インド人が「サッポロ一番カップスター・カレー南ばん」を食す!その結果は?
1月21日
4時ぐらいに目がさめて目が冴えたのだが、当然まだ暗い。4時50分頃から急に眠くなりだし、もう一度寝て7時50分に起きる。気温21℃と寒くなかったので、何とかよく寝れた。
チャイを飲んで出発。旧ポルトガル領のディウ島まであと40km。ときおり霧雨が降るどんよりとした曇り空。グジャラートの半島は、紀伊半島のように形が似ており、ディウ島はシンガポールにも似ている。
ディウから20kmで国道を離れ、半島最南端にあるディウ島への道へ。
しかし片側一車線の追い越しもままならないショボイ道で、この先本当にディウがあるのかと不安にすらなった
しかし田植え時の湿地帯のような海峡を抜けると、ついにディウに上陸!
旧ポルトガル領で現在は連邦直轄領とはいえ、思ったよりもとても小さいコンパクトな町なので、自転車も多い。GJからDDナンバーになる。
しかも007を二つも発見!インドやパキスタンでは007は人気があるのだ。
いちおうこれも、007!(笑) 因みに777は見かけなかったなあ。
標識などはとくにグジャラートと変わらないが、カラフルな家が増えた。
わずかに残る旧ポルトガル的建物の雰囲気と海のある景色が
同じく旧ポルトガル領だったアフリカ・モザンビーク中部の都市・ベイラに似ている。
インドのディウの写真 Diu
この6枚の写真がモザンビーク・ベイラ Beira Mozambique
最近建てられた公共的建物。それぞれディウとベイラ
今日の宿は、
街中にあるシュリ・ソムナスゲストハウス210号室。交通量が多くホーンの音がうるさいのと、バストイレ共用なのがわずかに不便だが、屋上で洗濯物も干せるし、スタッフも感じ良く300と一番安いので泊まる。
ここは海も近く、部屋にいると汗ばんできたのでコートを脱いでYシャツ。宿に荷物を置いて、ディウにはタイヤ交換できないので、15kmほど北にあるグジャラート州・ウナの町に行く。
ウナは大きい町だが、何軒かバイク修理店を訪ね、またもたらいまわし。見かねた店員がタイヤ専門店に連れてってくれた。そのMRFというインドブランドのタイヤ専門店は、街中の粗末なタイヤ店とちがって四輪むけの店でイエローハットのような高級ふうな店構えだが、二輪用も扱っておりそこにはFZについていたのとまったく同じタイヤがあるではないか!
しかし値段は3500(7000円)とインドの物価からするとべらぼうに高い(日本よりは少し安いが。)だけどこれも必要経費なのでポーンと払う。(だけどやっぱり高いようなので負けてもらえばよかった)チューブタイプのタイヤとくらべて5倍ぐらいするので、だから東南アジアやアフリカとかではいまだに面倒でも安いチューブタイプのタイヤが主流。四輪はその場で交換できるが、二輪の場合はそこで買ったタイヤをもって街のタイヤ修理屋へ。タイヤは3500もしたのに、交換代はなぜかたったの50ルピーでいいといわれた。タイヤ屋と提携しているのだろうか。
それまで履いていた古いタイヤは側面がひび割れてるし、11個もパンク修理跡があり、ヨボヨボの状態だったわけだ。
タイヤ交換のつぎは、オイル交換もしておいた。ヤマハのディーラーまで行かずとも、ガソリンスタンドにいくと簡単にやってもらえたので、これからはこまめに替えることにする。250ルピー。
(タイヤを交換したあと、エンジンからピシュピシュ音を立て始めるようになり、ほとんどオイルが無い状態。オイル交換してエンジンかけてしばらくしてオイルが循環するとノイズもぴったり消えた。4000kmにいっぺんでもいいと思ってたが、思った以上にオイルをくっていたので、2500km以下に交換することにしよう。そしてクラッチすべり発生。急にスロットル空けて加速しなければいいのでいまのところ問題なし。)
ウナの町でアイスクリームを食べてると、ばっちいハイテンションなおっさんがやってきて、
「君、チャイナ?ジャパン?わしはモザンビークのマプトからきた!これからシンガポールに行くんじゃあああ」
おっさんの真偽のほどは定かでないが、モザンとの混血風だし、モザンビークはベイラにせよマプトにせよ、インド人がとても多かったのでウソではないと思う。ディウはモザンビークに似ているだけあって、モザンビークが非常になつかしくなった。
ディウにはHotel Mozambiqueとかクーリエサービスの店も「ロンドン・リスボン・モザンビーク宛も承ります」と書かれている。
その後夕食。レストランはノンベジを切らしておりベジメニューしかない。シンガポールやきそば60。普通のチョーメンだった。だけどバスターミナル反対側にある魚市場近くには、念願のノンベジ料理(肉や魚)の屋台を発見!むきえびのから揚げ100、ゆでたまご2ケ20、チャパティ4枚20。
うまくてしかも安い。ノンベジ最高!ベジタリアンだと食事の種類もウンと限られるし、不味いものが多い。
