、ルイヴィトンのバッグは買えないけど、ちょうどおフランスなケーキ屋があって、ケーキが1個150とお手ごろな値段だったのでケーキ(ガトーショコラ)を買った。
インド初のクレジットカード払いで請求額は295円ざんす。味はインドのそこらで売られてるような味を少し良くした程度で、それほど高級な味はしなかった。日本のケーキのほうが断然うまい。
そういえば15年前、ボンベイに来て、それから一年近く経った南米エクアドルの港湾都市グアヤキルに着くと、港のある街並みがボンベイを思い出したほどだが、今回ボンベイに来て、救世軍・タージマハルホテルのあたりは、まさに横浜に似ていた。
コラバの入り口、マクドナルドのある通りは、パリのシャンゼリゼにちょっと似ていたし、
高層ビルの並ぶ一角はナイロビやケープタウンのようでもあったし、
マリンドライブはパタヤビーチに似ていたし
マリンドライブの北のほうの住宅街に行くと、イタリアのジェノバとかのような地中海の街みたいでもあった。
とにかく、多様性をもつムンバイ(ボンベイ)はインドでも一番インドらしくない街であった。
そんなボンベイで、「あれも行こう、これも行こう」となると、どんどん時間が過ぎてしまう
明日の朝は、対岸からムンバイの摩天楼を見たい。
そして、ナビムンバイへの長い橋をわたり
その日の夜はムンバイの対岸の町ウランに来た。夜中、団地のある広い道路の片隅で野宿をしたが、やはりここも蚊の大群にやられ、足首に100箇所ぐらい咬まれてかゆくてしかたがない。
どこかの宿に泊まればよかったものを、あれこれ行きたいという欲張りな性格なので、結局損をしてしまう。
走行214km
デリーとムンバイの比較
インドを代表する二つの大都市、首都のデリーと、経済の港湾都市ムンバイ。
たとえるなら、北京と上海のようなもの。
デリーはというと、建物とか見てもパッとしなかったし、冬は霧が発生し、内陸に位置するので、汚染空気も逃げにくく、空気が非常に汚かった。
しかしムンバイでは、南に位置するので冬は気温もさわやかで青空がかがやき最高のシーズン。なにより海がある。そして交易都市としての歴史があるので絵になる建物がいっぱい。都市景観もメリハリがあるし、そして海沿いなので空気もきれいだ。
海と青空と近代都市という、非常にめぐまれた環境なので、経済だけでなく芸能などのエンターテイメントや映画産業も発展する理由がよくわかった。