インドの中の旧ポルトガル領、ダマンとダードラーとナガルハーベリーの3つの飛び地に行きました。
日本ではありえないけど、インドでは、州が変わるだけで文字や言葉も代わる。
さらにこのあたりは、マハラシュトラ州(MH)とグジャラート州(GJ)が食い込んでるだけじゃなく、
ダマン・ディーウ連邦直轄領(ダマン&ディウ・DD)の片割れ、ダマンのほかにも、
そこから内陸にも「ダードラー及びナガル・ハヴェーリー連邦直轄領(DN/DNH)」という、
日本人にとってはわけのわからない、旧ポルトガル領だった謎の領土がある。
2月7日
チバルという町で迎えた朝。千葉県のような名前だが、チバルなので、自分の仲間だったちはるさんを思い出す。一緒にかなまら祭に行ったちはるさん、元気にしてるだろうか。
気がつけばMHからGJ(グジャラート)に戻ったようで、店の外の看板はまた丸っこい文字になっている。
1階の食堂で朝食。ライスが冷めてる上に激まず。萎える。温めてもらえばよかったが、もう遅し。余ったカレーをチャパティに包んでビニール袋に入れて昼食用にする。
11時出発。バピを目指すも全く読めないグジャラートの看板。だけどバピならグジャラート文字でも短そうなので、勝手に解釈してまっすぐ進む。
しばらく走るとゴミで覆われた非常に汚い町に入る。さらに進むと工場が林立するバピの中心部になり、どこにDNHがあるのかわからないまま、NH8(国道8号)に出た。
ここからは英語併記になるので安心してダマンに行ける。ダマンへの道は汚い町だったのが、ショッピングモールなどどんどん都会的になって、ダマンに入る。
旧ポルトガル領の港町・ダマン
ダマン&ディウの片割れだったディウは地の果ての辺境の田舎と言う感じで、アフリカ風、モザンビークみたいだったが、
https://tabi1.com/in54-diu1-mozambique
ここダマンは10階建てのアパートも林立し、思った以上に都会的。なのでモザンビークと言うよりプーケットやペナン島のようなアジアっぽい雰囲気だった。
しかしディウでは外国人も多く見かけたが、ここダマンではインド人しか見当たらない。
バスターミナルにはちゃんとディウ行きもある。
まずは宿探し。ビーチ(Seaface Jetty)に一番近い寂れた老舗ホテルSai Amar internationalに行くと、部屋は汚いが、海の眺めがすごくいい!
ためしにほかの宿も当たってみたが、ノールームとか言うので、ここに泊まる。最初は600の値引きなしだったが、テレビがこわれているので、550に負けてもらえた。
近くのビーチに行くが、インド人100%。外国人旅行者がいない。
なので全然シーフードも売ってないし、インドらしく砂浜はゴミだらけで海が濁って汚いので泳いでる人もいないし、サーフィンやってる人もいないし、ビキニのねいちゃんもいない。挙句の果てにコジキの子どもが、金くれ金くれ攻撃。なんとも色気も無く全くつまんないビーチ。無難にホテルから海だけを眺めるのが一番いい。
普段は忙しさとバイクの移動もあるので飲まないのだが、ダマンはディウと同じく酒が免税なので安いし、部屋からは海も見える最高のシチュエーション。なので今日は部屋から夕日を見ながら浴びるほど飲んで、酔っ払うぞ~!
近くの酒屋には、オレンジウオツカが売っていたが、180mlで20、たったの40円!信じられない最安値!コカコーラやサムズアップとMIXして飲みまくる。さっき買ったオレンジウオツカと、ディウで買っておいたイチゴウオツカをMIX!これでダマンとディウが統一!名付けてDDスペシャルじゃ~
海の向こう、夕日の向こうのディウに思いを馳せる。
最高のひととき。完全チルアウト。酒は満足の増幅剤だ。美酒に酔いウダウダしたりPCでゲームしてるうちにもう夜の9時になってもうた。
窓を見ても真っ暗なので寝るしかない。
ところが、夜中の0時半なのに勝手に花火をあげていて、その音がすごく響いて眠りを妨げられ、今度は怒りが込み上げてくる。夕方の思い出がぶちこわし。
インドでは、極めてすばらしいものと、極めて不快なものが、つねに抱き合わせ、隣り合わせだということを思い知る。その後も蚊の格闘で3時半ぐらいまで眠れず。おすだけべープ1回押しても部屋が広いのでしばらくしてまた出没。かといって120日分しかないのでやたら使うわけには行かん。
せっかくもう一泊しようと思ったが、やっぱり気分ぶち壊しされたので明日出よう。
走行60Km
2月8日
7時40分起床。25度。今日はダマン(DD)から同じ連邦直轄領のダドラ&ナガルハベリ(DNH)にいく。
ついに謎の領土へ行くのだ。
インド政府が「通せんぼ」してあえなく消滅
ダドラ&ナガルハベリー旧ポルトガル領
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/india/datra.html
出典:世界飛び地領土研究会
ダマンを出ると、GJ(グジャラート州)のバピの町に戻る。バピを過ぎて、DNHの領土の一つ、ダドラに入ると、グジャラート語からヒンディー語に変わる。というかグジャラート語とヒンディ語の両方と英語がが使われている様子。
思えば、同じ旧ポルトガル領でも、ダマンはグジャラート文字と英語だったのに、内陸の飛び地DNとくにシルバッサではヒンディー語と英語を使っている。
ここはグジャラート側で、ダドラに入る手前。まだグジャラート文字が使われている
さすがにこの近くの店ではヒンディー語も混じって見られる。
これよりダドラ(DNH)に入る 検問所はあるがフリーパス
ヒンディー語と英語で書かれている
U.T. ADMINISTRATION OF DADRA AND NAGAR HAVELI WELCOMES YOU
連邦直轄領 管理 ダドラおよびナガルハベリにようこそ
ダドラに入った。標識はヒンディー語に変わる
ダドラの中心部まで1km。といってもダドラはとても小さな領土なので、しばらく走るとすぐにまたGJになり、
ダドラではヒンディー語
すぐにダドラが終わり、DNHに挟まれたグジャラート領になる
またしてもグジャラート文字が使われているが、ここまで来るとゴッチャな場所柄、もはやヒンディー語と混在している様子。
しばらくいくと今度はナガールハベリになり、
中心都市シルバッサについた
シルバッサの町自体は他の町とおんなじぐらいで、ほかより少し整然とされているかな、と言う気配でとくに何もない街だが、小さな町なのに官庁街もあってモナコやサンマリノやリヒテンシュタインのような、一つの独立国のような雰囲気があった。
DNは文教都市のようで、旧ポルトガル領の名残でカソリック教会もある。周りの州にくらべていい車も走っており、所得水準も高いようだ。
DNHはヒンディー語と英語が使われているが
グジャラートに近いため、人命にかかわるものだと、3ヶ国語が表示されている
そのあとMH(マハーラーシュトラ州)に戻り、一気にムンバイに向かう。高速道路で快適。ムンバイ市内に入ってもアメリカのようなフリーウェイのち、都市高速のような高架道路が続き、意外に旧市街にあっさりつくことが出来た。
走行 315km
※謎の領土(旧ポルトガル領インド)についてはこのウェブサイトを参考にしました。面白いです。
奪還のためには、ガンジー精神だけでなく、ズルさも使う。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/freedadra.html
インド政府は、奄美諸島の返還運動を参考にした?
http://web.archive.org/web/20040317075235/http:/www.minaminippon.co.jp/sanga/ka20-991227.htm