ラジャスタンからグジャラート州に入ると英語も通じにくくなり、おまけにベジタリアン食しかないという環境でストレスが溜まっていたので、酒も肉も魚もあるディウにたどり着いて一安心。
酒や肉とかはデリーや日本にいれば普通だけど、その「普通」がどんなにありがたいことかと身にしみる。
今夜はとりあえずズボンとYシャツを洗う。23時でも25度あり、TシャツでもOK.。北から来ると大分暑くなった。
走行134km
グジャラートの少女
In Gujarat
遠きアフリカの血を引く、ディウの子。世界は遠くでつながっている。そのロマンをこの目で見るために、今日も旅をする。
In Diu
ディウのダリおじさん。この自慢のヒゲを大切に手入れをしていた。
In Diu
この日、この時でしか見る事ができない夕日。
Sunset in Diu
(57)インド人、「サッポロ一番カップスター・カレー南ばん」を食す!その結果は?
カレーと言えば、インド人に「日本のものは持ってるか」といわれ、ちょうどいい具合に日本から持ってきた「サッポロ一番カップスター・カレー南ばん味」をインド人にくわせてみることに。
1月24日
9時半起床。おにぎりと昨日買ったアルミホイルに包まれたから揚げで食べると、まるで運動会の弁当気分。11時チェックアウト。そのままディウを出るか、別の宿に移るかは気分次第。
海を眺めながらどうするか考える。きょう中途半端に出発してもしょうがない。きのう安い宿を見つけたので、今日はそこに泊まる事にし、明日朝日を見て、早く出発してその日のうちに州都アーメダバードあたりまで一気に爆走したい。
海の朝日と夕日が両方見られるのはディウとインド最南端カニャークマリ。
今日の宿はDream VisionGuesthouse。250とさらに安い。昨日の宿に比べれば水シャワーのバスルーム以外何もないシンプルすぎる部屋だが、道路沿いではなく広い敷地内にあるのでホーンの音もしないが、中庭の話し声がするので一長一短。インド人と西洋人が宿泊している。結果的には前の宿のほうが誰もいなかったので良かった。
宿の一人に「こないだ、パンクしながら走ってたろう?」と言われた。じつにディウは狭い。デリーナンバーの東洋人は特に目立つから、筒抜けである。町の掘っ立て小屋の修理屋で、チェーンにオイルをさしてもらう。無料でOKだった
先日買ったウオツカのりんご味をさがしてみたが、酒屋ではなくBarで買うと90と、とても高くなる。50で買えたリカーショップは閉まっている。いろんなBarをのぞいてみると、暗い店内で飲む男たちがいた。日本の居酒屋とは陰と陽の違いである。懺悔しながら飲むものなのか。
しかし港に面したBarでは、港と船が見えるオープンエア。傍らに酒瓶が詰まれて、バックに船があると、いかにも海賊などの荒くれ者達が巣食う雰囲気がして、非常に味がある。
夕方行くと酒屋は開いており、りんご味のついでにイチゴ味のウオツカも買った。
今日の夕食はいつもの屋台でえびマサラとロティ6枚。えびカレーよりもえびマサラのほうがとても辛かった。カレーと言えば、19日の夜、仏陀洞くつ近くの食堂に泊まった時、そこのスタッフたちから「日本のものは持ってるか」といわれ、ちょうどいい具合に日本から持ってきた「サッポロ一番カップスター・カレー南ばん味」をインド人にくわせてみることに。
何でもかんでもカレー王国、インドにおいて、はたして日本のカレー味はどう思うのか?受け入れられるのか?邪道だとおもうのか?と謎だったので、ちょうどいいタイミングなので食べさせる事に。
3人に感想を聞くと、GOOD!と言われ、本当にうまくて好評のようで、あっという間に全部食べてしまった。日本のカレー味を本場のインド人に食べさせる念願がかなったりで満足。
ただ、インドらしく、「ビーフははいっていないよね?」と言われた。
いちおうカレー南蛮といえば鳥肉なので、チキンしか入っていないと言っておいた。
今日の夕日は雲も多く、週末で騒がしいので全然ダメだった。宿に戻り、2ルピーで買ったマンゴ粉末ジュースに水と安いウオツカを入れて飲んで、早く寝よう。とおもったが空腹なので宿のとなりの店で買った500g25のインド米を炊く。ジャスミン米とちがい、おにぎりに出来ないのが残念だが熱いうちにくえばうまい。
11時ぐらいに寝る。
走行26km
(58)南の島・ディウは異国情緒あふれる旧ポルトガル領!インドの国際恋愛
1月22日
8時半に目ざめたが、今日は休養日なので9時50起床。25度。Tシャツだけで寝れた
きょうは晴れているのですぐさま大洗濯。コートやヘルメットも洗う。Tシャツなどは2時間ぐらいで乾いた。
そのあとPazztaを作る。昼の3時まで一歩も外に出ず。
夕方、昨日の屋台でえびカレー100ルピーを頼む。モザンビーク・ベイラのインド料理店でもえびカレーを頼んだが、それと同じぐらいうまい!Rice40ルピー、ロティ4枚20ルピーつけあわせても安い!
