沖縄放浪 ついに来たぞ最南端・波照間島2002

沖縄・離島の旅
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3月30日

今日は日本最南端の波照間島に行く。
しかし私は9時発のカーフェリーに一緒に乗るところを、乗り場を間違えたので8時40分の高速船に乗ってしまった。その高速船は60km/h以上で他の船を抜きながら海上を走るのですごいカッコいい。しかしその分大揺れにゆれるのでもろ吐いてしまった。

 

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9時40分波照間着

船酔いでもういやになって高速船を出る。貧さんがくるまで待たなくてはならない。

集落を歩いてみると、製糖工場がある以外は恐ろしく静かで時間が止まったような雰囲気だった。琉球風の石垣といい建築といいここはもう日本ではないようだ。

 

11時30分、カーフェリーが到着。私は後からキャンプ場を出発したのに、何故かはるかに早く着いたので貧さんを驚かす。

日本最南端・最西端をGN125で走破するため貧さんはフェリーでGN共々やってきたが、私はGNを港に置いてきたので彼のGNを二人乗りで走り最南端を目指す。最南端の碑で写真を撮りあったあと、北海道の畑を思わすのびのびとしたさとうきび畑を走る。

 

後ろのGN125は、アフロのではありません。人のフンドシで相撲を撮ってしまった男。

14時にはカーフェリーが石垣へ戻るのであわただしく島を見なくちゃならないのだ。

波照間小学校の壁に生徒の書いたイラストがある。そこには「星になった子どもたち」という詩が書いてあった。

昔、西表島に強制移住させられた波照間島民が困難な開拓の中マラリアで倒れ、帰りたいようといいながら子供らが次から次へと星になっていくという内容で、離島苦を今でも残している壁絵だった。

島の商店(日本最南端の商店?)で駄菓子屋にあるような30円のソーダアイスを売っていた。本土ではアイスなんぞいまどき30円で買えないからゲットすると、離島価格なのか40円も取られてしまった。

人口45000人の石垣島にはマックスバリュや百円ショップ、コンビニといった最新の大型店舗があるので便利さでは本土の地方都市と代わらないし、むしろ本土より安いくらいだ。しかし人口数百人の小さな島では輸送コストが高く、需要と供給のバランスが取れないため古い商店しかなく、しかもグワーンと高い。

13時45分、フェリーへ。髪の長い貧さんは港湾労働者に「ねえちゃん」なんて呼ばれていたので笑ってしまった。うちらは完全にアベックだと思われたらしい(笑)。

そういえば波照間の人たちは、黒い顔立ちと言いずんぐりした体型といい、フィリピンなどの南方系の血がかなり入っている感じで、ヤマト民族とは異なっているし、かといって沖縄本島の人とも違う。ここは東南アジアの島ですよと言われても信じてしまうほどだ。

サングラスをかけたブルースリーのような港湾労働者とビーサン。日本離れしているところがすばらしい。


考えてみれば日本最南端の波照間島からフィリピンのバタン諸島まで400km。沖縄本島よりもフィリピンのほうが近いのである!だから波照間島民の祖先は黒潮に乗ってフィリピンから波照間にやってきたのかもしれない。

そう思うと、日本は複合民族の国なのだと改めて思い知らされる。アイヌ人といい琉球人といい八重山人といい、日本にはいろいろな民族が住んでいるのだ。

よく日本は日本人の単一民族の国だ、なんてのたまうけど、そんなのは東京中心しか物事を見ていない井の中の蛙のような愚言である。

14時フェリーが出港し、甲板の上で大の字になって寝た。16時30分、石垣島。高速船乗り場と離れた港に到着。高速船は3000円だったがこのフェリーは2000円だった

 

その日の夕方、貧さんは同じキャンプ場でテントを張っている老人と話をしていた。その老人は渡り湯(ワタリユ=渡部竜二)さん。66歳なのだが50代後半に見える若さ。11年前に某電話局を退社して以来、世界や日本を自由気ままに旅している人で、世界ではバックパッカーになり、日本では90ccのカブに山のような荷物をつけて日本一周ツーリング!

しかも元エンジニアだけあってその年の割には新しい物好きのデジタル人間で、自分の携帯の迷惑メールに「またくだらんメール来おって、じゃかあしい!!」といかっていた

世界中の話で盛り上がり、渡り湯さんとは一気に意気投合。それからは色々お世話になるのだった。

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