地球の歩き方にすら載っていない、封建的なアンドラプラデシュ州は、インドでもさらに異次元のようなエリア。
ここには本物のファストフード店と、二つのニセファストフード店があった!
そこで、ニセモノの店を調査した結果、なんと、驚くべき事実が明らかになる!!
(89)観光客ゼロのインドの封建的な街は、一体どんな街並みなのか?
3月25日 夕方前にサイババの村・プッタパルティを出発。
国道7号を北上、ハイデラバードへ。片側二車線の高速だが、このあたりはインドの中でも人口が少ないので荒涼とした景色が続く。
まるでアメリカのハイウェイを走ってるかのようだ。
夜はいつものように国道を何百メートルか外れ、空き地で野宿。23時でも29度とやたら暑い。風がおさまると蚊が出てきた。
走行158km
26日 インド大爆走・1日500km そして体調絶不調!
6時起床。20℃。6時50分出発。159km走り、Kurnoolの町。インドでもさらに封建的な感じ。ほぼ100%インド人。おそらく外国人は自分だけではないか。何が書いてあるかさっぱりわからず、何が出るかもわからんので、しょうがなくスナック菓子などで昼食にする
14時30分、256km。国道沿いの食堂。やっとちゃんとしたものが食べれた。チキンとカレー汁の定食。50ルピーでいいという
暑いので食後しばらくのんびり。水浴びもした。16時半、出発。17時半、316km。
夜、ハイデラバード着。しかし、ハイデラバードは2014年6月にアンドラプラデシュからテランガナという州に分離していた事をここで知った。そんなの、知らんがな。
まだ分離したばかりのできたての州なので、旧州のままになっている標識も多い。標高600m。チェンナイやバンガロール同様の大都市だが、ぱっとしないただの騒がしいだけの地方都市なので、さらに先へ進むことにする。コーチやバンガロール同様、メトロが建設中だった
街中は代わりにラッシー屋が多い。この町の名物の一つでもあるらっしー。1杯25ルピーとお手ごろで、うまい。マンゴ味、など各種の味くらべになり、調子に乗って気がつけば4杯も飲んでしまった。パラグアイならぬ腹具合が心配。
ハイデラバードからは国道9号で東へ進みデカン高原を降りて、再び海沿い(ベンガル湾沿い)に北へ向かう。
しかしこんなときに限って、「ハイデラバードにくるのはこれで最初で最後」だろうということで、撮っては止まりの連続で、ちっとも進まない。
24時。469km。疲労との戦い。まだハイデラバードの近郊なのでどうせなら500km走ってやろう。1時47分、ついに500km!もう眠気のピーク。運がいいことに近くに野宿向けの空き地発見。すぐにそのまま野宿。
1日501kmの走行記録
6:51 2.8km 出発
7:58 65.2km
11:40 170km
14:30 266km 昼食、2時間の休憩
18:30 347km
22:35 451km ハイデラバード
24:00 469km
25:47 500km
走行501km
27日
野宿場所は道路から外れ、申し分ないぐらい静かで誰もこない。500km達成のごほうびなのか。
小山のほうを見ると、工科大学がある。朝なので多くの学生が山へと歩いていく。女子大生の姿も見かける。質素ながらも若い力がインドの未来を担うのだろう。
9時出発。なだらかなハイウェイが続くが、きのうの無茶が災いしたのか、妙にだるい。途中、レストランでマンゴジュースなどを飲むが、外はとても暑いこともあって、全然体が動けず。
ちんたら走り、3時半ペトロールステーション。今日の救世主。軒下があったのでぶっ倒れこむ。少し寝るがハエだらけでうっとおしくて全然休まらない。
夕方5時出発。とにかく気持ち悪くて、吐き気が止まらない。1時間ほどしてついに吐いてしまう。まるでマーライオン。
夜、東西の国道9号とベンガル湾沿いの国道5号の交わる町・ビジャワヤダの町に到着。宿探し。バスターミナル近くなのでとにかくうるさいし、安い部屋は窓もトイレもないので狭くて息苦しい。