やはり魚介の出汁が効いてるのでベジのみのカレーよりも断然コクと旨みがある。
僕は死んでもベジタリアンにはなれましぇん!ノンベジ万歳!
モザンビーク・ベイラのインドレストランのえびカレー、全部で780円ぐらいと高かったが、モザンビークの食事は不味くて油っこい物ばかりだったので、非常においしかった。
島のSunsetPointに行き、海に沈む夕日を見るチルアウト。ジョードプルで砦に沈む夕日を見、カッチ塩原で地平線に沈む夕日を見、そしてディウ島でアラビア海に沈む夕日を見ている。本当に自分は幸せものだと思う。
南の島・ディウで海と魚と酒を堪能したら、一気にアーメダバードにある階段井戸に行き、一気にエローラ・アウランガバードを経由してDaman&Diuの片割れ・ダマンに行く。メリハリをつけよう。
ダマンは半島の向こう側という変なところにあり、それでダマンとディウが一緒と言うのが不思議だが、バスターミナルに行くとダマン行きの路線もある。だけどダマン~ディウ間にフェリー航路があればラクなのにと思う。
走行21km
1月23日
10時起床。せっかくなのでほかの宿に移ろうかと思ったが、まあまあ快適なので今日も連泊。昼過ぎ、街を歩くが、せっかくの静かな街並みなのに、バイクが通るたびにいちいちホーンを鳴らされるのでうるさくていらつく。
これがジョードプルとかだったらにぎやかなので、ホーンをならされてもそんなに気にならなかったのだが。
しかし陽気なおっさんが作るチャイを飲むうちに機嫌も戻ってきた。
インドのケーキ屋さん看板。使用するのはすべてベジタリアン素材。
その中で、なんと「スマホ型」というのがいかにも現代的。
いつもの魚市場近くのノンベジ屋台へ。Paplet Fry100ルピー(かれいのから揚げ)
Paplet Curryにすれば「カレー・カレー」だったのに、と思ってしまったが、やはりうまい。魚を食べていると、ねこが「うみゃーうみゃー」と寄って来る。この屋台、海沿いにあれば最高なのになあ。そのあと買い物して、もういちどノンベジ屋台に戻ってフライドチキン7個100。そのうちチャパティ2枚と共に3つを食べて、残りをアルミホイルに包んでテイクアウェーする。
今日の夕焼けは、きのうよりもキレイだった。日の沈んだあとも赤い空を見ながら砂浜のベンチでPC作業。この瞬間こそ、最高の気分。白人老夫婦も見かけた。ここは隠れた隠遁地だとおもう。これより向かう西海岸のダマン、ゴア、ケララ、そして最南端のカニャークマリと海に沈む夕日を見るのが楽しみである。
夜は宿の近くにあるAtoZとというネットカフェ。
WiFiが普及しているいま、ネットカフェでネットするのはじつにひさしぶりである。とはいえインドは地方へ行くとまだまだWiFiがない。15分当たり10ルピー。WiFiではなく有線なので動画もとても速い(客は自分ひとりしかいなかったせいもあるが)。30分ネットしたが、お金だけでなく貴重な時間がどんどんかかってしまうので、ブログの更新はFreeWifiのところでじっくりやろう。
バンコクでもらったタイ米(ジャスミン米)があったので、この電子クッカーで炊く事にする。
米と水を1:1で入れて、フタをして、
コンセントを入れてそのまま20分(240V地域の場合)そして蒸らすこと8分。
炊き上がったジャスミン米は、おにぎりが作れるぐらいの日本米と同じ食感で、じつにうまい!
