(51)インド軍の宿舎に泊まった!そこにある意外な物とは?国境カッチ塩原

インド2015
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1月18日

グジャラート州で迎えた初めての朝。疲れていたのか9時半起床。10時40分チェックアウトしたが、そのさいバイクの書類を提出させられた。コピーとって警察に送信した模様。ロッテのチョコパイ10ルピーがあったのでそれを食べながらチャイを飲んで、やっとインベスティゲーションが終わった。

 

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ふと、グジャラートのごちゃごちゃした街並みや建物とかを見ていると、モザンビークを思い出した。

モザンビークもインド人が多く住んでいるので、それを思い出すのである。

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昼はdeezaの町のレストラン。イタリアンピザ65ルピー。なるべく早く出発したいのに、25分ぐらい待たされてようやく出てきた。まあここはインドなので、悠長に行かないと。

出てきたピザは、カラフルなグミとドライフルーツがちりばめられており、摩訶不思議なインド味(ぶっちゃけ、まずい)だった。イタリア人に食わすとMamma mia!と叫びそうなぐらいイタリアンとはほど遠いピザだった。

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近くでは、ムスリムのじいさんたちが食事していた

 

が、そのシーンを見て、南アフリカのヨハネスバーグのサントンのショッピングセンターで出会ったインド人ムスリム博士を思い出した。

ムスリム博士の先祖も、150年前にグジャラートから南アに移り住んだといっていた。そのときもショッピングモール内にある店でピザを食べたのだが、南アで食べたピザは当然本物の味だったけど。

 

見わたす限りの地平線 ♪カッチ、カッチ、ここにカッチ♪

そしてパキスタン国境に一番近いスイガムの村についた。ここからはカッチ塩原の入り口で、国境は50km。果たしてどこまで国境に近づけるのか、行けるところまで行ってみよう。

スイガムの村から何キロか西へ進むと、急に開けて地平線が見えてきた!カッチ塩原だ!その近くに軍の検問所があった。「この先に行けるか」とたずねると、「ナラベットの寺院まではいける、そのあと戻ってきなさい」といわれ、名前とバイクのナンバーを記入して許可をもらう。

そこの中年軍人から私のカメラで地平線をバックに写真を撮ってもらい、チャイまで頂いた。うまい!やはり人に対してはフレンドリーに接しないと。

果てしなく広がるカッチの地平線。本当にすばらしい。

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さらに数キロほど進むと、ナラベットの寺院のほこらが見えてきた。そこはスイガムの村と国境の中間ぐらいになり、カッチ塩原のど真ん中。

寺院の前の店にいると「一人旅しているのか、すごい」と観光客のインド人男が集まってくる。純粋でいい。

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寺院からさらに500mほど道を進むと、その先は軍の施設と検問所となっており、進入禁止。

ここから先もパキスタン方面へ道が続くのだが、一般車両が行けるのはこのあたりまで。

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地平線に沈む夕日を見ようと、道の途中でバイクを停めて夕日を見る。まさに静寂の世界。とても貴重な静寂。最高のチルアウト。

オーストラリアにいたときも、アフリカにいたときも、

夕方になると、こうして日本では見られない、地平線に沈む夕日を見ていた。

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インドの写真をもっと見たい人は、これでお楽しみ下さい

https://tabi1.com/india-photo-dvd

 

しかし、夕日が完全に沈もうとするころ、現実に戻された。

検問所の中年軍人がバイクでやってきて「おそいぞ、早く戻りなさい」と怒られ、

検問所に戻り、サインした

 

しかし、そんな気ままな私が気に入ったのか、中年軍人から「うちに泊まらないか?」といわれ、一緒にスイガムに戻る。

着いた場所は、軍の宿舎であった。

そのうちの空いている部屋、3つのベッドが並んでいる広めの1室をあてがわれた。階級の高い将校向けの部屋なのだろうか。特別待遇である

かたや別室には、何人かの若い軍人たちががくつろいでいる。

そのあと中年軍人と一緒に村の食堂へ夕食。

掘っ立て小屋なので、まるでアフリカのような雰囲気。

3種のカレー、チャパティ、生玉ねぎ、牛乳。

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宿舎に戻ると、一泊の志として100ルピーぐらい払えばいいといわれたが「100ルピー、いや200ルピーもらえるかな?」といわれ、200ルピー出した。「あ、さらにあともう50ルピーもらえる?」といわれ、40ルピー出した。結局240払った。

私は宿に泊まる時は必ず値切っているくせに、このときばかりはなぜか多めに払ってしまった。まあ夕食も中年軍人が払ってくれたので240ならまだ安いし、自分からの志、気持ちなので全くOK。

そして「チャイ飲むか?明日の朝7時に出すよ」といわれ「ただでいいの?」というと「20ルピー」と、ちゃっかり金を取るところがインドらしい。セコイ!けど全然悪い気はしない。

