これまで、たびいちの私生活のことは書きませんでしたが
日本一周連載を終えたのを機に、一部の人以外ずっと秘密にしていたことをカミングアウトします。
たびいちは長い間、熊谷市船木台いっちょめの実家に住んでいました。
しかし以前の記事で書いた通り、船木台の旧実家には住んでいない。

では私はどこに住んでるかというと、
橋の下にテントを張って生活して・・・いません
廃屋の山小屋を安く買って住んでません
四畳半のフロナシ昭和アパートに住んでません
それは
6畳1Kのごく一般的な単身用マンションにて一人ぐらしをしています。
しかも実を言うと、ずーっと前から船木台を離れて一人ぐらしをしているのだ。
(建物の構造はマンションかも知れないけど、エレベーターもなく、家賃が安くアパートのほうが名前的に短いので、アパートと書きます)
我が一家は父の仕事の都合で船木台に住んでいたが
65歳の退職後は両親にとって船木台に住む意義も無くなった。北海道出身の道産子な母は、故郷の北海道を愛しつづける反面、ここの「日本一の暑さ」を心からきらっていた。
そのため何年も前から両親は老後の生活のために北海道に家を探し始め、結果的に旭川に中古の家を買った。その「旭川の家」が我が家の「新しい実家」となる。
旭川は母の生まれ故郷で姉妹などの親戚も住んでいるため、母にとっては念願の故郷に戻れたわけだ。
実家を売る
こうして一家離散(?)をした後は、両親は旭川に引越、私は地元に残ってアパートに引越し、船木台の旧実家は不動産屋を通してすぐに売りに出された。
その後も自分は船木台の旧実家にたびたび赴き、空き家の管理と草刈りと家庭菜園の土いじりをしに行っていた。溜まった生ごみはわざわざ運んでうめて堆肥にしていた。ガレージにVストローム250を置いていた。
初めはそう簡単には売れなかったが、その後少し値下げして、売りに出して1年以上経った夏に買い手がついて、それからは、あれよあれよという間に話がまとまってしまった。
なので熊谷市船木台の旧実家には別の方が住んでいる。
思い出深かった我が家が売られたときは、感情的にめちゃくちゃ哀しかった。
かといって空き家問題が騒がれている昨今、空き家をこのままずっと息子が雑草などの管理し続けるのもめんどうになるし
ダラダラして年月立つと建物も朽ち果てたり荒れたりで価値も下がる上に、毎年の固定資産税もかかるので、現実論で考えれば空き家になったら即刻で売るのは当たり前。しかたのないことだ。
一家と共に親しんだ思い出のある家を去るときに、悟ったのは
「何かあったら潔く捨てることも大事」
だと。
変化がないと、新しいこともやってこないし、いつまでも過去に固執してしまう。これは良くないことだ。
新しい実家と新しい棲家
船木台に住んでた頃はかなりの街はずれにあって車社会の辺鄙な新興住宅街だったが
旭川の家は、便利な旭川近郊の住宅街で、買い物なども徒歩や自転車で行けるぐらいの距離で完結できる。旭川駅へのバス停もあるし、駅から旭川空港にも行ける。
北海道第二の都市である以上、利便性も申し分ない。(埼玉県でいえば、さいたま市に対する熊谷市という位置付けに近いかも)
車好きな父もそのうち車を運転できなくなるから、息子の立場から見てもこの終活は正解だと思う。
私の両親は車が無いと動けない田舎の一戸建てに住んでいたのですが、70代に入り車の運転や庭の手入れも難しくなった為、家を売って郊外の便利なエリアに狭いマンションを買いました。ここでは病院も買い物も徒歩で完結でき、掃除も楽でQOLが大幅に上がったと言っています。この終活は正解だと感じます
— ちゃん社長 (@Malaysiachansan) August 24, 2023
そして私のアパートも、今思うと我ながらとてもいいベストな物件を選んだなと自画自賛。
船木台にくらべれば断然すごく便利だ。駅から外れたら家賃も一気に下がり、騒がしい街から遠すぎず、かといって近すぎずで絶妙で、閑静な住宅街で、しかも家賃が安いので、いま現在では何十年でも、このまま独身なら一生住んでもいいぐらい。また引っ越すのは手続き的にも物理的にもめんどくさいし。
いい物件を見つけたのはたまたま時期的に運が良かったのもあるけど、UberEatsの配達で街中走りまくりながら、ベストな地域をくまなく探していたので、一石二鳥になった。
配達でいやっというほどアパートやマンションに入れるし、次に住みたい何軒かの候補にしていたアパートやマンションの物件に実際に入ることできたし、とにかく地域を縦横無尽に走るので、「ここはうるさそうだ」とか「このへんは民度よさそうだ」とか、周囲の環境なども判るので、UberEatsの仕事が思った以上に役立った。
とはいえ両親とともに実家に住んだ方が合理的で生活の効率がとてもいいだろう。
いわゆる子供部屋おじさんで老後生活で何かあったらおたがい相談したり解決できるし、
自宅警備員にもなれるので常に家に誰かがいれば保安対策としても申し分ない。
しかし両親は、これを機に自立しろと言われた。
両親も二人だけで悠々自適に老後生活を送りたかろうし、
年老いて体の衰えていく両親が、いつまでもこんなおじさんになったドラ息子の面倒なんか見きれんし。
息子としても、もう子供じゃないのに両親からあれこれうるさく言われるのはいやだったし、自立していない負い目も大きかった。
昔ある知り合いから「いつまで親のすねかじるつもり?」と図星まで言われた始末だし。
「親といること自体が親孝行」という気もするけど、もう十二分以上にお世話になったし、さんざん親孝行と親不孝はしたと思ってます