きょうの記事は、一気に地味になりますが(笑)
ある日、普通にPCをシャットダウンして、
そのあと再起動すると、
なんと、
画面がいきなりこうなってしまいました
そこでクイズ!
結果的に、たびいちはどうしたのか?
1、パソコンの設定によって元に戻した。めでたしめでたし
2、新しいパーツを替えて元に戻った。めでたしめでたし
3、どうにもならず、あきらめた。無念・・
答えは
↓
↓↓
↓↓↓
↓↓
↓
答えは、3、あきらめました。
これまで使っていたこのPC、nx4300は、画面のサイズは1280×768だったのでその設定の解像度だったのだが
それがある日突然再起動後に1024×768で表示されてしまったのだ。
残りの右の部分は、真っ黒になる。
もちろん、シャットダウンする前に解像度などをいじったわけではありません。
そこで、再起動後の異常時に、解像度の設定をしようとすると、
なんと!
1024×768以上の解像度へ設定できなくなってしまった。
ということで、1のパソコン側の設定は×。
しかし、実はスペア用にもうひとつ同じ、新しいほうのnx4300をもう一台もっていたので、そこにHDDを挿し替えると、何の問題なく表示できたではないか。
逆にもう一つの新しいほうのHDDを、これまで使ってたほうへ挿し替えると、やはりおかしくなった。
となると、
原因はドライバなどのプログラム異常ではなく、
物理的な内部故障ということになる。
ネットで調べてみると、1024×768以上の解像度へ設定できなくなったということは、グラフィックボードがこわれたので、それ以上の解像度はPC側が認識できなくなったと思われる。
こうなった場合、
デスクトップの場合なら、グラフィックボードだけを替えれば良いが、
一体型となっているノートPCだと、マザーボードごと替えなくてはならない。
マザボの交換は、さすがの自分でも至難の業です。
となると、
そのいままで使ってたパソコンは
「あきらめざるをえない」ということです。
なぜこのようなことが起きたのか?
なぜなら、このPC、 nx4300は2005年12月に新品で買って以来、10年以上使ってきたからです。
いわば老兵の燃え尽き症候群です
私にとって、PCは仕事でも生活に欠かせない、なくてはならないものになった。
このnx4300とともに、アフリカやアジアなど世界を共に旅してきた。
2009年、ザンビア・リビングストンにて
FreeWiFiがあるため現地人にも人気のベーカリーショップ。
なので自分にとって単なる道具ではない、もはや体の一部なので、ならば完全にボロボロに動かなくなるまで、つかいつづけてやろうと決意した。
のちにジャンクのnx4300を何個か安く買って、パーツをとっかえひっかえしてメモリやHDDやファンやDVDドライブなどを交換し、
2014年以降も、なんとかLinuxやデュアルブートとしてつかい続けてきたのだが、
あちこちでガタがきてボロボロの状態で、もはや棺おけに両足を突っこんだ状態だったので、
そして、ついにグラフィックが突然寿命となった。
たしかにグラフィックボードがおかしくなる予兆と言えば、広告の動画がこま切れで、ワンテンポも2テンポもおくれたりする。
そのてん新しいほうのnx4300にすると、スムーズに広告動画が出るようになった。
そういえば新しいほうのnx4300は、室温が高いので、ファンが唸りをあげて回っていることに気づいた。
古いほうはというと、暑いわりにファンが強く回ってなかったので、そうするとPC内の熱発散ができなくなり、グラフィックボードあたりがヤケて損傷してしまったんじゃなかろうか。
もちろん、これまで使ったPCがダメになっても、メインマシンのPCはすでにあるので問題ないし(windows10)
10年分の使用感が染み付いた(右)とちがって、このもうひとつの新しいほうのnx4300(左)は、画面が一部黒ずんでいる以外は、全然使ってない状態でまだきれいで程度も良い。
なので本来なら左のきれいなほうは売る予定だった。
しかし、古いOSのPCなんて2016年現在では誰も買わないので、たとえ程度がきれいでも、二束三文以下の、本当にタダ同然の値段でしかつかないいという。
だったら苦労して売ってもしょうがないので、新しいほうはずっと部屋の片すみに置いたままだったが、10年間使ってた古いほうのグラフィックがこわれたいま、これからは新しいほうを引き続きサブマシンにして使いつづけることにしよう。
よくがんばった!
10年間使ってきた、わがノートPC。
しかし、どんなモノでも、いつかはこわれる。引退の日が来る。
突然のグラフィック故障をもって、その日から完全な引退、お役御免となったわけだが、
100年とは言わないまでも、あと20年、30年と使いたかった
もちろんメインユースではないが、ごくたまに生存確認のために動かす程度だったら40年はいけそうだったかもしれない。
それでももう10年も使ってきたことだし、予備のきれいなnx4300もあるわけだし、
充分に使いきって、天寿をまっとうした瞬間を見送ることができたので、感無量である。
やはり、「物を大事に使うことはすばらしいことだ」と実感した日でした。