なぜならインドでは、金は天下の回り物。

と書いている後ろでジャージを着た暇な若い軍人がのぞいている。

その暇な若い軍人に「S●X Photoはあるか?」ときかれたが、それを言い出したらキリがないし、相手がどんな嗜好かもわからんし、うかつに見せると性に封建的なインドではわいせつ物所有の罪(?)になりそうなので

「そーゆーのはインターネットカフェに行きたまえ、自分の見たいものが見れるから」ということに。

やはり男だらけの世界で自由が無く、血気盛んな軍人たちだから、もやもや溜まるんだろうね。

とくに封建的なグジャラート州では、外に出たところで色気なんてものは全くなく、禁欲的だ。

 

南下して低地のため、蚊が多くなってきた。部屋広いのでまだ「おすだけべープ」は使わず。

11時半寝る。走行226Km。

 

※ここは軍の施設なので、一切写真は撮れないのだが、唯一の写真を公表します。

それは

バスルームにあった手桶は、なぜかポケモン。

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いかめしい質実剛健なインド軍の施設なのに、ポケモン!

1月19日

7時起床。だいぶ西にいるのでまだ半分ぐらい暗い。軍の宿泊所で迎えた朝。

ふつう、自衛隊の施設や米軍の施設に泊まれるなんてありえないが、ここはインド。何が起こるかわからない。だから毎日がとても新鮮。非常にいい経験。

宿舎の中は、兵士たちが寝泊りしていた別の部屋を見ると、椅子があるだけでほとんど何も無く、非常にがらんとしている。兵士たちは寝袋で寝ていたようだ。パソコンもネットもない。各々の携帯のみ。軍人は、究極のミニマリスト集団でもある。

自分の部屋だけ特例でベッドがあったが、かといってゲスト向けでもないので、ここを訪れた将校などの高い身分の軍人が泊まる部屋らしい。キッチンには冷蔵庫と浄水器があるのみ。チャイも軍用携帯型のコンロで沸かしたのであろうか。

 

これがインド軍が作ったチャイだ!軍人らしく、量が多い分、味はうすめ。

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外を見ると、庭には青い2つのテントが見えた。新兵はそこで寝るのだろうか。

冷え込んだ朝の空気。眠いのか動きにぶし。だけど日の出ている時間は貴重。

中年軍人も、出発前なので昨日とはちがって、引き締まった表情を見せていた。

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軍人たちが乗った軍用ジープを見送った後は

3人ぐらいの私服のスタッフが残っていた。自分も片付けて出発することに。

これより国道へと南下。その道は悪く、トラックもひっきりなしだったが、国道に出ると、高速道路になり非常に快適。

高速走行を続けてエンジンが熱くなったのか、またクラッチから謎の悲鳴が。速度を落とす。

そして今度はこないだ修理したパンク箇所の修理ゴムが吹き飛んでしまった。いっきに二重苦。だけど近くにパンク修理屋があった。70ルピー。

しかし、修理している間にエンジンが冷えたせいか、ウソのように悲鳴が消えていった。きつねにつままれた気分。

 

浜名湖のような湖。湖の果てに列車がゆく。

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らくだ。まるでタイムスリップしたかのよう。

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夕方、オドメーターは300kmを突破。今回のインドの最長走行記録更新!そして暗くなった頃、グジャラートの半島の中央にある中都市・ラジコットについた。

しかし、ここは封建的な田舎州なので、英語表記がとても少なく、グジャラート語がわからないし、宿も一泊1000ルピー(2000円)などとふざけているので、こんな砂埃でゴミゴミした町には泊まりたくない。

なのでこうなったら行けるところまで行き、眠くなったら国道沿いのドライブインなどで野宿させてもらおう。

ということで禁断の夜間走行を続行。

昼間だといちいち写真を撮って立ち止まったりして進めなかったりするが、夜間ならその分距離が稼げる。片側二車線のハイウェイなので対向車のハイビームもそれほどひどくはないし、対向車からの追い越しもない。

それでもハイウェイは相変わらず逆走してたり、車線の間を人が歩いてたりと、まるで別の惑星を旅しているような狂気の道で、スリル満点!

10時近くになり、そろそろ疲れ始めてきたころ、「Buddha Cave 7km」の標識を発見。仏陀ということは、タイにある洞くつと同じようなものかと気になりだし始め、明日行って見たくなった。

なので今日の走行はこのへんで切り上げる事にする。近くの食堂に入り「そこで寝たい」と頼み込むと、スタッフたちが快諾してくれて、空いている部屋に縄のベッドと布団と毛布まで持ってきてくれた。

グジャラート州に入るといっきに英語が通じにくくなり、意思疎通も大変だが、その分人々は田舎的でピュア。11時半寝る

走行405km

1月20日

8時起床。くもり。17.7度 気温も低めなので思った以上にかなり快適に眠れたが、連日やすまず走り、昨日は400kmも走ったので首が痛い。プチむち打ち症。

出発する前に仏陀の洞くつに行く。洞くつへ行く途中の道で、看板男発見!