ターミナル前の不気味で異様すぎる看板。地球の歩き方にも載っていない、封建的なアンドラプラデシュ州は、インドでもさらに異次元のようなエリアだった。
何軒か当たってHotel Apsara 500.アプサラという名前はカンボジアのシェムリアプを思い出す。裏側の奥の部屋はエアコンつきでカビっぽいが思った以上に静かである。
屋台には肉も魚もあるが、全然食欲がないので、小さいバナナ4本、10ルピーだけ買って帰る
体調は最悪で、死にそうになるぐらい辛い。なんとかバナナを食べて、今回の旅のスポンサーの一人である「すかぽんさん」からいただいた薬を飲んで、2日連続の野宿でできなかった電池の充電や洗濯をなんとか力を振り絞ってすませて、22時半、倒れこむように眠り込む
走行271km
28日
8時半頃、けたたましいチャイムでおこされる。宿のボーイが掃除はどうか?と。余計なお世話だああ・・・人の眠りをじゃまするなあああ・・・
しかもチェックアウト時には何もしてないどころか人の眠りのじゃまをしておきながらチップを請求するもんだから、人の神経逆なでしてるように思える。コルカタと同じ。東インドはそんなものなのか。怒りを込めて断固としてチップを断る。もう一度寝て11時ごろ起床。
すかぽんさんの薬と、じっくり寝たせいか、きのうよりはよくなったと思う。近所のネットカフェは今日は閉まっていた。いらつくけどバイクで2kmほどでようやく発見。ネットカフェ、1時間以上やって30ルピーでいいといわれた。安い。そのあとメロンシェーク。25ルピー.
鳥と魚の唐揚げを買って帰る。それぞれ35と20ルピー。
危惧してた通り、唐揚げも爆裂的に塩辛く、ノーマサラ!と叫んだのにもかかわらず、すでに遅し。おかげでさらに塩辛くてげんなり。
ここ最近、体調も悪く、とくにアンドラプラデシュの外人が全く来ないようなインドの地方なので、インドがつらくてつらくてつらくてしょうがない。アンドラプラデシュと日本の感覚が180度違いすぎる。「いらぬお世話」が多い。もっと好きにさせてくれよ、ほっといてくれと言う気分で一杯だ
しかも飯が激しく不味い。塩辛くて油っこい。とくにアンドラプラデシュ州は「まずい」を通り越して塩辛すぎて「くえない」のレベルになった。コンビニもないのでどうにもならない。ここまで異様で常識がちがいすぎると、もはやどこかの別の惑星にいるようだ。
ああ、アンドラプラデシュなんかやだ!そーめんが食いたい。せめてハンバーガーとかが食いたい。
体力も戻ってきたので、夕方チェックアウトする事にする。こんなところにいたくない。少しでも先に進みたい。
夕方17時出発。国道5号に出ても、混雑した道が続くが、やがて高速部分になる。
20時半ごろ、タヌクという町に着いた。たぬきみたいな名前だし、体調も完全ではないので野宿ではなく宿に泊まる。町のホテルは、300ルピーでまあまあの部屋。
走行153Km
3月29日
9時起床。31℃。タヌクの宿。じっくり寝た。メロン40ルピーで朝食。だいぶ回復はしてきたが、ヨボヨボの状態で、体に力が入らない。だけど先へ進まんといかん。
体調にあわせてのんびり昼過ぎ出発。ひたすらハイウェイを走る。
日もくれたので掘っ立て東屋の食堂で夕食。その後、充分与力があるのでもっと進もうと思ったが、「夜道は危険だからここで寝なさい」といわれ、網ベッドを出してくれたので、素直に好意を受け取り、ここで泊まる事にする。たしかに夜道は危険だしね。
といっても東屋の店内は落ち着かないので、ベッドをバックヤードに持っていったが、それでも寝られず、最終的にはさらに奥へ100m離れたところにベッドを持って寝た。当然全然寝られなかった。
走行164km
30日
やはり野宿だと眠りが浅い。ここの食堂は飲み水も食器洗いも井戸水を使っている。金気のある井戸の水の味がなつかしい。ベッドを元の場所に戻し、コーラやチャイを飲んで、礼を言って出発。
昼過ぎ、人口180万の港湾都市・ビシャカパトナムについた。神戸のような地形。インドでは珍しい中国風の建造物があった。
