世界一周24-3 世界一周最後の日!1年4ヶ月ぶりの日本は、まるで宇宙人だった

南米・中米・北米編
スポンサーリンク

ちょうど16年前の2001年6月26日は、忘れもしない、世界一周最後の日でした。

そこで、16年後の本日2017年6月26日に、世界一周の旅の最終版をたびいちドットコムにてお送りします!

2001年6月25日

午前10時。宿の人たちに別れを告げてチェトウッドホテルを出る。
路線バスでLAX(ロサンゼルス国際空港)まで行った。

シンガポール航空の東京経由シンガポール行きのSQ11便は14時30分離陸した。
ついにリトル東京から本物の東京に行くのだ。

機内のシートには各席テレビがつき、米国版のスーパーファミコンが遊べるし、映画は高倉健の幸せの黄色いハンカチを繰り返し上映しており、ずっとゲームとハンカチに没頭していた。飛行機には10回ぐらい乗ってきたが、シンガポール航空が一番最高だった。

 

人生で一番長い昼間

空を見るとずーーっと夕方前の昼間のような空が続くのだが、自分の腕時計を見るとすでに翌日26日深夜0時になっていた。太陽がずっと付いてってるような、謎の気分だ

TVに写ったナビゲーターを見ると、緯度がほぼ同じLA~東京間の軌道は直線ではなく、大きく北にふくらみ、アラスカの南の海を通る虹状の飛行ルートを飛んでいる。地球は丸いのでそれが最短ルートになるのだ。

そして飛行機はアラスカから南下し日本領内に入る。金華山沖から日本に接近、銚子から上陸して成田空港に行くのだが、下界を見るとボコボコとゴルフ場があったりするし、田んぼにしても、普段見る田んぼのイメージと違って上空から見るとタイルのように縦横きっちりと水田が区画されていて、しかも夕日の光が水田に鏡のように反射してすごい綺麗に見えた。

そんな下界を見ると、「万事がきっちりとした」日本に帰ったんだ!と実感する。

日本時間で翌日6月26日17時43分の夕方、成田着。ついに生きて祖国の地を踏めたのだ。空だけ見ると3時間しかたってないように見えるが、自分の時計は26日の深夜1時43分となっていて、LAXを離陸してなんと11時間も経過していたのだ。

日付変更線を越えたことによって、我が世界一周の旅がひとつの区切りとして清算された気がするのである。

2001年6月25日は、人生で一番長い一日で、人生で一番長い昼間だった
そして今日6月26日は、人生で一番短い一日で、記念すべき世界一周最後の日だった

生きて祖国の地へ だけどいつから宇宙人になったのか?

そして空港に到着。税関で検査を受けると、自分の国に戻ったはずなのに、日本人(税関職員)と日本語で話しているのに、英語を使う必要もないのに、どこかまだ別の国を旅行中、と言った気分が抜けず、やたらに緊張した。

外に出てみると、むわ~っと蒸し暑い天気でまるでバンコクみたいだった。そういえばLAは一ヶ月間で一度も雨が降らず、いつもカラッとしていたな。

一年半ぶりの日本。漢字の看板、そして車のナンバープレートすら懐かしいと言うより珍しく新鮮に感じてしまう。千葉ナンバーが書かれていたが、漢字のナンバーなんてひさしぶりだ。

成田から京成の電車に乗ると、乗客の98%が日本人だった。あたりまえといえばそれまでだが、久しぶりに日本人をいっぱい見たのだ。(※2017年現在だと、海外からのインバウンドが激増しているので外国人乗客も多いだろうけど)

だがもっと驚いたのは、その乗客の半分ぐらいが、なんと一心不乱にケイタイとにらめっこしていじっていた!そのざまは一瞬、宇宙人みたいに見えた。因みにこの光景を見たある外国人は、何かの宗教と勘違いしたようだが、要するに当時流行っていたiモードの事だった。

週刊誌によると、私が出発した2000年2月では400万台だったのに、帰国した2001年6月ではなんと6倍の2400万台にまでなっていた!世界を旅している間にiモードが爆発的に普及したんでしょう。当時アメリカですらなかったカラー液晶の携帯も、日本に帰国してはじめて見たほどだった。

いくら日本が不景気(注:2001年当時)とはいえ、世界一技術が進んでいる日本の携帯を見ていると「どこが不景気なんだ!?」と勘ぐりたくなるほどだった。

電車を降りて、駅から家に歩いて帰るのだが、蒸し暑くて仕方がない。
思えば出発した時は氷点下の早朝で寒かったのに、1年4ヶ月の空白期間のおかげで、その寒さがまるで昨日のことの様に思えて不思議な気分だった。

家までの道を一人で歩いていると、すっかり危険な北中南米、そして今日まで危険なLAにいたのだから、いくら歩きなれた自分の町でも、夜道を一人で歩いているがゆえに、途中で強盗に遭うのではないか!?と必要以上に警戒するクセが残っていた。

22時30分。強盗に遭うことなく、我が実家についた!これで冒険が完全に終わったのだ!

なつかしいこの家のにおいが帰宅したことを実感。無事凱旋!
かといって別に派手に出迎えてくれるわけでもなく、家は普通どおりだった。

しかし、出発前には気づかなかったことは・・・

家の天井が低く、間取りが感じたこと。アメリカや海外では天井や部屋などが大きいので、日本の家に戻ると、それらが小さく感じたのだった。

そうして1年4か月ぶりの自宅で食べたのが、ちらし寿司だった。ある意味ミレニアムの2000年紀で初の日本で食べた食事だった

-第24章-

おわり

つづきは電子書籍で!こうご期待

Loading