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「Buddha Cave:仏陀の洞くつ」は本当に小さな洞くつで、ライトも要らない。ミニ・エローラみたいなものか。彫られているのは仏像と言うよりも、どうみてもヒンズーの神のような感じ。

 

Buddhaといっても、日本、中国、タイ、インドではそれぞれ違ってくる。そのてんキリスト教は、どこの国に行ってもジーザスは同じ。

なので御当地によって人種のように変わる仏像のほうがおもしろい。

今日はついに念願の海が見れる。なのでインドに来て初の港町・グジャラート州西部のポルバンダルで海を見ながら泊まろうかと思ってたが、実際来るとポルバンダルは洒落た雰囲気もシーフードも無く、ただの砂埃ばかりのどうってことのない町で、町が大きくて混雑して海にはたどり着けず、期待はずれ。

単車は燃費74km/L 新車で8万円。タイもそうだが、インドでは単車は、自転車でもあり自家用車。

 

町が大きくて混雑して海にはたどり着けず、期待はずれ。

なのでポルバンダルには泊まらず、行けるところまで南下する。

 

しかし町を外れると、ついに海が見えた!

デリーから20日、3425kmかけて海にたどり着いた!感動!

地図で見るとポルバンダルからソムナスの道(国道8E号)は西海岸を沿っていて、湘南を走る国道134号のような道かとおもっていたが、防風林にさえぎられてたまにしか見えてこない。だけどたまに見える海が気分を盛り上げる。インドでは太陽光利用と、風力発電も盛ん

 

北海道の漁村のようにひろびろとしている

 

 

 

日本だったらとりたての魚を売ったりとか、いか焼きとかさざえのつぼ焼きとか売ってたりするが、グジャラート州はベジタリアンが多数の州でもあるのでビーチに来ても、椰子の実だけが売っていると言うつまらなさ。

日本だと「海の日」があるぐらい海を親しんでいる日本人なので、グジャラート人はなぜ海をもっと利用しないのだろうと思う。もったいない。ああ早く肉も魚も酒もあるディウに行きたい!

偶然に立ち寄ったマングロルの街は、ヒンズーとムスリムの混在する町で、黒ずくめのチャドルの女性とカラフルなサリーの女性が混じっていて、異国情緒満点でとても面白い。

 

木造の船をつくっている造船所もあり、ムスリムの男たちが打つ小槌の音がなりひびく。この町でもベジタリアンの食事しかなかったが、漁業もやっているようだ

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ムスリムの男たちが揚げる天ぷら屋に入る。野菜だけの天ぷらしかないが、

ピーマンらしき天ぷらがあったので、1個いくらなのかととりあえず5ルピー出したら、

「食ってけ、食ってけ」

とイモ天などいろんな野菜の天ぷらを入れてくれた。

 

グジャラート語の新聞。サリーのねえちゃんがきれい。現地ではこれが最大のセクシーさかも

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「お金・もうけよりも大事なものがある」といわんばかりに気前のよいところがイスラムのいいところである。

 

夜道を走ると、またもや修理ゴムが抜けた。一気にぺしゃんこ。インドでいろんな理不尽な事があっても、「しょうがない、ここはインドだから」の一言で片付けていたのだが、どうしても許せないのが、インドのパンク修理。

普通、チューブレスの修理の場合、修理ゴムにラバーセメントを塗ってからねじこむのだが、インドではどこでパンク修理しても修理ゴムしかねじこまないので、そこから空気は漏れるし、修理ゴムがスポッと抜けて一気に空気が抜けるので、結局その場しのぎでどころか、余計にタイヤが悪化する。基本を知らない修理で苦しむのはこっちなので、頭に来てしょうがない。

だったら自分で用意すればいいのだが、オートバックスのようなカー用品店もなく、ラバーセメントも全然売っていない。個人商店をたずねてたらいまわしにされて売ってないと言われてとても不便。めんどくさい。頭にくる。

どちらにせよパンクを直しても意味が無く、空気が抜けた状態でも何とか走れるので、40~50km/hでゆっくり走るが、とにかく疲れるし追い越される際にいちいちホーンを鳴らされ、やかましいし神経逆なで。疲れと不満とうるささと空腹でいらつきも頂点になり、ひとりヘルメットの中で叫ぶ。

ドライブインについたので、さすがになんとか笑顔を作って食事。

ベジ・ビリヤニ80ルピー。カレーピラフの味。

 

そして野宿させてもらう。

外にある縄ベットをあてがわれたが、急に雨が降ってきたので、階段の下の小さな倉庫のような汚いスペースに寝ることにした。

 

ゴミ捨て場のように汚いが、これも「修業の旅」のひとつ。

雨露しのげるだけでもありがたいと思わねば!

0時半ごろ寝る。

走行350km

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