ここなら念願のファストフードがくえるぞと思うと心躍る。
しかしインドのビジネスは足の引っ張り合いだ、とはよく言ったもので、KFC(ケンタッキーフライドチキン)のすぐとなりに、なんとSFCというパクリの店があるではないか。KFCからクレームが来ないのだろうか。
さらに離れたところにDFC(デカン・フライドチキン、笑)というパクリ店があった
本当は本家のKFCに入りたかったのだが、結局、荷物をつんだバイクが目に届くよう、安全に停められそうなDFCにした。しかもマークが金鳥の蚊取り線香だし。
ここ何日か満足に食事が出来なかった恨みをはらすべく、セットメニューにしたが、肉(フライドチキン)はパンの中にほんのちょこっとはいってるだけで、パンもぐっちょぐちょ。これで200円ぐらいなら許せるけど、400円近くとられたのは泣けてくる。
まあアンドラプラデシュの塩辛すぎるめしよりは断然マシだけど、ファストフード店に入れるユーザーがとても少ないせいか、あらためてインドの亜流ファストフード店は値段は日本並みに取るくせに、クオリティが激烈に低い。庶民はおとなしくミールスやターリーなどのインド食を食ってりゃいいのか。
ああ、早くプリーに行きたい!
そのあとKFCとSFCを覗いてみると、本家KFCは当然ちゃんとしていて客も入っており、さっきのDFCも店員はファーストフード店らしく女子店員もいて、キビキビ働いていたが、SFCはじつにひどかった。
SFCはやるきのないおっさん二人が店員で、前の客が食い散らかしたままの皿がそのまま片付けられず残っていて、しかも店内はすごくかび臭い不快な臭いがして、当然誰も客は入ってない。この粗悪でカスのようなひどさたるや、もはやファストフード店の資格はない。
1978年のスペースインベーダーブームのとき、ブームに便乗してパクリインベーダーを作った亜流のメーカーがのちに倒産していったが、このSFCもきっと同じ運命を辿るのだろうか。
ビシャカパトナムを出て、夜も走りつづける。町についても宿が一軒も見つからず、またも田んぼの真ん中で野宿。しかしワラが溜まってあるところを見つけ、思いのほかふかふかで寝心地良く、馬小屋のキリストのようにあっという間に眠りに着いた。
走行364km
ついにプリー到着!
31日
7時起床。近くのGSに行き、トイレで洗顔。食堂でコーラ、カステラ、チャイで朝食。このパターンはインドの野宿明けの朝の定番になっている。9時出発。
今日は年度末最後の日。なので今日はなんとしてでもプリーに到着したい。
1月1日から3月31日の前半戦を、海のプリーでしめくくるにはちょうどいい。4月からの後半戦は、海とはおさらばして、内陸のネパール方面、デリー、そしてラダックへ向かうのだ。
11:40、 100km
暑いのでGSでシャワーを浴びる。最高。
冷えたリムカとスプライトを飲む。200ml入りでそれぞれ10ルピー。最高。
14:36、158km
オリッサ州に入る。ペトロールが安くなる。ここでマンタンにすべきだった!ひたすら走り続ける。プリーへの道は、一旦、州都ブバネシュワールまで行かなくてはならないことを知り、遠回りになるので焦る。
20:05、 376km
ブバネシュワル。ショートカットするが、迷ったり混雑で走りにくかったりでさらに焦る。
22:30、 444km
ついにプリーに到着!今夜は夜もおそいので、ラブ&ライフに泊まる。一泊300ルピー。日本人の奥さんはいなかった。
思えば連日400km走りづめだったので、大変だった。だけど明日から旅の中休みで、プリーでのんびりできるので充実感でいっぱいだ。
走行446km
3月の使用金額 34226ルピー(68000円)
3月の走行距離 6318km
これにてインド前半編は終了です。
次回(91号)からはインド後半編になりますが、
これまでたびいちドットコムは、ずっとインド尽くしでした(笑)
なのでしばらくインドの話は休みにして、
来月からは2003年から1年間いたオーストラリア編を、今風に味付けしてお送りします。おたのしみに!