やはりチャパティだけじゃなんとなく食べた気がしないので、日本人は米だなあ。
明日ディウを出発しようかな。通りからのホーンはうるさいし、ディウに長居すると後の予定がどんどんずれていく。まあ、あと何年、何十年かしたら、再びインドを一周したい。そのときは9ヶ月ぐらいかけてじっくりまわることにしよう。
1時半ごろ寝る
走行23km
1月25日
6時半起床。
グジャラートの半島の最南端のディウは、海の朝日と夕日が両方見られる、インドでも数少ない場所だ
朝日を見るために、まだ暗い中海へ行く。浜辺の気温19.3度。
雲があって少しづつ明るくなっていくのがいい。朝日を待ちながらPC作業。
雲から太陽がのぞいたのは7時30分だった。
ところで、ディウの街中で、明らかに30歳ぐらいの日本人女性と、20代前半ぐらいのインド人理系風男子のカップルを見かけた。自分の見た感じ100%日本人女性という保証はないけど、ヘアスタイルや顔立ち、化粧やファッション、相手へのしゃべり方でわかった。
インド男と日本女(あるいは欧米女)の組み合わせは意外に多い。今朝泊まっていた宿には、若いロシア女子がインド人彼氏と付き合うため二ヶ月も住んでいるといっていた
その逆の日本男とインド女というのは聞いたことが無いけど。逆に日本男はタイやフィリピン女とつきあうのは多い。
インド男にはまる理由としては、見かけやファッションが哲学的でありながら野性的であるのと(まあ、インドで生活すること自体がワイルドなので)そして「君は人生のダイヤモンドだ」などと日本男が決して言わないような歯の浮く台詞をさらりと言ってのけたりするので、ツボを付かれて感動するのではなかろうか。
ディウを出発するも、あまり乗り気ではない。グジャラートの半島の東海岸の国道は、政治的圧力なのかどうか知らないが、インフラにお金をかけていないのでひどかった。道には迷うし、片側一車線で舗装がハゲて穴ぼこだらけというあまりにも劣悪な道がずーっとつづくことに完全に嫌気がさして、走る気もしなくなり、ディウに未練がつのってきた
というのも、今日ディウを出たわけだが、明日の26日はレパブリックデーで、警察などによるパレードがあるという。もう一泊してぜひ見たらいいのに、と宿のスタッフに強くおすすめされたので、強くおすすめされたとなると、それが気になってしょうがない。戻りたくなってきた。
悪路のため、昼間6時間以上ずっと走ったのにたった160kmしか進んでいない。爆走するのはなんだったのだ。夕方6時、こんなひどい道を走り続けるとなると、心の中で「いこかもどろか」の綱引きをしていた葛藤の糸がプッツンと切れて「やっぱりディウにもどろう」と決断。帰りの160kmは一気に走って4時間かけて戻り、10時過ぎにディウに戻りDream Visionに再び泊まる。
屋台でフライドチキン100を買って、米を炊いた。残りは朝食にする。
少し大回りになるがソムナスから内陸部を経由してアーメダバードに行ったほうが高速道路になるので、そこから行ったほうが断然快適だし。
走行361Km
インド共和国の日 India Republic day in Diu
1月26日
昨夜はインド人で満室。今日はインド共和国の日のため、夜遅くと朝早くから騒がしい。
午前中はディウのレパブリックデーのパレードを見る。小学生から高校生によるマーチングバンドで、パレードの後にクリケットグラウンドに集まる。
ディウにはアフリカ系もいる
とっぽいあんちゃんたちも見物
これぞインド版ハタ坊。
宿に戻って、テレビを見ると、
デリーの会場が写っていた。町の運動会のようなディウのパレードとちがって、首都デリーのパレードは国家の威信をかけてるのか、ソ連や中国のような軍事的パレードで、全然規模が違う。
デリーを出発して26日目。ディウではすばらしい快晴なのに、デリーではお気の毒なぐらいに雨が降っている。デリーはこの時期天気が悪いから、デリーではなくムンバイでやればええんちゃう、と思ってしまった。
テレビにはアメリカの小浜さんが写っていた。そういえばアフリカにいた頃、タンザニアやケニアとかではすごいオバマフィーバー人気だった。黒人がアメリカのプレジデントになる事は歴史にも残る事で、アフリカの黒人たちにとっても誇るべきことだった。